非二元・ノンデュアリティ|認知科学

非二元・ノンデュアリティ|認知科学

非二元(ノンデュアリティ)スピーカー矢沢大輔の日常を綴ったブログです。

ノンデュアリティ・スピーカー 矢沢大輔のブログ。

禅やタオ(道教)の言葉が指し示している「非二元」、何歳からでも英語を話せるようになる認知科学に基づく「学習法」の記事をアップしています。


先週末にオンラインで開催した「お金を求めて働き続ける欠乏サイクルからの解放」では、「泥中(でいちゅう)の蓮」の話をした。


ここで言う「泥中」とは苦しみ(切羽詰った心理状態)のことで、新型コロナの感染拡大によってこれまでのように仕事ができなくなり、金銭的苦境に陥った時も、まさに「泥の中に置かれた状況」と言える。


普通に考えると、このような状況は避けたいものだが、「泥中の蓮」を経験的に知っているなら、心理的な苦しみ(泥中)は、仏性(蓮)が目覚める絶好の機会になり得るので、苦しみが避けるべきものではないことがわかる。


でも、シンキングマインドは、苦しみの中に陥った時、なんとかこの居心地の悪い状況から早く脱出しようと、出口(解決策)を探し、もがき続ける。


そして、皮肉なことに、もがけばもがくほど、泥の中に沈んでしまい、泥から出られなくなる。


では、どうすれば、泥の中から出られるようになるかというと、もがくのを(シンキングマインドを)一旦止めて、苦しみの原因がどのような思い込みから生じているのかを自分で確かめてみる必要がある。(これを仏教用語で「止観」という)


止観すれば、苦しみの原因がわかり、根本的解決に向かうことは確かなのだが、ここで再びシンキングマインドが働き出すと、蓮が咲くことはなく、再び泥の中に沈んでしまう。


シンキングマインドは二元性の次元にあるものだが、蓮が咲くのは泥水の中ではなく、泥水の上で咲くものだからだ。


だから、より正確にいうなら、「泥中の蓮」という表現は誤解を生む可能性がある。


泥中(苦しみの中)に沈む経験なくして、非二元性の意識の目覚めが起こらないことは確かだが、苦しみを生み出しているマインドの次元(泥中)に蓮が咲くことはない。


だから、正確に言うなら、「泥上の蓮」といった方が的確かもしれない。

実際、蓮の花は、泥水に接して咲いているわけではないのだから。


先週末の講座が終わってから、ふと、こんな考えが浮かんできた。


お知らせ

6月27日開催の「渋谷禅」は、会場の都合により、オンライン開催に切り替わりました。

延期になっていた「非二元ファシリテーター養成講座」が先週末から始まった。

冒頭、「ファシリテーターの仕事は、クライアントにリバレーション(無条件の自由)を経験してもらうこと」と伝え、そのリバレーションとは何かについて、最近私に起きた事例をあげ、こんな説明をした。

新型コロナの影響で、3月の末から、突然、講座を開いていた会場か借りられなくなり、4月の1ヶ月の売上が8万円まで落ち込んだ。
(この額は、私が住んでいるマンションの家賃にも満たない額)。

ところが5月になると、半月間だけで売上が60万円を超えた。

こういう話をすると、売上が落ち込んだ時に、何か有効な対策を講じたから、売上がV字回復したように思われるかもしれないけど、私は実際、売上を下げようとも、上げようともしておらず、ひとりで売上が上下していたこと。

そして、売上が下がる現実も、売上が上がる現実もパーフェクトな現実の流れあり、その流れと一致していると、どちらの状況であっても等しくリバレーション(解放感)を経験できることを話した。

普通に考えると、売上が下がり、預金通帳の金額がゼロに近づいたり、借金生活に陥ったりすると、お金を返済し終わるまで、心が落ち着かなくなり、精神的な重圧を感じながら、借金返済のための労働に勤しむことになる。

