こんにちわ!皆さんご機嫌いかがですか?コーネリアスです。

今回は、『伝統の継承』という事をテーマとしてみたいと思います。皆さん、伝統とはどいういうものを言いますかね?ご存知ですか?wikiの定義によると、『信仰、風習、制度、思想、学問、芸術等の様々な分野において、古くからの仕来り、様式、傾向、血筋などの有形無形の系統を受け伝える事』だそうです。要するに『昔からあるものを受け、後世の仲間たちに引き継ぐ事』、少々乱暴に言うとそう言う事かなと思います。当然ですが我が日本は歴史も長い国なので、そうしたものが数多くある国の一つだと思います。こうした伝統というものについて、我々は多くの場合それを受け、後世に引き継ぎますが、中には例外的に変更したり、また場合によっては廃止するケースもあるかもしれません。

 『伝統の変更』で最近あった最も有名な事は、『令和』という元号の制定です。新天皇が即位され、それに伴い元号も改められるわけですが、今回はそのやり方が変わりました。従来元号を新たに定める時、我が日本では、伝統的に漢籍古典から、その言葉を選び制定して来ました。ですが、今回、『令和』という言葉は、日本最古の詩集、万葉集から採用されました。これは、大変画期的というか、我が日本国が元号制度をスタートさせて初めての事です。日本の元号は、あの大化の改新で有名な、『大化』が元号第一号で、ここからスタートして現在に至るのですが、この間全て漢籍古典からの採用でした。しかし、今回は漢籍古典でなく、万葉集ですから、これは日本古典という事となり、長い日本の歴史の中で初めての大変画期的な事と言えます。こうした事は、明らかに『伝統の変更』と言える筈です。そもそもどうして他国の古典から、我が国の元号を決めていたかはよく知らないのですが、個人的には、今回のやり方で良いのではないかと思います。だってそうでしょう。此処は日本なんですから。自国の古典から元号を採用して何か問題でもありますかという事ですよ。なので、この件については、これを『新たな伝統』として、今後とも継承していって欲しいものです。

 また、『廃止される伝統』というのもあります。これについては、その殆どは、時代の変化によるものです。最も激しかったのが、明治維新でしょう。全ての事がガラリと変わってしまいましたから…その際多くのもの、伝統が廃止されたと思います。

★士農工商の身分制度の廃止

★武士制度廃止に伴う、刀の所持の禁止

★廃藩置県→藩制度の廃止…

と、まあこんな感じです。他にも色々あるとは思いますが、主だったところはこんなところだと思います。徳川幕府の鎖国政策により、250年近く海外とほぼ縁を絶ち、日本独自のやり方でやってきたものを、180度方向転換して、西洋の文化、制度を急に取り入れる事となった為、この時の日本社会内の時代の変化というものは、それまでの日本史上に無かったものであったと思います。同時に多くの伝統を廃止せざるを得ない状況も作り出されました。

 『伝統の廃止』については、最近でも面白いところで見かける事が出来ました。それが『宝塚音楽学校』、別名『宝塚歌劇団』です。昨年ですが、それまで伝統とされていた以下の事を一切廃止としました。

①先輩が普段利用する阪急電車に礼をする事

②遠くの先輩に大声で挨拶する事

③先輩への返事は『はい』か『いいえ』に限定する事

④先輩の前では眉間にシワを寄せて口角を下げる事

こうした事の廃止理由は、読者の皆さんももうお気付きかと思いますが、いわゆる『ハラスメント』の問題です。今や時代はハラスメントに敏感且つうるさい時代です。上記のような事が宝塚内部では伝統行為であっても、世間一般的に見た時に、先輩から後輩への『ハラスメント行為』と取られては、即宝塚のイメージダウンになりかねません。どうやらその辺から廃止に踏み切ったようです。ま、私個人としては別に気にもしないんですけどね。どうやら、今日の日本にはマスコミを中心に、そうした事にうるさい輩も増えて来ているような気がします。

