改訂【19-⑨】〈分業社会〉に突きつけられた《福井豪雪》【監視-AI-メガFTA-資本】 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

【〈前回記事(19-⑧)〉からの続き】
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処罰というものの、
こうした技術-政治策というもの
を理解するために、
犯罪の極限的な事例、つまり最大限の犯罪というもの
もっとも尊重にされている法という法の数々
侵してしまうような、並はずれた大罪
を、想定してみよう。
(中略)
その大罪というものは、
唯一にして
そして同じ類の犯罪行為の内で
後にも先にも最初で最後の最大級の犯罪としてしか
あり得ないであろう、究極で並はずれた大罪というもの
を、
想定(=思考実験)してみよう。

この《犯罪の極限》の寓話は、
過去においては、僅かなのであるが、
(中略)
この究極の大罪》は
そこに、
[権力が]処罰をすることの根拠が《露わになる純粋な形式なのだ。”
(中略)

[たしかに]「社会に加えられた悪」を
懲罰が懲悪することがまだ可能な範囲内では
その懲罰は、有益で意味があるだろう。

ところが、(中略)
一つの犯罪が、社会体というもの与える損害
それは、その犯罪が引き起こす《無秩序》である
(Michel Foucault 『Surveiller et Punir』 P.109-110/
邦題 『監獄の誕生』 P.94-95)
※《》、下線での強調は引用者。

―――――――――――

デイヴィッド・ケイリー
“イリイチにとって「歴史」とは、
「そこ」から「《現代の諸限界》が知られ得る」ような
現代》の「外部に存するアルキメデスの点にいたる特権的な道」なのである。”
(デイヴィッド・ケイリー(編)/高島和哉(訳)
『イバン・イリイチ 生きる意味』 P.23)

【福井豪雪】
――――――――――――――――――
〈福井の雪害、車社会進展で深刻に
饒村曜氏「生活影響は過去以上」〉

2018年2月15日
http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/294370

今回の雪害の特徴をどう見るのか。
福井豪雨時(2004年)の福井地方気象台長で、
自然災害に詳しい饒村曜(にょうむら・よう)青山学院大非常勤講師(66)=東京都=に聞いた。
(中略)

 ―三八、五六豪雪と比較して違いはあるか。

 「車社会進展しているのが特徴
福井県内の自動車保有台数
三八豪雪時は約3万5千台、
五六豪雪時は約32万台、
現在は約66万台
(国交省まとめ)に増えている。
物流は、定時に定量の物が届く便利な環境になっている。
冬の間も夏のように快適に行動している。
雪で道路が寸断しひとたび物流止まると
生活への影響現在の方が深刻

三八のときは、雪が積もったらあまり外に出ない生活で
秋に蓄えた食料を食べるなどしていた
今回の積雪記録は3番目だが、
物流経済面を考えると
福井にとって社会的影響は過去以上になるかもしれない


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〈医師指摘「豪雪関連死」に注意を〉
大雪で持病悪化や疲労、ストレス

http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/293052

関連死は、
被害で直接死亡する直接死とは違い、災害後に発生する
食料の不足薬が無くなるなどして持病が悪化する、
疲労やストレスがたまるなどして
自殺するなど多様な要因があり、
2016年の熊本地震では
死亡者の8割近くが関連死だった
とのデータもある。

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大雪の福井、除雪追い付かず"燃料不足"が深刻化
2018年02月11日 共同通信

大雪の影響で福井県内の燃料不足が深刻化しています。
県が10日午後4時現在で
県北部11市町のガソリンスタンド(GS)230店舗に電話で確認したところ、
約4割が休業し、給油制限を行っている所も5割弱ありました。
県は「何らかの形で5割以上が供給できている」と強気ですが、
先行きは見通せません

燃料不足は、
大雪の影響で
福井県坂井市沿岸の
二つの貯蔵施設(油槽所)から各地のGSに輸送できないのが原因。
県産業政策課と県石油業協同組合によると、
燃料を運ぶタンクローリーは大きく運転が難しいですが、
主要道路は除雪が追い付いていません。
道路はがたがたで幅も狭く、タンクローリーは立ち往生してしまう
といいます。

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☆〈福井豪雪「スーパーはからっぽ」「雪を捨てる場所もない」連日の除雪による死亡者も