その重荷から解放されるのは、借金を返し終え、金銭的余裕ができる日まで持ち越されることになる。

でも、これは、二元性のマインドがつくり出したストーリーに過ぎない。

マインドは、借金を返し終え、問題が消えた時に解放感を感じられるものだと信じているけれど、本当の自由(リバレーション)は、借金の最中にも感じられるものであり、この自由を経験していると、どんな出来事も大事(おおごと)ではなくなり、お金に増減に縛られることなく、ライフの変化をあるがままに楽しめるようになることを伝えた。

お知らせ
今月30日(土)開催の「お金を求めて働き続ける欠乏サイクルからの解放」は、オンライン開催となりました。


昨日、延期になっていたウェイクフルネスをやっと開催できた。

開催方法がオンラインに切り替わったことで、参加できなくなった人も出たけれど、遠方の方々にとっては逆に参加しやすくなり、カナダから2名の女性が参加してくださった。

講座では冒頭、般若心経の「般若」とは、「仏の知慧」のことで、この「知慧」とは、私たちが一般的に理解している「知恵(分別の知)」ではなく、「無分別の知」であることを話した。

分別の知とは、思考を通して、物事のあり様を「善/悪」「好き/嫌い」「美しい/汚い」というように二分化して理解する知恵のことだけど、無分別の知とは、思考を積み重ねて至りつけるような知ではないこと。

それゆえ、般若心経に書かれた内容をいくら頭を使ってわかろうとしても、絶対に悟れないことを伝えてから、では、どうすれば、人生の苦悩から自由になれるのか、仏の悟りをダイレクトに体験できるよう講座を進めていった。

参加者の皆さんには、「今、どんなことに行き詰まっているのか」を予め聞いておいたので、3時間ほどの時間をフルに使って、下記の問題の原因を一つ一つ溶いていった。

・プライベートセッションを終えて数日経つと、また元の状態に戻ってしまった。

・マスクをしていない人を見かけると、心がザワつく。

・腰痛と寝つきの悪さ

・朝、会社に向かう時に億劫さを感じる。

・1日おきの出勤に変わり、心が落ち着かない。

また、「直感の声に従うといい。とよく言われていますが、直感の声とマインドの声をどうすれば区別できますか」というような質問も出た。

これについては、「直感の声」と「マインドの声」を二つに分類しているのもマインドの働きそのものなので、そのような考えにとらわれるより、「何かをやってみたい」という欲求が、健全な欲求なのか、それとも欠乏感からくる自己中心的(エゴ的)欲求なのかを見抜けるようになった方が、結果や人の評価を気にすることなく、軽やかに行動が起きだすようになることを伝えた。

また、般若心経に出てくる「涅槃(Nirvana)」とは、たとえ新型コロナによって一時的に収入が途絶え、苦境に追い込まれた最中でさえ消えるものではなく、どのような状況にも影響されることなくあるこの自由さを経験していると、お金が増えようが減ろうがどちらでもパーフェクトになること(無分別の知)を伝えて講座を終えた。

お知らせ
今週末から開催の非二元ファシリテーター養成講座と5月30日(土)開催のお金を求めて働き続ける欠乏サイクルからの解放は、いずれもオンライン開催に切り替わりました。

緊急事態宣言が発出されてから、外出自粛要請と休業要請がきびしくなり、新型コロナ拡大以前に普通に行けていた所に行けなくなった。

 
今、外出を控え、家で我慢していたら、コロナが収束しだすので、また元の日常が戻ってくる。
だから、それまで、みんなで頑張ろう。
 
そんな雰囲気が今、社会に蔓延している。
 
では、「私たちがこのまま自粛を続けたら、未来のどこかで、また元の日常が戻ってくる」というこの期待は、現実的なものだろうか?
 
