非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -10ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

確かオックスフォード大学の資料だったと思うんだけど、人口100万人あたりのPCR検査を受けた人の数が一番多かったのはアメリカ。その次に多かったのがオーストラリア。
そして、日本でPCR検査を受けた人の数は、なんとアメリカの35分の1。

これから日本でも他国並みにPCRの検査数をガンガン増やしたら、いくら私たち国民が外出を控え続けても、感染者の数が、今後、桁違いに跳ね上がることはわかり切っている。
(数字を跳ね上げたくなければ、今後も積極的に検査しない方針を貫くしかない)

国民一人一人の行動を今変えれば、2週間後には、その行動変容の結果が数字になって現れると専門家たちは言っているけど、PCRの検査数をこれから増やせば、それに応じて陽性が判明する人の数も増えるので、行動を変えたからと言って、その効果が数字になって現れることなんてあり得ない。
だから、急激に増え始めた数字を見て、小池知事のように驚き、あわてふためく必要はない。

そして、話は変わるが、私は渋谷区と世田谷区(都内で感染者数が一番多い区)の境目あたりにある商店街に面したマンションで暮らしている。

商店街には、何軒もの飲み屋さんがあるのだが、今、その大半の店が閉店状態にある。
しかし、今日、スーパーでの買い物帰りに、ある飲み屋さんの前を通りがかると、今夜もその店は開始帰りの背広姿のおっちゃん達のグループでごった返していた。

なぜ、こうなるのか?

理由は簡単で、多くの飲食店が閉まるほど、飲みたい人たちは、開いている数少ない店にたむろするしかなくなる。
しかも、開いている店の営業時間はいつもより短縮されているので、余計、限られた営業時間内に人々が集まり、ごった返すことになる。

こうして、外出自粛の要請が出ても、新たなクラスター発生源は、場所を変えて次々に生み出されていく。

誰がどうコントロールしようとしたところで、感染者の数は、今後しばらく、小さな上下動を繰り返しながら確実に増え続ける。
そして、ある時、ピークに達すると、今度は、自然に減り始める。

しかし、感染者の数ではなく、自分が感染しないようにするためなら、やれることはある。

飛沫感染を防ぐために、至近距離での人との会話を避ける。
「咳エチケット」という言葉に惑わされないこと。
(そもそも、人に向かって咳やクシャミを浴びせかける人なんて滅多にいないのだから)
注意すべきは、人と話している時に、声とともに飛び散る飛沫。
(どこかの大学の研修医たちでさえ、これを守れず大失態。飲み屋でたむろするおじさんたちも然り)

そして、こまめな「手洗い」。

この二つが国民に周知させなければ、ゴールデンウィークどころか、夏休みが過ぎても、この騒動は収まらないだろう。

お知らせ
このままではいつまで経っても、講座を再開できそうもないので、4月19日(日)開催の「非二元ファシリテーター養成講座の実習コース」を新たな試みとしてオンラインでやってみることにしました。
今日は、元コピーライターとして、新型コロナの集団(クラスター)感染予防のために打ち出された合言葉「3つの密」が、いかに感染防止のために機能しづらいかを書いておこうと思う。

まず、このチラシの下段の赤い囲みの中の文字を読むと、3つの条件が重なる「場所」が問題視されていることがわかる。

こんなメッセージを打ち出せば、3つが重なっていない場所(1つしか該当しない場所、または2つしか重ならない場所)であれば、「行っても大丈夫」と国民がとらえても仕方がないだろう。

つまり、すべての国民がこんなメッセージを鵜呑みにして行動を続けたら、これからも日本国内での感染拡大が止まるわけがない。

では、海外では、どんなメッセージが伝えられているかというと、オーストラリアで暮らしている息子に聞いてみると、「外出して外を歩いていいのは2人までで、しかも、決められた一定の社会的距離(ソーシャルディスタンス)をとって歩くこと」となっているらしい。

ここから、日本では「場所」に意識を向けさせているが、海外では「場所」ではなく、「人と人の距離」に人々の意識を向けさせていることがわかる。
(この違いは、言語学的に見ても、日本語が「場」を重じた言語で、英語が主語(主体者)に重きを置いた言語であることに由来していると思われる)