☆〈ガソリン品切れ 灯油品切れ 生協来ない 食品品切れ これは災害です。〉

☆〈スーパーやガソスタでは 食料、燃料が尽きてきているそう〉


☆〈昨夜のスーパーの様子 まだ食料は復活していない〉


☆《【ここがヤバいよH30福井豪雪】 ・お店に商品がない〉

〈物流も滞り、食料品やガソリンなどの不足が続いています〉

☆〈福井は物流が止まり スーパーやコンビニに何も置いてないそう 届ける手段もないし 何か手だてはないの?〉

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“わたしが経済学に出会ったのは、
学部時代の専攻で経済学を選んだからである。
しかし、
その機械的で退屈で現実離れした内容に嫌気がさし、
人間行動学と組織論に専攻を変更した。
それらを学んでわかったのは、
現代社会における人間行動
経済システムによって規定されるため、
経済システムを
行動システムとしてとらえる必要がある

ということだった。”
(デビッド・コーテン/西川 潤 ほか(訳)
『グローバル経済という怪物』)

――――――――――――――――

短期間で利潤を上げる必要に迫られた大会社は、
ダウンサイジングで人員と部門を縮小するようになった。
だが、これによって大会社の力が弱まったわけではない。
彼ら〔大会社〕が
吸収合併や戦略的提携で市場や技術を独占したため、
下請業者や地域住民の間で競争が激化し、
低価格・低賃金に甘んじてでも
仕事をとらざるを得なくなった。
市場原理主義の圧力によって、
身体や社会や環境や精神の健康よりも、
会社の利益を優先し、
社会と環境を破壊する科学技術への依存
ますます強まっている
(デビッド・コーテン 同 )

―――――――――――――――

“わたしたちは、各々、
日常生活のなかで、自らの能力や個性を発揮する。
食事をし、他者とコミュニケーションし、
移動し、楽しい時間も悲しい時間も
(あるいは、ストレスを感じる時間もリラックスする時間も)過ごし、
さまざまな技能を用いて仕事をし、最後に休息と睡眠をとる。
その過程で、わたしたちは、自分の周囲の環境との関わり、
入手できる資源を利用して、日々の活動を行う。
(中略)
結果がどうであろうと、
自らの行為について反省するとき、
「自分のことは自分で決定できる」と思う。
自分は、自律的な存在であって、
自らの目標に応じて行為できる能力や才能をもつと思う

このことは、
自分の環境を操作できることを前提としている

しかし、
もし、環境のほうがわたしたちを操作するとすればどうか
あるいは、
わたしたちが自分自身・他者・環境の間の相互作用の産物である
とすればどうか

(中略)

 これは、根本的に重要な問題である。
わたしたちが、
どのように自分の生活を組織しうるか、
何を自分自身や他者に期待できるか
にかかわる問題である。
今日、人々の生活を取り巻く数々のハイテク機器を例にとろう。
それらは、あって当然のものと見なされている
わたしたちは、
それらの機器を、
自分に都合よく利用したり操作したりしているであろうか。
いや、それらは、テクノロジーへの依存度を高め、
わたしたちの自律性を損なう結果を
もたらしている
のではないだろうか

(中略)

 システム環境の変化に応じて、
私たちは、新しい技能を習得しなければならないが、
それによって、
わたしたちの生活がどう変化するかは、
社会的な状況次第
である。
(ジグムント・バウマン+ティム・メイ/奥井智之(訳)
『社会学の考え方』第2版)

――――――――――――――――

人権の喪失が起こるのは
通常 人権として数えられる権利の
どれかを失ったときではなく、
人間世界における足場を失ったときのみである。
この足場によってのみ
人間は そもそも諸権利を持ち得る
のであり、
この足場こそ
人間の意見が重みを持ち、
その行為が意味を持つための条件をなしている
。”
(ハンナ・アーレント/大島 通義ほか(訳)
『全体主義の起源2 帝国主義』)

―――――――――――――――――――

‟大地のみならず、現実そのものが激しく揺らぎ、
安定した自明なもの根こそぎ崩れようとする瞬間
長く保たれてきたもの亀裂が入り、
バックリと口を開いた裂け目
から、
それまでは見えていなかった深淵があらわとなる瞬間

そういうギリギリの分かれ目、断絶のことを
われわれは、「危機crisis」と呼ぶ。
危機は、しかし、根底にひそんでいたもの
その透き間から顔を覗
(のぞ)かせるという意味では、
「好機chance」でもある

少なくとも、
ものを考えるようとする者にとってはそうである。
リアルであることを否定しくなるような悲惨きわまりない「現実」を突きつけられようとも、
そのカッコ付の現実に面前していることそれ自体は、
真相を見極めようとする者からすれば、
好機到来と言ってよいのである


(中略)
当たり前当たり前でなくなり
当然と信じていたもの謎と化し
日常性そのもの問題として頭をもたげる
その不可解さを揉み消すことなく、
その前にじっと佇(たたず)み

思わず知らず問いを発するとき、
われわれはすでに哲学している
のである。
(中略)