5月6日まで休業要請に従い、飲食店の営業時間を短縮していた経営者は、テイクアウトメニューに切り替えたものの、売上額はかつての10分の1以下に落ち込んでいるので、緊急事態宣言がさらに1ヶ月延長されることで、廃業に追い込まれる可能性が増すだろう。
それにともない失業者も増え、今後、ますます消費活動が低迷することになるので、その悪影響は現時点で自粛要請が出ていない業種にも及ぶことになる。
 
だから、時間が巻き戻って、元の状態に戻ることなんてあり得ない。
(専門会議のメンバーの提言は、あくまで医療崩壊を防ぐ観点からのもので、それを実行すると経済が回らなくなり、家計崩壊を引き起こすことについては専門外ゆえ、まったく考慮されていない)
 
しかし、取り巻く環境がどう変化しようと、たとえ元の状態に戻ることがないとしても、落胆する必要はない。
 
現実は、常にアップデートされていて、同じことが繰り返されたり、元に戻ったりするものではないからだ。
 
あなたが現実の流れと一致しているなら、全てが順調に展開していることがわかるようになる。
 
その逆に、現実の流れに抵抗し、不一致が起きているなら、苦悩し続けることになる。
 
もし、今、あなたが不自由さを感じ、人生に窮屈さを感じているなら、その原因は、自粛要請が出たためでも、思うように収入が得られなくなったためでもない。
 
その原因は、「私が思うように現実が変わらなくてはいけない」という自己中心的な欲求にとらわれてしまっているからだ。
 
でも、頭でこれを理解しても、自己中心的な欲求が止まることはない。
 
もし、頭で理解したらなら、「究極の自由」を求め、自己中心的な欲求がますます強まることさええり得る。
 
でも、これは、リバレーション(無条件の自由)でも、ミドルウェイ(中道)でもなく、二極性の片側に極端に偏り過ぎたマインドの一時的状態に過ぎない。
 
お知らせ
5月9日(土)開催のウェイクフルネスは、新型コロナ感染防止のため、オンライン開催となりました。
昨日、web会議システムを使って、初めて非二元ファシリテーター養成講座をやってみた。

新型コロナの感染拡大で、会場が借りられなくなり、「集合研修」という特定の形にとらわれていたのでは、いつまで経っても講座を開催できなくなると感じ、オンラインでの開催に切り替えた。

やってみると、いつもより少し多くの人が参加してくれて、みんな元気そうに過ごしていることが画面を通してわかり、開催を延期せずにオンライン開催に切り替えて良かったなと感じた。

昨日は、4人ずつ、ファシリテーターとクライアントに分かれ、4つの模擬セッションを行った。

やってみると、クライアントの口からでてくる不安や心配事は、やはり新型コロナの感染拡大に関連するものが多かった。

自分が感染してしまったら、どうなるか?
このまま収入が減り続けたら、どうなるか?

そんな不安が押し寄せて来た時、何をすれば、不安や恐れから自由になれるのか?

逆に不安が押し寄せて来た時、気をまぎらわせようとして、どのようなアクションや思考をめぐらせ始めると、延々にそのリアクションが繰り返され、問題が未来に持ち越され続けてしまうの?

この違いをクライアントが自分自身で認識できるようになるよう、どうセッションを進めればよいかを練習した。

クライアントは、自分が苦悩している理由は、自分の願いが「いつまでも実現しないこと」が苦悩の原因だと思い込んでいるけれど、実はそれが問題ではないこと。

苦悩の原因がわからないままでは、クライアントはいつまでも「自分の願い通りに現実が変わったら、私は幸せになれる」という信念に基づき、これまでと同じ行動、思考を繰り返してしまうので、何が苦悩の原因になっているのかを、その場で、クライアント自身が気づけるようになることは、この上なく有益であること。

そのために、私たちファシリテーターはどのようにセッションを進めれば、クライアント自身が苦悩の原因を自分で見通せる次元にシフトさせられるのか?
そのプロセスをみんなで再確認しあった。

