何の怪しいことも誹謗や中傷も
何の疚しいこともした訳でなく、
思い当たること無く、突然に
ぼくのツイッター・アカウントが《制限を受け》
利用できなくなりました。
制限を解除するには、電話番号を入力して、
自動音声のコードを聞き取る必要があるようですが、
自分の電話番号を入力・記入することで、
自分の個人情報や所在が
《紐づけ》されてしまうのがイヤなので、
ツイッター・アカウントが
制限されたまま捨ておく事しかないかもしれません。
何が理由での制限なのか
全く知らされず分からずに、
唐突にアカウントが《制限・停止される》のは、
悲しく恐ろしいものです。
また別に新しく、アカウントを作っても
その新アカウントにも
すぐに《同じような制限》が掛けられて
利用できなくなってしまいます。
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〈【前ページ(4)】からのつづき〉
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NHK環境アーカイブス
レイチェルカーソン 沈黙の春 1962 6分
PHC Film:土は生命体
西谷文和 路上のラジオ 第5回
小出裕章氏(元京都大学原子炉実験所助教)
ロングインタビュー
※「自由なラジオ」終了から、
新たに個人的に再開された「路上のラジオ」。
路上のラジオへのご支援や応援も、よろしくお願い致します。
【ゲスト:黒川眞一
高エネルギー加速器研究機構名誉教授】
🎶おしどり2019「投票ブギウギ again」🎶
7/20@新宿駅西口地下広場
「今、蘇る寺田寅彦 -天災は忘れた頃に-」
池内 了(総合研究大学院大学 理事)
:平成25年度 軽井沢土曜懇話会 第1回
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" みんな、催眠術にかけられているのか。
よくないものも、
仕方がないと受け入れてしまう。
よいものを要求する意志も、目も失ってしまったのか。
生態学者ポール・シェパードの言葉をかりれば、
このような考えによれば、
《あと何インチかで、
環境の破滅という海に溺【おぼ】れてしまうのに、
やっと何とか頭だけ水の上に出して
その場をしのぐ生活がいいのだ。
なぜまた、
少しずつわれわれをむしばんでゆく毒を
あてがわれて
黙っていなければならないのか。
ぬるま湯のような環境のなかのわが家、
われわれの敵でもない、味方でもないような
知合いのサークル、
もう少しで気が狂いそうなエンジンの音を
我慢しなければならないのか。
いまにも破滅しそうで滅びない世界に
住みたいなどという人がいるだろうか》。
だが、まさにそのような世界が、
私たちの頭上にのしかかっている。
化学薬品で消毒した、虫のいない世界を
うち立てるのだ
――そのほうの専門家、
また防除業者と呼ばれる人々は、
十字軍を起しかねまじき狂気の勢いである。
かれらが、
どんなに残酷な暴力行為に つっぱしるかは、
いたるところで例証されている。
《防除に熱心な昆虫学者は
検事、裁判官、陪審員、税査定人、
税徴収官、保安官の役を一身に集め
自分たちの考えを力づくで押しとおしている》とは
コネティカットの昆虫学者ニーリー・ターナーの言葉である。
このうえない悪が、
国家、ならびに州関係の機関で
野ばなしに行われている。
殺虫剤の使用は厳禁だ、
などと言うつもりはない。
毒のある、
生物学的に悪影響を及ぼす化学薬品を、
だれそれかまわず
やたらと使わせているのはよくない、
と言いたいのだ。
その薬品に
どういう副作用があるのか、
考えてもみなければ
知りようもしないまま
化学薬品を使う。
おびただしい人々が、
知らぬまに、
こうした毒を手にしていた
――手にされたのだった。
権利の章典に、
市民は 危険な毒から
――私的個人、公的な官庁からばらまかれるにせよ――
安全に身を守られるべきである、
と書いていないとすれば、
それは
かしこかった私たちの祖先も、
こんなことになろうとは
思わなかったためにすぎない。
土壌、水、野生生物、
そしてさらには人間そのものに、
こうした化学薬品が
どういう影響をあたえるのか、
ほとんど調べもしないで、
化学薬品を使わせたのだった。
これから生まれてくる子供たち、
そのまた子供たちは、
何と言うだろうか。
生命の支柱である自然の世界の安全を
私たちが十分守られなかったことを、
大目にみることはないだろう。
どんなおそろしいことになるのか、
危険に目覚めている人の数は本当に少ない。
そしていまは専門分化の時代だ。
みんな
自分の狭い専門の枠【わく】ばかりに首をつっこんで、
全体がどうなるのか気がつかない。
いや
わざと考えようとしない人もいる。
また
いまは産業の時代だ。
とにかく金をもうけることが、
神聖な不文律になっている。
殺虫剤の被害が
目に見えてあらわれて住民が騒ぎだしても、
まやかしの鎮静剤をのまされるのが
おちである。
このような虚偽、口にあわない事実に
砂糖のオブラートをかけることなど、
もうやめにしたらいい。
昆虫防除の専門家が
ひき起こす禍【わざわ】いを
押しつけられるのは、
結局私たちみんななのだ。
私たち自身のことだ
という意識に目覚めて、
みんなが
主導権をにぎられなければならない。
ジャン・ロスタンは言う
――《負担は耐えねばならぬとすれば、
私たちには知る権利がある》。
(レイチェル・カーソン【著】/青樹簗一【訳】
『沈黙の春』1974年、新潮文庫、22-24頁)
〈【次のページ(6)】に続く〉