非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -11ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

テレビをつけると、連日、新型コロナウイルスのニュースが流れていて、その予防対策として、「マスクを着用しよう」「手洗いを心がけよう」という情報が発信され続けている。

だから、ドラッグストアに行っても、Amazonで検索しても、マスクは品薄状態でなかなか買えない状況になっている。

この先、マスクが買えなくなったら、たいへんなことになる。
自分もコロナウイルスに感染してしまうかもしれない。

この恐怖に煽られ、ますます多くの人がマスクを買い求めらようになり、さらにマスクが入手しにくくなる。

この恐怖の悪循環にとりつかれると、本当に恐ろしくなる。
いても経ってもいられなくなり、毎日、マスクを求めて、あちらこちらの店を彷徨いつづけることになる。

でも、これはすべて、私たちの想像力による恐怖の物語に過ぎない。

たとえば、私は今日の昼、近所の喫茶店でサンドイッチを食べた後、その近くのコンビニに立ち寄ると、どういわけか7枚入りの普通サイズのマスクが一つだけ棚にぶら下がっていた。

そこで、そのマスクを手にとり、レジにいた中国人らしき女性に「ニュースではマスクが手に入りにくいと騒いでいるのに、なぜ、この店には一つだけ残っているの?」と聞くと、彼女は笑いながら、こんなふうに答えた。

「それは、あなたの分だからよ」

こう回答されると、確かにその通りなのだが、なんだかとても不思議というか、神がつぶやいた言葉のように聞こえた。

メディアは、不足の概念を伝え続け、多くの人の不安感を煽っているけれど、「現実」は何も不足していない。

「何かがなくなるかも」「この先、とんでもないことが起こるかも」という恐怖の夢を見続けたければ、どこまでも想像を膨らませ、恐怖に怯えながら、生きることができる。

でも、それは想像上のつくり話しであり、現実に今この瞬間、何が起きているかに気づけているなら、ここに不足はない。
手に入れるために走り回らなくてはならないものなど、何もない。

手に入れにいかなくても、すべてがひとりでに自然に現れる。

実際に経験できる現実だけが、何が真実かを教えてくれる。

それ以外のものは、すべて想像力によってつくり出された、タラレバの物語に過ぎない。

お知らせ
病気や死にまつわる人間の根本的な不安、恐怖は、「肉体が他の肉体や物質と切り離されて単独で存在している」という唯物論(誤った解釈)が信じ込まれている限り、消えません。
この信念の嘘を見抜けるようになりたい方は、ノンデュアリティ ・プライベートセッションをお受けください。

昨日、非二元ファシリテーターの記念すべき一人目の合格者が出た。

 
合格したのは、新聞社で編集の仕事をしているSさん(女性)で、昨日の養成コースが終わってから実習生の皆さんと近くのビアホールでお祝いをした。
 
飲みながら、ファシリテーターになろうと思ったきっかけをあらためて聞いてみると、昨年の2月に私の非二元のセッションを受けたときの、歓びについて語ってくれた。
 
彼女は、私のセッションを受ける前に、ノンデュアリティ について語っている女性の話を聞きに行き、そこで自分が疑問に思っていたことを質問しても、「〇〇〇はいない」という紋切り型の一言しか返ってこず、もどかしいままの状態が続いていたらしい。
 
そして、昨年の2月に私のところに来て、セッションを受けてみると、疑問が解けたらしく、その嬉しさのあまり、セッションが終わってから新宿の鰻屋さんに立ち寄り、うなぎを食べたことを教えてくれた。
 
この話を聞き、昨日の実習中に彼女が見せてくれたファシリテーションが、どれだけクライアントに寄り添ったもので(単に疑問を解消するだけでなく、苦悩からの解放に導くものであったか)、なぜ、これだけの関わり方ができるようになったのか、その理由がすごく府に落ちた。
 