そして、終わりにみんなのスケジュールを確認して、次回(後半)の実習の日程を決めたのだが、「あまり間をあけたくない」という声が上がり、さっそく今週末の日曜に後半の実習をやることに決まった。

みんなが家にいるこの時期だから、こんなふうにすんなりスケジュールを合わせて、また、みんなと寄り合い練習ができる。

Stay homeのこの時期には、この時期なりのギフト(現実)がちゃんと届けられているようだ。

お知らせ
新型コロナの外出自粛要請が解除されるまで、非二元(ノンデュアリティ)のプライベートセッションは、電話でのみお受けしています。
先日、埼玉の女性と非二元(ノンデュアリティ )のプライベートセッションを終えた後、彼女からこんな質問を受けた。

「言葉では語れない領域のことを、なぜ、こんなに熱意を持って言語化できるんですか?」

どうやら彼女から見ると、セッションをやっている最中の私は、すごく熱意を持った人物に見えたらしい。

それで、少し考えてから、私はこう答えた。

「言葉で表現するのは難しいけど、あえて言葉にするなら、気持ちいいからじゃないかな」

「気持ちいい」という言葉は、たった5文字で表された言葉に過ぎないけど、直に感じている気持ちよさは、「気持ちいい」という5文字で表せるほど浅はかなものではない。

だから、この気持ちよさは、到底言葉で表現できるものではない。

でも、私はこの気持ちよさを四六時中感じながら過ごしている。

たとえば、風呂の湯船に浸かっているだけで、とろけるほど気持ちよくなるし、体をボディブラシで洗っている時も、頭をジャンプーしている時も気持ちいい。

風呂から出てバスタオルで体や頭の水分を拭いている時も、その後、ベッドに横たわりながら音楽を聴いたり、Netflixでテラスハウスを観て大笑いしたりしている時も気持ちいい。

そして、部屋の灯りを消し、眠りに落ちるまでの間もあまりに気持ちよくて、知らぬ間に眠りに落ちてしまう。

そして、この気持ちよさは、新型コロナの感染が拡大して会場が借りられなくなり、思うように講座を開けなくなった今も、まったく消えることなく、ここにあり続けている。

今、ブログを書いているこの瞬間も気持ちいい。

だから、なぜ、非二元(ノンデュアリティ )のセッションをこれだけ熱意を持ってやっているのかと聞かれれば、「私が知る限り、これほど気持ちいいものは他になく、人に何か伝えたいことがあるとするなら、これ以外のものはないと思えるから」ということになろうか。

人生に起こる出来事につられて、苦悩している人、落ち込んでいる人を見かけたら、私はこんなふうに声をかけたくなる。

これ、試してみなよ。
その場で即、気持ちよくなるからさぁ。
僕はドラッグを一度もやったことないから、ドラッグでぶっ飛んだ時の快楽は知らないけど、非二元性のこの気持ちよさを体感するのに、ドラッグなんて必要ないから。
つまり、特定の何か(物質)に依存する必要もないし、それを買うためのお金もいらない。

しかも、この気持ちよさを一度知ったら、ほんと、何かに頼って得られる一時的な快楽なんて、どうでもよくなっちゃうから・・・と。

ここでドラッグについて少し語っておくと、日本ではドラッグの依存症になった人に対して、依存症を断ち切るリハビリが行われているが、どれだけ治療やリハビリを施しても、再びドラッグに手が伸びる可能性は極めて高い。

でも、アメリカには、長年、ドラッグにハマっていた人たちが、非二元性(ノンデュアリティ )のプレゼンスの気持ちよさを知り、ドラッグに頼る必要がなくなった人たちがいっぱいいる。
(そして、その人たちが非二元のプレゼンスについて伝えていたりする)

なぜなら、ドラッグによって得られる快楽は一時的なものだが(それ故、ドラッグの常習性が増すことになる)、非二元性のプレゼンスからもたらされる気持ちよさは、いつでもここにあるものだからだ。

