メディアに取り上げられ、問題視されるのは薬物依存症だが、この問題が頻繁に取り上げられる理由は、日本では薬物が非合法であるからだ。
何に依存しているかは人それぞれで、それが合法的なものなら(アルコール、タバコ、過食、ギャンブル、スマホゲームなど)、メディアはそれを問題視してニュースに取り上げることは少ない。
(今日の読売新聞で「ギャンブル依存 保険適用」の記事が一面の記事になったが、多くの場合、広告のスポンサーとの絡みで報道されにくい)
そして、合法、非合法にかかわらず、何かに依存している人たちは、「辞めたくても辞められない」悪循環に陥り、苦しんでいることに変わりはない。
「辞めたい」と思いつつ、現実には辞められていない。
この矛盾こそが、依存症の人たちが抱えている問題であり、悩みそのものだ。
依存症にハマった全ての人が、「辞めたい」と願っているわけだが、この「辞めたい」という欲求こそが、自分を苦しめているエゴ的欲求であることに気づいている人は少ない。
「辞める」という意志を強く持って、結果を変えようともがけばもがくほど、皮肉なことに依存症から抜け出せなくなってしまう。
この現実は、薬物依存症患者の回復率の低さから見ても明らかで、意志や理性によって結果をコントロールしようとするアプローチは、ほとんどうまくいかない。
でも、私が知る限り、沢尻エリカよりもさらに長期間に渡ってさまざまなドラッグに依存していた2人のアメリカ人が、非二元のプレゼンスに気づいてから、依存症から完全に回復できたことを知っている。
(この2人が回復できたのは、「リバレーション(自由)とは、エゴ的欲求からの解放」であることをアジャシャンティから伝えられ、当初は意味がわからなかったものの、やがてその意味がわかったからだ)
私自身、タバコも吸わなければ、これまでに薬物を使ったこともないのだが、10年前まで、自分の思い通りに物事が進まなくなると、すぐにカッとなって、まるで発作が起きたように興奮し、自分のリアクションを止められなくなる症状に苦しんでいた。
その頃は、自分の思考や感情をなんとかコントロールできればと考え、思考をニュートラル化する方法や、自己肯定感を高める方法などを学んだのだが、発作的に起こるリアクションがおさまることはなかった。
しかし、私もまた、非二元のプレゼンスのことを知ってから、思考と感情をコントロールしようとするエゴ的欲求こそが、発作的なリアクションを繰り返し起こさせていた原因であることがわかり、その認識と同時にリバレーションが起き、発作的な症状もいつのまにか起こらなくなっていた。
ところが、どういうわけか、「非二元」「ノンデュアリティ 」という言葉を使いながら、まるで新興宗教の教祖のように自分のエネルギーの高さや突拍子もない自論を語り、解放に導くどころか、自分に対する依存を高めて、一儲けを企てている人たちが少なからず存在する。
なぜ、このようなことが起きるかというと、特定の何かに依存している人たちは、同じものに引かれあっている者同士で集まり、一体感を感じることで、一時的に分離感(欠乏感)から逃れられからだ。
(そして、そのようなビジネスをやっている人もまた、エゴ的欲求に突き動かされ、その苦しみから抜け出すために依存や探求が続いていたりする)
しかし、このような行為からもたらされる解放感は一時的なものなので、解放感が薄れると、再び解放感を求めて仲間と集うようになる。
これが依存症のサイクルで、このごまかしのサイクルの中にハマっている間は、沢尻エリカのように仲間との関係をいつまでも断ち切れず、依存症を長引かせることになる。
それが非合法であれ、合法であれ、依存症者は、一時的な解放をもたらしてくれる何かに対して、大金を費やし続けることに変わりはない。
しかし、一時的に感じられる解放感は、まやかしの解放感だ。
それはけっして、永遠の解放=リバレーションをもたらすものではない。
私たちが本当に求めているリバレーションは、非二元のプレゼンスの中に常にある。
お知らせ
エゴ的欲求に支配されると、ここにある幸福を感じられなくなり、幸福をもたらしてくれそうな何かを求めて絶えず探しまわる、落ち着きのない人生になってしまいます。
エゴ的欲求からの解放=リバレーション)はどのようなプロセスを経て起こるのか。
それを知りたい方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。
年末年始は、大阪でセッションを行います。
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