またまた去年の11月29日のことです。
1200体もの羅漢像が圧巻の愛宕念仏寺を出て。
その真ん前にある『愛宕寺前』というバス停から、今度は一気に南下して次の目的地を目指します。
↑の写真の先に見えるのは清滝トンネル。
そして『嵯峨釈迦堂』バス停を降りて、バス停名でもある嵯峨釈迦堂(正式名称は清涼寺)の境内を横切ります。
嵯峨釈迦堂の本堂も通過して。
開門15分ほど前に着いたのですが、並びは2人で3番目に接続します。
もっと並んでいるかと思ったので少々拍子抜けしました…… って、この後のわずが10分ちょいで、結構な人が続々と後ろに並びました。
二尊院の由緒
小倉山の裾野に門を構える天台宗の寺院。本尊に釈迦如来と阿弥陀如来(重要文化財)を祀ることから、本尊が二体ということで二尊院と呼ばれている。嵯峨天皇の勅願により、承和年間(834年~848年)に創建された。総門から延びる参道は広く、『紅葉の馬場』と称される紅葉は圧巻。本堂前の庭は龍神の庭と呼ばれ、九頭竜弁財天が祀られている。境内は広大で山裾まで伽藍が点在し、時雨亭跡といわれる場所がある。
※ 『そうだ 京都、行こう』HPより抜粋編集
総門
先に並んでいたカメラガチ勢と思しき2人が情報交換をしていました。
その後、定時の9時に開門です。
紅葉の馬場
そして受付を済ませて入ると、いきなり有名な紅葉の馬場が。
開門時には参拝者が10人ちょいいましたが、その中の1人が音頭を取って、ある程度みんなが写真を撮るまでは先には行かずに、少しずつ進みましょうとなって。
写真を撮りながら少しずつ進みます。
突き当たりの石段前にやってきたところで後から来た人が、そんなの知るかと言わんばかりに先に進み出したのを皮切りに、それまでの暗黙の協定が瓦解されて『我先に』なカオスな状態に凸入します😅
石段の突き当たりには築地塀が見えます。(もちろん5本線でした)この突き当たりを左に行くと。
黒門
黒門があります。紅葉が綺麗です♪
勅使門(唐門)
黒門を横目に先に進むと勅使門があります。
通常、勅使門は通ることができないところが多いのですが、こちらではここが本堂への入り口です。
勅使門の紅葉も綺麗でした👍
勅使門に掲げられている扁額は後柏原天皇の筆による『勅額』です。
本堂
そして勅使門を潜ると。
本堂があり、この時すでに本堂内には檀家さんと思しき方々がいて、お経が聞こえてきます。
本堂の扁額。
こちらの扁額は後奈良天皇の筆による勅額です。
勅使門と本堂の、それぞれの扁額(勅額)からも二尊院の寺格の高さが窺えます。
靴を脱ぎ本堂のぐるりの板の間から見られる庭園。
茶室 御園亭
本堂に向かって左側の板の間を進むと、茶室『御園亭(みそのてい)』があります。
こちらの茶室は後水尾天皇の第六皇女である賀子内親王の御化粧之間を御所から移築されたものです。
ずっと鹿おどしの音が聞こえるのですが、御園亭の中の庭にあるようで撮影しているところからは見えません。
境内側から見た勅使門。
その近くの、位置的には本堂向かって右側にに綺麗な花手水が。
こちらも季節によって花が変わるそうで様々な表情を見ることができるようです。
鐘楼
『しあわせの鐘』と呼ばれている鐘楼。
梵鐘は慶長9年(1604年)に鋳造されたもので、現在のものは平成4年に開祖嵯峨天皇1200年後遠忌法要記念として再鋳されたものです。
湛空廟
本堂と鐘楼の間くらいにモミジなどの木に覆われた急な石段があり。
上った突き当たりに建物が見えてきます。
こちらが第三世住寺の湛空上人(たんくうしょうにん)の碑を祀る湛空廟。
浄土宗開祖である法然上人の分骨が納められているとされ、法然上人廟とも呼ばれています。
その湛空廟から左側の道を進むと片側が崖になっている細い道が続いています。
すわ!危険が危ない⚠️
崖の下は切り出されたのか自然に倒れたのか、たくさんの大きな木が横たわっています。
時雨亭跡
こちらが小倉山の麓の傾斜地に広がる二尊院境内の端に存在する、今現在は礎石があるのみの時雨亭跡(しぐれていあと)。
藤原定家が小倉百人一首を撰んだ場所とされています。(一般的に百人一首と言えば小倉百人一首のことを指します)
が。
諸説あり、ここが時雨亭跡だという場所は3カ所あります。ここ二尊院と、すぐ隣にある常寂光寺、それと、この2寺から近い厭離庵という尼寺です。
僕的には厭離庵説が強いのかなとは思いますが、こういうのは『謎のヴェールに包まれて』っていうのも、それはそれでいいのではないかなとも思う次第であります。はい。
八社宮
八社宮は、その名の通り伊勢神宮・松尾大社・愛宕神社・石清水八幡宮・熱田神宮・日吉神社・八坂神社・北野天満宮の8社を祀っていて、場所的には境内の東北部の表鬼門に位置しています。
小倉餡発祥之地碑
サブタイトルにもあるように二尊院は小倉餡の発祥の地としても知られています。
小倉餡は平安京が遷都されて、それほど経っていない頃の809年に空海が中国より持ち帰ります。
当時、嵯峨野のこの辺りで亀の子せんべいを作っていた『和三郎』という菓子職人が、その小豆の種子を小倉の里で栽培します。
その後、栽培した小豆を嵯峨天皇より賜った砂糖で煮詰め、朝廷に献上したのが小倉餡の始まりとされています。
そして、この小倉餡発祥之地碑は、井筒八ツ橋本舗六代目の津田佐兵衛さんが小倉餡の歴史を解明する手掛かりになるよう、創業200年の記念に建立されたものだそうです。
とまぁ撮るべきものは、まだまだたくさんありましたが。(密かなる築地塀マニアw)
次の予定地に行くことにしました。とさ。
ではでは👋