【動画追加】《新型コロナウィルス》関連の情報&記事 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

  「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

突きつめれば「命どぅ宝」!
【新】ツイッター・アカウント☞https://twitter.com/IvanFoucault
徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

【ニッポンの崖っぷち】
ホントにやるの?東京五輪!
選手村マンションは立ち往生!
(森山高至×山岡淳一郎)20200811

緊急企画「路上のテレビ」第5回
冨田宏治さんに聞くその2
「そもそも大阪の医療体制は?」

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200419 荒れ野に種をまく第3回 「彷徨する日本」


自分で考え いのちを守れ!
新型コロナと闘う その先の未来へ200408

救急救命医に聞く 「救急センター」を守れ
~司令塔、防護具、PCR検査
【新型コロナと闘う 山田厚史×山岡淳一郎】

コロナ拡大、次は介護現場だ/続く救急のひっ迫
 【新型コロナと闘う 最前線No3
 山田厚史×山岡淳一郎】20200424

ウイルス「体内で変異」感染力も・・・
中国調査班トップ(20/04/11)

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新型コロナウイルス感染症~市民向け感染予防ハンドブック
(PDF無料ダウンロード)
〈東北医科薬科大学病院 特設ページ〉


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40代以下でも重症化例 “働き盛り”感染多数

(2020年4月14日 FNNプライムオンライン)

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新型コロナで突然の脳梗塞、30~40代の患者で相次ぐ 米
(CNN)

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新型コロナ〉「感染者統計にゆがみ」 シカゴ大・山口一男教授 日本の少数検査に苦言

(2020年4月3日 東京新聞刊)

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コロナ禍の労働問題ー
「もう生きていけない!」ー
(朝倉れい子×大椿ゆうこ×福島みずほ)

#小池晃と緊急Web会議


母子家庭に今すぐ現金給付を 赤石千衣子さん
池田香代子の世界を変える100人の働き人 37人目

”家にいろ”というなら家を用意すべきだ
 稲葉剛さん

【竹信三恵子の信じられないホントの話】
「キャバ嬢」差別がコロナをひろげる
〜尾を引く休業補償排除事件〜20200429

「働くな!」では生きられない
〜コロナ感染拡大下の働き手〜20200408


【金子勝の言いたい放題】
No10 アベ「大恐慌」に備えよ 20200403

大門実紀史(日本共産党)
2020年3月18日参議院財政金融委員会


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大地のみならず、現実そのものが激しく揺らぎ
安定した自明なもの根こそぎ崩れようとする瞬間。
長く保たれてきたもの亀裂が入り、
バックリと口を開いた裂け目から、
それまでは見えていなかった深淵があらわとなる瞬間

そういうギリギリの分かれ目、断絶のこと
われわれは、「危機 crisis」と呼ぶ。
危機は、しかし、根底にひそんでいたものが
その透き間から顔を覗(のぞ)かせるという意味
では、
好機 chance」でもある。
少なくとも、
ものを考えるようとする者にとってはそうである。
リアルであることを否定したくなるような悲惨きわまりない「現実」
突きつけられようとも、
そのカッコ付の現実に面前していることそれ自体は、
真相を見極めようとする者からすれば、
好機到来と言ってよいのである。

(中略)
当たり前が当たり前でなくなり、
当然と信じていたものが謎と化し、
日常性そのものが問題として頭をもたげる

その不可解さを揉み消すことなく、
その前にじっと佇(たたず)み、
思わず知らず問いを発するとき、
われわれはすでに哲学しているのである。”
(森 一郎【著】
『現代の危機と哲学』
2018年、放送大学教育振興会、25-26頁)

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処罰というものの、こうした技術-政治策というものを
理解するために、
犯罪の極限的な事例つまり最大限の犯罪というもの
もっとも尊重にされている法という法の数々を
侵してしまうような、並はずれた大罪
を、想定してみよう。
(中略)
その大罪というものは、
唯一にして、
そして同じ類の犯罪行為の内で
後にも先にも最初で最後の最大級の犯罪としてしか
あり得ないであろう、究極で並はずれた大罪というもの
を、
想定してみよう。

この犯罪の極限の寓話は、
過去においては、僅かなのであるが、
(中略)
この究極の大罪は、
そこに、
[権力が]処罰をすることの根拠が露わになる純粋な形式なのだ。”
(Michel Foucault 『Surveiller et Punir』 P.109-110/
邦題 『監獄の誕生』 P.94-95)

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ドイツのファシズム理解するためには
リカード時代のイギリス立ち戻らねばならない
。”
(カール・ポランニー【著】/ 野口 建彦・栖原 学【訳】
〈新訳〉『大転換』2009年、東洋経済新報社、P.50)

