大和型戦艦が就役するまで、姉妹艦「長門」と共に連合艦隊旗艦を務め、国民からの人気も高かった戦艦「陸奥」。
1943(昭和18)年6月、謎の主砲火薬庫爆発を起こして、約1100人の犠牲者を出しながら広島湾内柱島泊地にて爆沈してしまいました。現在は艦全体の約3割弱が水深約40mの深さに残っています。
地元広島のダイビングショップ「Sea Loop」さんのHPに、水中の陸奥の写真がありましたので、ちょっと拝借。

 

 

 

 

 

全体の7割強が既に引き揚げられていて、海底に残されているのは艦橋部と、艦首部等を除く艦の前部分などですが、写真を見ても正直よく分からないというのが率直な感じですね。
また陸奥の沈没地点は潮流が速く視界も良くない為、ベテランダイバー向けだそうです。
一般ダイバーの方の動画もYoutubeにあったので、貼っておきます。

 


陸奥は1921(大正10)年に就役し、長門と共に「世界のビッグ7」と呼ばれました。
しかし米国との戦争が始まっても、大和型と長門型は日露戦争ばりの艦隊大決戦(結局は来なかった)を見据えて、第一線に出る事なく温存されました。

 

 

(左) 1926(大正15)年の改装後の陸奥 (Wikipediaより)
(右)深田サルベージ建設による陸奥・引き揚げ作業(同社HPより)


そして戦局に関与することなく、冒頭に書いたように爆沈してしまいます。
戦後、1948(昭和23)年に引き揚げが一部行われましたがすぐに中断し、1970(昭和45)年から深田サルベージ建設(株)の主導で再度引き揚げ作業が行なわれて、乗員の遺品や武装の一部が現在、各施設で展示されています。

 

 

(左)陸奥記念館(山口県)の主錨 (右)聖博物館(長野県)の41cm主砲(Wikipediaより)
 


船の科学館(東京)に展示される41cm主砲 (「陸奥の里帰りを支援する会」HPより)


2007年、第六管区海上保安本部は測量船を用いて海底の陸奥の船影を捉え、計測した3次元画像を公開しています。→画像はこちらにあります。

 

※2018/04/13追記

 

水中写真家の戸村裕行氏が、2017年5月22日付のツイッターで陸奥・主砲の海底写真を掲載しています。

同氏は他にも数多くの海底戦争遺跡を撮影され、その写真は大変素晴らしいものなので、興味のある方は是非、ツイッターや公式サイトを訪れてみてください。

水中写真家・戸村裕行 オフィシャルサイト→こちら

水中写真家・戸村裕行 公式ツイッター→こちら

 

 


以下、沈没地点データは「Googleマップで見る軍事的スポット」参照。



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