〈【前ページ(5)】からのつづき〉
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NHK環境アーカイブス
レイチェルカーソン 沈黙の春 1962 6分
菅原文太代表挨拶
@ネオニコチノイドなど浸透系農薬に関する研究発表
(2014.06.25)
20190221 UPLAN 西尾正道・木村-黒田純
「ネオニコチノイド(農薬)
&トリチウム(放射性元素)複合汚染問題」
PHC Film:土は生命体
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このページでは、
たとえば
ドブや溝、川への《タバコのポイ捨て》ぶりの光景
ひとつ取っても、それが物語るように、
《都市的ライフスタイルの仕組み、
その仕組みに適した都市内での在り方や作法のみが、
私たちの脳内地図を占めている》ため、
おそらく普段、私たちは意識する事がないけど、
それが無くては生きていく事ができない、
生存的土台である「土壌」が、
どのようにして形成されてきいるのか、
どのようにして作られているのか、
ということを中心に、
「土壌の世界」を通じて、
生命と環境との間の生命の「妙」や
「ダイナミックで均整的な自然の秩序」について、
以下に確かめていく事になります。
―――――――――――――――――――――
"経済社会を計画的に制御/コントロールできる”
という〈計画経済的な考え方や在り方〉に対して、
たとえば、
フリードリヒ・ハイエクが"致命的な思いあがり"
と論評したことがありますが、
他方で、
自由競争に基づく市場経済の運営が、
人々の間で不公平や搾取をもたらす、として、
経済の在り方や所得分配の是正・公平化の点で、
市場経済や資本主義経済に対して、
マルクス主義は、批判的な視座を持ちつつも、
しかし同時に他面では、
市場経済に対する対案として提示した、
搾取なき分配システムとしての〈計画経済〉も、
マルクス主義と敵対する〈新古典派経済学/主流派経済学〉が理論的基礎とする〈一般均衡理論〉を支える
《全能の合理的経済人》を、
じつは"大前提として同じくしている”と、
「複雑系経済学」を提唱してきた
経済学者の塩沢由典氏による
『市場の秩序学』や『複雑系経済学入門』では、
知ることができます。
塩沢由典氏が「複雑系経済学」を提唱するに当たり、
通信機器利用を含む〈情報収集能力=視野の限界〉、
〈情報処理能力=計算処理能力や思考能力の限界〉、
肉体や機械を使っての〈「働きかけ能力」の限界〉
――あることを、一定期間内で、ある程度の達成を遂げる能力――を
抱えた人間の、経済活動の中での行動ぶりを見れば、
市場における全ての情報を獲得することが出来て、
そのすべてを計算し、最も有利な選択を行なう、
とする、
非現実なる《全能の合理的経済人/最適化原理》を、
経済の前提に置くことをやめて、
合理性にも肉体的にも有限な存在であるヒトが、
限界ある能力を抱え持ちつつも、
何とかよりよい結果を求めて、
複雑なる経済や社会のなかを、
いかにして日常的に経済活動を展開しているのか、
その仕組みを構築していこう、というのが、
「複雑系経済学」の姿勢なのですが、
《無限の合理性をもった全知全能の経済的人間像》や
そうした全知全能なる経済人を前提にすることで、
初めて理論的に可能になる《効用の最適化原理》
――それは需要曲線と供給曲線との交点に、価格と取引数量とが決まる、
とする〈一般均衡理論〉の前提――が、
"いかに現実離れした仮定"であるかを説明する為に、
〈効用の最大化〉をもたらすような、
様々な商品やサービスの〈組み合わせ(最大解)〉を
コンピュータで実際に計算してみるにしても、
〈組み合わせの種類の数〉が"増える"と、
"どれだけの計算時間が掛かってくる事になるか"を
示しています。
