【7-⑥】《「開発」発展モデル》と《経済成長/GDP》と《グローバル化&自由貿易》と |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。


〈【前ページ(7-⑤)】からのつづき〉
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第2次世界大戦が終結しない内に、
アメリカが製品を生産するに当たり、
海外から原材料を調達する為のアクセス確保の必要と
アメリカ製品を吸収してくれる海外市場の必要とが、
すでにアメリカの議会で議論され、
そして、その〈パックス・アメリカーナ〉の為にも
必要とされた《自由貿易》ですが、
先進国が提供する《開発モデル》を
受け入れる事になれば、
先進国からの技術製品などの高価な品物を
第三世界が輸入せざるを得なくなり、
その先進国の高価な品物を
《輸入するための外貨稼ぎ》に
第三世界の国々が《追われてしまう》
という《従属構造》の模様を、
――後に引用するデービッド・バーキンは、
その《従属構造》に関して、
実態は、さらに混み入っていて
もっとダイナミックなものだ、
と指摘していますが――
主にして以下の引用に見ていきます。


※色彩・フォント拡大・太字・下線による強調は引用者。
〇△◆□●△■◇●△■〇△◆□●△■◇●


〔フランス政府の対外貿易センターの報告書による
刊行当時のブラジルの大豆導入についての報告〕
“ 国連食糧農業機関(FAO)の推定によれば、
低開発国における大豆の需要は
1965~85年の期間に53パーセント増え、
一方、日本のような国々は
積極的に供給の分散をはかりつつあるという。
〔アメリカが北半球であるのに対して南半球の〕ブラジルでは
アメリカ産大豆の端境期に大豆が作れるので、
ブラジル政府は
輸出用大豆の生産に力をいれる方針をとっている。

この報告書によれば、
大豆のほうが値がよいので、
農民たちは従来のトウモロコシ生産を放棄し、
また大豆は肥料も少なくてすむということから、
小麦生産も減らしているという。
さらに大豆生産は、機械化が簡単で、
集約的な機械栽培を行なっている地域では、
労賃は全生産費のわずか11パーセントにすぎず、
それだけ雇用が減る
ことである。
実際、ブラジルのトラクター保存は
1960年から70年の間に250パーセントも増えた


 大豆は在来のほかの穀物とは違って、
利用価値を生むまでには、
複雑な加工(大豆油、飼料の場合など)を必要とする

そして、
ブラジルでこの部門を独占しようとしているのが、
世界でも有数な加工業者であり、
アメリカではトップの企業である。

 「1971年から73年にかけて2つの動きがあった。
まず小さな加工工場が閉鎖し、次に大工場がそれにとってかわった
1973年、カーギル社は
年間36万トンの加工能力を持つ新工場を建設した。
・・・・・・アメリカの会社が導入した経営方針は、
この部門の生産性を著しく改善した。
たとえばアンダーソン・クレイトン社は
投下した資本が
SANBRA(ブンゲ系の古い会社)の61パーセントであるにもかかわらず、
1972年の純益では
SANBRAの60万クルゼイロに対し、1100万クルゼイロを記録した。
この二大会社はいずれも
生産から加工、流通段階まで高度に統合化され、
産地には購入施設があり、また港までの専用輸送機を持っている


 この“輸送路”はブラジルではとくに重要である。
この国の輸送、荷役の設備は水準以下で、
トラックは
いつもむかるみに入り込んだり、部品が壊れたりで使い物にならず、
どうしても使用道路が欠かせないからである。
前記報告書によれば、
ブラジル政府は親切にも、
多国籍穀物会社のために、“専用道路政策”を援用し、
さらに世界銀行それに輪をかけた親切さで、
この道路建設費の半分を出した
という。

 この報告書はまた、
ブラジルにおける大豆部門の将来は
大きく開けているとして、
次のように述べている。
こうして外国資本が深く入り込んだために、
農業は外に向かって開かれ
簡単に国際市場の動きに順応するようになった
・・・・・・また進出したのが大企業であったため
投資も大規模になった