〔1954年、アメリカ政治学会での
ハンナ・アーレントによる講演の場で、アーレントは〕
現代の政治的出来事のまぎれもない恐怖
またそれとともに、
もっと恐ろしい出来事が将来起こるかもしれないという現状
これまで言及してきたすべての哲学〔サルトルの実存主義、
ヤスパースの実存哲学、ハイデガーの世界内存在と
出来事の哲学など〕の背後にある」(444-445)。
政治哲学の起源は、
同時代にみなぎる「恐怖horror」に存する
、とするこの考えは、
講演冒頭近くですでに表明されていた。
「あらゆる政治哲学と同様、
ヨーロッパに昨年見られる政治への関心は、
人びとを不安に陥れる政治的経験に遡(さかのぼ)りうる。
わけても、
二度にわたる世界戦争の経験、全体主義体制の経験、
そして核戦争勃発の脅威、これである」(430)
この講演全体が「恐怖」という世情を映し出しており、
それと一対の形で最後に持ち出されるもう一つの
気分=条件(コンディション)が「驚嘆
wonder」である。
人間のしでかす行為、未来の世界にありそうな姿、
そういった事柄に対する無言の恐怖

哲学の問いがそこから発現してくる無言の驚嘆と感謝の念と、
多くの点で関係している」(445)。
恐怖とともに呼び覚まされる驚嘆――つまり「戦慄」――こそ、
政治学にとっての予備条件」(445)なのである。

 古代哲学が驚きから始まったように、
地上に勃発する現代の恐るべき出来事戦慄おぼえることが、
「新しい政治哲学」(445)にとっての根本気分となる。
絶滅収容所という現実(444)直視したアーレントは、
その戦慄からみずからの思索を再開した
のだった。
(引用者中略)

「真の政治哲学は〔・・・・・・〕哲学の他のあらゆる部門と同様、
ひとえに、
哲学の根源的な働きであるタウマイゼン〔驚き〕から発現しうる。
(引用者中略)

 アーレントは「哲学者」であることをみずから拒否した、
としばしば言われる。
(引用者中略)
だが、今引用した文章がはっきり示しているのは、
哲学の始まり驚きにある
としてきた古代ギリシア以来の哲学の精神を、
アーレントほどわが身に引き受けた現代人はまれだ
ということである。

 彼女の衣鉢を継ぐことを志す本書では、
現代において哲学は戦慄から始まる
というテーゼを掲げることにしたい。”
(森 一郎「現代の危機と哲学」)

――――――――――――――――

‟フーコーが新たな次元、新たな線を発見するのは、
つねにひとつの危機においてである。
大思想家たちは、やや地震に似たところがある
彼らは進化するのではなく、
危機によって、震動によって前進する。”
(ジル・ドゥルーズ/財津理(訳)「装置とは何か?」)

―――――――――――――――――

人間たち
事実においては、めったに思考せず
思考するにしても、意欲が高まってというより、
むしろ何かショックを受けて 思考するということ
これは「すべての人」のよく知るところである。”
(ジル・ドルゥーズ/財津理【訳】『差異と反復』〈上〉)

――――――――――――

“わたしが経済学に出会ったのは、
学部時代の専攻で経済学を選んだからである。
しかし、
その機械的で退屈で現実離れした内容に嫌気がさし、
人間行動学と組織論に専攻を変更した。
それらを学んでわかったのは、
現代社会における人間行動
経済システムによって規定されるため、
経済システム
行動システムとしてとらえる必要がある

ということだった。”
(デビッド・コーテン/西川 潤 ほか(訳)
『グローバル経済という怪物』)
――――――――――――――――

ジェリー・マンダー
科学技術を礼賛する人々は、
科学技術のおかげで
私たちの生活水準が上がった
という
移動が速くなり、選択の幅が広がり、
余暇が増え、贅沢ができるようになった

しかし、それによって
人間の満足感、幸福、安全、あるいは生命力向上したかどうか
別問題
。”


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‟お前、前回記事で、
「次回記事は、
ふたたび、スーザン・ジョージ
『なぜ世界の半分が飢えるのか』に戻り、
《テクノロジー》と《開発》のメカニズムについて、
見ていきたいと思います。」
って、言ったやないか!”
と次回予告を憶えて下さった方、
あるいは、
前記事からページ移動した方は、
そう思われたでしょう。

前回記事では、そう思っていたのですが、
前回記事の序(つい)でに、
今のうちに触れておこうと思い、
次回予告の予定だったテーマの記事との間に
今回記事を挟もうと思ったのです
――しかも、今回で終わらず、
次のページにまでも続く――。


前回、前々回記事では、
分業》ならでこそ可能な〈メリットや生産性〉と、
〈そのメリット〉とコインの裏表関係にある
分業ならではの《急所弱点(と思われる点)とについて、
バカならではの特徴を発揮して、
KY的に述べさせてもらいました。