❝【最大化の計算時間】
この最大の効用を与える組合せ(最大化)を
実際に計算してみることを考えましょう。
財・サービスの種類Nが少し大きいときには、
暗算では到底できませんから、
コンピュータ・プログラムを考え、
その計算時間を推定してみます。
簡単のために、
効用は最初の1単位で飽和すると考えれば、
X₁,X₂,Xnは、それぞれ0か1の値を取ることになります。
このような値の組合せ、つまり購入計画は、
全部で2のN乗個あります。
これは、ひとつひとつの財・サービスについて、
購入するかしないかを決定するときの場合
分けの数と考えても同じです。
(引用者中略)
財・サービスの種類の数が10以下なら、
目をつむる間もなく計算が終わります。
Nが20でも、1秒で結果が出ます。
しかし、Nが30ぐらいになると
事情はちょっと変わってきます。
こんどは17分も待たねばなりません。
コンピュータを使うにしては、かなり待ち時間です。
ところが、種類がもう少し増えて、
Nが40では12日、
50では35年も待たねばならなくなります。
そして、Nが80では、
ついにビッグバン以来の時間をかけても、計算が終わらない
ということになります。
(引用者中略)
効用を最大化する計算をコンピュータで行うにしても、
財・サービスの種類の数は、
せいぜい30どまりでなければ、実際には使えません。
しかし、
財・サービスの種類が全部で30以下などというのは、
きわめて原始的な経済でも、考えられません。
現在、小さなコンビニエンス・ストアでも、
1200品目ぐらいの商品を陳列しています。”
(塩沢由典【著】『複雑系経済学入門』
1997年、生産性出版、78-80頁)
―――――――――――――――――――――
このページでは、
〈全知全能ではない人間〉が
《カネの換算だけで設けられた枠組み》で、
あるいは
《化学薬品産業やテクノロジーの視点だけで
設けられた枠組み》で、
《化学薬品散布が行なわれること》によって、
土壌などの地球自然環境のなかでの
複雑な生態系や生物多様性の間の循環的な相互作用の営みが《断ち切られて》、
《悪循環化》や《選択肢や出口のない閉塞化》、
出口なく朽ち果てていく《不毛化》に
陥ってしまうリスクについて見て行きたいと思います。
" 〈土壌の世界〉
地球の大陸をおおっている土壌のうすい膜
――私たち人間、 またそこにすむ生物たちは、
みなそのおかげをこうむっている。
もし、土壌がなければ、
いま目にうつるような草木はない。
草木が育たなければ、
生物は地上に生き残れないだろう。
農業があってこそ成立っている私たちの生活は、
土にはじまり、
その歴史は、動物、植物ともちつもたれつなのだ。
土は、
生物がつくったのだと言えなくもない。
はるか、はるかむかし、
生物と無生物との、
不思議な秘密にみちた交わりから、
土ができてきた。
山が火を噴き、溶岩が流れ出る。
水が押し出し、裸の岩を洗い、
かたい花崗岩【かこうがん】までもすりへらし、
霜や氷の鑿【のみ】が、岩をうちくだいた。
すると、生物は
魔法に等しい力を発揮し、
生命のない物質を 少しずつ、ほんの少しずつ土に変えていった。
はじめ地衣類が岩をおおって、酸を分泌しては岩石をぐずぐずにし、
ほかの生物が宿れる場所をつくった。
地衣類のぼろぼろになったかす、ちっぽけな昆虫の皮、
海から陸上にあがりはじめたファウナ(動物相)の残骸でできた
土壌の小さな穴に、
蘚【せん】類が生えた。
生物が土壌を形成したばかりでなく、
信じられないくらいたくさんのさまざまな生物が、
すみついている。
もしも、そうでなければ、土は
不毛となり死にはててしまう。
無数の生物がうごめいていればこそ、
大地は
いつも緑の衣でおおわれている。
土は、
たえず変化していて
とどまるところを知らない。
土もまた
はじめもおわりもない循環の
