戦艦「扶桑」「山城」の発見から始まったポール・アレン氏率いるチームの探索も、今回はこの駆逐艦「若月」で日本側のものは一区切りになりそうです(当然、彼らは自国の艦の発見にも力を尽くしています)。

1月30日、同チームのfacebookにて公表されました。

 

 

 (左)艦首付近 (右)錨が確認できます

 

艦首付近の残骸でしょうか

 

 

(左)砲塔部分 (右)左画像の別角度の撮影らしい

 

主要残骸より離れた所に沈んでいる98式10cm高角砲

 

上画像の別角度撮影

 

 

(左)残骸の最大部分 (右)艦の側面部分で消磁ワイヤーが見える

 

 

いずれもボートダビッド

 

残骸主要部の横に沈んでいる98式10cm高角砲の砲塔

 

砲身部分で上の画像の別角度からの撮影

 

プロペラシャフトと思われる

 

駆逐艦「若月」は「秋月型」駆逐艦の6番艦として、1943(昭和18)年5月に竣工。この型は戦争戦術が航空機によるものにシフトした事情を背景に、高角砲や対空機銃の充実・改良を加えた防空型の駆逐艦として、全部で12隻竣工しています。

竣工後の「若月」はブーゲンビル島沖海戦、マリアナ沖海戦を経て、レイテ沖海戦に参加。同海戦では小沢機動部隊の一員としてエンガノ岬沖で戦っています。

 

Wikipedia より

 

上の写真はエンガノ岬沖海戦を戦う空母「瑞鶴」(中央)で、右手前に秋月型駆逐艦が確認出来ます(「若月」か「初月」と思われる)。右奥に空母「瑞鳳」。

そして「若月」は最後の戦地レイテ島オルモック湾にて米軍機の空襲を受けて沈没、約290名の乗員と共に永遠の眠りにつく事になりました。

 

沈没寸前の「若月」 (Wikipedia より)

 

さて「若月」含め、これまで紹介して来た「島風」「浜波」「長波」が沈んだオルモック輸送作戦、そしてその前提となったレイテ地上決戦ですが。

これが全くデタラメな情報に基づいて立案された作戦である事を、最後に書いておこうと思います。

 

マリアナ諸島を失い、次の主戦場がフィリピンになる事を予想した大本営は捷一号作戦を立案し、海軍がレイテ沖海戦を戦う事になります。一方の陸軍はフィリピンの防衛戦は当初、ルソン島での決戦を準備していました。

ところがレイテ沖海戦直前の1944年10月12~16日に行われた台湾沖航空戦にて、海軍は戦果を搭乗員の申告をもとに「敵空母11、戦艦2、巡洋艦3、駆逐艦1を撃沈し、空母8、戦艦2、巡洋艦4、駆逐艦1、艦種不詳13を撃破」と事実誤認(何故誤認したのかはここでは触れません。実際は空母1小破、巡洋艦2中破程度)。

 

 

普通、戦局が悪くなってからの大本営の誇大戦果発表は、軍が実情を知りながらも戦意高揚の為に行っていたのですが、この台湾沖航空戦のケースは海軍上層部も当初、戦果を信じ込んでいたのです。

やがてこの戦果に疑問を抱いた海軍は再検証を進めたものの、その結果を10月20日の陸海軍合同作戦会議で陸軍側に伝えませんでした。陸軍は米艦隊・航空勢力を壊滅状態にした海軍の大戦果を受けて、当初のフィリピン地上決戦をルソン島からレイテ島へと変更。そこで陸軍の兵員をルソン島からレイテ島へと配置転換するオルモック輸送作戦に繋がって行くのです。

つまり「若月」らは『壊滅させたはずの』敵艦隊・航空部隊に沈められた訳で、レイテ地上決戦の陸軍は当然、悲惨な敗走を続ける事になりました。この影響は続くルソン島防衛戦、後の沖縄戦にも深刻な影響を及ぼす事になります(レイテ島に守備部隊が引き抜かれた為)。

劣勢に置かれた戦時下で戦局の行方、ひいては国の行方よりも組織のメンツが優先されたという、あり得ないケースです。怒りを感じますね。

 

実は陸軍側のフィリピン防衛現地責任者・山下奉文大将は海軍側の戦果誤認を見抜いていました。彼は、海軍側の発表を疑問視する陸軍情報中佐からの見解報告や、フィリピンに飛来する敵航空機の数が全く減らない状況から、「台湾沖航空戦の戦果は幻」と判断、レイテ決戦に反対するものの、大本営陸軍部や上部組織である南方軍には受け入れられずにレイテ決戦を強いられてしまったのでした。

その風貌と開戦当初のマレー・シンガポール攻略で勇猛なイメージがある山下大将ですが、内実は非常に理知的な人だったようで、終戦直後、B・C級戦争犯罪軍事裁判で有罪となり、絞首刑が執行される直前に残した彼の遺言からもそれが察せられます。ルソン島防衛戦でもマニラは民間人が多い為、戦場になるのを避けようと無防備都市宣言(オープンシティ)しようと意図するも、これもまた大本営や海軍から反対されて頓挫するという事もありました。

ちょっと話がズレましたね。

 

現在、ポール・アレン氏のチームはフィリピン近海を離れて、珊瑚海海戦で沈没した米空母「レキシントン」や、第三次ソロモン海戦で沈没した米巡洋艦「ジュノー」を発見しています。

彼らによって今後、日本海軍の艦船がまた発見されたら紹介したいと思います。

 

以下、沈没地点データはGoogleマップで見る軍事的スポット参照。

 

 

 

【関連記事】

眠る旧日本海軍の駆逐艦たち⑭ 3ヶ月の短命だった「新月」(2019/05/09)

眠る旧日本海軍の駆逐艦たち⑬ パラオの海に眠る「五月雨」(2018/04/25)

眠る旧日本海軍の駆逐艦たち⑫ 戦後ソ連に渡った「響」(2018/04/12)

眠る旧日本海軍の駆逐艦たち⑩ オルモック湾に沈む「夕雲型」たち(2018/03/04)

眠る旧日本海軍の駆逐艦たち⑨ オルモック湾に沈む「島風(2018/02/25)

眠る旧日本海軍の駆逐艦たち⑧ 「大和」と 運命を共にした「磯風」(2018/02/09)

眠る旧日本海軍の駆逐艦たち⑦ スリガオ海峡の西村艦隊第四駆逐隊(2018/02/07)

眠る旧日本海軍の駆逐艦たち⑥ トラック諸島に沈む「文月」(2015/07/08)
眠る旧日本海軍の駆逐艦たち⑤ トラック諸島に沈む「追風」(2015/07/06)
眠る旧日本海軍の駆逐艦たち④ 海面から見える「菊月」(2015/06/27)
眠る旧日本海軍の駆逐艦たち③ Ironbottom Soundに沈む「綾波」(2015/06/06)
眠る旧日本海軍の駆逐艦たち② Ironbottom Soundに沈む「夕立」(2015/06/04)
眠る旧日本海軍の駆逐艦たち① 若松港の駆逐艦たち(2015/06/03)