こんにちは。おぜきいちこです。
昨日、
次男が、ゲームの課金について
話をしてきました。
ちなみにね、
この次男、
1年前ぐらいは、
しょっちゅう課金してました。
そう言えば、
課金がどうのこうのって前は、
ゲームの時間制限に揺れてた私もいたなぁ。
今は、ゲームの時間制限が、
ほんと、どーでもよくなってます。
そうそう、
今日は、課金のお話。
昨日、次男が、
「 ゲームの課金って、マジで意味ないわ〜 」
って、言ってきたんですよ。
私の心の声は、
『 めっちゃ課金してたやないかーーーーい! 笑笑 』
ではあったんですけど、
待てよ?
なんか面白そうな展開だぞ?
って感じたので、
とりあえず、
「 うんうん、へぇ〜。そうなんや 」
って、聞いていたんですね。
そしたら、
自分が感じた課金の意味の無さを、
どんどん私に言ってくるわけです。
1年前、私は、課金で悩んでいました。
周りのお友達は、
お母さんから課金はダメって言われていたり、
初めっから【課金は悪】みたいに言っていた子もいたし、
うちは課金はさせないって人が、
多かった。
でも、我が子は、課金をしたいと言ってくる。
そんな状況だったから、
他の子と違う、うちの方針に、揺らぎがあったんですよね。
だから、もうね、
半分は実験のつもりで、
課金をOKにしていたんです。
(自分のお小遣いから、考えて、ちょくちょく課金してました。)
そして、1年後の今。
課金の意味の無さを語る次男。
きっと、過去の私だったら
「 だから、言ったでしょ!!やめとけってー 」
って、言ってたんじゃないかと思うんです。
だけど、昨日はさ、
あ〜、これが経験ってやつだわ。うんうん。
って、感じたんですよね。
●課金をやってみて、その意味を知って(感じて)、やめる
これと、
●課金は悪と決めて、課金をやらない(我慢する)
この2つ、
微妙に、違うと思いませんか?
どっちが正解とかではなくて、
やってみて感じることが、
超絶に大切だと思うのです。
人から見て「 え?! 」って思われることでも、
やってみたいことを自分で決めて「 やる 」。
これ、いいわーって思ったんですよね。
きっと、自分の世界が広がる。
そして、
他者の行動や選択も、尊重できる心が育つ
そんな気がしています。
ところで、
ゲームの課金が悪かどうか?
それは、
その人、その人が、どう感じるか?
なので、
そこに「 これ 」という正解はないんじゃないかな。
そう私は思っています。
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