レイテ沖海戦で戦場の一つとなったスリガオ海峡にて、戦艦2隻(参照記事→スリガオ海峡に眠る戦艦「山城」「扶桑」の海底写真(2018/02/05))を含む西村艦隊を発見したポール・アレン氏のチームが、今度はレイテ島オルモック湾にて日本の駆逐艦を幾つか発見しています。

まずは昨年12月14日付の同チームfacebookにて公表された、駆逐艦「島風」。

 

 

引用記事は→こちら

 

オルモック湾は、レイテ沖海戦と同時平行して行われた陸軍主体のレイテ島地上戦における日本側の増援部隊揚陸地で、この時の輸送作戦は第1次から第9次まで行われました。

駆逐艦「島風」は第3次作戦でオルモック湾に突入し、米艦載機約350機の襲撃を受けて1944(昭和19)年11月11日に沈没。約430名が戦死したとされています。

 

3基装備された零式5型5連装魚雷発射管の一つ

 

上の写真とは別の零式5型5連装魚雷発射管

 

3基ある50口径3年式12.7センチ連装砲の一つ

 

上の写真とは別の50口径3年式12.7センチ連装砲

 

艦の側面のようです

 

魚雷発射装備の一部

 

スクリュー

 

水雷決戦を目的とする艦隊型駆逐艦の最高峰として1943(昭和18)年5月に竣工した「島風」は、39ノットの高速力、同艦の為に開発されたを零式5型5連装魚雷発射管を装備した強雷装の駆逐艦でした。その発想は駆逐艦版「大和」と言ったらいいでしょうか。

しかし、当初は同型艦16隻建造の計画がありましたが、高コストのうえ、戦局の推移に建造コンセプトがマッチしなくなったという事情にて同型姉妹艦は建造されず、最終的には「島風」のみとなっています。

 

公試中の島風 (Wikipedia より)

 

竣工後の最初の主要任務は、キスカ島撤退作戦でした。

以降の主任務は輸送護衛などでしたが、1944年10月には栗田艦隊の一員としてレイテ沖海戦に参加。そして、次の任務が最期を迎えたオルモック輸送作戦でした。

 

沈没直前の島風 (Wikipedia より)

 

結局、レイテ地上戦で日本側は約8万人もの戦死者を記録して防衛失敗。やがて戦局は次なる主戦場ルソン島へと移っていくのです。

 

オルモック湾に眠る「島風」の名前は現在、海上自衛隊のミサイル護衛艦「しまかぜ」に引き継がれています。

 

以下、沈没地点データはGoogleマップで見る軍事的スポット参照。

 

 

 

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