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“もし、このお金がつくり出した文明が
人類の進歩の証だというのならば、
わたしはこう問いたい。
なぜ、
かつては考えられなかった新しい病気が蔓延して、
その治療法を見つけるために多くの医者が働き、
病院の数も増すばかりなのかと。
かつて、わたしたちの社会は、
このような新しい病とは無縁だった。
お金のつくる文明の姿が、ここにある”
(マハトマ・ガンディ『ヒンドスワラージ』)

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【コロナ時代を生きるために #2】
東京工業大学 中島岳志教授
(近代政治思想)

【🧐「表現の自由」を考えるプロジェクト👀】
劇作家・平田オリザ
「いまはレジスタンス(抵抗)の時代。大事なのは信頼と連帯」


【📺国会ウオッチング👀】
「緊急事態宣言」可能な特措法について
憲法学者・石川健治氏の全編インタビュー✍️

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この上の真近の動画の
石川健治氏コメントで、
権力の地金が出た
という指摘や表現がありましたが、
《新型コロナウィルス》を受けて
他国における対応や態度に比べて、
安倍政権や小池百合子東京都知事、
吉村洋文大阪府知事など
日本国政府や大都市の首長たちが
住民や国民、市民に対して、
どのような対処や措置や態度に出たか
ということの内容によって、
その首長の態度や地金・本性
露わになった
のでありました。

“マッチョ”な強さを掲げて
新自由主義を敢行してきた人たちの《薄情さ》も
この《新型コロナウィルス》によって
その本性が露わ
になった昨今、
この危機の事態において、再認識されたのは、
「社会的紐帯」と「やさしい強さ」となのではないでしょうか。

そして、
《いまの私たちを取り囲むシステム》の‟地金
新型コロナウィルスの発生・蔓延を通じて
露わになったのではないでしょうか

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【コロナ時代を生きるために】

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一世紀のあいだ、
近代社会のダイナミクス

二重の運動によって支配された

すなわち、
一つは絶えざる市場の拡張であり、
もう一つは
その市場の拡張が遭遇した運動、すなわち市場の拡張が
ある一定の方向へ向かう
のを阻止しようとする対抗運動であった。

(引用者中略)

 市場システムは飛躍的に拡大した。
それは
空間と時間を巻き込み

銀行通貨を創造することによって
古今未曾有のエネルギーを生み出した。

その活動が頂点に達した1914年前後には、
地上のすべての土地を、
現に生きているすべての人々のみならず
これから生まれてくる将来の世代の人々を、
そして自然人
ばかりか

法人と呼ばれる巨大な擬制体を、
その内部に包み込んだ
のである。
新しい生活様式が、
キリスト教が誕生した時代以来の比類なき普遍性を主張しながら、
この地球という惑星あまねく広がった
ただしこのたびのこの運動は、
純粋に物質的な次元のものであった。

(引用者中略)

 生産は人間と自然との相互作用である。
もしも この過程
交易と交換の自己調整的メカニズムによって
組織されるべきであるとしたら

人間と自然は、
交換メカニズムの支配下におかれなければならな
つまり、
人間と自然
供給と需要に従わねばならず
これら二つ
売るために生産された財と同様の商品として
扱わなければならない
のである。

 まさにこれこそが
市場メカニズムのもとでの仕組み
であった。
労働という名のもとに人間が、
そして土地という名のもとに自然が

ともに販売のために用意された

労働力の使用は
賃金という名の価格で交渉の対象となった。
労働にも土地にも市場が存在し、
両者の供給と需要は
それぞれ賃金と地代の多寡によって調整された。
労働と土地販売のために生産されたのだ
という擬制一貫して維持された

労働と土地のさまざまな組合せに対して投資される資本は、
いろいろな部門における利潤の自動的な平準化という要請を受けて、
ある部門から別の部門へと自由に移動することができたのである。

 たしかに理論的には、
生産を
このように組織することができる
のであるが、
土地と人間の運命
市場にゆだねるということ
それら抹殺するに等しいことであり、
商品擬制
この事実等閑するに付するもの
であった。
それゆえに、
自己調整的市場に対する対抗運動の力点は、
労働と土地という生産要素についての市場の働きを
抑制することにおかれた
これが干渉主義の主たる機能である。
(引用者中略)

 さて、すでにわれわれが二重の運動と名づけたものに戻ろう。
この運動は、
社会における二つの組織原理の作用として擬人化することができる。
それらはともに、
自己のための特徴的な制度的目標を設定し、
そのために特定の社会的勢力の支持を得、
また独自の特徴的な手段を用いたのである。
一方の組織原理とは、
経済的自由主義の原理であった。
それは自己調整的市場の確立を目標とし、
商業階級の支持に依拠しながら、
その手段をして自由放任と自由貿易を広く利用した
のである。
もう一方は、
社会防衛の原理であった。
それは
人間、自然および生産組織の保全を目標とし、

市場の有害な作用によってもっとも直接的に影響を受ける人々、
すなわち労働者階級および地主階級を中心に
それ以外の人々の支持にも依拠しながら、
保護立法、競争制限的組織、
その他の介入方法を手段として利用した
のであった。
(中略)

