【64】⑧若きマイケル・ハドソンに渡されたメモ ~米国が《オフショア》を‟国家戦略”にした理由~ |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。


    〈前ページ【63】からの続き〉

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“1966年初め、
チェース・マンハッタン銀行のニューヨーク本店で働いていた
若いエコノミストが
会社のエレベーターに乗っていたとき、
かつて国務省の諜報部員だった男性

彼にメモを手渡した
(引用者中略)
――それはチェースではなくワシントンからのメモだった――
その若いエコノミスト、マイケル・ハドソンは、
その内容にたじろいだ

……〔マイケル・〕ハドソン
ひょんな巡り合わせで銀行で働くようになっていた。
ニューヨーク大学で経済学を学んだ後、
1960年に不動産金融の会社に就職し、
その後チェースで国際収支の問題を調べる職に空きができたとき、
彼はただ1人の応募者だったのだ。
現在、論議を呼ぶにしても
評価の高い経済評論家として

活躍しているハドソンは
チェースでの日々
――ちなみに、彼はその間に
アラン・グリーンスパンという「感じの悪い小柄なまぬけ」を
クビにした――
国際経済について自分がこれまでに学んだこと
ほとんどを教えてくれた
と語る。

 チェース
石油会社お気に入りの銀行
で、
石油会社が「アメリカに役に立っている」ことを証明し、
石油会社のロビー活動を手助けするために、
石油産業の国際収支を研究するよう
ハドソンに求めていた

ハドソンは、
石油会社が 
どこ利益をあげているのか
見つけ出す必要があった。

生産部門でか、精製施設でか、それともガソリン・スタンドでか。
チェースの頭取、デイヴィッド・ロックフェラーの計らいで、
ハドソンは
スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー(現エクソン・モービル)の財務部長、ジャック・ベネットに話を聞くことができた。
ベネットの答えはこうだった。
利益
まさに
ここ
私のオフィスで作られる
どこであれ私が決定を下す場所でね」


 彼は移転価格操作のことを言っていたのである。
第1章でバナナ会社を例にとって説明したように、
移転価格操作とは、
多国籍企業
世界各地のタックスヘイブンの口座間で

資金を移動させて
帳簿上の利益
税率の低い国に
コスト
税率の高い国に
移すこと
を言う。
ベネットはハドソンに、
垂直統合された大規模な多国籍企業
どのようにして表向きは法に触れずに
利益世界中の子会社間で移動させているか

説明した


石油会社は
無税のパナマやリベリアで登記されている海運会社に
原油を安値で販売し、
その子会社が
それを小売価格に近い高値で
その石油会社の精製施設や販売部門に販売するのである。
高税率の石油生産国や消費国では、子会社が
高値で買って安値で売るので利益は出ない。
だが、
その間の国、つまり無税のパナマやリベリアでは、
子会社が安く買って高く高く売るので大きな利益が出る

ところが、
これらのタックスヘイブンは、
その利益に課税しない
のだ。
今日に至るまで
会計基準
この種のペテンを事実上覆い隠して

企業
さまざまな国の実績を、
誰が、どこで、どの利益を生み出したのか

識別できない単一のカテゴリ

単純に「国際」と呼ばれることが多い)

まとめることを可能にしてきたのである。
これらの採掘産業

巨大な政治力あったからこそ
政府
財政的損失にもかかわらず
おとなしくさせておくことできた
のだ」と、
ハドソンは指摘する。

 1960年代には、
このようなオフショアを使った資金の流出は、
今日に比べると比較的制約されていた
資本の流れは
厳しく規制され、
税金は高く

ユーロ市場急成長していたが、まだ小さかった
資本主義の黄金時代は絶頂期を迎えていた
アメリカの家庭、とりわけ最貧層の家庭は、
所得と福祉の大幅な向上を経験していた。
ドイツの国民は
自国の「経済の奇跡」の恩恵に浴しており、
フランスは「栄光の30年」のただなかにあった。
イタリアは
20年後の「追い越し」の瞬間、
すなわち
GDP(国内総生産)でイギリスを追い抜くときに向けて
助走を開始しており、
日本は奇跡の経済成長に突入しようとしていた。
多くの途上国で乳幼児死亡率が低下し、
経済が成長し、失業率が下がり、
おなかをすかせた子どもたちの食卓に
ときおり肉がのぼるようになっていた。

 変化が訪れつつあり、
イギリスは
ロンドンでユーロ市場を育みながら
帝国崩壊のクモの巣ネットワークを築き始めていたが、
アメリカは依然として、
オフショア・システムに反対する
大きくかつ強力な勢力を抱えていた