クライアントが知りたいと思っていることを質問しても、はぐらかされるような答えしか返ってこなければ、立ち往生したままの苦しい状況が続いてしまうことを、彼女は自分の経験を通じて痛いほどわかっていた。
 
だからこそ、彼女は、これほどクライアントに寄り添える素晴らしいファシリテーションができるようになれたんだと、私には思える。
 
そして、私はこの日、実習生の皆さんに、アメリカの大学でセラピストになるため、心理学を学んでいる学生たちに、非二元についてどのように教えられているかを手短かに紹介した。
 
人が人生に立ち往生する原因は、「認知的フュージョン」によって引き起こされるが、どうすれば脱フュージョンできるのか、そのための有効な方法は、日本の大学ではほとんど教えられておらず、その点において、アメリカに比べて日本は数十年遅れたままの状態であること。
認知的フュージョンに陥り、人生に行き詰まりを感じているクライアントに、反対のない(二元性のない)世界をダイレクトに体験してもらう非二元のセッションが、どれだけ有用なものになりえるかを話した。
 
今回、彼女がファシリテーターになってくれたことで、非二元がどれほど人生に役立つものであるか、その有用性を知ってもらえる機会が増えていくことになる。
 
そして、いつか、アメリカの大学と同じように、日本の大学でも、非二元について語る教授が出てくることを願って、今後、彼女や他の実習生の皆さんとともに、私自身も、どうファシリテートすれば、より深く、非二元の生(ライフ)の深み、素晴らしさをクライアントさんに体験してもらえるようになるかを学んでいこうと思う。
 
お知らせ
次回の非二元ファシリテーター養成コースは、4月11日、12日に開催します。
私には、繁盛している飲食店に通いつめるクセがある。
このクセは、私に限らず、多くの人にも習慣化されているので、繁盛店はクセづけられてしまった人たちで、いつも繁盛状態にある。

たとえば、私の場合、週に最低一度は必ず通っている地元の飲み屋さんがある。

この店に知り合いを連れていくと、かなり高確率で、多くの人が「あの店にまた行ってみたい」という。

つまり、この店には、他の店にはない「何か」がある。

でも、多くの人は、この何かが何であるかを、よく調べようとしない。

だから、なぜ、繁盛する店とそうでない店があるかがわからず、知らず知らずのうちに、繁盛しない状況をつくりだしてしまっている。

具体的にいうと、私は今日、この店で「こだわり酒場のレモンサワー」を飲んだ。

このサワーは、サントリーの商品だが、この店で、このサワーを飲んで以来、私は他の店でも「こだわり酒場のレモンサワー」を注文してしまうクセがついてしまった。

そして、ある日、あることに気がついた。

それは、他の店で「こだわり酒場のレモンサワー」を飲んでも、ぜんぜん、おいしく感じられないという事実だ。

だから、今日、いつもの店に行った時、「なぜ、この店のサワーはよその店のサワーよりおいしいのか」を聞いてみた。

すると、店主はこう答えた。

このサワーを売りはじめた頃、お客さんから「このサワー、味が物足りないんだよな」といわれたので、マニュアルの配分通りにつくらず、味を調整してみたら、おいしくなった…と。

また、恵比寿にも、私が頻繁に通っているバーがあり、そこでは、サントリーの角ハイを頼むと、他の店で飲める角ハイとはまったく違う爽快感を味わえる。

つまり、繁盛店は、同じメーカーの同じ名前の商品を売っていても、同じものを提供してはいない。

だから、人は意表をつかれる。

人は、ブランド名や商品名に信頼を置いて、買い物をしているように見えるけれど、実際には「経験」の違いに価値を感じて、お金を使い続けている。

このことがわかると、繁盛店に通うのがとても楽しくなる。

お知らせ
人は何に驚きを感じ、お金を出してでも同じ店に通い続けるのか?
そんなことを3月開催のこの講座で話そうと思います。
1月13日の成人の日、京都、千本丸太町の町家カフェ「FUDAN」さんで、非二元(ノンデュアリティ )について語りました。
この日のテーマは、人間関係のストレスが、どのようなマインドのメカニズムによって起こり、どうすれば問題が消えるか、というものでした。