 こんな風に、伝統というものも、その時代、その時代において色々な扱いを受けるものです。ですが、大概の伝統は過去から継承され未来へと引き継がれていると思います。こうした固有の伝統と言うものを大切に考え、守ろうとする考えを持つ人たちの事を、世間一般は『保守派』を呼んでいます。私コーネリアスもこれに当て嵌る者です。他方でこれと真逆な発想をする人たちもいます。こうした人たちは一般的に『革新派』と呼ばれたりします。最近では『リベラル』などと言われてますかね…こうした人たちは、伝統=古い考え方、風習といった考え方をしているようで、いわゆる『伝統の保持』にあまり価値を見出せないようです。『古い伝統に固執することで、新しいもの、変革に際して障害になる』と考えているように見えます。これに関しては、私なりに反論もあるのですが、それを語ると長くなると思いますので、今回は割愛します…いずれにしても、根本的な見解の相違という事です。私コーネリアスは、こう考えています。伝統と言うものは先人たちから我々にバトンタッチされて来たもの。それが絶えずに継承されて来たのには、それなりの理由があるはず。我々の先人たちも、色々考えた結果『引き継いで欲しい』という願いがそこにあると思っています。こうした事は、目には見えませんが一つ一つの伝統の裏側に必ず存在していると思います。私コーネリアスは、伝統を継承する事で、そうした先人たちの『思い』、『願い』に応えたいと考えております。要は、先人たち、ご先祖さんを信じるという事ですかね、簡単に言うと。少し大袈裟に言うと、『伝統というものを通しての先祖たちとの対話』とでも言いましょうか…

 で、話は変わりますが、最近あるものを見ていてこうした考えに近いものを発見しました。とても意外なものでした。それが、『鬼滅の刃』という、あの大ヒットマンガです。あの作中で、継国縁壱という人と主人公竈門炭治郎の先祖、竈門炭吉という人物の交流のシーンがあるのですが、そこで発見しました。因みに時代設定は、戦国時代です。

幼少の継国縁壱と母

★継国縁壱が竈門炭吉に引き継いだもの

①日輪の耳飾り

②日の呼吸を使った火の神神楽

継国縁壱と竈門炭吉

作中によると、①耳飾りは継国縁壱が幼い頃母親から与えられたものでした。いわゆる『御守り』として授かったみたいです。彼はそれを大事に身に付けていました。また、彼は大層凄腕の剣士であり、その強さの秘訣なるのもが、『日の呼吸』によるものでした。ふとした事から、継国縁壱は竈門炭吉の家族と知り合い、竈門家に身を寄せる事となるのですが、時が来て再び別れる事となります。その別れ際に上記の二つを竈門炭吉に与えます。一つが耳飾り、もう一つが日の呼吸の呼吸法です。竈門家は代々炭を作って売る事で生計を立てていました。その為、火に関係している事から火の神様に神楽を奉納していました。その時の神楽の舞いの時の呼吸法に使用していました。この呼吸法を使う事で、何時間でも神楽を舞い続ける事が可能となりました。共通するのはどちらも神様が絡んでいる事です…こうしてこの二つのものは、竈門家の中で代々継承されて行くものとなりました。いわば竈門家における『伝統』と言えるでしょう。これが、最終的に主人公の竈門炭治郎に引き継がれていたのです。

炭治郎の父

 おそらくは、作者の吾峠呼世晴さんは、こういう描き方で、伝統の継承の事を作中で表現したかったのではと思います。そしてここで、この伝統の継承を描く際に、『約束』という言葉を使っています。これは良い言葉、表現だなと思いました。いわゆる『伝統を継承』するという事は、その継承をする際に、『確実に後世に伝える事を約束し合う』という事、『これは約束なのだから、破るような事はないように確実に伝えてくれな』という強い思い、願いのようなものを感じました。『鬼滅の刃』の作品の中で、私コーネリアスが個人的に最も好きな場面です。