そこで、肉体や物質がそれぞれ個別に存在していると信じて疑わない人に対し、あるアメリカ人がどのように誘導して、その誤解を解き、非二元性の意識しか存在していないことを直接体験させていたか、その誘導表現の素晴らしさを彼女に紹介した。
多くの人が信じて疑わない二元性(分離)の一例として、「美しい自然に触れれば、体も心も浄化される」というものがある。
なぜ、この考えが分離しているかというと、「自分は汚れた存在で、自分以外(この場合、自然)は清らかな存在」と分割させているからだ。
純粋に自然を求めて、山や滝、川や海に出かけるのは何の問題もない。
しかし、そこに行く動機が「浄化のため」であるなら、その人は知らず知らずのうちに分離の信念に取り込まれてしまっている。
私の何かが汚れていて、浄化される必要があると感じているなら、それは、あなたではない。
だから、自分を浄化するために、どこかに行こうとしているなら、その行動を起こす前に、あなたは、私とは何なのか?自然とは何なのか?を注意深く自分で確かめる必要がある。
「自然」に美を感じるのに、なぜ「自分」には美を感じられないのか?
「自然」の動植物はナチュラルだと思えるのに、なぜ「自分」だけはナチュラルとは思えないのか?
なぜ、自分だけが不完全で、他は完全に思えるのか?
この二元性の考えのおかしさ、恣意性に気づければ、そして、体も、植物も、水も、同じ原材料(意識)によってできていることを認識できれば、浄化されるまでもなく、私たちは初めから汚れるような存在ではないことが明らかになる。
この完璧なる存在は、何が起ころうと汚されることもなければ、清められる必要もない。
あらゆるものが、既に完璧。
人間が便器に座り、お尻を拭くアクションさえナチュラルで、それは海面をジャンプするイルカの動きと、まったく同じエネルギーによるもの。
すべてが同じ宇宙の動き。
でも、この現実は、二元性の思考を使って理解できるものではなく、直接体験するしか知りえない。
だからこそ、私たちファシリテーターが必要になる。
こんなことを昨日、彼女と話していて感じた。
そして最後に、宇多田ヒカルの新曲「Face My Fears」が私たちのことを歌ってくれていることを告げて、彼女と別れた。
お知らせ
「自分の体を動かしているのは、自分だ」と思っている人は、宇宙と自分とが別々に存在している、という信念を信じ込んでしまっています。
夜空の星の動きも、体の動きも、同じ一つのエネルギーの動きであって、別々に動いているものなど何もありません。
この事実を自分で確かめてみたい方は、一度、ノンデュアリティのプライベートセッションを受けてみてください。