個人と個人の関係性であれ、国家と国家の関係性であれ、両者間に緊張状態、言い争い、戦争が起こり続ける原因は、心理学的にいうと「認知的フュージョン」によるものであることをまず解説し、具体的にどうすれば、脱フュージョンが起きるのか、それが非二元(ノンデュアリティ )のダイレクトエクスペリエンスとどう関係しているのかをお伝えしました。

具体的には、目の前の相手が「自分のことをウツだ」と認識していたとしても、それは現実ではなく、認知的フュージョンによるもので、目の前の相手をウツだと思いながらその人と接していたなら、自分もまた認知的フュージョンにはまりこみ、言語的解釈を超えた次元にある現実の計り知れない豊かさ、多様さを見失い、人間関係が固定化されて窮屈なものになることを話しました。

そして、約3時間の話が終わった時、カフェのオーナーの井本さんが、星野源の「Same Thing」という曲が、非二元について歌っているので、ぜひ、聴いてみてください、とシェアしてくださいました。

曲を聴いてみると、京都で話した内容とシンクロしていて、言語の壁、国境を越えて、反対側のない非二元性の体験の奥深さを感じる動きが広まっていることを知れて、とても嬉しく感じました。

お知らせ
京都で話した内容をお聞きになりたい方は、2月9日(日)開催の渋谷禅でも同じことをことを語りますので、東京・渋谷にお越しください。
今日、過去に書いた「非二元とは何か?」の記事を新たに書き替えました。

日本で「パラレルワールド」という言葉を使うと、「あり得るかもしれない架空の物語(SF)」と捉えられ、「非二元(ノンデュアリティ )」を空想的、仮想的世界として取り違えられる可能性があるので、私はこれまで「パラレルワールド」という言葉を使わず、同時並行的に存在する非二元(ノンデュアリティ )の領域(次元)の存在について語ってきました。

しかし、誤解されないように「パラレルワールド」の存在、状況や環境や言語的理解に依存することなく在る「ウェルビーイング」の世界について書けるなら、いつか書いてみたいと思っていて、今日、それを実行してみました。


お知らせ
1月13日(祝)は、京都で非二元について語り、14日以降、東京に戻って、東京・笹塚での対面セッションを再開します。

昨日、大阪・梅田のラウンジで、大阪在住の女性と非二元の対面セッションを行い、今年の仕事始めとなりました。

彼女とのセッションは今回が2回目で、彼女は、前回のセッションで私から聞いたことを、他の人に話してもあまり信用してもらえず、誰ともこのような話ができないことに悩んでいた。

前回のセッションで、私は彼女にこんな話をした。

「お金は苦労して稼ぐもの」という考えを信じているなら、この信念を裏付けるような証拠をマインドは探しだし、信念をますます強化し、確かなものにしていく働きをしていること。
そして、このマインドの働きは、無意識のうちに行われるので、本人はそれになかなか気づけないこと。
だから、無意識のうちに行われているマインドの動きに「気づく」ことが大事で、この気づきのことを、「エンライトメント」「スピリット」と言ったりすることを話した。

そして、今回、スピリットを探してせわしなく動き回るマインドが、スピリットを見つけることは、絶対に不可能であること(スピリットをつかまえよう、わかろうとしても、100%徒労に終わること)を伝えながら、見つけようとしていた「スピリット」が、既にここにあることを体験できるようにセッションを進めた。

そして、最後に、「他に何か気になっていることはある?」と訊ねると、こんな質問がでた。

「最近、ある心理カウンセラーが、不倫をしていたことを公表し、夫の不倫を知った妻が壊れてしまい(←夫の解釈)、このようなことを公表したことで、彼のことを信じていた多くの人が、混乱し始めているんですけど、これはどういうことなんでしょうか?」

