非二元と脳科学に基づく学習法

ノンデュアリティ・スピーカー 矢沢大輔のブログ


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今日は、長年、スピリチュアルを探究しつづけてきた女性と非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。

セッションを受けるにあたって、彼女はいろんな質問をノートに書き込んできていた。

「セッションを受けるからには、非二元のことをちゃんと理解しておかなければいけない」と思い込み、非二元を頭で理解しようと何ヶ月も格闘するうちに思考がますます混乱し、ご主人に薦められて、セッションを受けにきてくれた。

「今日こそ、苦しい探究を終わらせたい」
彼女はこんな強い決意を持って、セッションにやってきていた。

でも、長い探究を終わらせようとしているその思いこそが、探究を終わらせようとする「新たな探究の始まり」になっていることを指摘すると、思考の回転はゆるみだした。

そして、アイスコーヒーを飲みながら、マインドは「このアイスコーヒーは自分のお金で手に入れたものだ」と思い込んでいるけれど、このアイスコーヒーも、これを買ったお金も、このテーブルも、このソファも、この音楽も、全て無償の贈り物であることを確認できるようにしていった。

彼女があらかじめノートに書き込んできた質問は、結局、一つも質問されることなく、無の中へ消えていった。

探究を終わらせようとしていた「私」という思考もまた無の中へ消え、無はたちまちあらゆるもので満たされ、やがてセッションも跡形なく消えていった。

お知らせ
非二元の本を読んで「私はいない」という言葉を聞くと、マインドは混乱しだします。
混乱したマインドは、混乱状態がイヤなので、なんとか非二元をわかろうと努力しだします。
この思考の動きそのものが探究であり、非二元をわかろうとするほど、探究は続きます。
非二元は、特別な何かではありません。
日常の中に現れている全てが非二元そのものからの贈り物です。
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英単語をなかなか覚えられなくて、困っている人は多い。

 
なぜ、覚えられないかというと、「単語」ほど覚えにくいものはないからだ。
 
覚えにくいものを覚えようとしているのだから、誰がやっても覚えられないのは当前だ。
 
それゆえ、誰が語った言葉だったか忘れてしまったのだが、「英単語記憶はイジメだ」という指摘は、ある意味、的を射ている。

 

私の姪は、中学生の時から英語を話せたのだが、当時「どうやって英単語を覚えてるの?」と聞くと、「英単語の意味を覚えるってどういうこと?」と答えて、私を驚かせた。
 
彼女には、言葉を単体で覚えるという感覚がなかった。
 
これは考えてみると当たり前のことなのだが、言葉は単体では意味をなさない。
 
たとえば、putという単語の意味を、私たち日本人は「置く」と覚えているけれど、そう覚えている限りは、「この時計を壁に掛けて」と言いたい時に、「put this clock on the wall」という言葉が出てこなくなる。
 
言葉というものは、いくつかの単語が集まって(文章になって)初めて意味を成すものであり、単語単体では意味を成さない。
 
日本語で「ヤバい!」と言っても、その前後で語られた言葉や状況がわからなければ、「危ない」という意味で言っているのか「スゴイ」という意味で言っているのかがわからないように。
 
単体では意味をなさない「単語の意味」を単体で覚えようとしているのだから、覚えられないのは当然の帰結。
 
なぜなら、記憶とは「意味」を成す関連付けができることで定着するものだからだ。
 
だから、英語を使ってコミュニケーションを取れるようになりたいと思っているなら、「英単語の意味を覚える」という発想そのものを捨てた方がいい。
 
「英単語をたくさん覚えれば、いつか英語を聞き取れ、話せるようになる」と思いこんでいる人がいるけれど、英語でコミュニケーションを取れるようになった人は、アメリカ人であろうが日本人であろうが、単語の意味を単体で覚えようなんて無茶なことはしていない。
 
英語を話したくても、あなたの口からなかなか言葉が出てこないのは、頭の中で、自分が知っている単語を組み立てて、英文をつくろうとしてきたからだ。
言葉をバラバラの単語に分解して、単体の意味ばかり覚えようとしてきたからだ。
 
こんなことをやっていたら、いつまでたっても英語を聞き取れるようにも、話せるようにもならない。
 
お知らせ
英語をどう学び直せば、英語でコミュニケーションをとれるようになるのか?
その学習法を知りたい方は、11月末頃に「英語脳」をつくれる講座を開催する予定をしていますので、こちらのメルマガに登録しておいてください。
詳細が決まり次第、メールでお知らせします。
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もし、あなたが、「非二元」を頭(マインド)で理解しようとしたなら、二元性はますます強化されてしまう。

「非二元性」と「二元性」はこう違うのかという理解によって、非二元のメッセージは、「二元性」の理解の枠の中に押し込められてしまう。

見えている世界は、映画の映像と同じで、本当の私は映像の中の登場人物ではなく、映像全体を映し出しているスクリーンの方。

このような非二元性に関するメタファーを聞いて、「そういうことなんだ」と理解し、「スクリーンそのものには何も起きていないんだ。ここは安全な場所なんだ」と信じ込もうとしているなら、それは、「映像」を否定し、「スクリーン」に逃げ込もうとしている二元性のマインドの働きそのものだ。