大恐慌の後
大規模で多様な産業経済に呑み込まれて
影が薄くなるウォール街には、
ニューディール型の進歩的な法律拒否するだけの政治的影響力
なくなっていた

それに対し
シティは、
世界を股にかけたイギリス帝国の中心に位置していたおかげで、
ニューディールのイギリス版と呼べるいかなる法律を
妨害するだけの政治力を持ち続けていた
イギリスの金融部門は
1920年代の行き過ぎに
さほど直接的には関与していなかっただけでなく、
ロンドン
アメリカの銀行
国内の規制からの逃げ道を提供するのに最適の位置にいた
アメリカの銀行は
オフショアで態勢を立て直せるはずだった。
だが、
エレベーターのなかで
ハドソンが渡されたメモは、
それ阻止したいと考えているアメリカ人がいることを示唆していた。


 このメモのメッセージ明快だった。
アメリカ
タックスヘイブンなるべき

ということだ。
彼らはこう言っていたわけだ。
われわれ
スイス
とって代わりたい

アメリカ
世界の犯罪センターにすれば

このカネ
すべてアメリカ入ってくる

それで
ベトナム戦争の費用
まかなえる
じゃないか
』」。
ハドソンはそう説明する。
われわれ
海外の犯罪マネー

獲得したかった
それ愛国的な行為

だが、
アメリカの犯罪マネーはご免だった」。
エレベーターにいた元諜報員は、
アメリカ海外の不法資金
どれだけ獲得できるか調べてもらえないか
と、
ハドソンに持ちかけた
のだった。

 アメリカの銀行は2005年まで、
密輸、恐喝、強制労働、奴隷労働など、
海外で行われたさまざまな犯罪からの利益

自由に受け入れることができた
犯罪自体が海外で行われたものである限り
犯罪から利益を得ること
合法だったのだ。
こうした抜け道のいくつかは
今では塞〔ふさ〕がれており、
きわめて不完全ながら他のいくつかに対処する法律も作られた。
だが、
アメリカの銀行
依然として、
盗品故買など、外国で行われたさまざまな犯罪の利益
それと知りながら受け入れることができる

ハドソンに渡されたメモが
期待していたとおり

今日においては〕
アメリカ
ダーティーマネー
大きく門戸を開いている
のである。

 ハドソンが
そのエレベーターに乗る前から
アメリカ
タックスヘイブンの要素
いくつか備えていた

まず、1921年から
アメリカ企業と無関係な資金に限定して、
外国人がアメリカの銀行に預金し、
その利子を非課税で受け取ることを認めていた

また、
ジョン・メイナード・ケインズとハリー・デクスター・ホワイトが
金融の透明性によって
資本逃避と戦おうとしたにもかかわらず、
ウォール街は、
アメリカが
他国の政府にその国の市民の所有財産に関する情報を
提供しないよう万全の手を打っていた

ジョン・F・ケネディ大統領は、
1961年に中南米との「進歩のための同盟」
――ケネディの言葉によると
「規模と目的の崇高さにおいて並ぶもののない巨大な協力的努力」――
を打ち出したとき、
中南米諸国の人々に、
彼らがアメリカの銀行に隠蔽している資金を
すべて自国に送還して、自国で投資するように促したい

と述べた。
これに対し中南米諸国は、
アメリカが自国の税法を改正して秘密口座を廃止しない限り、
それは実現しない
と指摘した。
外国の秘密試資産を預かる大きなポケット
すでに存在していた
のであり、
しかも、
それはウォール街だけではなく他の場所
――テキサスにもあったが、
最も多かったのはフロリダ州南部だった――
にもあった
のだ。

 中南米諸国が
アメリカ
脱税の拠点として使っていたように、
アメリカの移民コミュニティー、
とりわけ移民1世は よく脱税していた
「彼らはさまざまな文化的理由から
誰も信用しなかった
……だから、
資産をオフショアに置いた

と、元アメリカ上院議員のマイク・フラワーズは語る。
(引用者中略)
『タイム』誌は
マイアミ中南米の中心地」と題した記事で、
マイアミ仲介的な準オフショア的地位
次のように言いあらわした。
マイアミ
中南米のウォール街

……21世紀の貿易・旅行・通信の西半球の交差点
――アメリカ大陸香港のようなもの――だ」。
【第7章注4】
1950年代、60年代から、
フロリダ
ニューヨークの麻薬密輸組織・フレンチコネクションのヘロイン密輸ルートの要
になり、
香港経由でアメリカに入ってくる台湾のドラッグマネー
――ランスキーがフロリダの不動産を通じて洗浄していた――や、
中南米の逃避マネー
それにたいてい
バハマやパナマやオランダ領アンティルを経由してくる
コロンビアのドラッグマネーを扱う中心地になった。
(引用者中略)

 1980年代には、
マイアミの銀行預金されているカネの40パーセントは、
海外、とりわけ中南米から送られた
と推定されるようになっていた。
(引用者中略)

ワシントンンは、
透明性を熱心に推進したりはしなかった
そんなことをしたら
海外の資本所有者たち不安にさせ

資本の〕大幅な流出超過になって
ただでさえ悪い国際収支の状況
さらに悪化させる恐れ
があった
からだ。

ケネディは
まず1963年7月に、
金利平衡税によって
こうした流出を抑えようとした。
アメリカ人が
外国の証券から得る所得に
最高15パーセントの税金をかけようとした
のである。
狙いは、
アメリカ人が
外国の債券を買うために資本を持ち出すのを
防ぐことにあった。
ところが、
実際に起きたことは
その逆で、
企業が
オフショアのユーロ市場どっと押し寄せて
そこで活動資金を調達しようとした