これについて、私はこう答えた。

「不倫」は、ここにはない別の何かを探し求めるマインドの動きによるもので、その行為を正当化するために、エゴはどのようなストーリー(意味付け)をつくりだして、自らの信念を強化し、保とうとしているか。
そして、このマインドの動きもまた、無意識のうちに作動しているものなので、それを意識的に見れるようになるまで、自分や他人を傷つける発言や行動が、今後も無意識のうちになされ得ることを指摘して、新年最初のセッションを終えた。

お知らせ
男女の関係、家族との関係、職場での人間関係に、何らかの悩みを感じている方は、1月13日(祝)京都開催の「喫茶禅」、2月9日(日)渋谷開催の「渋谷禅」にお越し下さい。

昨日は、梅田のラウンジで、大阪在住の女性と非二元のセッションをやりました。

彼女は、仏教に興味を持っていて、非二元の本を読んでも、内容を知的に理解しているだけで、どれだけ本を読んでも、将来の不安が消えないことに悩んでいました。

具体的に、どんな不安を感じているのかを聞いてみると、「他人から自分がどう見られているのか? 人からの評価が気になってばかりいる」ことがわかりました。

そして、「人からの評価を気にしないで生きられるようになれたら、もっとラクに生きられる」と彼女は信じ込んでいました。

そこで、まず、「生きるのが窮屈に感じる原因は、人からの評価が気になるからではない」ことを指摘し、無意識のうちに信じてしまっているどんな思い込みが苦しみを生み出しているのかを、彼女が自覚できるように、セッションを進めました。

彼女が無意識に信じ込んでいた条件付けを明らかにしてから、「この思い込み(条件付け)をこれからも信じ続けたら、幸せがもたらされるだろうか?それとも苦しみがもたらされるだろうか?」と訊ねると、彼女の思い込みは、あっさりと解けました。

そして、彼女から「どうすれば、自分の人生を窮屈にしている無意識の思い込みに気づけるようになるのか?」と聞かれたので、「なんらかの出来事が起きた時に、感情がザワつき出したら、そこに現実に一致しない思い込みがあることがわかるので、感情の動きが教えてくれる」と伝えました。

また、最後に「何も起こっていない、と言ってる人がいますけど、どういうことですか?」と聞かれたので、「それは両極の片側に移行して、リアリティを否定してしまっている状態だね」と言葉で説明することなく、手と手を合わせる合掌が、何と何が分つことなく一つである(非二元である)ことを表しているのか、仏教の中道の意味を伝えて、今年最後のセッションを終えました。

皆さま、どうぞ、良いお年をお迎えください。

お知らせ
年始は1月4日から12日まで、大阪でセッションを行い、13日(祝)は京都で「喫茶禅」を行い、
東京でのセッションは14日から始めます。

11月頃から年末にかけて、うちのマンションの真向かいで、建物の解体工事が続いた。

ドカーン!バターン!という音が、朝の8時くらいから鳴り響き、その音で、私は毎日、目を覚ました。

目が覚めた途端、私の心の中で、こんな罵りの声が、騒々しくわめきだしたことに気づいた。

「なんで、こんな朝っぱらから騒音を立てて、毎日、私を起こすんだよ。ぐっすり気持ちよく眠ってたのにさー」

この心の声は、明らかに、現実に起きている「音」に対して、「こんな音はあるべきじゃない」と抵抗し、騒ぎ立てていた。

「現実の音」とそれに反抗する「心の声」。

「現実の音」と「心の声」の二つが対立していることに気がつくと、非現実的な「心の声」はしばらくすると消えてなくなり、ドカーン!バターン!と鳴り響く現実の音だけが聞こえるようになった。

