ここにある幸福を常に感じられない訳 | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

今日は、非二元性の「存在」を表した言葉、「サット-チット-アーナンダ(存在-意識-至福)」について書きます。

「サット」とは、英語で言うところの「プレゼンス」で、今ここにある存在そのものです。

今、見えている景色は、時によって変わりますが、景色が変わっても変わることなく在るもの。
それが「サット」です。

景色がどれだけ変わっても、変わることなくあるサットは、いつでも、どこにいても在るもの。
つまり、永遠なるものです。

そして、この存在(サット)に気づいているなら(チットが起きているなら)、至福(アーナンダ)をダイレクトに感じられるようになります。

存在は、状況や環境(見えているもの)にかかわらず、常にここに在りますから、その感覚=至福も常に感じられるものです。

この現実の在り様を表した言葉が、「サット-チット-アーナンダ」です。

サット(存在)の働きがチット(意識)であり、サットの性質がアーナンダ(至福)であって、サット、チット、アーナンダの3つが別々に存在しているわけではありません。

サットは消えることなく、あり続けている存在であり、その性質がアーナンダ(至福)であるにもかかわらず、なぜ、私たちは至福を常に感じられないのか?
「日日是好日」とは思えないのか?

その理由は、存在を認識することなく、思考がつくり出した理想の未来(夢)を追い求めてばかりいるからです。

理想を追い求め、求めていたものを手に入れた瞬間に感じられる喜び・興奮(一時的なもの)を至福と勘違いし、一時的な喜び・興奮が消えると、また新たな刺激・興奮を求めて動き回り、また、その興奮が消えると、次なる興奮を求めて動き回る。

この、ここにないものを求めて動き回る、終わりなき心(マインド)の動きこそが、今、ここに在るライフの至福を雲らせている原因であり、このマインドの活動(中毒)がゆるみだすまで、ここに常に在る至福は、マインドの活動によって隠され続けます。

お知らせ
状況や環境にかかわらず、今、ここに在るサット-チット-アーナンダの至福、無条件の自由(リバレーション)を直接体験してみたい方は、ノンデュアリティ (非二元)プライベート・セッションをお受けください。
年末年始は、大阪・梅田のラウンジでセッションを行います。