自分たちのコンヴィヴィアリティ」を

犠牲にしてまで
海外からの地下資源の輸入供給》と
テクノロジー》とに‟過度に依存した”形の
分業社会〉の《急所》を、
問題提起すること自体を
仮に好評価して受け取って下さるとしても、
その問題視野は、
遠い未来に向けての話をした、
明日や明々後日のほうを向いた〈お花畑〉的にも
見えるかもしれません
が、
しかし実は、
遠い未来の話どころか、
2011年の東北大震災や
2016年の熊本をはじめとする九州大震災、
そして今年2月の福井豪雪
待ったなしに、
アンチテーゼのように、
私たち(の社会の在り方)に、
私たちの経済システムに、
私たちの経済社会に
突きつけられた危機-課題-戦慄
とも
捉えることが出来ます。
――見ることも出来る、ということは
見ないことも出来る、とも言える訳ですが、
見ないまま無視すれば、
原発事故のように、
とてつもない悲劇に
直面するような気がして、
ここでも、
持ち前のバカを発揮するつもりで、
今回記事を、ここに啓上します――。


高樹は、去年に、このシリーズのなかで、
社会的分業の生産プロセス
――資材や卸商品が、
付加価値を加えられる格好で、
加工・再生産される生産的なプロセス――で
おカネだけでなく
生産活動や経済活動を行なうのに、
エネルギー〉が《停滞/遮断》しても、
経済システム

停滞》してしまうのではないか?と書きました。

(☞【12-④】《現代テクノロジーと効率主義による貧困と死角》【~監視社会=AI=メガFTA=資本~】

このことは、《災害という非常時》により、
物流・流通〉が《寸断/遮断してしまうこと》も、
経済社会が《回れず、停滞してしまう》ので
同じくくりの危機》だと言えると思っています。

しかも、《この寸断/停滞》は、
〈景気か不況か〉の次元の話どころではなく
生存上や社会上の必需品すら調達できず、
作ることも出来なくなる
》からで、
これは《広義の安全保障》の話とさえ言えます。
‟《安全保障》だから、経済とは関係ない”
と言えるのでしょうか?


残念ながら、
今日
私たちの日常生活を構成する品物もサービス〉も、
経済的尺度の影響大きく深く浸透している
あるいは
社会の運営尺度としての経済システム
大きな位置を占めているので
――「資源の分配の尺度」として、
社会運営の尺度」として、
社会における様々なモノやコトの評価尺度」として、からして――、
広義の安全保障」と〈経済システム〉とを
切り離せない”と思われます。


そうした認識があって、
現代社会における人間行動は
経済システムによって規定されるため、
経済システムを
行動システムとしてとらえる必要がある

という引用を、上に貼りつけました。


上に張りつけた引用文の数々は、
大きく2つに分かれてまして、
ひとつは、
今年の2月に見られた
福井豪雪/災害》という
私たちの分業社会〉に突きつけられた《危機》に関するものです。

もう一つは、
哲学的な内容の引用文ばかりで、
方法論」の括りで、並べました。

分業社会降りかかってきた災害》で
露わになった危機》に直面して、
私たちは
〈分業社会〉の間をつなぐ《流通という急所》を。
あるいは
38年豪雪にはあった食料を保存する術
時代的進展に巻き込まれて失った》という
根源的独占(という現代文明的問題)》を
見てしまったように思います。

現代の分業社会〉の《危機》は、
はたして、
〈《流通》という分業にとっての1つのアキレス腱
なのか?
それとも《根源的独占》という
‟文明社会の病”としてイリイチが指摘した事柄か?

この今回記事の前に、
松井博『企業が「帝国化」する』の
第7章「石油依存」
で展開されている
資源の呪い》についての記事を書いたのですが、
この一連シリーズに編入すべく、
この記事を書かせてもらいました。
分業社会〉のとしての《流通》と
生産活動にも欠かせないエネルギー》としての
石油資源》について、
松井博氏は、《石油文明=石油依存社会》として
叙述を展開しています。

そして、
この先進国の《石油文明=石油依存社会》は、
《石油の呪い構造》として、
先進国の私たちの日常〉にも、
資源大国アフリカ〉にも、
コイン裏表の関係のように、
降りかかっている
こと
を説明しています。

しかも、
日本には資源無い〉からこそ
資源の呪い》に‟振り回されずに”、
豊かに暮らすことができてきた
という皮肉な結論つき、でです。

分業社会》にとっての流通〉や〈生産〉を支える
石油資源》について、
分業社会》や《石油依存文明社会》を意識しつつ、
次のページで見ていきたいと思います。
そして、その後に《テクノロジー》を、
その次に《開発(development)》について
見ていきたいと思います。


〈【次のページ】に続く〉