みんなが探し求めているのは、この気持ちよさであって、この気持ちよさを言葉で表現することはできない。

でも、どうすればこの気持ちよさを感じられ、その逆に何が始まるとこの感覚が消えて苦しみを感じだすのか、というメカニズムなら、私はよく知っている。

だから、私はセッションで、その時点でなんらかのつらさを感じているクライアントさんに、その場でその苦しみから自由になれる方法を伝え、言葉では表現できない気持ちよさをクライアントさんに直接体験してもらうようにしている。

これ以外に、言葉では到底表しきれないこの気持ちよさを人に伝えられる方法などあり得ないから。

おそらく、こんな思いが、先日のセッション中、「熱意」となって現れていたのではないかと、私には思える。

お知らせ
新型コロナの外出自粛要請が解除されるまで、非二元(ノンデュアリティ)のプライベートセッションは、電話でのみお受けしています。
確かオックスフォード大学の資料だったと思うんだけど、人口100万人あたりのPCR検査を受けた人の数が一番多かったのはアメリカ。その次に多かったのがオーストラリア。
そして、日本でPCR検査を受けた人の数は、なんとアメリカの35分の1。

これから日本でも他国並みにPCRの検査数をガンガン増やしたら、いくら私たち国民が外出を控え続けても、感染者の数が、今後、桁違いに跳ね上がることはわかり切っている。
(数字を跳ね上げたくなければ、今後も積極的に検査しない方針を貫くしかない)

国民一人一人の行動を今変えれば、2週間後には、その行動変容の結果が数字になって現れると専門家たちは言っているけど、PCRの検査数をこれから増やせば、それに応じて陽性が判明する人の数も増えるので、行動を変えたからと言って、その効果が数字になって現れることなんてあり得ない。
だから、急激に増え始めた数字を見て、小池知事のように驚き、あわてふためく必要はない。

そして、話は変わるが、私は渋谷区と世田谷区(都内で感染者数が一番多い区)の境目あたりにある商店街に面したマンションで暮らしている。

商店街には、何軒もの飲み屋さんがあるのだが、今、その大半の店が閉店状態にある。
しかし、今日、スーパーでの買い物帰りに、ある飲み屋さんの前を通りがかると、今夜もその店は開始帰りの背広姿のおっちゃん達のグループでごった返していた。

なぜ、こうなるのか?

理由は簡単で、多くの飲食店が閉まるほど、飲みたい人たちは、開いている数少ない店にたむろするしかなくなる。
しかも、開いている店の営業時間はいつもより短縮されているので、余計、限られた営業時間内に人々が集まり、ごった返すことになる。

こうして、外出自粛の要請が出ても、新たなクラスター発生源は、場所を変えて次々に生み出されていく。

誰がどうコントロールしようとしたところで、感染者の数は、今後しばらく、小さな上下動を繰り返しながら確実に増え続ける。
そして、ある時、ピークに達すると、今度は、自然に減り始める。

しかし、感染者の数ではなく、自分が感染しないようにするためなら、やれることはある。

飛沫感染を防ぐために、至近距離での人との会話を避ける。
「咳エチケット」という言葉に惑わされないこと。
(そもそも、人に向かって咳やクシャミを浴びせかける人なんて滅多にいないのだから)
注意すべきは、人と話している時に、声とともに飛び散る飛沫。
(どこかの大学の研修医たちでさえ、これを守れず大失態。飲み屋でたむろするおじさんたちも然り)

そして、こまめな「手洗い」。

この二つが国民に周知させなければ、ゴールデンウィークどころか、夏休みが過ぎても、この騒動は収まらないだろう。

お知らせ
このままではいつまで経っても、講座を再開できそうもないので、4月19日(日)開催の「非二元ファシリテーター養成講座の実習コース」を新たな試みとしてオンラインでやってみることにしました。
今日は、元コピーライターとして、新型コロナの集団(クラスター)感染予防のために打ち出された合言葉「3つの密」が、いかに感染防止のために機能しづらいかを書いておこうと思う。