プロセスの一部となっている。
有機物が腐食する。
空からは窒素、そのほかの期待が雨といっしょに落ちてくる。
こうして、新しい物質が出てきては、
たえず岩石を崩壊させている。
かと思うと
一時だけ生物に利用されては、消滅してゆく物質もある。
元素を空気や水のなかから摂取して、
植物が使えるような形にする。
不思議な、
しかしなくてはならない化学変化が
たえず行われている。
生物自体も、
みずからうつろいながら、
このたえざる変化の輪をまわしている。
土壌の世界
――真っ暗な土のなかに
うようようごめいている生物については、
ほとんど研究されていない。
でも探ってみればみるほど、
こんなにすばらしい世界が またとあるかと思う。
土壌の有機体のあいだに
はりめぐらされている複雑な糸、
土壌の生物と土壌の世界、また地表の世界との関係、
こうしたことは、
ほとんど何もわかってはいないといっていい。
土壌の生物といえば、
まずいちばん小さな生物
――目には見えないバクテリアや糸のような真菌類が、
その代表だ。
その数を出すと、たちまち天文学的な数字になってしまう。
土壌の表面である表土を
茶匙【ちゃさじ】に一杯すくっただけでも、
そのなかには何十億というバクテリアがうごめいている。
(引用者中略)
バクテリア、菌類、藻類――この3つは、
たえず ものを腐食させ、植物、動物の残骸を、
そのもとの無機物に還元する。
もしも、
こうした微小生物がなければ、
土壌、空気、生物組織のあいだで行われている
炭素、窒素のような化学元素の大きな循環運動は
起らないだろう。
たとえば、
窒素をとらえるバクテリアがないとしよう。
そうすれば、
いくら空気中に窒素があっても、
草木は窒素がとれず枯れてしまう。
そのほか有機物は
二酸化炭素を生み出し、炭酸となって、岩をくだく。
また、そのほかの微生物も、
さまざまな酸化、還元を行い、
鉄、マンガン、硫黄のような無機物を
植物の使えるような形態に変える。
また、そのほか無数にいるのは、
微小なダニやトビムシという名の翅【はね】のない原生昆虫だ。
すごく小さなくせに、
植物の残骸を細かくくだいて、森林の下のくずやごみを土にかえてゆく。
この原生昆虫や小動物が
どんなによく仕事をするかは 信じられないくらいである
たとえば、
ある種のダニ類は、
トウヒの落葉がないと育たない。
そのかげに巣食いながら、
針葉の内部の組織を咀嚼【そしゃく】する。
そして、成長すると、
針葉細胞の外皮だけが残る。
秋がくると、おびただしい葉がおちるが、
それを一手にひきうけて
おどろくべき仕事をするのは、
土壌や森林の下の土にすむ小さな昆虫たちなのだ。
かれらは、
葉っぱをやらわかくし、細かくし、腐食したものを表土にまぜる役割を果す。
小さいが、休むことなく、あくせくと働いている生物のほかにも、
もちろんもっと大きな動物たちがいる。
土壌世界でいとなまれる生活は、
バクテリアから哺乳類までの全段階にわたる。
あるものは、
地表下の真っ暗闇な層ばかりにすんでいる。
そうかと思うと、地価の暗室でも冬眠したり、
生涯のある期間だけをそこれ送るものもいる。
また、穴ぐらと地上の世界とのあいだを、
勝手気儘に行き来するものもある。
とまれ、
かれらはみな
土壌を風化し、
植物におおわれている地表に水が通るように、
排水をよくしている。
土壌のなかには
たくさんの生物がうごめいているが、
なかでも大切なのは、
ミミズだろう。
いまから80年ほどまえ、
チャールズ・ダーウィンは
《ミミズの活動による栽培土壌の形成
――ならびにミミズの習性の観察》という本を出した。
ミミズが土壌の運搬に基本的な役割を果すという考えは、
ここにはじめて述べられたといっていい。
岩石の表面は、
だんだん細かな土でおおわれてくるが、
それは虫たちが下から運びあげてくるのだ。
その量は
