このシリーズでは、日本軍の駆逐艦の海底写真を中心に紹介してきましたが、残すところ画像がありそうなのは、戦後ソ連に賠償艦として引き渡された駆逐艦「響」(ソ連名ヴェールヌイ)くらいかなと思っていたところ、ポール・アレン氏のおかげで、もう少し記事を書けそうです。

 

レイテ沖海戦において、栗田艦隊との合流を待たず単独レイテ湾突入を目指した西村艦隊は、米軍の猛攻を受けてその所属艦艇を殆ど全滅させてしまい、指揮官・西村祥治中将も戦死してしまいます。それゆえ戦後、西村中将は米国側から散々な評価を受けてしまうのですが、その一方、日本側機動部隊の小沢治三郎中将は「レイテで本当に本気で戦ったのは西村だけだった」とも語っています。

その西村艦隊の第四駆逐隊は駆逐艦「満潮」「山雲」「朝雲」から構成されていました。しかし奮戦むなしく、戦艦「扶桑」「山城」(参照記事→スリガオ海峡に眠る戦艦「山城」「扶桑」の海底写真(2018/02/05))らと共にスリガオ海峡で3艦いずれも撃沈されています。

 

1944年10月25日未明のスリガオ海峡海戦 (Wikipedia より)

 

Wikipedia より

 

朝雲と思われる艦艇

 

山雲(あるいは満潮)の「50口径12.7cm連装砲」の一つ

 

山雲(あるいは満潮)のボイラー

 

第四駆逐隊乗員のお茶碗

 

画像はいずれもポール・アレン氏の調査チームのfacebook(→こちら)から。昨年11月下旬からの調査で戦艦「扶桑」「山城」と共に発見され、12月2日付のfacebookにて公表されました。

海底の「満潮」と「山雲」の距離は約2kmと近く、紹介した画像のうちどれが「満潮」、「山雲」であるかは梅之助には確定できません。

 

 

 

上より駆逐艦「満潮」「朝雲」「山雲」 (Wikipedia より)

 

この3艦は、みな「朝潮型」駆逐艦(ネームシップの朝潮が沈没した為、1943年4月1日付で「満潮型」と名称改訂)として誕生しています。

「満潮」は「朝潮型」3番艦として、1937年(昭和12)年10月に竣工。

「朝雲」は5番艦として、1938年3月竣工。

「山雲」は6番艦として、1938年1月竣工。

「満潮」「朝雲」は、対米開戦初頭の各攻略戦や主要海戦を戦い抜き、その後戦没するレイテ沖海戦に参加。

「山雲」は開戦初頭の作戦で触雷し暫く戦列を離れたものの、戦線復帰以降は数多くの護衛任務を果たしてからマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参加しています。因みに1943年11月19日、「山雲」が米潜水艦「スカルピン」を撃沈した際、艦長・小野四郎少佐は米潜水艦乗員の救助を指示し、助けられた42名にコーヒーとトーストをふるまったといいます。

 

レイテでは「満潮」「山雲」の乗員はほぼ全員が、「朝雲」は9割近くの乗員が戦死したとされ、その数3艦合わせて600名以上になると思われます。梅之助には、お茶碗の画像が少し辛い・・・

 

 

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