このニュースを知ったのは約1ヶ月前の事。 

7月23日から広島県呉市の「大和ミュージアム」で、海底に眠る「戦艦大和」の最新映像が8月いっぱいの予定で公開されています。公開されている映像は、呉市が5月10~27日にかけて無人潜水探査機で撮影したもの。
かつて大和は1985年と1999年に海底調査され、それぞれNHKとテレビ朝日が報道番組を制作しています。詳しくは記事末尾のリンク『眠る旧日本海軍の戦艦たち②「大和」』を参照して下さい。

 

 

艦首の「菊の御紋」。1999年の調査時には残っていた金箔がほとんど剥げて、下の木肌が露わになっているのが確認出来ます。今回の調査で「菊の御紋」の大きさが、従来の定説よりも小さい事が判明したそうです。
 


艦尾のスクリュー。

 


こちらは大和型戦艦に採用された球状船首「バルバス・バウ」。ちなみに日本海軍でバルバス・バウを最初に取り入れたのは、大和よりも一足就役の早かった翔鶴型航空母艦になります。

今回の最新調査では艦央・艦尾部の火薬庫による爆発も、これまで考えられていたより大きな被害状況であった事が判明したそうです。

 

 

1944年10月24日レイテ沖海戦のシブヤン海海戦で一番砲塔に直撃弾を受ける大和 (Wikipediaより)
 

レイテ沖海戦のサマール島沖で戦闘する大和(10月25日)。後方は利根型重巡洋艦 (Wikipediaより)

 


1945年3月19日の呉空襲で米軍機からの攻撃回避行動中を取る大和 (Wikipedia より)

 

さて梅之助はこれまで旧日本海軍艦船の海底画像を、ネットや書籍で探しては記事にしてきました。南極観測船宗谷や戦艦三笠など特殊な例を除くと、地上・海上に現存するものが殆どないからです。しかし海に眠る艦船たちも別に保存されている訳ではない為、時間の経過と共に朽ち果てていくのが今回の大和の映像を見て実感しました。当たり前の事ですがね。
一部に「戦艦大和・引き上げ計画」があるようですが、費用の問題、遺族・関係者の感情問題など難しいハードルも多く、梅之助もどうあるべきなのかはよく分かりません。
主砲くらいは探して引き上げた方がいいと思う一方、その存在自体が軍事上の最高機密だった訳ですから、引き上げてみて「こうだった」と色々な事実が判明してしまうよりも、「世界最大の戦艦」としての謎と伝説を残したまま、ずっと静かに眠る方がいいような気もします。


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