世界最大の戦艦にしてその悲劇的な最後から、日本海軍の代名詞とも言える戦艦「大和」。終戦の年に沖縄へ向けて海上特攻の途上で米軍航空機の猛攻を受けて爆沈しました。
現在、水深約350mの海底に眠る大和ですが、最初に発見されたのは1982年のソナー及び水中カメラでの調査でした。ただその時は確証には至らずに終わっており、確認されたのは1985年の「海の墓標委員会(委員長:辺見じゅん、事務局長:角川春樹)」による調査でした。その映像はNHKでも伝えられました。
また1999年にはTV朝日が諸団体の協力を得て大和の映像を撮影し特集番組を制作しています。

 

艦首の菊の御紋。1999年テレビ朝日の調査より (出典:朝日新聞デジタル)

 

 

(左)艦首部分、(右)はスクリューでいずれもTV朝日の調査映像より
 
46cm砲弾 TV朝日の調査映像より
 

1941年10月 公試運転中の大和 (Wikipediaより)


大和型戦艦の一番艦である大和は、真珠湾攻撃直後の1941年12月16日竣工。しかし日本海軍が固執した艦隊決戦の機会はなく、大和の主砲が実戦で初めて発射されたのは1944年6月のマリアナ沖海戦でした。
1944年10月のレイテ沖海戦で連合艦隊が壊滅してからは、事実上「死に場所」を与えられる形で翌年の「菊水一号」作戦に参加し、坊ノ岬沖にて3次にわたる米軍機の波状攻撃を受けて4月7日14:20過ぎに約2700名の将兵と共に沈没しています。
 

 

(上)坊ノ岬沖で第一波と思われる攻撃を受ける大和   (Wikipediaより)
(下)沈没した大和の爆煙  左から駆逐艦・霞(航行不能)、初霜、冬月


下の画像はネット上にあった、広島県・呉市にある「大和ミュージアム」で再現されている海底の大和のジオラマです。

 

 

Youtubeには1999年のTV朝日の番組もアップされていますが、1985年のNHKの番組の方が水中映像も多く、堅実な作りだったのでそちらの方をリンクしておきます。

1985NHK特集 「海底の大和」①
1985NHK特集 「海底の大和」②
1985NHK特集 「海底の大和」③
1985NHK特集 「海底の大和」④
1985NHK特集 「海底の大和」⑤

戦後40年の節目で大和が確認され、70年の区切りで武蔵が発見された事になります。そして本日3月10日は東京大空襲の日。
あの戦争で亡くなられた方々に手を合わさずにはおれません。

以下、沈没地点データは「Googleマップで見る軍事的スポット」参照。



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