こんにちわ。皆さんご機嫌いかがですか?コーネリアスです。本日は、17世紀の哲学者スピノザが考える『自由』と『不自由』というものを通して、昨今のコロナワクチンの状況を考えてみたいと思います。さて、コロナウイルス問題ですが、私コーネリアスは、自慢ではありませんが、未だに一度もワクチン接種はしていません。また、今後もする気は一切ありません。実はこれには私なりのある『確信』があるからです。

そもそもワクチンは薬じゃありません…予防方法の一つの筈です。

 

 

 これは、私コーネリアスの過去のblogでも述べていますが、私は以前レストランで店長をやっていました。いわゆる店舗責任者だったわけで、その関係から、私は年に数回管轄の保健所の講習等を受けて来ました。毎回色んな内容の講習があるのですが、最も多かったのが、ウイルス絡みの講習でした。コロナ禍以前で言えば、台湾から始まったSARS、、MERS、そしてノロウイルスが世間を騒がせましたが、当時、外食業界はその対応にホント大変でした。そうした背景もあって、保健所も講習に時には大学の医学部でウイルス学を研究している現役の研究者や教授、講師等を講習に特別招聘したりしてましたね。お陰で私にも多少はウイルスについて知識が付いたものでした。以下は私が講習で覚えたウイルスについての一般的な見解ですが、ウイルスというのは、簡単に言えば、

①熱に弱い→85℃以上でほぼ死滅する

②アルコールに弱い→ほぼ死滅する

③次亜塩素酸ナトリウム(いわゆる漂白剤)に弱い→ほぼ死滅する

④水にも弱い→全滅はしないが、ほぼ死滅→手洗いの励行に繋がる

⑤うがいの励行→殆どの場合、ウイルスは口若しくは鼻から体内に入り込む為(経口感染)

という話でした。私は幸いにも上記の事を徹底してやったお陰で、約20年間ノロウイルスは勿論、普通のインフルエンザにも罹らずに過ごせました。その間もワクチン接種(対インフル)は一度もやっていません。今考えれば、私がワクチン接種をしたのは、確か高校生の時に一度だけ。確かその一回きりです。高3で大学受験を控えていた為、親から強く薦められた為でした。因みにこうした講習でワクチンとはどう言うものかも教わりました。ワクチンと言うのは…

保健所職員見解(当時)→『先ず、ワクチンと言うのは薬ではありません。なので、ウイルス感染した後接種しても何の役にも立ちません。寧ろその逆で、インフルエンザ等の感染症が流行する前に接種するのが普通ですし、適切です。ワクチン接種と言うのは、いわゆる医療行為の一つで、予防方法(重症化予防)の一つです。その目的は、万が一罹った時に重症化を防ぐのが主たる目的です。なので、ある意味『罹る事が前提』となっています。人は一般的には、うがいや手洗いで予防をしますが、それでも罹る時は罹ります。で、万が一罹っても酷くならないように対策を打つ、それがワクチン接種だと考えて下さい…また、誤解の無いよう念を押しておきますが、ワクチン接種をしたからと言って、100%感染症に罹らないという保証はありません。接種していても、罹る人は罹ります。ワクチンも100%では無いのです…』

というものでした。私がこの話を聞いたのは、今から約15年ほど前の事です。場所は、福岡市の某保健所内でした。ですので、私コーネリアスは、コロナ騒動の前からウイルス感染症には、こういう認識で過ごして来ました。そして、これは所謂神の御加護も多分にあると思っていますが、一度も感染症に煩わされる事も無く過ごして来ています。今現在もです。余談ですが、私が細やかながら毎日やっている事は、極めて単純です。ですが、1日も欠かさずやってます。やってる理由は、コロナ以外もインフルなんかも視野に入れてのものです。どんな病気にしても、私は罹るのがイヤなので…何と言っても時間の無駄だしね。治療費としてお金もかかるし…

