自分らしい生き方をしている時、「より多くのお金を稼がなければ」「成功しなければ」「無にならなければ」というような拘束的な思考は働いておらず、自己本来の命の働きだけがある。
この時、自分らしく生きている歓び、すなわち幸福がある。
他方、自分らしくない生き方をしている時、自己本来の命の働きはやせ細り(最悪な場合、自己を喪失し)、富の獲得に明け暮れる活動(労働)ばかりの人生となる。
人生の主たる時間が、お金を稼ぐための活動(労働)で占められるようになると、「労働」の対立概念は「余暇」となる。
余暇とは、その文字が示している通り、仕事と仕事の合間の「余った暇な時間」という意味なので、余暇を過ごしている最中の私たちの気分は、「終わってほしくないけれど、必ず終わりがやってきて、また明日がくれば、職場に戻らなくてはいけない」という拘束的な思考に支配されたまま、束の間の余暇を過ごすことになる。
しかし、労働時間の対立概念は、余暇ではなく、自分らしく生きている「自分時間」であることが経験され始めると事態は一変する。
自分時間を過ごしている時、そこには「ねばならない」という拘束的な思考は働いておらず、自己本来の命の活動だけがある。
主従関係でいうなら、「労働時間」の対立概念が「余暇」である時は、労働が主で、余暇が従の関係にあるが、「労働時間」の対立概念が「自分時間」である時、主たる時間は「自分時間」であり、お金を稼ぐための活動(労働)は、主たる自分時間を支えるために必要に応じて為される(従事される)活動となる。
主従の二項が「労働時間ー余暇時間」の関係にある時、私たちの活動は、「労働のために生きている」という奴隷のような状態に置かれたまま一生を過ごすことになるが、主従の二項が「自分時間ー労働時間」になっていることが経験を通じて認識されたなら、「自分らしく生きるために、必要に応じて必要なだけ働き富を得る」生き方こそが、自分らしく有ること、「生きていること」と「幸福」は別物ではなく、一つであることを実感しながら、毎日を過ごせるようになる。
(矢沢大輔)
前回の投稿以来、プライベートセッションのご予約が急増して、今回、3ヶ月ぶりの投稿となってしまいました。
この間に、セッションを受けていただいた女性から、今回のブログの内容にも関連する下記のようなメッセージをお送りいただいたので、ご本人からの許可をいただき、掲載させていただきます。
昨日は大変お世話になりました。
どれもありがたいお話で、疑問にも答えていただき本当に感謝です…!(>人<;)
やりたい仕事があるけど、忙しくなったら嫌だなあ〜というジレンマに悩んでおりましたので、まさに私とってドンピシャなメッセージでした。
ごちゃまぜにするから苦しくなるんですね。
多くの人が引っかかっているトラップを教えていただいて「確かに!」と目が覚める思いでした…!これを知っているだけでスムーズに進んでいけそうです🎵
本当にありがとうございました。
それではまた来月よろしくお願いいたします。
【私の近況と新しい講座のお知らせ】
この3ヶ月の間に、私は京都にある二つの料理教室に通い始め、和食や中華料理の調理の技を少しずつ自分のものにできるようになってきました。
また、5月には京都の三大祭りの一つである葵祭(写真)が開催され、昨年の祇園祭、時代祭に引き続き、今回もまたベルギー人のご夫婦にお招きいただき、観覧席から見学することができました。
また、8月24日(日)にオンラインで開催する講座の受付を開始しました。
「本来の自己とは何か」「自分らしい生き方とはどんな生き方なのか」について考察してみたい方は、下記より内容を確認いただき、ぜひ、ご参加ください。