昨年、フィリピン・スリガオ海峡で戦艦「扶桑」「山城」らを発見し、レイテ島オルモック湾でも駆逐艦「島風」を発見したポール・アレン氏の探査チーム。

今年に入ってからも、オルモック湾にて「島風」に続く旧日本軍駆逐艦の海底写真を公表しています。

 

まずは1月25日付けの同チームfacebookにて公表された、駆逐艦「浜波」(正式には旧字体の「濱波」)。

 

船尾の25mm対空機銃

 

3基搭載された50口径12.7cm連装砲のうち、2番砲(左)と3番砲(右)

 

崩壊した船尾部分

 

泥に埋まったスクリュー

 

魚雷発射管

 

次は1月27日に公表された、駆逐艦「長波」ではないか?とされる艦艇残骸。

 

船首部分

 

50口径12.7cm連装砲

 

25mm対空機銃

 

 

(左)別の対空砲 (右)魚雷管が確認できる

 

 

(左)3連装の対空砲のように見えます (右)魚雷管

 

25mm対空機銃

 

英文を訳しながら、また艦の軍装を調べながら写真の解説を書いていますが、なにぶん梅之助はミリタリーに関しては素人なので、間違っている部分もあるかもしれないのをお断りしておきます。

 

さて、「浜波」も「長波」も同じ「夕雲型」駆逐艦。

ポール・アレン氏のチームが、25日に発表したのを「浜波」、27日のを「長波」と判断した根拠は梅之助にはよく分かりません。ただし「長波」の方は海底写真を公表する際に「Naganami?」と、あくまで推定の域を出ていない表現にとどめています。

日本の専門家の意見も聞きたいところですが、アレン氏のチームがこうも短期間に続けて発見してくれると、主要メディアもあまり報じなくなってしまいましたね。

 

 

(上)駆逐艦「浜波」 (下)駆逐艦「長波」 (Wikipedia より)

 

「浜波」は全部で19隻建造された「夕雲型」駆逐艦の第13番艦として、1943(昭和18)年10月竣工。

船団護衛に従事した後に、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参加しています。

一方、「長波」は「夕雲型」4番艦として1942(昭和17)年6月竣工。

同年10月からは、戦艦「金剛」「榛名」によるガダルカナル島ヘンダーソン飛行場艦砲射撃作戦や南太平洋海戦に参加するなど、海上作戦の前線にて戦いました。またガダルカナル島への輸送作戦中に起きたルンガ沖夜戦では臨時旗艦として、自軍・駆逐艦1沈没に対し、敵・重巡1沈没、重巡3大破と戦闘を勝利しています(ただし輸送作戦自体は失敗)。

その後はキスカ島撤退作戦、ラバウル方面での戦い、レイテ沖海戦と戦い続けました。

 

両艦ともレイテ沖海戦後は最期の戦いとなる第三次オルモック輸送作戦に参加。

作戦中に米艦載機の空襲を受けて浜波は航行不能となり放棄、長波も沈没するなど、この作戦に参加した駆逐艦は朝霜を除いた島風、浜波、長波、若月(後日記事にします)全て全滅する事になります。救出された乗員も海軍陸戦隊として、レイテ島やルソン島の地上戦でその多くが帰らぬ人となってしまいました。

 

戦史に詳しい人ならばご承知でしょうが、考えてみればオルモック輸送作戦の根拠となったレイテ地上決戦自体が、とんでもない事実誤認と情報隠蔽の産物であった事はきちんと書いておかなければならないでしょう。

駆逐艦「若月」の記事を書く時に、その事にも触れたいと思っています。

 

 

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