皆さん、ご機嫌いかがですか?コーネリアスです。今回は、我々のご先祖さん、サムライについて記したいと思います。僕は、歴史に興味があるのですが、中でも武士、侍の生き様に最近強い関心があります。なので、最近は色々な時代の色々な武将達の本を読んでます。鎮西八郎為朝こと源為朝、新田義貞、楠木正成、佐々木道誉、立花宗茂等々です。

 ところで、突然ですが皆さんは日本史上でこの国が他国に侵略されかけた事が、若しくはそうした事を仕掛けられた事が、何回くらいあったと思われますか?つまり、歴史上ヤバかった事が何回くらいあったと…僕は、明治時代以前で見たら大きく分けて3回あったと思っています。一度目は鎌倉時代の元寇。二度目が戦国時代、安土桃山時代のスペイン、ポルトガルの来航。三度目が幕末です。ですが、この三度の国家的ピンチも、ある階級の先祖達の勇気と知恵により、回避出来ました。その先祖達こそが、武士(侍)です。で、今回はその第一回目として、元寇(文永の役)を取り上げたいと思います。

 時は鎌倉時代中期、隣の中国大陸にモンゴル人によるモンゴル帝国が興り、強力な軍事力により世界規模の大帝国を築いていました。このモンゴルが国号を中華的に元と改め、日本をその支配下に治めようと2度にわたり九州博多に侵攻してきたのが、元寇(1回目 文永の役1274年、2回目 弘安の役1281年)です。元の皇帝は、クビライ ハーン。日本は、亀山天皇、後宇多天皇の御世、幕府のリーダー、執権は北条時宗でした。時宗この時なんと18歳の若さでした。

 

 

 

 

最初の文永の役では、元軍の総数は、2万から4万とも伝えられ、計900艘以上の艦隊を編成して攻めて来たそうです。一方の日本側ですが、総計で何名の参戦者がいたかは、明確には、記録が分かりませんが、壱岐対馬、九州武士団中心に、相当数の武士達が戦いに参加していた様なので、おそらく数万規模ではあったと思われます。で、最初のこの戦では日本側が苦戦を強いられたようです。というのも、

  ①日本軍と元軍とで、そもそも戦争の作法が違い過ぎた(名乗りの最中に弓で射殺される等)

  ②元軍に新兵器あり→火薬、毒矢、てつはう等々

  ③敵を上陸させ、沿岸部で迎撃→騎馬戦得意の彼等にアドバンテージを与えた→作戦失敗…

そんなこんなで、次々上陸する元軍は、勢いに乗り、ドンドン押して、博多沿岸部から内陸部に向け進軍するのでした。ですが、日本武士団も奮戦し、各所で彼等の進軍を抑え、一進一退の攻防戦が続いたようです。最終的にその日の夕刻になり、日本軍は戦の総指揮を取っていた総大将少弐資能の判断で、現在の太宰府近くの水城の砦まで一時撤退しました。翌日日本軍が、沿岸部へ行って見ると、元軍の艦隊は帰国してしまったとの事…一体何が起きたのか?以下のような記録があります。

  ①元軍の元帥及び多くの上級将校達が負傷→夜の軍議で帰国すべきとの意見が出た為

  ②日本軍の抵抗が想定以上→矢、火薬が1日で大きく消費→長期戦になると不利と判断

  ③日本軍の夜襲→300騎程で夜討ちをかけ、元軍に多くの損害を与えた

そう、合理的な理由が存在していたという事です。

 学校の歴史の授業などで、この時神風が吹いたのどうのという話がありますが、あれは実はこの後の話なんです。戦いを終え、元への帰途中に嵐に会い、多くの船が玄界灘に沈んだようなのです。つまり、国家的大ピンチの第一ラウンドは、僅か1日で終了したのでした。まるで、関ヶ原のような話です。あれも短時間でしたが。

 まとめ(文永の役)

この前代未聞の国難に際し、当初我が鎌倉武士団は、勝手の違う異民族との戦に当惑し、敵の勢いに押され大きく攻め込まれ、防戦一方の様相でした。ですが、その後、日本人特有の粘り強さ、助け合いの精神等を発揮し、相手の進撃を阻み、まさに捨て身の覚悟で攻防戦を展開していきました。結果的にそれが功を奏し、相手方の名だたる元帥、将校を負傷させ、他にも多くの損害を与える事となり、これが彼等を帰国させる遠因となりました。彼等は当初から日本を過小評価していた、ナメていたのです。当然かもしれません。自分達は負け知らずの当時の世界帝国軍なのですから…東の果てにある日本のような小国は一捻りだと思っていた事でしょう。ですが、いざ戦ってみて、想像以上に武士達が強い事におそらく驚愕を禁じ得なかったのではないでしょうか。また、よく言われる『神風伝説』なるものは、戦後の彼等の帰途中の事で、戦いとは直接関係ありません。日本軍は弱っちかったけど、神様の助けがあり運良く救われたのだ、などというのは、見事な作り話で、実際は、武士達の命懸けの活躍によるものだという事です。日本は当時世界No. 1の軍事大国元軍を相手とし、実に堂々と立派に戦った訳です。つまりは、当時の日本も武士達が構成する強力な軍事国家だったのだと思うのです。

弘安の役に続く…