合掌とは、何と何の合一なのか? | 非二元|目覚めを生きる

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宇宙的自己に目覚める記事を配信。
「迷悟」「苦楽」「生死」の相対を超えた「身体・宇宙」一如の絶対的あり様とは?
迷い、悩み、苦しみのない、日々、生き活きとした生活の実践。

昨日は、梅田のラウンジで、大阪在住の女性と非二元のセッションをやりました。

彼女は、仏教に興味を持っていて、非二元の本を読んでも、内容を知的に理解しているだけで、どれだけ本を読んでも、将来の不安が消えないことに悩んでいました。

具体的に、どんな不安を感じているのかを聞いてみると、「他人から自分がどう見られているのか? 人からの評価が気になってばかりいる」ことがわかりました。

そして、「人からの評価を気にしないで生きられるようになれたら、もっとラクに生きられる」と彼女は信じ込んでいました。

そこで、まず、「生きるのが窮屈に感じる原因は、人からの評価が気になるからではない」ことを指摘し、無意識のうちに信じてしまっているどんな思い込みが苦しみを生み出しているのかを、彼女が自覚できるように、セッションを進めました。

彼女が無意識に信じ込んでいた条件付けを明らかにしてから、「この思い込み(条件付け)をこれからも信じ続けたら、幸せがもたらされるだろうか?それとも苦しみがもたらされるだろうか?」と訊ねると、彼女の思い込みは、あっさりと解けました。

そして、彼女から「どうすれば、自分の人生を窮屈にしている無意識の思い込みに気づけるようになるのか?」と聞かれたので、「なんらかの出来事が起きた時に、感情がザワつき出したら、そこに現実に一致しない思い込みがあることがわかるので、感情の動きが教えてくれる」と伝えました。

また、最後に「何も起こっていない、と言ってる人がいますけど、どういうことですか?」と聞かれたので、「それは両極の片側に移行して、リアリティを否定してしまっている状態だね」と言葉で説明することなく、手と手を合わせる合掌が、何と何が分つことなく一つである(非二元である)ことを表しているのか、仏教の中道の意味を伝えて、今年最後のセッションを終えました。

皆さま、どうぞ、良いお年をお迎えください。

お知らせ
年始は1月4日から12日まで、大阪でセッションを行い、13日(祝)は京都で「喫茶禅」を行い、
東京でのセッションは14日から始めます。