この違いにより、日本では、特定の業種(特に特定の施設名)を名指しにして、そのような場所に出入りしないよう自粛要請がなされているため、今、名指しされた業種の人たちが、生計を立てられない状況に陥ってしまっている。

そして、窮地に追い込まれた多くの飲食店では、今月に入ってから「テイクアウト」のメニューを考えだし、なんとか売上の落ち込みをカバーしようと頑張っている。

しかし、店先で、テイクアウト用の注文を受けている光景を見ていると、日本人には「人との距離をあける」という意識がないため、店側と客側の人がお互いにマスクもつけずに言葉を交わし合っていて、危険な状態が形を変えて続いていることがよくわかる。

日本では、飛沫感染を避けるために「咳エチケット」を心がけるように訴えられてきたため、多くの人は、咳にばかり意識が向き、至近距離の会話でも飛沫感染が起こりえることを、あまり意識できていない。

また、最近、マスコミは、「自分が既にウイルスに感染しているつもりで行動しましょう。大切な人を自分のせいで感染させたくないでしょ」的な訴えかけを続けているが、このような偽善的なメッセージもほとんど機能しないだろう。

なぜなら、こんなメッセージを信じたら、感染しておらず、普通に働ける人々まで、接客や人に会う仕事を自主的に控えなくてはならなくなるからだ。
(第一、このようなメッセージを発しているマスコミそのものが、多くの人が集まる番組制作の仕事を控えてはいない)

いずれにしろ、このような現実味にかけたタラレバのメッセージでは、国民の行動変容を起こすことはできない。

そして、感染症が流行した際に発せられる最も科学的で有効な予防策は、国際的に見ても、100年前から今に至るまで、何も変わってはいない。

それは、「感染者に近づくな」、つまり「社会的距離(ソーシャルディスタンス)を取れ」というものだ。

このメッセージは、100年前のスペイン風邪の流行時に発せられたもので、どんなウイルス感染症であれ、これさえ守っていれば、自分が感染症になることだけは100%防げる。

これが100年以上変わっていない科学的根拠に基づく国際基準の感染症予防策なのだ。

しかし、日本では、PCR検査が限定されているので、もう今となっては、誰が感染者か特定できない。

だから、誰が感染しているのかわからない状況になっているのだから、ワクチンができるまでの間、私たちにできることは、もう以下の2つくらいしかない。

1,誰が感染者なのかもうわからないのだから、人との距離を2メートルほど保つことを心がける。
2,誰かが触れたものに、無意識のうちに触れてしまっている可能性があるのだから、こまめに手洗いを心がける。

この2点をしっかりメッセージしておけば、「3つの密」なんて小難しいことを言わなくても、小学生にだって理解できるし(←これ、コピーライティングの基本)、自ずと3つのどれかに当てはまるような行動(場所の限定ではなく、行動)も減るようになるだろう。

また、スーパーのレジに並ぶ行列の人と人との距離も各自の判断によって少しあくようになるだろうし、店側だって行列の間隔をあけるよう、お客さんにお願いするようになるだろう。

この緊急時に、「3つの密」なんて語呂合わせを考え出し、特定の場所だけに意識を向けさせ、それ以外の場所なら大丈夫と思わせるような注意喚起を促し続けたところで、今後も感染者が増える一方だと思えたので、今日は、元コピーライターとして、このようなことを書いてみた。

重要なことなので、繰り返すが、問題なのは特定の「場所」ではなく、人と人とが「近づく」ことだ。

場所に限定しない世界基準のこのメッセージを、当初からアナウンスしておけば、休校中に学生が友達同士で原宿や渋谷を出歩くことも、平日の夜、仕事帰りの社会人がグループで飲みに出かけることも、もっと早い段階で抑制できただろう。

しかし、もう今となっては、感染者の感染経路を追えない状況に至ってしまったのだから、特に都知事には、志村けんさんが夜遊びをしていたことに関連づけて、特定の業種(施設、場所)を名指しにし、閉店に追い込むような発言はもう控えていただきたい。

日本においては、たとえ緊急事態宣言が発せられても、外出禁止命令は出せず、あくまで各自の判断、主体性に任せて、自らの「行動」を自粛してもらうしかないのだから。

特定の場所、業種を非難し、そこに目を向けさせるのではなく、一人一人の「行動」=「社会的距離を取ること」に意識が向くメッセージを発し、都民、国民の健全な暮らしを守れるよう尽力いただきたい。