マインドによって理解された非二元は、「非二元」の皮を被った二元性の概念に過ぎない。

マインドの理解による非二元は、見える世界を否定した「虚無感」「憂鬱」を新たに生みだす。

非二元は、理解によって「わかる」ものではない。
非二元は、「理解」や「努力」を要求してはいない。

わかろうとしなくても、努力しなくても、静止することなく現れ出てきている「これ」。

言葉を超えたこのフレッシュさ。
このエネルギーの動きに、名前はつけられない。

あるのはこれだけ。

「これ」を傍観したり、達観できるような誰かはいない。

これは、「非二元」と「二元」、「スクリーン」と「映像」という言葉の二元性を超えて動き続けている。

お知らせ
「非二元に目覚めれば、ラクに生きられるようになる」と聞いて、非二元を頭で理解しようとすると、現れ出てきている生の動きと分離してしまい、無気力になったり、虚無感に陥ったりしてしまいます。
非二元の本を読んでも、重苦しさや生きづらさ、退屈さを感じている方は、非二元(ノンデュアリティ」のプライベートセッションをお受けください。

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半年ほど前から、近所のモスバーガーで、60代くらいの男性が働きだした。

レジカウンターに立って、お客さんのオーダーを取るには、ちょっとキツいのではないかと思えるほど、その男性の記憶力は衰えていた。

でも、少し時間はかかるかもしれないが、仕事に慣れて、メニュー名を覚えられるようになったら、オーダーを取る仕事もこなせるようになるのではないかとも思っていた。

そして、今日、その男性がレジカウンターに立っていた。

「ホット・レモンティーに、お湯をもう一杯つけてください」
コーヒーチケットを手渡し、私はそう注文した。
(ちなみに、モスバーガーでは、ホットティーを注文した時、このようにオーダーすると、お湯入りのカップを出してくれるので、ティーバッグを移せば二杯分の紅茶を楽しめる)

すると、レジを打った後、男性が「アイスティーですか?」と言ったので、私はもう一度、「ホットレモンティーに、お湯をつけてください」と返答した。

その後、男性は、紅茶とレモン入りの小皿をトレイに乗せながら、「スプーンはおつけしますか?」と言ったので、「お願いします」と答えたのだが、お湯を出し忘れていたので、「お湯もお願いします」と付け加えた。

そして、お湯をトレイに乗せてもらってから、「砂糖もつけてください」とお願いした。

半年前と比べて、この男性の応対能力は、あまり変わっていなかった。

記憶術の講師という職業柄、私は認知症の疑いがある人に、病院でどのようなテストをやっているのかを知っているのだが、この男性のワーキングメモリの機能が衰えていることは仕事の対応ぶりから見ても明らかだった。

ワーキングメモリとは、かけ算や足し算を暗算する時に、繰り上がりの数を一時的に記憶しておくための記憶領域で、この機能が衰えると暗算ができなくなる。

今回の場合も、私が伝えた情報は、
「ホットレモンティー」+「お湯」
という極めて単純な組み合わせだが、ワーキングメモリが衰えてしまうと、この2つの情報さえ、レジを打っている間に飛んでしまう。

一度、衰えたワーキングメモリの機能を回復させる画期的な方法は、今のところ残念ながら発見されていない。

だから、私がもし、この男性から、「どうすれば、レジの仕事をうまくこなせるようになれるだろう?」と相談を受けても、ワーキングメモリをそれほど使わず、紙にメモを取りながら進められる仕事を選んだ方が、きっとうまくいきますよ、と提案することぐらいしかできない。

それでも、私はこの男性を見ていると、なぜか応援したくなる。
もし、男性が今の仕事を続けていきたいと願っているなら、どのようにすれば、スムーズに仕事をこなせるようになるのかを一緒に考えてみたいとまで、なぜか思ってしまう。

仕事をうまくこなせない歯がゆさを日々感じながらも、それでも真面目にひたむきに仕事をこなそうとしているこの男性の働く姿を見ていると、他人とは思えなくなる。

お知らせ
10月から始まる新講座
仕事がテキる人と同じ脳内回路をつくれる「ブレイン・アップグレード・ジム」のお申し込み受付を開始しました。
早割でのお申し込み期限は、9月29日(金)までです。
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今日、ランチを食べていたら、隣のテーブルにいた2人の女性がスピリチュアルの話で盛りあがっていて、こんなことを語りだした。

 
「ほんと、あの人のスピリチュアル・エゴって強烈だよね。私を踏み台にして、自分のステージを上げようとしないでほしいわ」
 
この発言を聞くと、エゴという悪者が存在しているように思える。
 
そして、覚醒するには、このエゴを消す必要があると思いこんでいる人がたくさん人いて、非二元(ノンデュアリティ)のセッションでも、「どうすればエゴを消せるのか?」としょっちゅう質問される。
 
もし、あなたが、エゴを消そうとして、何らかの努力をしているなら、「エゴを消そうとしているのは、誰なのか?」と一度、考えてみるといい。
 
「エゴが消えれば、私も悟れる」
そう思っているのは、エゴなのではないだろうか?
 
「あの人は非二元性に目覚めて悟ったと言ってるけど、私はまだその境地に至っていない。私も速く目覚めて、あの人のような特別な存在になりたい」
このような考えこそ、「自分」と「他者」とを分けている分離(二元性)の考えそのものではないだろうか?
 
エゴを消せば(条件)、覚醒できる(目的地)。
これこそ、マインドがつくりだした条件付きの考えであり、このトラップに引っかかると、ここにある意識を見失い、苦しい探究が続いてしまう。
 
あのエックハルト・トールだって、この条件づけの罠に引っかかり、苦しみ続けた。
 
でも、一なる意識の目覚めに、条件などない。
それは常に目覚めている。
 
悟りを求めて苦しい探究が続いている間も、意識は完全に目覚めている。
 
この完全さに気づくのに、エゴを消す努力も時間も必要ない。
 
この完全性は、エゴと呼ばれている思考も、エゴを消そうとしている思考も、無条件に愛している。
 
意識は、不完全に思える思考さえ、完全に許容している。
 
お知らせ
苦しみから逃れようと、悟りや覚醒を求める探究が続き、焦りを感じている方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。
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