まず、このチラシの下段の赤い囲みの中の文字を読むと、3つの条件が重なる「場所」が問題視されていることがわかる。

こんなメッセージを打ち出せば、3つが重なっていない場所(1つしか該当しない場所、または2つしか重ならない場所)であれば、「行っても大丈夫」と国民がとらえても仕方がないだろう。

つまり、すべての国民がこんなメッセージを鵜呑みにして行動を続けたら、これからも日本国内での感染拡大が止まるわけがない。

では、海外では、どんなメッセージが伝えられているかというと、オーストラリアで暮らしている息子に聞いてみると、「外出して外を歩いていいのは2人までで、しかも、決められた一定の社会的距離(ソーシャルディスタンス)をとって歩くこと」となっているらしい。

ここから、日本では「場所」に意識を向けさせているが、海外では「場所」ではなく、「人と人の距離」に人々の意識を向けさせていることがわかる。
(この違いは、言語学的に見ても、日本語が「場」を重じた言語で、英語が主語(主体者)に重きを置いた言語であることに由来していると思われる)

この違いにより、日本では、特定の業種(特に特定の施設名)を名指しにして、そのような場所に出入りしないよう自粛要請がなされているため、今、名指しされた業種の人たちが、生計を立てられない状況に陥ってしまっている。

そして、窮地に追い込まれた多くの飲食店では、今月に入ってから「テイクアウト」のメニューを考えだし、なんとか売上の落ち込みをカバーしようと頑張っている。

しかし、店先で、テイクアウト用の注文を受けている光景を見ていると、日本人には「人との距離をあける」という意識がないため、店側と客側の人がお互いにマスクもつけずに言葉を交わし合っていて、危険な状態が形を変えて続いていることがよくわかる。

日本では、飛沫感染を避けるために「咳エチケット」を心がけるように訴えられてきたため、多くの人は、咳にばかり意識が向き、至近距離の会話でも飛沫感染が起こりえることを、あまり意識できていない。

また、最近、マスコミは、「自分が既にウイルスに感染しているつもりで行動しましょう。大切な人を自分のせいで感染させたくないでしょ」的な訴えかけを続けているが、このような偽善的なメッセージもほとんど機能しないだろう。

なぜなら、こんなメッセージを信じたら、感染しておらず、普通に働ける人々まで、接客や人に会う仕事を自主的に控えなくてはならなくなるからだ。
(第一、このようなメッセージを発しているマスコミそのものが、多くの人が集まる番組制作の仕事を控えてはいない)

いずれにしろ、このような現実味にかけたタラレバのメッセージでは、国民の行動変容を起こすことはできない。

そして、感染症が流行した際に発せられる最も科学的で有効な予防策は、国際的に見ても、100年前から今に至るまで、何も変わってはいない。

それは、「感染者に近づくな」、つまり「社会的距離(ソーシャルディスタンス)を取れ」というものだ。

このメッセージは、100年前のスペイン風邪の流行時に発せられたもので、どんなウイルス感染症であれ、これさえ守っていれば、自分が感染症になることだけは100%防げる。

これが100年以上変わっていない科学的根拠に基づく国際基準の感染症予防策なのだ。

しかし、日本では、PCR検査が限定されているので、もう今となっては、誰が感染者か特定できない。

だから、誰が感染しているのかわからない状況になっているのだから、ワクチンができるまでの間、私たちにできることは、もう以下の2つくらいしかない。

1,誰が感染者なのかもうわからないのだから、人との距離を2メートルほど保つことを心がける。
2,誰かが触れたものに、無意識のうちに触れてしまっている可能性があるのだから、こまめに手洗いを心がける。

この2点をしっかりメッセージしておけば、「3つの密」なんて小難しいことを言わなくても、小学生にだって理解できるし(←これ、コピーライティングの基本)、自ずと3つのどれかに当てはまるような行動(場所の限定ではなく、行動)も減るようになるだろう。