最後に、今、海外にお住まいの方がいらっしゃったら、今、具体的にどんな行動を取るよう政府から指示が出ているか、シェアいただけるとありがたいです。

お知らせ
コロナ感染症の拡大防止のため、現在、各講座は延期の状態となっていますが、気持ちが滅入っていて、早急になんとかしたい方には、非二元(ノンデュアリティ )の電話によるセッションをオススメしています。
新型コロナの感染拡大を防止するため、外出自粛の要請が出され、多くの人がこれまで通りに仕事ができなくなりだし、今、不安を感じていると思います。

私自身も、東京都内で仕事をやっていますので、先週末の土曜から4月12日までは、予定されていた週末の講座を全て延期せざるを得なくなり、その後に開催予定の講座も、今後の状況によってどうなるかわからない状況になっています。

特に週末の土日に講座を開いている私にとって、週末の外出自粛の要請は、「仕事をするな」と言われているようなもので、予約を入れていた施設も利用できなくなり、普通に考えれば、逆風状態に置かれているとも言えます。

ただ、このような状況になっても、私は状況の変化にまったく左右されることなく、日々、平和に暮らしています。

なぜ、状況がこれだけ急激に変わっても、動揺することなく暮らせているかというと、その理由は、「当面の暮らしに困ることのない十分な預金があるから」ではありません。

心を平穏に保つ努力をしているわけでも、物事の捉え方をポジティブに変えようと努力しているわけでもありません。

たとえ、仕事が減り、預金通帳の額が一時的に減り出しても、私が精神的に苦しんでいない理由は、状況の変化にまったく左右されることなく安定している存在(非二元性のプレゼンス)を知っていて、現実の完璧な流れをありのまま認識できているからです。

普通に考えると、「コロナ疲れ」「コロナ不安」「コロナうつ」と呼ばれている症状(苦しみ)の原因は、コロナによるもの、と思われています。

でも、あなたが今、精神的な苦しみを感じているなら、その苦しみの原因は、新型コロナからもたらされているのではありません。

苦しみの原因は、思考によってつくりだされた恐怖のストーリー(「未知のウイルス」と言いつつ、なぜか「専門家」と呼ばれる人たちがいて、その人たちが語る悲惨な未来予想を含めて)をあなたが無意識のうちに現実そのものだと思い込み、概念(非現実)と現実の区別がつかなくなっているからです。

もし、この原因に気づけないと、あなたはこれからも、苦しみの原因が何から生じているかがわからないまま、人生につまづき続けます。

たとえるなら、これは、デコボコの夜道を懐中電灯もつけずに歩き続けるようなもので、何度、コブにつまづいても、自分が何につまづいているのか、わからないままの状況と言えます。

しかし、懐中電灯の光を当てれば、何がつまづきの原因であったかが、はっきり見えるので、デコボコ道につまづくことなく、スイスイと歩き続けることができるわけです。

とても重要なことなので、もう一度、繰り返しますが、あなたが今、精神的な苦痛を感じているなら、その苦しみの原因は、新型コロナから来ているのではありません。

もし、苦しみが、新型コロナから来ているのなら、あなたは既に新型コロナの検査を受け、「陽性」の判定を受けていなくては、「苦しみの原因はコロナだ」とは言えません。

自分がコロナ感染者であるかないかも、今のところわからないのに、既に精神的苦痛を感じているなら、その苦しみの原因は、「コロナから来ているものではない」ことは明らかです。

では、その原因とは何なのか?