・・・・・・われわれが
これらの会社の重役と話したところからすれば、
彼らがここ5年から10年の間は、
生産を毎年15ないし20パーセントずつ増やす力を持っていることは
確かである。
(1973~74年における加工工場生産能力の伸びは30パーセント)

 ブラジルへの大豆導入が、多国籍アグリビジネスに、
利益の面でめざましい成果もたらした
ことは疑いない。
だが、この成果は
ブラジルの人びとにとっても恩恵となったのだろうか
工場が小さかったため倒産してしまった小企業者
仕事がなくなった労働者のことは一応おくとしても、
この調査報告から知り得ることは、
大豆生産トウモロコシ生産圧迫し、
そのために飼料不足して、
1970~72年の間に60パーセント
鶏肉30パーセント以上値上がりしたという事実
である。

 ブラジルは、
アルゼンチンと同じように肉が安く、国民の多くが主要食物にしていた

こうした国は、発展途上国のなかではまれである。
だが、いまではそれも昔話になったという。
また大豆は、
やはり主要食物のひとつである黒豆(フェイハオ)の作付面積を
大幅に減らし
黒豆が品薄となって
値段生産も大豆の影響を受けて減少を来している
こうして、主要食品の価格
大きくはね上がったばかりではなく、
大量の食糧輸入する必要生じてきた

大豆の作付けに適した地域の土地は暴騰
リオ・グランデ・ド・スルでは
1972年に1ヘクタール約1500クルゼイロだった土地が、
ところによっては数カ月の間に1万クルゼイロにもなった」
こうしたことは、機械化できない小農
土地を買う金を持っている者によって次第に排除されていく
という結果をもたらした


 ブラジル政府が大豆奨励しているのは
それが利益の多い輸出農産物だからである。
だが、前記の報告書の執筆者たちは、
この政策にはある種の矛盾があるという。
大豆は直接、間接に物価上昇の原因となった
しかも一般のブラジル人にとっての必需品
もっとも大きな影響力を受けた
従って、大豆生産は、
あらゆる手段を使ってインフレ抑制をはかろうとしている政府の努力に、
まさに逆行するものなのである。

 以上述べてきたように、
作物の栽培というもっとも初歩的な技術ですら、
中立(つまり没価値)ではない

とすれば、
先進国の政府、財団、社会科学専門家によって
低開発国に押しつけられている

はるかに洗練された開発モデルについては
もはや贅言を要すまい
これらのモデルの主目的は、
これまで先進国が成し遂げてきた発展の過程を、
より短期間に低開発国で再現すること
にある。
つまり、もしはずみさえつけば、
低開発国も
ウォルト・W・ロストウのいわゆる“離陸”と“近代化”の段階に
達することができる
だろうという
のである。

 だが、このモデル目に見えない落とし穴は、
その直線的な発展志向にある。
ここで暗黙の了解事項となっているのは
すべての社会は同じひとつの梯子の上にあり、
ただ段が違うだけ
だから、
この梯子の頂上にたどりつこうとしている点では
みんな同じはず
だということである。
そこで出てくる結論は、
上の段にいる西側諸国で発明され、
その成長に寄与した技術、
生産資材を低開発国も使えばよいこと
になる


 このことは、比喩的にいえば、
台の上に乗ったり、階段をつくったり、
ロープを使ったり、木に登ったり、
その他さまざまな方法を工夫して梯子の頂上にたどりつくような真似

してはいけないし、
また梯子の途中で止まることも許されない
ということである。

 開発推進者たちは
「西側が最善だ」と決めてかかっている

さらに、彼らは、
低開発国での問題は
梯子の段が欠落していることであり、
従って、もしこの段が
外からの援助や技術で補給してやりさえすれば
低開発国もより速く梯子を上がれる
だろうし、
豊かな国の側としても、
その進歩ぶり
GNPによってはかることが出来る
と考える

こちらに道路をつくり、あちらにダムをつくる
――こうしたひとつひとつの仕事が
適宜に組み合わされれば

それがただちに発展を招来するというのである。
この方法
現地の社会構造直接手を触れたくない外国の私企業にとっては
好都合なもの

ブラジルの大豆輸送道路その好例である。

 もし低開発国が先進国の‟ように”なれば
都市化が進み、
労働者は
保守的で後れた農村地帯から
活力あふれる近代的な地域に
移ってくるに違いない。
繁栄はやがて高きから低きに流れ、
ついには彼らもロサンゼルス住民のように
1人当たり1.3台の自動車を持つようになる
だろう
――これ開発主義者の主張である。