多いときには
1年で1エーカーあたり何トンにもなる。
また葉っぱや草には
たくさんの有機物が入っている。
それが、
穴ぐらのなかへひきこまれ、土壌となってゆく
(その量は、
6カ月間に1平方ヤード【訳注:0.8平方メートル】あたり
20ポンドあたりに達する)。
ダーウィンの計算によれば、ミミズの力で地表につもる土の量は、
10年間に1インチ【訳注:2.5センチ】から2インチぐらいの厚さになるという。
だが、
それだけではない。
穴ぐらは、
土壌を風化し、水よけをよくし、
植物の根がよく通るようにする。
ミミズがいればこそ、
土壌バクテリアの硝化作用はま〔増〕し、
土壌の腐敗をくいとめるのだ。
ミミズの消化器系を通るうちに
有機物は解体し、
排泄物【はいせつぶつ】によって
土壌は豊かになってゆく。
このように土壌の世界は、
さまざまな生物が織りなす糸によって、
それぞれたがいにもちつもたれつしている。
生物は
土壌がなければ育たないし、
また逆に
土は、生物の社会が栄えてこそ、
生きたものとなれる。
さて、
毒の化学薬品が
この世界に押し寄せてきたら
いったいどういうことになるか
――いままでほとんど見向きもされなかったこの問題を
考えてみよう。
土壌を《殺菌する》のだと言って
毒薬を
じかに土壌にばらまくこともあれば、
また雨が降って
森や果樹園や畑の木の葉をつたって落ちてくる水が、
おそろしい毒を運んでくることもある。
土壌のうちにあって
きわめて重要な役割を果している、
信じがたいほど数多くの生物の運命は
どうなるのだろうか。
幼虫のうちに
害虫を強力な殺虫剤で殺せば、
有機物の解体という
大切な役割を果している《益虫》も
被害をこうむることは
十分に考えられる。
あるいはまた
非選択性殺菌剤を使ってみるとしよう。
木の根にくっついて、
木が土壌から栄養をとれるようにしている種類も
いっしょに死滅してしまうのではないだろうか。
悲しむべきことに この土壌の生態学とも言うべき、
きわめて大切な分野に目を向けるものは、
科学者といえども数少なく、
いわんや防除産業者にいたっては、言わずもがな。
土などいくら毒をぶちこんでも、どうでもない、
などと言っては化学薬品をばらまいている。
土壌という独自な世界は、
ほとんど見向きもされなかったのだ。
それでも
いままでに行われたわずかな研究によって、
土壌に及ぼす殺虫剤の影響が 少しずつ明らかになってきた。
その観察結果がまちまちなのは、
おどろくにあたらない。
土壌は、それこそさまざまで、
ある箇所に被害をあたえても、他では安全だ。
軽い砂地は、
腐植土よりもいためつけられやすい。
また、一種類の化学薬品よりも
いろんな化学薬品が組合わさったときのほうが、
おそろしい害をもたらす。
研究結果は違っても、
害があることは いよいよ明らかで、
多くの専門家も安心してはいられなくなった。
生命の核心ともいうべきところでは、
化学的な変換、置換が行われているが、
まさにそれがおびやかされることがある。
大気の窒素を植物が固定できるようにする硝化作用が、
そのいい例である。
除草剤2・4Dを使うと、
しばらくこの硝化作用がみだれる。
(引用者中略)
またほかの実験によれば、
BHC、アルドリン、リンデン、へブタクロール、DDDを使用すると、
マメ科の植物に必要な根瘤【こんりゅう】をつくって
窒素を固定しているバクテリアが
姿を消してしまう。
菌類と高等植物の根とのあいだには
奇想天外な、たがいに益しあう関係があるが、
それも消滅してしまう。
個体数の微妙な均衡【バランス】
――この均衡があればこそ
自然の遠大な歩みということがありうる――
これが こわれるおそれもある。
殺虫剤のために
ある種の土壌生物の個体数が減り、
捕食者と被食者の均衡が破れ、
ある特定の種類が突然大発生をする。
こうしたことになれば、