それを知るには、一度、「自分はコロナに感染しているか、していないか?」「自分の仕事や収入は今後どうなるのか?」といった二元性の思考からフリーな非二元のプレゼンスにくつろぎ、変わりゆく現実の流れをありのままに見る必要があります。

また、話題が少し変わりますが、日本のリーダーは、アメリカやヨーロッパの国々が今、急速な感染拡大により、緊迫した状況にあるにもかかわらず、1年延期されたオリンピックの「完全な形での開催」を公言し続け、今なお、自らの欲望を押し通すことしか考えていません。

各国が置かれている現状を鑑みることもなく、このような独りよがりの理想を押し通そうとする発言こそ、エゴ的欲求からくるもので、この欲求が和らぐまで、周りの人たちは今後も振り回され続けることになるでしょう。

しかし、苦しみの原因が「エゴ的欲求」から生み出されていることを知れば、その欲求も含めて、全てが完璧な流れの一時的な現れであり、何一つ追い払う必要がないことがわかるようになります。

お知らせ
新型コロナ感染拡大予防のため、非二元(ノンデュアリティ )の対面セッションはマスクを着用したまま行わせていただいています。
また、セッションを受けたくても、感染が気になっている方には、電話でのセッションをオススメしています。
今日の昼、モスバーガーで、朝刊を読んでいたら、雑誌の広告が出ていて「マスクが街に⁉︎」的な見出しに目が止まった。

コーヒーを飲み終えた後、さっそく近くのドラッグストアを覗いてみたら、本当に2種類の箱入りマスク(600円台の商品と900円台の商品)が売られていて、行列もなく、すんなり買えた。


雑誌社の情報の確かさに驚いたものの、15分後に同じドラッグストアを覗いてみると、もうマスクは売り切れていた。

完璧なタイミングで新聞広告の見出しを読むことが起こり、完璧なタイミングでマスクが手に入る。

この「展開」の完璧さが存在している唯一のもの。
たとえ一時的に何かが足りないように見えても(例えばマスクが足りない。例えばお金が足りない)、それはその瞬間、そう見えているだけで、実際には異常事態が起きているわけではない。

それは完璧なるプロセスの一時的な状態であり、プロセスはどの瞬間も完璧に機能し続けている。

しかし、「何かが間違っていて、正されるべき物、撲滅すべき物がある」と信じ切っている世界中の政治家には、このプロセスの完璧さが見えていない。

それゆえ、今、世界は混乱状態の真っ只中にあるように見えている。

でも、この状況もまた、完璧なるプロセスの一部。

お知らせ
どうすれば、プロセスの完璧さが見えるようになり、何が起きてもOKでいられるようになるか。
それを知りたい方は、一度、ノンデュアリティのプライベートセッションを受けてみてください。
厚労省が公表した新型コロナの全国クラスターマップによると、日本には感染拡大の基点となった15の施設が存在することになっている。

しかし、このマップには、どういうわけか、感染者が700人あまり出たクルーズ船の事例が抜け落ちている。
(省かれた理由が、700名という数が小規模には当たらず、大規模だからということなら、なぜ、大規模感染を省いて伝える必要があるのか、その意味がまったく不明)

そして、クルーズ船内の環境は、先日、発表されたウイルスが感染しやすい場所の特徴を3つとも満たしている。

(1)換気の悪い密閉空間
(2)多くの人が密集していた
(3)近距離(互いに手を伸ばしたら届く距離)での会話や発声が行われた

感染が拡大しやすい船内で2週間に渡る待機を命じ、国内最大の感染拡大を生み出しながら、この事例はマップから省き、より小さな感染拡大施設に目を向けさせようとする意図は何なのか?

感染が各地に広がった今、このようなマップを見せられても、私たちにできることは何も変わらず、頻繁な手洗いとマスク着用ぐらいしかない。
(そして、予防のためのその消毒液やマスクさえ、私たち生活者には回ってこない状況が続いているのに、こんなマップを今、公表することにいったい何の意味があるのか?)

もし、公表した意図が、「私たち政府が指示、命令したことは何も間違っていない。
問題は、私たちではなく、あちらの人たちだ」ということなら、それはエゴのつぶやきだ。

こうして、エゴは、自らの外側に問題をつくり出し、自らを守ろうとする。

でも、エゴを悪者にして敵視する必要もない。

エゴがやれることといえば、せいぜい「私は正しくて、間違っているのは私以外の誰か」という程度のでっちあげ。

この主張を鵜呑みにしなければ、何の害もない。

つまり、主張者(エゴ)の正当性を訴える主張に過ぎないと分かっていれば、エゴの主張には何のパワーもない。

お知らせ
「新型コロナウイルス」という名前があるからと言って、新型コロナウイルスという固定された客観的物質が存在するわけではない。
なぜなら、ウイルスに限らず、あらゆるものが変化し続けているから。
その証拠に、科学者たちが、どれだけ新型コロナの正体を突き止めようとしても、いまだにその正体をつかめない。
もし、このまま予定通りに4月のウェイクフルネスを開催できるなら、この辺りの話から始めようと思っています。
また、(非二元)のプライベートセッションを受けたくても、新型コロナの感染が気になり、外出を控えたい方は、この時期、電話でのセッションをオススメしています。