1962年から63年の1年間で
ロンドンでの借り入れ3倍に増えた

アメリカからの資本流出は続き、
1965年にはジョンソン大統領が
外向きの資本フローに対する限定的規制を
導入した。
「資本の流出を防ぐために規制が課せられたのは、
アメリカ史上初めてのことだった」
と、〔上院調査官の経歴のあるジャック・〕プラムは語る。
「これに対し、企業コミュニティーは激怒した

 その後の激しいロビー活動直面して
政府は
妥協策をひっそりと受け入れた。
その結果、企業は
合法的にオフショアに資金を置けるようになり
その資金は、
本国に送還されないかぎり
ほとんど課税されないこととなった


 これは、
繰り延べ税金と呼ばれる概念で、
オフショア・システム
きわめて重要な要素
である。
企業は
自社の利益をいつまででもオフショアに置くことができ
株主に配当するために自国に持ち帰ったとき初めて
課税される
のだ。
イギリスの税監視団体、タックス・リサーチUKの
リチャード・マーフィーは、
繰り延べ資金
――(公正な世界では)今年収めるべきだが
企業が納付を遅らせることを選んだ税金――を、
返済期限のない政府からの融資
と言いあらわしている。
繰り延べ税金
多国籍企業の資本コスト大幅に低下させ

――とくに何年も蓄積される場合

莫大な得になる――
それによって多国籍企業
より小規模な国内企業に対する

大きな競争優位与える
2009年には、
アメリカ企業だけ

1兆ドル相当の課税されない海外利益
オフショアに持っている
と推定された、


 ときには企業が抜け道を通じて、
あるいは特別な計らいによって
このオフショア・マネー
本国に持ち帰れること
がある。

2004年、ジョージ・W・ブッシュの政権は、
彼のビジネス界の友人たち
海外利益を本国に送還し、
通常の35パーセントではなく
5パーセントの税金を払うだけですませるチャンスを与えた

3600億ドルを超えるカネ
猛スピードでアメリカに戻り
その多く自社株の買い戻しに投じられて、
経営幹部のボーナスを押し上げた

非営利の調査団体、シティズンズ・フォー・タックスジャスティスは
この特別措置によって
アメリカの雇用が1つでも増えた形跡まったくない

と述べている。

 ケネディ大統領
繰り延べ税金
厳しく取り締まる法律を導入していたので、
規定を緩めたこの譲歩は、
オフショア・システムにとって大きな政治的追い風になった

折しも、
アメリカの銀行オフショアの魅力気づきつつあったときだった。。
「突然、あらゆる大企業がオフショア口座を使うようになった」
と、〔上院調査官を務めていたジャック・〕ブラムは語る。
企業は新たに生まれたユーロ市場の中心であるロンドンを
とくによく使ったが、
当時アドルフ・ヒトラーを崇拝する右翼の独裁者に支配されていたパナマや、
マイヤー・ランスキー
政治家を意のままに操っていたバハマにも
口座を持っていた
ちなみに、ランスキー
アメリカでマフィアのお抱え弁護士、
シドニー・コーシャック

緊密なつながりを持っていたが、
アメリカ・マフィアの真のキング・メーカーだった

コ―シャックは、
数人のハリウッドの俳優の後ろ盾になっており、
その1人
ロナルド・レーガンだった。

アメリカの大手企業のなかには、
みずからのオフショア銀行を設立したところもあった


 大物犯罪者諜報機関富裕なアメリカ人
そしてアメリカ企業の利益
オフショア

ますます密接につながるようになった
このシステム
同時に2つの変化もたらしていた

犯罪企業合法的な企業模倣する手助けをし
合法的な企業

犯罪企業のように行動すること促していたのである。

 「問題は、
賄賂を贈るための経路を
他の目的のものと分離できないことだ」
と、ブラムは言う。
生産企業
最も関心を持ったのは

税金であって
犯罪ではなかった

(また、銀行が関心を持ったのは
金融規制の緩さだったが)、
アメリカの大規模犯罪組織は、
企業諜報機関
オフショアの遊び場
かざしてくれる政治的保護
という傘

とくに気に入っていた

そして、
守秘性
大企業の経営者たち

賄賂やインサイダー取引や詐欺
驚くべき新しい機会を提供した
アメリカの資本主義にとって、
犯罪甘い新しい環境
生み出されつつあった

これが犯罪を
どの程度助長したかは
容易には推定できない。
だが、
守秘性
犯罪可能にする

そして、
競争の激しい市場では
何であれ、
可能なこと必要になる

”(ニコラス・シャクソン【著】/藤井清美【訳】
『タックスヘイヴンの闇』、2012年、朝日新聞出版、P.179-189)
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