★私コーネリアスが日々やっている感染症対策

①外から帰ったら、先ず薬用石鹸で手洗い

②次に、マウスウオッシュで口内うがい

③次に、イソジンで喉うがい

④最後に塩素系水溶液で、鼻うがい

以上です…継続は力なり…私コーネリアスは、これでコロナに罹ったら諦めます。諦めはつきますし、後悔は一切ありません。やるだけの事はやってるつもりですからね。どうして私がワクチン接種拒否に拘るかと言うと、上記の保健所さんの見解も影響あるんですよ、多分に…と言うか、主原因はこの一言かなあ、やっぱり。だってハッキリ言ってるでしょう。『接種しても100%じゃ無い』って…なら、意味ないじゃ無い!って気持ちが非常に強いからです。そう言う話なら、費用だって高いわけだから、バカバカしい。ならば、普通の予防を徹底して実行して罹らないように日々努力しよう。ヤレるところまでやってみようと決めたわけです。そもそもが、体内に異物(悪)を注入されるような気がしてイヤだと言う直感的理由もあるんですけどね。気持ちが拒否するってヤツですか…因みに職場の同僚なんかで感染した人にも聞いたのですが、皆一様に言うのは、『余程の持病でも持っていない限り、生死に関わるほどの病気じゃ無いよ』と言っていました。昔で言うところの、インフルエンザとそう変わらないとの事でした。でも、だからって安心するわけじゃ無いけどね。でもそんなに怯える必要も無いですよと言いたいだけです。おっと、話が何だかコーネリアス流健康法みたいな流れになってしまいましたね。スイマセン…では、話をここからスピノザの自由論、不自由論の方へ移すとしましょう。

鼻うがい→3年前から始めました。花粉症の改善にもなってます。お薦めです!

 

 

 

 

『エチカ』でスピノザは我々に、『真の自由』について語っています…

 

 さて、ここからは話がガラッと変わって、17世紀のオランダ🇳🇱の哲学者ベールーフ・デ・スピノザの名作『エチカ』について語ってみたいと思います。その中でも本日は彼が説く、自由と不自由についてフォーカスしてみたいと思います。

 先ず最初に、彼は自由について簡単に定義というか、条件付けします、それが、『自由には、ある程度の社会的条件や制約というものが現実的には必ず存在する。なので、そもそも我々の世の中に完全なる自由など始めから存在しない。』というものでした。確かにね…言われてみれば、そう言えるよね。ここは思わず納得です。とても現実的な条件付けだと思います。『なので、我々はそう言う状況下、条件下に置かれて居るという事を承知の上で、その範囲内でどれだけ自由に生きれるかを考えるべきである。』と、こう言うわけです。ナルホド…納得。で、ここで彼が説く自由と不自由を簡単に言うと以下のようになります…

★スピノザの言う自由と不自由

①自由とは…自分に与えられている条件下で、自分の活動能力を上手に発揮出来る事。自らが原因となる行為をし、能動的に活動しその度合いを高めて行く事。

 

②不自由とは…自分に与えられている条件下で、自分の活動能力が発揮出来ていない事。自らが原因となる行為が出来ず、外部からの何らかの力の影響(受動、強制)で、自分の力の本質が圧倒されている状態。

 

 つまり、彼スピノザに言わせれば、人は自分が何かの原因者となって積極的に何かに取り組む、それに全エネルギーを注ぎ込み頑張る、努力する、そんな時に人は『自由に生きれている』、『輝いている』とします。これに反して、何か外部から大きな、強い力のようなものがその人の『頑張ろう!』という本質の力を潰す、若しくは圧倒する事で、活動能力をアップ出来ず、外部からの力を受け続けている状態、こうした状態、状況を彼は、不自由な状態にあると言っています。ちょっと言い換えると、各人がその内面に持つ、本質のエネルギー、若しくは力のようなものが『発揮出来ている』状態が自由で、外部からの影響力、強制力により邪魔され、『発揮出来ていない』状態が不自由というわけです。とても乱暴に説明しましたが、大筋は外していないかと思います。まあ、そういう事です。ほら、皆さんも経験ないですか、仕事でも遊びでも何でもいいんですが、自分が原因者、いわば中心人物となって積極的に何かに取り組んでいる時。そんな時って時間が経つのも忘れたりするんじゃないでしょうか?取組んでいる事に全エネルギーを集中させていたりするから。そして気付けば周りの色んな人も巻き込んで、皆で熱中していたりとか…スピノザはこんな状態にある時に、その当事者は真に自由な状態にあると言っているんですよ。身も心も充実して、活き活きした状態、おそらくこんな時に、人は真に自由を獲得していると言えるんじゃないでしょうか。

 

