4月14日のことです。
4月12日の土曜日に荻外荘公園(てきがいそう)と角川庭園を巡り、大田黒公園にもと思っていたら想定していた以上の人混みを見て、行くのをこの日にズラして。
こちらに凸💨
大田黒公園の概要
日本に音楽評論家という分野を確立した大田黒元雄の屋敷跡を杉並区が回遊式日本庭園として整備し、1981年(昭和56年)に開園しました。
樹齢100年を超えるイチョウ並木や楓などの紅葉の時期には多くの人が訪れます。
敷地内にある西洋風建築物は1933年(昭和8年)に大田黒氏が仕事部屋として建てたもので、現在は記念館として公開しています。記念館には愛用していたスタインウェイ社の1900年製造のピアノなどが展示されています。
ということで。
西郊ロッヂング
2日前と同じく西郊ロッヂングを通ったのですが、今回は東側の割烹旅館の方からの凸です。
旅館の入り口の前を通って。
雰囲気マシマシな賃貸住宅側の角を南に折れます。
西郊ロッヂングから荻外荘通りに曲がってすぐに、↑の写真のように高い木が正面に見えています。
正門
そして、呆気ないくらいすぐに正門に到着💨
僕の脚でも荻窪駅からは徒歩で10分もかからない近さです。
正門前の公園名が刻まれた石碑の後ろには、築地塀と棧瓦葺の切妻屋根がお出迎えしてくれます。
その正門の向こうには樹齢が100年を超えるイチョウ並木が✨
さっそく門を潜って御影石が敷かれ真っ直ぐに伸びた園路を進みます。
園路脇には、前夜の雨の名残りの水溜りが残っています。
イチョウ並木の先に木戸があり、その木戸を潜って先に進みます。
回遊式庭園
右側には休憩所や茶室のある管理棟があるのですが、そちらは後回しにまして、まずは回遊式庭園を目指します。
というか、この時点で青もみじの緑が物凄く雰囲気があって善き哉です👍
アーチのついた石橋の先には荻外荘公園と同様にノムラモミジが色づいていて、いいアクセントになっています✨
やはり紅葉と青空は映えますね👍
歩を進めつつ別角度からパシャリ✨
そして池に到着。
左側には東屋(あずまや)があり正面には何やら看板があります。
ということで石橋を渡り、池のぐるりを回る事にします。
見出しにある『回遊式庭園』とは、池の周りを歩く事によって変わりゆく景色を鑑賞できるよう設計された日本庭園の形式のひとつです。
池は濁りが無く錦鯉の泳ぎが遠くからでも観ることができます。
池を覗くと、すぐに鯉が近づいてきてパクパク始めます。いつもエサをもらっているのかな?
と思いましたが、その答えは後から分かります。
鴨も鯉に負けじと近づいてきましたが……
エサをくれないと分かるとプイッとそっぽを向いて、別のところに行ってしまいました。
鯉のアピールに少々気圧されたところで。
池からは一旦離れて回遊式庭園散策の前半戦を終えまして。
大田黒記念館
外壁の色が印象的な建物に向かいます。
急な傾斜角の屋根には日本瓦を使っていて、外壁はレンガ色なのですが同じレンガ色よりも明るいトーンで、どちらかというとピンク色と言ってもいい色調で全体的に和洋折衷な印象を受けます。
そして建物の入り口は、この真裏なので、そちらに回り込みます。
そして大田黒記念館の入り口に到着。
こちらは大田黒氏が仕事場として建てたものなので、建物自体は豪邸と呼ばれる程の大きさでは無いですが、とにかくオシャレです👍
↑の写真で行けば玄関より左側の壁がド真ん中なレンガ色ですね。
公開されているのは、この先の部屋のみです。
こちらが大田黒氏が愛用していた1900年製のスタインウェイ社のグランドピアノです♪
このピアノはロンドンから運ばれたもので、大田黒氏の没後は調度品として飾られているだけでしたが、熱心な調律師さんの手により2000年(平成12年)に、その音色が復活しました♪
こだわりの調度品に重厚感のある寄木貼りの床とは対照的に、壁の碁盤縞(ごばんじま)の壁紙がパステルカラーをしていて、その対比が面白いですね。
こちらは大田黒氏愛用の蓄音機。
暖炉の上には左右2対の帆船のバウ・スプリットから、ランプが下がっているという面白いデザインの照明が印象的で、この照明も昭和8年の竣工時からあったものだそうな。
と。
ここで、記事を書く手が止まってしまいました。
ちょいと確認事をしようとGoogle先生で『大田黒記念館』と検索すると、けっこうな数のブログやお散歩サイトのようなネット記事がヒットするのですが、その中に『大田黒記念館の中は撮影禁止』という記述が散見するのです。
↑の写真で分かると思いますが、帆船のランプの右側の下にカメラとスマホのイラストに赤い斜線がしてある撮影禁止のプレートがあるのですが、僕は暖炉の棚の上に3つの写真立てがあり、そこに大田黒氏と奥様が映った写真が納められています。