土壌の新陳代謝の活動もたちまち変化し、
もはや実り豊かな土とはならないかもしれない。
そして、
それまで自然の均衡のために押えられていた
有害な生物が、あばれだすことになりかねない。
土壌のなかに入った殺虫剤は、
1カ月前や2カ月で消え去らず、
何年も何年も長いあいだしみついている。
4年前のアルドリンが検出されたことがある。
(引用者中略)
適度に殺虫剤を使っているつもりでも、
何年もたつあいだに土壌のなかに蓄積される量は
想像をこえる。
炭化水素の塩素誘導体は、
寿命が長くなかなか消えないから、
新しく使用された分は、
そのまま まえの分にプラスされてゆく。
《1エーカーに1ポンドのDDTなら無害だ》と
よく言われるが、およそナンセンスなのだ。
スプレーをくりかえせば、
殺虫剤はその分だけ
つぎからつぎへとたまってゆく。
(引用者中略)
したがって、
私たちは、第2に
土壌の汚染ということだけではなく、
汚染した土壌と植物組織との関係を
明らかにしなければならない。
つまり、
土壌中の殺虫剤は
どのくらい植物組織のなかへと入ってゆくものなのか。
もちろん、
土壌の種類、作物、殺虫剤の種類、性質、その濃度などによって、
答えは変わってくる。
有機物を豊富に含有している土壌は、
ほかにくらべて毒性の汚染度が低いし、
実験してみると、ニンジンは
ほかの作物にくらべて殺虫剤をよく吸収する。
たとえば、リンデンを使うと、
その濃縮度は、
土壌よりもニンジンのなかのほうが高い。
とまれ、
これからは、
作物を植えるまえに、
土壌を分析して殺虫剤が含まれていないかどうか
検査する必要があるかもしれない。
作物に殺虫剤をかけなくても、
土壌に含有されている化学薬品のために、
出荷できない羽目にならないともかぎらないから。
(引用者中略)
農作物全部が
いつ同じ目にあわないともかぎらない。
土壌が汚染されているかぎりは、
この脅威はなくならない……。
マメ、コムギ、オオムギ、ライムギのような、
殺虫剤に敏感な植物は、
十分根をはることができず、実生の発育がおくてしまう。
ワシントン州やアイダホ州のホップ栽培者たちは、
手いたい目にあっている。
Strawberry root weevilというゾウムシの一種の幼虫が
大発生して、
ホップの根をくいあらしたので、
1955年の春、大規模な防虫が行われ、
専門家や殺虫剤会社に相談して
ヘプタクロールを使った。
ところが1年もたたないうちに、
ホップのつるが弱りはじめ、やがてすっかり枯れてしまった。
何もしなかった畑では何ともなかった。
ヘプタクロールを使った畑と使わなかった畑との境は、
ホップの木の被害の差にそのままはっきりあらわれたのだった。
莫大な費用をかけて、
新しくホップを植えつけたが、
年が明けてみると、みな根がやられていた。
それから4年がたったが、
土壌はあいかわらず汚染していて、
いつまたもとどおりにきれいになるのか、
いったいどういう処置をとったらいいか、
専門家にもわからない。
(引用者中略)
それでも、殺虫剤は使われている。
そして一度殺虫剤が使われれば、
そのおそろしいかすは
いつまでも土壌のなかに残るから、
これから先ますます面倒になるのは、
ほとんど確実と言っていい。
1960年 土壌生態学の会議に
シラキュース大学に集まった専門家たちは、
みな口をそろえて こう言っている。
化学薬品とか放射能など
《どのようにおそろしい作用があるのか
よくわかっていない道具》をもてあそぶ おそろしさ
を数えあげて、かれらは言う
――《人間のほうで
ちょっとした間違いをしたために、
実り豊かな土壌がだいなしになり、
節足動物が
この大地をのっとることになるかもしれない》。”
(レイチェル・カーソン【著】/青樹簗一【訳】
『沈黙の春』1974年、新潮文庫、 68-78頁)
〈【次のページ(7)】に続く〉