 さて、ここまで述べると察しの良い読者の皆さんはもうお分かりですよね。先のコロナ騒動でもありましたよね。ワクチン接種問題。マスコミがメチャクチャでしたが、情報番組によっては、『このままなら世の中終わりだ』みたいに騒ぐコメンテーターも居たり、いつものように政府対策批判をバンバンやったり、また政府は政府で、マスコミに突かれるもんだから、仕方無しに、他国の様子も見ながら、『ああします、こうします』の繰り返し…少しは自分の頭で考えろよ!と言いたかった。発生当初が特に酷かったですが、猫も杓子もワクチン接種、ワクチン接種。挙げ句の果ては、当時のワクチン担当大臣さんなんか、『ワクチン打てば、コロナには罹りませんから…』なんて、上述の保健所の職員さんとは真逆のコメントまで出す始末。今思えば、なんかこう混乱してましたよね。一時はワクチン接種を全国民に義務付けようか?何て意見まで飛び出す始末…いずれにしても、いわゆる『同調圧力』が凄かったなって感じですよ。もう完全にコロナ=悪、救世主=ワクチン、∴全国民ワクチン接種しろや!の大合唱だったように思っています。ファイザーも言ってるのにね。『ワクチン接種の後遺症でどうなっても我々は一切責任は取りません』ってね。そんな発表は、蚊帳の外。今は目の前の自分の命が大事だ!後遺症何てどうでもいい!兎に角接種!接種!ですよ。これ完全に思考停止ですもんね。でも、圧力が凄いもんだから、反対意見言うと、なんか凄い『変わり者』みたいに見られるしね。私も経験しましたが、ホント大変でした。でも、今は当時そんな風に叫んでいた人たちも、『アレ、俺そんな事言ってたっけ?』ですからね。参るわなあ…これ、スピノザ的視座から言えば、一目瞭然で、自分が自分の確固たる考えの下でワクチン接種するんであれば、私も何も言いません。良いと思います。ですが、中には周りの同調圧力で打たざるを得ない状況に追い込まれた人たちもかなりの数居るようです。そこが問題なんです。これ、スピノザ的には完全に不自由の状況にありますよね。で、結果これは不幸だと思うのですよ、その当事者にとっては。外部の圧倒的力(同調圧力)による、本質の力の破壊だからね。どう見ても…だから、個々人でそれぞれ選択させて、結果はそれを尊重すれば良い筈なのに、そうせず、『何やってんだ!お前も打てよ!感染症拡大するじゃないか!』ですもんね。ワクチン接種も100%じゃ無いって分かっているのに…こうなると、もう殆ど『全体主義思想』状態だよ…つまり、スピノザ的に言うと、接種する事で『自由に生きる』人たちが、別の意味で未接種で『自由に生きようとしている』人たちを無理矢理自分たちの論理、都合を押し付け、此方側(接種側)に引っ張って来るものだから、多くの人々が悲しいかな、不自由な人生を歩まされる羽目になった、そんな感じに思えます。ワクチン3回接種してたのに、コロナに4回罹った同僚、私の職場に居るからね。これ、どう説明するの…?

 

 最後に、私コーネリアスの知人にこんな人が居ます。その方は女性Aさんなのですが、彼女の娘さんBさんは、知的障害者です。Bさんは福岡市のとある障害者施設に通っています。ある日保護者であるAさんに施設職員がこう尋ねて来たそうです…『Aさん、娘さんのBちゃんはワクチン打ちましたか?』『いや、未だですね。どうしても注射怖がるんで…未だ行ってないんですよ…『ああそうですかあ…でも後もうBちゃんだけですよ。この施設で未接種なのは。他の方は皆接種終了してるみたいですよ…』『はあ…どうしても打たせないといけないんでしょうか?』『そうですねえ、みんなやってるしですねえ…一人だけ見逃すとなると、他の保護者の皆さんからクレーム来そうなんですよねえ…それに、Aさん、貴女保護者会の会長さんでしょ。その辺のところもあるから…お願いしますよ…ねっ。じゃないと最悪入所禁止何て事にもなりかねませんしね。ああ、これ私たち職員がどうこうという事じゃ無いですよ。保護者会さんがねえ…今は色々うるさいですしねえ…』…このAさんは、当初からこのワクチンに懐疑的で、御自分も打ちたく無かったので、それまで打っていませんでした。当然可愛い娘さんにも同様に打たせたく無かったそうです。ですがこんなやり取りもあり、その2日後に母娘共にワクチン接種したんだそうです…完全な同調圧力という力の犠牲者ですよね、これ。コロナ禍では、個人の自由も無し。日本は、いつの間にか『コロナ全体主義国家』に成り下がったって事か?完全に思考を停止して…