 別に統計的に証明できるわけではないが、
こうした考え方こそ、
どの低開発国の開発計画の中でも
脆弱な農業部門と貧しい農民の要求が
無視されるという結果を招いている元凶
だと思われる。
そのために、
都市には貧民街が出現し、
大量の失業者が生まれ、
都市、農村を問わず、
ろくに食えない人たちが出てくる
のだ。
どの国の場合でも、
“農村開発”の恩恵を享受できるのは、
政治・経済指導層と結びついている
もっとも近代的な金持ち農民だけ
である。
そして、食糧生産を実際にになっている小農の役割などかすんでしまう。

 このような開発についての考え方は、
西側先進国にとって、もうひとつの利点
がある。

つまり、
ある歴史的な事実ぼかすのに好都合なのだ。
もし、みんなが同じ梯子に乗っていて、
たまたま何人かが他のものより速く上がったというのなら、
ある国々が発展し、
残りの国々が未発展だということの間には、
有機的な因果関係などないはずである。
現在では古典となった評論のなかで、
アンドレ・G・フランクは次のように述べている。

少しでも歴史に心得があれば
低開発というのは、
その国本来のものではなく
また低開発の過去も現在も、
先進国の過去とは
いかなる点においても
似かよっていない
ということがわかるであろう。
現在の先進国は、
かつて非開発であったことはあっても、
低開発であったこと一度もない

また現在、ある国が低開発の状態にあるのは、
もっぱらその国の経済的、政治的、社会的、文化的性質ないし構造を
反映したものだとされている。
だが、歴史研究の明らかにするところによれば、
現在の低開発性
ほとんど過去の歴史の産物であり、
都市中心の先進国家
それに従属する低開発国家との間に、
経済をはじめとする特殊な関係
いまもなおつづいていることによって
生じたもの
である」

 もし今日の低開発性と言われるものが、
大部分植民地主義従属化に起因している

というのが事実なら、
貧しい国々は、
先進国の開発モデル、技術、制度といったものから
早く離脱すればするほど、よりよい生活ができる

ということになるはずだ。

 こうした開発モデルは、
それがたとえ意図的ではないにせよ、
必然的に先進国の利益沿うようにつくられる
従って、先進国にとって
貧しい国々
たえず原料を供給しつづけ

信頼できる貿易相手であること
‟重要”となる

決して競争相手なってはならないのだ。
世界の食糧という面では、
貧しい国々の役割は、
金持ちの国々が必要とする換金作物を
滞りなく供給すること
にある。
もし第三世界の国々が、
この先進国の考え方とそれに基づく開発モデル
受け入れれば
”、
自国の人びとのためではなく”、
‟もっぱら輸出向けの換金作物を生産するようになり”、
そうなれば、
先進国が生産する工業製品や贅沢品輸入にあてる外貨稼げるようになる
というわけである。

 セネガルの経済学者P・ケインは、
こうしたやり方
彼に国でどのように行われているか

その実情を次のように描いている。

 独立直後、セネガル政府は、
全輸出の約5分の4を占め、
国家財政の40パーセントを賄う落花生の生産を、
さらに推進することを決めた。
“セネガル社会主義”のもとに協同組合がつくられ、
サンゴール大統領の言葉を借りれば
「科学的であるがゆえに生産性を高め、
ひいては社会解放にもつながる栽培技術を貧農に教える」目的で、
農業振興事業計画が貧農を対象に実施された。
だが、その結果は、ケインによれば、
「従来、アフリカで植民地主義者の思惑で進められていた、
もっぱら輸出に向ける作物の生産研究を拡大しただけに終わった」

(スーザン・ジョージ 【著】/小南祐一郎・谷口真里子【訳】
『なぜ世界の半分が飢えるのか ~食糧危機の構造~』
1984年、朝日選書、 107-114頁)

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〈【次のページ(7-⑦)】へ続く〉