米国との戦争を戦った日本の戦艦は全部で12艦。これまで新しく就役した順に、「大和型(大和・武蔵)」、「長門型(長門・陸奥)」を1艦づつ書いてきました。折角なので、残りの「伊勢型」「扶桑型」「金剛型」も書いてみます。

で、今回は「伊勢型」戦艦である1番艦の「伊勢」と、2番艦の「日向」です。
この2艦は戦争末期に広島・呉港外で浮き砲台として使用され、昭和20年7月の呉空襲で共に大破着底し、戦後引き揚げられてスクラップとなりました。つまり現在海底には沈んでいません。

 

 

終戦直後の伊勢(上)と日向(下)。米軍にて撮影されたフィルムより


伊勢は1917(大正6)年、日向は1918(大正7)年にそれぞれ就役。35.6cm砲を主砲とする同艦でしたが、艦隊決戦用の「大和型」「長門型」、高速性能のある「金剛型」と比べると、攻守性能や速力及び燃費などの点であまり使い勝手のよくない戦艦でした。
そんなおり、ミッドウェー海戦で正規空母4隻を喪失した日本海軍は空母戦力補填の為、1943年に伊勢と日向の後部主砲を撤去して飛行甲板を設け、航空戦艦へと大改装させます。しかし搭載機不足などもあって、本来の目的である航空戦艦としての働きに目立ったものはありませんでした。
しかし大戦末期、収容能力を見込まれての物資輸送作戦では両艦とも活躍しています。

 

1943年に航空戦艦へと大改装された伊勢 (Wikipediaより)

 

 

(左)1944年レイテ沖海戦のエンガノ岬沖海戦で戦う伊勢 (右)1945年大破着底した日向(Wikipediaより)


最後に、冒頭でも引用した終戦直後の両艦を撮影した米軍カラーフィルム映像がYoutubeにもありましたので貼っておきます。
なかなか貴重な映像です。

 

終戦直後の戦艦伊勢

 

終戦直後の戦艦日向


特におびただしい敵機を迎え撃つ為に、主砲を最大仰角の43度で空に向けたまま息絶えた伊勢の最後の姿は壮絶であり、どこか物悲しくもあります。


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