すると、もうそこには、現実に逆らう心の動きはなく、ドカーン!バターン!という音が聞こえていても、心は安らかになり、私は再び深い眠りの中に落ちていった。

そして、私は昨日、大阪の実家に戻り、父親が眠る部屋の隣の部屋で眠った。

眠っていると、隣の部屋から音が聞こえ、父親が寝苦しさを感じて目が覚め、タバコに火をつけるためにライターを発火させる音に気づいた。
そして、テレビをつけ、番組の音が私が眠っている部屋にまで聞こえてきた。

この瞬間、私の心の中で、こんな心の声が聞こえだした。

「なんでこんな夜中に、テレビを見るんだよ。隣の部屋で私が寝ているんだから、もう少し気を使ってくれよ。このままじゃ眠れそうにないから、テレビのボリュームをもう少し下げてくれと言いに行こうかな」

この心の声が聞こえると、私はまたもや、「現実の音」とそれに逆らう「心の声」とが対立しあっていることに気がついた。

すると、現実に逆らう心の声は消えてなくなり、テレビの音(現実の音)だけが聞こえるようになった。

もうそこには、現実に逆らう心の動きはなく、安らぎだけがあった。

すると、驚いたことに、テレビのスイッチは切られ、父親は再び、眠りに落ち、なんの音も聞こえなくなった。

工事現場の音が鳴っていた時は、私自身が眠りに落ちることで、静寂が訪れた。

テレビの音が鳴っていた時は、父親がテレビを切って眠りに落ちたことで静寂が訪れた。

いずれにしても、現実に逆らう心の動きがひとりでに消えていった時、安らぎだけが残るようになる。

工事現場のドカーン!バターン!の音も、深夜に鳴り響くテレビの音も、私(存在)の外側で鳴っている音ではない。

それはライフの音であり、それに逆らう心の声もまた、私(存在)の内側で鳴り響いている。

この内側で起こっている対立こそが、苦しみの原因であり、この対立にひとたび気づけるようになると、たちまち心のザワツキはおさまり、平和だけが残る。

そして、この平和は、どんな音が鳴っていようがいまいが、何にも影響されることなく、ここにある。

お知らせ
年末年始の非二元の対面セッションは、大阪の梅田でやっています。
また、年明けの1月13日(祝)は、京都の町家カフェ(今回は2階ではなく、1階のカフェ)で、人間関係の対立をテーマに非二元について語ります。

著書「記憶できる読書術」が出版されてから8年が過ぎました。
 
この8年の間に、AIによる「音声→文章」変換の精度が飛躍的に上がり、その進化の背景で、私たち人間にとってもかなり有益な文章の読み方が、認知科学の分野で解明されました。
 
文章をどう読めば、内容が頭に入りやすくなるのか?
読んだ内容をどのようにまとめて直すと記憶化され、自分の言葉でアウトプットできるようになるのか?
 
これらのメカニズムが解明されたことで、この8年の間に、私の本の読み方も、著書に書いた読み方とは、随分変わってきました。
 
本の読み方が変わったことで、一番変わったと思えるのは、読解力で、読解力が上がると、より深い理解に基づき、内容をアウトプット(説明)できるようになるので、特に収入の面で大きな変化を経験できるようになりました。
 
そして、多くの方から、「アクティブ・ブレイン(記憶術のセミナー)を受けなくても受講できる読書術の講座を開いてほしい」というご要望をいただくようになりました。
 
そこで、来年3月から、社会人の方であればどなたでも受講いただける、認知科学に基づく読書術講座を開催することにしました。
 
ご興味のある方は、こちらのページで、日程と詳細をご確認ください。
世の中には、人間の依存症につけいる様々なビジネスが存在する。

メディアに取り上げられ、問題視されるのは薬物依存症だが、この問題が頻繁に取り上げられる理由は、日本では薬物が非合法であるからだ。

何に依存しているかは人それぞれで、それが合法的なものなら(アルコール、タバコ、過食、ギャンブル、スマホゲームなど)、メディアはそれを問題視してニュースに取り上げることは少ない。
(今日の読売新聞で「ギャンブル依存 保険適用」の記事が一面の記事になったが、多くの場合、広告のスポンサーとの絡みで報道されにくい)

