数年前に他界した梅之助の母方の祖父は、かつて戦時中トラック島にて米軍と戦ったそうです。
昔、何かの話の流れで偶然、祖父からその経験を聞かされたのですが、当時の梅之助は今ほど戦記や軍事史に詳しくない頃で、突っ込んだ質問をした訳でもなく、話もそれで終わってしまいました。ひょっとしてその時いろいろ語ってくれたのかもしれませんが、残念ながら具体的な内容は梅之助の記憶に残っていません。ただ、空襲があったらしい話はなんとなく憶えています。

 

米軍によって撮影されたトラック島空襲(Wikipediaより)


トラック諸島は戦時中、日本海軍の一大拠点があった環礁で、現在はミクロネシア連邦に属し、チューク諸島と呼ばれています。丁度、当時の米国領フィリピンとハワイ・真珠湾を結ぶライン上に位置した為、対米戦の緒戦ではその地理的特性を十分活かした作戦が立案されました。

 

しかし戦争も後半に入ると物資不足に悩む日本軍は劣勢に立たされ、このトラック諸島も1944年2月17~18日にかけて米軍の大規模な空襲を受けます。祖父が語った空襲も多分、これでしょう。この時に軽巡洋艦3隻、駆逐艦4隻の戦闘用艦艇が沈没。また数多くの徴用商船も沈没しています。
現在、この場所は旧日本軍の艦艇が見られるダイビングスポットとして人気があり、戦闘用艦艇では駆逐艦「文月」「追風」を見る事が出来るそうです。

 

 


上は「追風」の船首砲で、下は甲板部。甲板上には遺骨が確認出来ます。この駆逐艦は水深60~70mに沈んでおり、一般ダイバーが潜るにはちょっと難しい場所で、画像は須賀次郎氏のHP及びブログからの引用です。詳しくはどうぞ下記サイトをご覧になって下さい。
須賀次郎氏のHP → http://suga.blue.coocan.jp/
須賀次郎氏のブログ→スガジロウのダイビング「どこまでも潜る」

また、水中写真家の古見きゅう氏も「追風」の撮影に成功しており、その画像が2014年9月20日付の朝日新聞デジタルに掲載されています。

 

朝日新聞デジタルに掲載された「追風」の甲板後部 


古見きゅう氏のHP並びブログはこちらです。
古見きゅう氏のHP→http://www.nines-photo.com/
古見きゅう氏のブログ→世界海中劇場~水中写真家 古見きゅうオフィシャルブログ

 

1927年横浜沖にて撮影 (Wikipediaより)


駆逐艦「追風」は「神風型」駆逐艦の6番艦として、1925(大正14)年に竣工。当初は第11号駆逐艦と呼ばれていましたが、1928年に「追風(おいて)」と改称されています。
大戦初期はウェーク攻略作戦やラバウル攻略作戦に参加。その後は船団護衛を務めた後、1944年2月18日のトラック島空襲で米軍機の魚雷を受けて沈没しています。丁度、前日に沈没した軽巡洋艦「阿賀野」の乗員を救助していた為、多数の犠牲者が出る結果となってしまいました。
現在、「追風」はトラック北水道南東約10km、ほぼサンゴ礁の切れ目の出入口で今も遺骨と共に眠っています。


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