 19世紀末から20世紀初頭において、
普通選挙権が かなりの程度一般的となり、
それにともなって労働者階級が
国家において相当の影響力をもつ存在となった

他方、
商業階級は、
立法府における支配力を
もはや不動のものとする
とともに、
商業における彼らの指導的立場がもたらす政治力を
自覚するようになった

たしかにこれは、
かつてなかったかたちの影響力と権力の偏在ではあったが、
市場が大きな緊張と圧迫を受けずに機能しつづけているかぎり
困難を引き起こすものではなかった

しかし、
市場システムに内在していた理由によって
市場がうまく機能しなくなり
社会階級間の緊張が高まる
と、
これら対立する集団が
それぞれ政府と企業、国家と産業を自己の砦としつつあった
という事実が
社会それ自体を窮地に追い込んだ
社会の決定的に重要な二つの機能、
すなわち政治的機能と経済的機能が
党派的利害のため闘争における武器として行使され、濫用された

20世紀におけるファシズムの危機
このように危険な行き詰まりの中から
生み出されたもの
であった。

((カール・ポランニー【著】/ 野口 建彦・栖原 学【訳】
〈新訳〉『大転換』2009年、東洋経済新報社、P.237-242)

――‟危険な行き詰まりの中から、
《ファシズム》が生まれた
”というのは・・・――

多くの国での民主主義と議会制危機は、
一見したところ
恐慌とは無関係に現れてきた

このことだけでも
民主主義の評判を落とすに違いなかったかもしれない。
だが、経済界自分自身の麻痺に対して
民主主義にも責任を負わせたことによって、
突撃の量は百倍も激しくなった

立法機能不全
いつまでも続く政府の危機と連立の危機
政党政治の腐敗だけでなく
価格と生産と消費止めようもない下落
同じように止めようもない破産の増大
大量失業の悲惨さもまた、
民主主義重くのしかかった


 民主主義に対する(多くの場合、政治対する、でもあるが)
経済界の非難は次のようなものであった。
インフレ政策主義、補助金主義、
保護主義、労働組合重視、通貨制度の乱暴な取り扱い、
費用の掛かる無意味な個別経済部門に対する国家補助と再建措置、
保護関税論、
賃金や社会保障費の法外な引き上げ、
戦争国の左翼政府
通貨問題挫折した。

新フラン、ベルガ、
金本位制から切り離されて安定化に向かう新ポンド、
そしてそもそも新ライヒスマルク

進歩的で民主的な政府の時代瓦解の山から
生まれた
フランスのエリオ首相と連合政府、
ベルギーのプレヴァンデルヴェルデ政権、
イギリスの第二次労働党政府、
ドイツではワイマール連立政権、
一部はすでに1920年のオーストリアの連立政府

それら
インフレーションの犠牲となった

(引用者中略)

・・・…民主主義にとって
とくに悲劇的な次のような展開
は、その結果である。
つまり、民主主義は、
優遇の恩恵に浴したその同じ経済界から、
全般的恐慌の激化に対する責任を負わされたのである
――農場主から、企業経営者から、
最後には労働者階級自身の諸部門から!

ファシズムは明らかに、
民主主義の経済政策が
労働者階級を失望させたことからも

養分を得た
政治、政党、議会に嫌疑がかけられた。
民主主義後ろ指を指された
右翼と左翼の広範な大衆
民主主義反対した

(カール・ポランニー【著】
/若森みどり・植村邦彦・若森章孝【編訳】
「経済と民主主義」〔1932年〕、『市場社会と人間の自由』所収、
大月書店、2012年、P.76-77)

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 《「成長するに任せよ」》

 飽くなき拡大という性質を持つ、近代の企業による市場システムの
核心に迫った議論という意味で、
デ・ソトの『資本の謎』は 魅力的な面を持つ。
資本は
新たなる資本を生み出すために存在するものであり、
資産は
さらなる資産を生みだすために存在する
とデ・ソトは主張した。
たとえ、
土地は食料を生み出し、
家は風雪をしのぐことを身体化したものであったとしても、
際限のない成長をやめた資本は「死んだ」ものだそうだ。
ハンナ・アーレントが
1950年代に観察したように、
財産権擁護にかかわる近代的な概念は
近代が熱心に保護するのは、
財産そのものではなく、
それが新たなる財産や蓄積の追求を

可能とすることである」。

あるいは
(エレン・メイスキンス・ウッズの言葉を借りるならば)、
近代資本主義は
「絶えざる自己拡大についての特異な要求と
さらにはその能力」によって特徴づけられる。

企業による市場経済は、
「なすに任せよ(laissez faire)」ではなくて、
成長するに任せよ(laissez croitôre)」という原理に
基づいている。”
テッサ・モーリス-スズキ【著】/辛島理人【訳】
『自由を耐え忍ぶ』
(2004年、岩波書店、35-36頁)