ポール・アレン氏が昨年末から公開し続けている旧日本海軍沈没艦の画像を整理して、ブログ記事を書き続けている最中、こんなニュースが飛び込んできました。

 

引用記事は→こちら

 

記事によると、2016年5月に海底の戦艦「大和」を撮影した際、その10km先で発見したとあります。

因みに、この時の大和の映像については過去記事(→「戦艦大和  2016最新映像」(2016/08/24))をご参照ください。

 

艦首とみられる部分

 

魚雷発射管とみられる部分

 

主砲とみられる部分

 

画像は深田サルベージ建設(株)提供のもので、ハフィントンポスト日本版のウェブページに掲載のものを引用しました。

深田サルベージ建設は過去にも1970年の戦艦「陸奥」引揚げ(参照記事→眠る旧日本海軍の戦艦たち④ 「陸奥」(2015/03/13))、1985年の戦艦「大和」調査、2015年トラック島沈没船調査など、この手の仕事には実績がある会社です。

またハフィントンポストの取材によると、今回の発表について深田サルベージ建設側は「本当は発見当初に発表したかったが、戦艦大和に注目が集まっていたこともあり、発表が遅くなっていました。大和だけでなく磯風を初めとした随伴艦にも世間の注目が集まれば有り難い。同じく随伴艦の矢矧(やはぎ)などもいずれ発見できれば」と答えているそうです。

 

Wikipedia より

 

「磯風」は「陽炎型」駆逐艦(ネームシップの「陽炎」沈没後の1943(昭和18)年6月20日付で、「不知火型」へと名称改訂)の12番艦として、1940(昭和15)年11月30日竣工。対米開戦以来、真珠湾、ミッドウェー、ソロモン、南太平洋、ガダルカナル島撤退作戦、マリアナ、レイテと主要作戦、大規模海戦にほとんど参加した歴戦の艦でした。レイテ沖海戦では、あの有名な「艦首から沈んでいく戦艦武蔵」の写真を撮影したのも磯風です(参照記事→眠る旧日本海軍の戦艦たち① 「武蔵」(2015/03/07))。

そんな磯風も、1945年になって刀折れ矢尽きた日本海軍の中で戦艦大和と共に坊ノ岬沖海戦を戦うこととなり、米軍機の襲撃にて航行不能へ。最期は僚艦による爆沈処分でした。

磯風にとって不幸中の幸いは自軍による処分だった為、戦闘で生存していた乗員を僚艦に移乗させることができ、その結果、坊ノ岬沖海戦での戦死者が約20名にとどまった事でしょうか。

 

坊ノ岬沖海戦における軽巡・矢矧(手前)と磯風(奥) (Wikipedia より)

 

エピソードとして開戦初頭、インド洋方面で零戦隊が撃ち落とした連合軍飛行艇搭乗員6名を磯風が救助した事がありました。その頃は日本軍の連戦連勝の時期だったので余裕があり、また磯風初の捕虜ということで待遇を良くして豪華な食事を出していたそうです。その後、捕虜は空母「赤城」に移送されたのですが、のちに同艦砲術長から「磯風で甘やかしたから(赤城でも)捕虜が贅沢を云って困る」と苦情を言われたそうです。

 

以下、沈没地点データは「Googleマップで見る軍事的スポット」参照。

 

 

 

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