また、スーパーのレジに並ぶ行列の人と人との距離も各自の判断によって少しあくようになるだろうし、店側だって行列の間隔をあけるよう、お客さんにお願いするようになるだろう。

この緊急時に、「3つの密」なんて語呂合わせを考え出し、特定の場所だけに意識を向けさせ、それ以外の場所なら大丈夫と思わせるような注意喚起を促し続けたところで、今後も感染者が増える一方だと思えたので、今日は、元コピーライターとして、このようなことを書いてみた。

重要なことなので、繰り返すが、問題なのは特定の「場所」ではなく、人と人とが「近づく」ことだ。

場所に限定しない世界基準のこのメッセージを、当初からアナウンスしておけば、休校中に学生が友達同士で原宿や渋谷を出歩くことも、平日の夜、仕事帰りの社会人がグループで飲みに出かけることも、もっと早い段階で抑制できただろう。

しかし、もう今となっては、感染者の感染経路を追えない状況に至ってしまったのだから、特に都知事には、志村けんさんが夜遊びをしていたことに関連づけて、特定の業種(施設、場所)を名指しにし、閉店に追い込むような発言はもう控えていただきたい。

日本においては、たとえ緊急事態宣言が発せられても、外出禁止命令は出せず、あくまで各自の判断、主体性に任せて、自らの「行動」を自粛してもらうしかないのだから。

特定の場所、業種を非難し、そこに目を向けさせるのではなく、一人一人の「行動」=「社会的距離を取ること」に意識が向くメッセージを発し、都民、国民の健全な暮らしを守れるよう尽力いただきたい。

最後に、今、海外にお住まいの方がいらっしゃったら、今、具体的にどんな行動を取るよう政府から指示が出ているか、シェアいただけるとありがたいです。

お知らせ
コロナ感染症の拡大防止のため、現在、各講座は延期の状態となっていますが、気持ちが滅入っていて、早急になんとかしたい方には、非二元(ノンデュアリティ )の電話によるセッションをオススメしています。
新型コロナの感染拡大を防止するため、外出自粛の要請が出され、多くの人がこれまで通りに仕事ができなくなりだし、今、不安を感じていると思います。

私自身も、東京都内で仕事をやっていますので、先週末の土曜から4月12日までは、予定されていた週末の講座を全て延期せざるを得なくなり、その後に開催予定の講座も、今後の状況によってどうなるかわからない状況になっています。

特に週末の土日に講座を開いている私にとって、週末の外出自粛の要請は、「仕事をするな」と言われているようなもので、予約を入れていた施設も利用できなくなり、普通に考えれば、逆風状態に置かれているとも言えます。

ただ、このような状況になっても、私は状況の変化にまったく左右されることなく、日々、平和に暮らしています。

なぜ、状況がこれだけ急激に変わっても、動揺することなく暮らせているかというと、その理由は、「当面の暮らしに困ることのない十分な預金があるから」ではありません。

心を平穏に保つ努力をしているわけでも、物事の捉え方をポジティブに変えようと努力しているわけでもありません。

たとえ、仕事が減り、預金通帳の額が一時的に減り出しても、私が精神的に苦しんでいない理由は、状況の変化にまったく左右されることなく安定している存在(非二元性のプレゼンス)を知っていて、現実の完璧な流れをありのまま認識できているからです。

普通に考えると、「コロナ疲れ」「コロナ不安」「コロナうつ」と呼ばれている症状(苦しみ)の原因は、コロナによるもの、と思われています。

でも、あなたが今、精神的な苦しみを感じているなら、その苦しみの原因は、新型コロナからもたらされているのではありません。

苦しみの原因は、思考によってつくりだされた恐怖のストーリー(「未知のウイルス」と言いつつ、なぜか「専門家」と呼ばれる人たちがいて、その人たちが語る悲惨な未来予想を含めて)をあなたが無意識のうちに現実そのものだと思い込み、概念(非現実)と現実の区別がつかなくなっているからです。