今日は、神奈川在住の女性とカフェでノンデュアリティ (非二元)のセッションをやった。

 
彼女は生き甲斐を感じられる仕事を求めて、職業を変え続けていた。
 
また、借金をした経験もあり、返済が完了した今も、もう少しお金が手に入れば、精神的にも余裕を持って暮らせるようになるだろうと思っていた。
 
なぜ、落ち着かない日々が続いているのか、わかりますか?
「借金を返し終え、今度は金銭的な余裕ができたら、ラクになれる」と思っているあなたは、あなたではありません。
もし、あなたがこれからも、足りないお金を埋め合わせているのが自分だと思ったままなら、この先も同じことが繰り返され、一生、お金の工面に追われ、ラクになるどころかくたびれ果てる人生になってしまう。
だから、今日のセッションで、自分がどのような勘違いをしているかを知ることは、とても重要なことです。
 
こう前置きしてから、私とは何なのか、自分が経験し続けているこの世界と自分との関係はどうなっているのか、それがはっきりとわかるようになるようセッションを始めた。
 
セッションが進むにつれ、彼女は、「生き甲斐を感じられる仕事が足りない」「余裕を持って暮らせるお金が足りない」というように不足の概念にとらわれ続けてきたことに気がつき、それは非現実的な物語であり、現実には足りないものなど何もないことに気がつき、今、ここに求めていた余裕や落ち着きがあることに気がついた。
 
そして彼女はこう言った。
「よく、ワクワクすることをすればいいって言われていますけど、あれも恐怖の物語だったんですね」
 
「その通り! 宇宙人が言ったことにされている物語!」と答えて笑いあった。
 
そして、「どこかから請求書が届いた時にも、ドキドキして、請求書から目をそらしたくなる」と彼女が言ったので、請求書を見た瞬間に起こる感情を、非二元的に感じられる方法を彼女に伝えて、セッションを終えた。
 
追伸
彼女は、以前の私と同じように、「ザ・シークレット」を読んだり、「マネーゲームから脱出する法」を読んだりしてきたけど、まったく苦しい状況が続いたままで、何が苦しみを生み出している原因なのかに気づいていなかった。
「変えなくてはいけない自分がいる」
この考えの嘘を見抜けるようになると、ありのままの現実の豊かさが見えだし、自分を縛りつけていた恐怖の物語(幻想)はあっけなく崩壊しだす。
先週末の土日、非二元ファシリテーター養成コースで、実習生の皆さんと、ファシリテーションの練習をした。

今、世の中は新型コロナウイルスの情報で溢れかえり、「自分=肉体」と信じて疑わない人は、感染のリスクに脅えながら、不安な毎日を過ごしているので(現にそのような相談も増えつつあるので)、どのようにファシリテートすれば、恐怖に突き動かされることなく、変わりゆく状況と調和した適切な対応を取れるようになるか、といったテーマを含め、セッションの練習を繰り返した。

今回2日連続で、多くのセッションをオブザーブしたことで(特にクライアント役になった人の悩みの内容をたくさん聞いているうちに)、意識の想像力がどれほど、ありもしないストーリーを次から次に考えだし、自分自身を恐怖の館の中に閉じ込めてしまっているのか、その滑稽さが手に取るようにわかり、実習生のみなさんと爆笑しあった。

ファシリテーター役として、ファシリテーションをする時より、クライアント役としてファシリテーションを受けた時の方が、ファシリテーターとしての学びになったり、また、ほかの人がやっているファシリテーションをオブザーブしているときに、何かに気づくことがあったり、実習生の皆さんにとっても私にとっても本当に学びの深い2日間になった。

実習が終わった時、「すごく充実した2日間だった」「あまり間をあけずに、できれば1ヶ月後にまた開催してほしい」というリクエストがあったので、4月のどこかで会場をおさえ、また、楽しい実習の場を設け、みんなで笑いあいたいと思ってます。