記念館に入った時は入り口にもピアノにも蓄音機やテーブルにも『触らないで』というプレートのみで『撮影禁止』のプレートは暖炉の上のみなので、暖炉上の写真は写さないでという意味だと思ってパシャパシャ✨していたのですが、途端に自信がなくなりました。
ということでウジウジ考えても仕方がないので家から徒歩圏内という事も手伝って4月16日の仕事終わりに再度、大田黒公園に行き管理室から出てきた職員の方に訊ねて来ました。
結果はというと、僕が当初勝手に解釈していた通り『館内は基本どこを撮影してもいいですが、お写真だけは撮影しないでください』との回答でした。
ついでに4月14日に撮影した写真を見せて確認したら『これなら問題ないです』との、お墨付きをいただきまして問題解決と相りました。(←説明が長くてスンマソン🙇♂️)
という事で話しを戻して。
窓ガラスには模様が入れられていて、これまたいい雰囲気です👍
こちらには、当時の大田黒氏の自宅(現大田区)で定期的(全14回)に催されていたピアノ演奏会のプログラムが飾られています♪
↑の写真は第1回の『ドビュッシューの夕』と書かれています。
この頃の刊行物にはドビュッシューとかドビッシィなどと書かれている物もあったりします。
そして、演奏会で実際に演奏されていた曲目も記載されています。
最初に触れていませんでしたが、大田黒氏は、それまで日本では知られていなかったモーツァルト・ドビュッシー・ロッシーニ・ラフマニノフなどの作曲家を、日本に紹介したという、ここ1点だけ取っても物凄い功績ですよね。
ということで↑の写真を撮ったのを最後に大田黒記念館から外に出まして、最後に回遊式庭園の歩いていない池の半周に行こうと思います。
休憩所
が、その前に休憩所がある管理棟の受付横に鯉のエサがあるのを思い出して1袋を買いました。
お会計は性善説のもとに成り立っています。
そして、鯉のエサ売り場の真後ろに水槽があって魚が泳いでいますが、この魚は池で生まれた鯉の稚魚なのだそうな。
そして、ここが管理棟と繋がっている休憩所。
休憩所から見る青もみじ。
ついつい長居しそうになります。というか無料で利用できる公園なので、寒い時期や猛暑の時期以外は近所の人が読者などをしていそうです。
中庭・井筒
休憩所の窓からは中庭が見えていて
そこに井筒がありました。
井筒とは、井戸の地上に出ている部分を木や石で囲ったものの事を言いますが、こちらのは石ですね。
休憩所の東側から出たところに茶室の縁側があり、そこに関谷石(止め石)がありました。
こちらは休憩所側から茶室に上がるところですが竹の結界がありました。(茶室は要予約で有料です)
満開のサトザクラ
休憩所を出て大田黒記念館の方に戻り、記念館の入り口の向かい側に催事広場というエリアがあるのですが、その入り口脇にキリシマツツジの花が咲き始めています。あと半月くらいで見頃になるかな?
↑が確認の為に再訪した際(4月16日)のキリシマツツジですが、けっこうな速さで開花していますね。
ということで、竹垣で囲まれた催物広場と呼ばれるところに入るとサトザクラが満開に咲いていました。
八重桜系の桜は、ぼんぼりみたいでボリュームがあっていいですね。
最初、4月12日に荻外荘公園、角川庭園の後に人混みでパスしたと前の投稿で書きましたが、それは4月12日と13日の2日間『野草展』という催物をやっていた影響もあったようです。
朝イチは、その野草展で使われていたテントの撤去作業中で、この催物広場には入ることができなかったのですが。
休憩所で、それまでに撮った写真を編集しながらまったりしていると、それほど時間はかからずに撤去作業が終わっていて入る事ができました👍
この広場には、ちょうど花が咲いていたブルーベリーや。
アヤメ科のシャガ。
スズランスイセン(スノーフレーク)の花などが咲いていました。
そして、ここには枝垂れ桜もあるのですが葉桜で。
ほぼほぼ見頃は終わっていました。
庭園再び
ということで池に戻って今度は鯉のエサやりを。
みなさんアグレッシブです😅
鴨も目で『エサよこせ』とアピールしています。
ということで、先ほどとは反対側から東屋に到着。
東屋の中からパシャリ✨
ってなわけで、そろそろ帰る事にしますが、帰りしなに芝生を見ると竹ひごをシュロ縄で結んでテントの骨組みみたいにしたものが。
これは、生えてきたばかりのネジバナの芽を誤って踏んだり引っこ抜いたりしないようにガードしているものだそうです。
今回は大田黒記念館を別記事にしようかなと思うくらい僕の記事にしては長くなりましたが、この1枚を最後に久々な大田黒公園を後にしました。とさ。
ではでは👋
【住所】
〒167-0051 東京都杉並区荻窪3-33-12
【開園時間】
9時00分〜17時00分
【休園日】
水曜日および年末年始