そして、合法、非合法にかかわらず、何かに依存している人たちは、「辞めたくても辞められない」悪循環に陥り、苦しんでいることに変わりはない。

「辞めたい」と思いつつ、現実には辞められていない。

この矛盾こそが、依存症の人たちが抱えている問題であり、悩みそのものだ。

依存症にハマった全ての人が、「辞めたい」と願っているわけだが、この「辞めたい」という欲求こそが、自分を苦しめているエゴ的欲求であることに気づいている人は少ない。

「辞める」という意志を強く持って、結果を変えようともがけばもがくほど、皮肉なことに依存症から抜け出せなくなってしまう。

この現実は、薬物依存症患者の回復率の低さから見ても明らかで、意志や理性によって結果をコントロールしようとするアプローチは、ほとんどうまくいかない。

でも、私が知る限り、沢尻エリカよりもさらに長期間に渡ってさまざまなドラッグに依存していた2人のアメリカ人が、非二元のプレゼンスに気づいてから、依存症から完全に回復できたことを知っている。
(この2人が回復できたのは、「リバレーション(自由)とは、エゴ的欲求からの解放」であることをアジャシャンティから伝えられ、当初は意味がわからなかったものの、やがてその意味がわかったからだ)

私自身、タバコも吸わなければ、これまでに薬物を使ったこともないのだが、10年前まで、自分の思い通りに物事が進まなくなると、すぐにカッとなって、まるで発作が起きたように興奮し、自分のリアクションを止められなくなる症状に苦しんでいた。

その頃は、自分の思考や感情をなんとかコントロールできればと考え、思考をニュートラル化する方法や、自己肯定感を高める方法などを学んだのだが、発作的に起こるリアクションがおさまることはなかった。

しかし、私もまた、非二元のプレゼンスのことを知ってから、思考と感情をコントロールしようとするエゴ的欲求こそが、発作的なリアクションを繰り返し起こさせていた原因であることがわかり、その認識と同時にリバレーションが起き、発作的な症状もいつのまにか起こらなくなっていた。

ところが、どういうわけか、「非二元」「ノンデュアリティ 」という言葉を使いながら、まるで新興宗教の教祖のように自分のエネルギーの高さや突拍子もない自論を語り、解放に導くどころか、自分に対する依存を高めて、一儲けを企てている人たちが少なからず存在する。

なぜ、このようなことが起きるかというと、特定の何かに依存している人たちは、同じものに引かれあっている者同士で集まり、一体感を感じることで、一時的に分離感(欠乏感)から逃れられからだ。
(そして、そのようなビジネスをやっている人もまた、エゴ的欲求に突き動かされ、その苦しみから抜け出すために依存や探求が続いていたりする)

しかし、このような行為からもたらされる解放感は一時的なものなので、解放感が薄れると、再び解放感を求めて仲間と集うようになる。
これが依存症のサイクルで、このごまかしのサイクルの中にハマっている間は、沢尻エリカのように仲間との関係をいつまでも断ち切れず、依存症を長引かせることになる。

それが非合法であれ、合法であれ、依存症者は、一時的な解放をもたらしてくれる何かに対して、大金を費やし続けることに変わりはない。

しかし、一時的に感じられる解放感は、まやかしの解放感だ。

それはけっして、永遠の解放=リバレーションをもたらすものではない。

私たちが本当に求めているリバレーションは、非二元のプレゼンスの中に常にある。

お知らせ
エゴ的欲求に支配されると、ここにある幸福を感じられなくなり、幸福をもたらしてくれそうな何かを求めて絶えず探しまわる、落ち着きのない人生になってしまいます。
エゴ的欲求からの解放=リバレーション)はどのようなプロセスを経て起こるのか。
それを知りたい方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。
年末年始は、大阪でセッションを行います。