追伸
養成コースが終わってから、実習生の方々と話していて、今、ある人がどんなストーリーを語って人々を怖がらせ、分離の感覚を強めさせているかを詳しく教えてもらい、驚かされた。
いついつまでに、何かが起こらないと手遅れになる。
そんな恐怖のストーリーをまともに信じてしまったなら、人はその恐怖に脅え、教祖の言いなりになり大金を貢ぎ続けることになる。
でも、現実そのものは、思考がでっち上げた期限や到達すべき条件などに制限されることなく、自由なままだ。
その自由さを直接体験してみたい方は、一度、ノンデュアリティ のプライベートセッションを受けてみてください。
人は病気を嫌い、健康を望む。
人は老いを嫌い、若さを望む。
人は出金を嫌い、入金を望む。
人は失敗を嫌い、成功を望む。
人はネガティブを嫌い、ポジティブを望む。

それゆえ、人は日々、イラダチながら、一生を過ごすことになる。

なぜ、こうなるかを2500年前に見抜いたのは、仏陀だ。

片側を嫌い、その反対の片側を望むから、人は苦しむ。

なぜなら、私たちが経験する現実の流れは、すべてつながっているため、片側だけを引き出すことができないからだ。

「健康」と「病気」の境目はなく、つながっている。

健康は病気を導き、病気は健康を導く。

病気を知らなければ、健康を自覚できないし、健康を知らなければ、病気も自覚できない。

だから、あなたが「健康」を強く望んでいるなら、あなたは、健康から導かれる病気も同時に欲していることになる。

あなたが「成功」を強く望むなら、あなたは同時に「失敗」も望んでいることになる。

あなたが「ハイな気分」を望み、ドラックに溺れているなら、あなたは同時に、嫌っているはずの「落ち込み」も引き出すことになる。

意図的に片側を引き出としたなら、必ず、それにつながるもう片側(反対側)も引き出すことになる。

でも、人は片側だけを手に入れられると思い込み、それを試みようとする。

それはけっしてうまくいくはずのない試みなので、人はフラストレーションを感じ続けることになる。

片側だけを取り出すことは、不可能。
この現実に気づいた時、愚かな試みは自然に停止しはじめ、現実がはっきりと見えだす。

片側と、その反対のもう片側がある。

この二元的な認識もマインドがつくり出したまやかしであり、実際は、片側ともう片側の分け目などない。

だから、どちらかを好むこともできない。

そして、選べる片側がないことに気がつくと、余計な試み(抵抗)は消え、フラストレーションもなくなる。

健康も自然な流れの一部なら、病気も自然な流れの一部。
そして、治療もまた自然な流れの一部。

あるのは、この自然な流れ(ナチュラルフロー)だけ。

そして、このナチュラルさほど、気持ちいいものはない。
これがNirvana(涅槃)。

お知らせ
先週末の土日、2日連続で非二元(ノンデュアリティ )についてしゃべった。

土曜日の非二元入門では、ブルース・リーが燃えよドラゴンの中で語った「Don’t think,feel」に続く禅語を紹介しながら、人が語っている言葉を鵜呑みにすると、意識が催眠状態に陥り、言語がつくりだした「仮想現実」の世界を「現実そのもの」と勘違いしだすこと。

そうなると、今ここにある現実(非二元)の栄光、豊かさが見失われ、まるで夢遊病者のように栄光、豊かさを求めてあちこちをさまようようになる奇妙さについて語った。

また、近年の認知科学(コグニティブ・サイエンス)の世界でも、「現実についての言語的解釈」と「現実そのもの」との区別がつかなくなるこの混乱状態のことを「認知的フュージョン」と呼んでいて、どうすれば脱フュージョンを起こせるかが議論されてきたこと。

その有効な手段として、アメリカの大学では、セラピストを志す学生たちに、どう誘導すれば、二元性の領域で立ち往生しているクライアントの意識を非二元の領域にスムーズにシフトさせられるかが教えられていることを伝えた。

そして、日曜日の渋谷禅では、特に人間関係のトラブルにテーマを絞ってしゃべった。

認知的フュージョンに加えて、認知のバイアスがどのように作動して、目の前の相手を「あの人は〇〇な人」とラベリングし、固定化させてしまっているか(例:あの人は加害者/あの人は障害者/あの人は自分勝手など)