もし、この原因に気づけないと、あなたはこれからも、苦しみの原因が何から生じているかがわからないまま、人生につまづき続けます。

たとえるなら、これは、デコボコの夜道を懐中電灯もつけずに歩き続けるようなもので、何度、コブにつまづいても、自分が何につまづいているのか、わからないままの状況と言えます。

しかし、懐中電灯の光を当てれば、何がつまづきの原因であったかが、はっきり見えるので、デコボコ道につまづくことなく、スイスイと歩き続けることができるわけです。

とても重要なことなので、もう一度、繰り返しますが、あなたが今、精神的な苦痛を感じているなら、その苦しみの原因は、新型コロナから来ているのではありません。

もし、苦しみが、新型コロナから来ているのなら、あなたは既に新型コロナの検査を受け、「陽性」の判定を受けていなくては、「苦しみの原因はコロナだ」とは言えません。

自分がコロナ感染者であるかないかも、今のところわからないのに、既に精神的苦痛を感じているなら、その苦しみの原因は、「コロナから来ているものではない」ことは明らかです。

では、その原因とは何なのか?

それを知るには、一度、「自分はコロナに感染しているか、していないか?」「自分の仕事や収入は今後どうなるのか?」といった二元性の思考からフリーな非二元のプレゼンスにくつろぎ、変わりゆく現実の流れをありのままに見る必要があります。

また、話題が少し変わりますが、日本のリーダーは、アメリカやヨーロッパの国々が今、急速な感染拡大により、緊迫した状況にあるにもかかわらず、1年延期されたオリンピックの「完全な形での開催」を公言し続け、今なお、自らの欲望を押し通すことしか考えていません。

各国が置かれている現状を鑑みることもなく、このような独りよがりの理想を押し通そうとする発言こそ、エゴ的欲求からくるもので、この欲求が和らぐまで、周りの人たちは今後も振り回され続けることになるでしょう。

しかし、苦しみの原因が「エゴ的欲求」から生み出されていることを知れば、その欲求も含めて、全てが完璧な流れの一時的な現れであり、何一つ追い払う必要がないことがわかるようになります。

お知らせ
新型コロナ感染拡大予防のため、非二元(ノンデュアリティ )の対面セッションはマスクを着用したまま行わせていただいています。
また、セッションを受けたくても、感染が気になっている方には、電話でのセッションをオススメしています。
今日の昼、モスバーガーで、朝刊を読んでいたら、雑誌の広告が出ていて「マスクが街に⁉︎」的な見出しに目が止まった。

コーヒーを飲み終えた後、さっそく近くのドラッグストアを覗いてみたら、本当に2種類の箱入りマスク(600円台の商品と900円台の商品)が売られていて、行列もなく、すんなり買えた。


雑誌社の情報の確かさに驚いたものの、15分後に同じドラッグストアを覗いてみると、もうマスクは売り切れていた。

完璧なタイミングで新聞広告の見出しを読むことが起こり、完璧なタイミングでマスクが手に入る。

この「展開」の完璧さが存在している唯一のもの。
たとえ一時的に何かが足りないように見えても(例えばマスクが足りない。例えばお金が足りない)、それはその瞬間、そう見えているだけで、実際には異常事態が起きているわけではない。

それは完璧なるプロセスの一時的な状態であり、プロセスはどの瞬間も完璧に機能し続けている。

しかし、「何かが間違っていて、正されるべき物、撲滅すべき物がある」と信じ切っている世界中の政治家には、このプロセスの完璧さが見えていない。

それゆえ、今、世界は混乱状態の真っ只中にあるように見えている。

でも、この状況もまた、完璧なるプロセスの一部。

お知らせ
どうすれば、プロセスの完璧さが見えるようになり、何が起きてもOKでいられるようになるか。
それを知りたい方は、一度、ノンデュアリティのプライベートセッションを受けてみてください。