また、同じく自分のことを「私は〇〇な人」と固定化させ、人生を窮屈でみじめなものにしているか(例:私は被害者/私は貧乏/私は癌患者など)を伝えた。

そして、「肉体の中に意識がある」という催眠にかかっている限り、「自分」は他の人や物と切り離され、単独で生きているという真っ赤な嘘(幻想)を信じていることになるので、常に自分に足りないものを追い求めて生き続けることになること。
そして、足りないものを追い求めれば追い求めるほど、分離の催眠がますます強化され、分離感を深めてしまうこと。

この催眠から目覚めるには、「肉体の中に意識がある」のではなく、「意識の中に肉体が現れている現実」を、クライアント自身が自ら確認する必要があること。
自分は、肉体ではなく、意識であること。
そして、ありとあらゆるものが、意識によってできていること。

意識以外には何も存在していないこと。

これに気づくのに、時間は必要ないこと。

こんなことを伝えながら、私が言っていることを鵜呑みにすることなく(催眠にかかることなく)、それが事実かどうかを、既に目覚めている自らの気づき(enlightenment )で確かめてもらい、楽しい2日間を終えた。

お知らせ
3月から、認定ファシリテーターへのセッションのお申し込みも、ナチュラルフローのサイトからアクセスできるよう、現在準備を進めている最中です。
今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。
昨日、原宿にある知人のパスタ屋さんで、一人目の認定ファシリテーターとなった女性と、今後の打ち合わせをした。

そこで、肉体や物質がそれぞれ個別に存在していると信じて疑わない人に対し、あるアメリカ人がどのように誘導して、その誤解を解き、非二元性の意識しか存在していないことを直接体験させていたか、その誘導表現の素晴らしさを彼女に紹介した。

多くの人が信じて疑わない二元性(分離)の一例として、「美しい自然に触れれば、体も心も浄化される」というものがある。

なぜ、この考えが分離しているかというと、「自分は汚れた存在で、自分以外(この場合、自然)は清らかな存在」と分割させているからだ。

純粋に自然を求めて、山や滝、川や海に出かけるのは何の問題もない。

しかし、そこに行く動機が「浄化のため」であるなら、その人は知らず知らずのうちに分離の信念に取り込まれてしまっている。

私の何かが汚れていて、浄化される必要があると感じているなら、それは、あなたではない。

だから、自分を浄化するために、どこかに行こうとしているなら、その行動を起こす前に、あなたは、私とは何なのか?自然とは何なのか?を注意深く自分で確かめる必要がある。

「自然」に美を感じるのに、なぜ「自分」には美を感じられないのか?

「自然」の動植物はナチュラルだと思えるのに、なぜ「自分」だけはナチュラルとは思えないのか?

なぜ、自分だけが不完全で、他は完全に思えるのか?

この二元性の考えのおかしさ、恣意性に気づければ、そして、体も、植物も、水も、同じ原材料(意識)によってできていることを認識できれば、浄化されるまでもなく、私たちは初めから汚れるような存在ではないことが明らかになる。

この完璧なる存在は、何が起ころうと汚されることもなければ、清められる必要もない。

あらゆるものが、既に完璧。

人間が便器に座り、お尻を拭くアクションさえナチュラルで、それは海面をジャンプするイルカの動きと、まったく同じエネルギーによるもの。

すべてが同じ宇宙の動き。

でも、この現実は、二元性の思考を使って理解できるものではなく、直接体験するしか知りえない。

だからこそ、私たちファシリテーターが必要になる。

こんなことを昨日、彼女と話していて感じた。

そして最後に、宇多田ヒカルの新曲「Face My Fears」が私たちのことを歌ってくれていることを告げて、彼女と別れた。

お知らせ
「自分の体を動かしているのは、自分だ」と思っている人は、宇宙と自分とが別々に存在している、という信念を信じ込んでしまっています。
夜空の星の動きも、体の動きも、同じ一つのエネルギーの動きであって、別々に動いているものなど何もありません。
この事実を自分で確かめてみたい方は、一度、ノンデュアリティのプライベートセッションを受けてみてください。