5月5日のことです。
善福寺公園を後にして。
こちらに凸💨
井草八幡宮の由緒
井草八幡宮は、平安時代末期に創建された旧井草村の鎮守です。
もとは春日社でしたが、建久4年(1193年)に源頼朝が奥州遠征の際に、戦勝を祈願して八幡大神(やはたのおおかみ/応神天皇)を合祀したことで八幡宮となりました。
頼朝が弓で地面を掘った際に水が湧き出すのが遅かったという伝説から、かつては『遅野井八幡宮』とも呼ばれていました。文明9年(1477年)には太田道灌(おおたどうかん)が、寛永年間(1624年〜1644年)には三代将軍の徳川家光が社殿を造営するなど、時の権力者から篤く崇敬されました。
境内は約1万坪と都内有数の広さを誇り、縄文時代の遺跡も発掘されています。現在も5年ごとの流鏑馬神事などの伝統行事が継承されており、地域の歴史と信仰の拠点となっています。
ということで。
先程降りた善福寺公園のバス停の道を青梅街道の方向にテクテク👟
程なくして、青梅街道が視線の先に見えてきました。
そして、井草八幡宮前の交差点に到着。
そこから右を向くと……
北鳥居
北鳥居前の両側に鎮座する大灯籠(だいとうろう)。
どのくらい大きいかというと、柱部分の朱色が途切れる基礎部分との境目の高さが、180cmの僕の身長よりも高いです。
そして、大灯籠の銅板葺の屋根は約8畳の大きさがあるそうな。
そして、北鳥居。
こちらも、大灯籠とのバランスの兼ね合いもあるので、もちろん大きいです。
北参道
北参道も、道幅が広く比較対象として人を入れてパシャリ✨
改めて新緑が見事な季節になりました♪
北鳥居から100メートルほど進んだら参道が左に折れて。
曲がった先で、すぐに突き当たります。
正面には、参拝順路は右ですよと示す看板があり、そこから右を見ると……
楼門
これまた立派な楼門が。
定期的に京都の寺社仏閣に行きますが、それらと比較しても引けを取らない立派さです✨
楼門を潜ると。
袴姿の子供達が見えまして。
建物の中に消えて行きました。
何となく子供の日だからというのは分かりますが、これが何ななかは後ほど分かります。
手水舎
楼門を背にして、すぐ右側に手水舎が。
僕は、いつも無神仏論者で信仰心が無いと、ことある毎に言っていますが、鳥居や楼門、神門を潜る際の一礼と、手水舎での御清めは、その場のマナーとしてやるようにしています。
ちなみに↑の手水舎のぐるりに等間隔に垂れている糸はカラス避けなのだそうな。
境内社
手水舎の、すぐ裏側に境内社の祓戸神社(祓戸大神・須佐之男命)と。
三宮神社(天照大御神・春日大神・満天天神)があり、
手水舎で御清めをした後に、こちらで参拝をするのが正式な手順のようです。
三宮神社の横には絵馬掛け所がありました。
神楽殿
絵馬掛け所の真後ろ。
位置関係的にはジグザグになるのですが、先程ちびっ子たちが入って行った建物に、ちょいと戻って。
こちらが神楽殿。
手前には、『遅野井こども神楽』という演目が墨書された、いわゆる『めくり』がありました。
ってことは、先程のちびっ子たちは、子供の日ということで神楽を演じていたのでしょうね。
本殿に続く神門
神楽殿から振り返ると、これまた壮大な建物が。
ゴールデンウィークですが、参拝者は予想していたほどは多くなかったです。
本殿・拝殿を取り囲むようになった構造の入り口が神門で、その両脇には狛犬が睨みをきかせています。
↑の写真の左端に見える千鳥破風の建物が授与所で、御朱印や御守りを求める人がけっこういました。
阿形。
吽形。
ということで、神門を潜ります。
拝殿
そして拝殿。
この奥に本殿がありますが、本殿は拝殿の後ろにあり、参拝者が直接は見えない構造になっています。
本殿の手前に拝殿があり、そこを石の間(幣殿)という建物で連結している権現造の構造ですね。
懸魚には鳳凰の彫刻。
木鼻には獅子。象や漠はいませんでした。
扁額。
などを見て拝殿を後にしました。
そして、神門から出た脇に、このようなポスターが。
なるほど、これが神楽殿でやっていたのですね。
これを見ると開演が午後1時からと午後3からになっています。
時計を見ると午後3時のが、あと15分だったので鑑賞することにしました。
遅野井こども神楽
神楽殿に戻ると、出演する子供の保護者と思しい方などが、並べられたパイプ椅子に座っています。
しばらくすると進行役の田中ゆうたろう杉並区議会議員が登壇して、主催しているTokyoカグラッ子プロジェクトについてや、演目についての説明があり。
太鼓や笛を演奏する人が現れて。
楽器の前に座ると。
ちびっ子演者の舞が始まります。
この神楽舞は『こども三番叟(さんばんそう)』という演目です。
続いては、関東で最も古い正統な里神楽の家系で、また陰陽師の流れを汲む家系でもある無形文化財『武州里神楽』石山社中の十世宗家家元の石山裕雅太夫の演奏で。
石山太夫の嫡男である後継者、石山遥貴十一世による舞曲です。
やはり小さな頃から鍛えられているのでしょう。体幹がシッカリしていて要所要所の所作がビシッと決まっていました。
そしてこちらが、源頼朝が東北征伐の際に井草の地で喉の渇きを癒すために弓で地面の数ヶ所を穿つが水は湧かず、弁財天に祈ったところ水が出た、という遅野井伝説が元の創作神楽の『遅野井』です。
お付きの者が源頼朝に弓を渡し。
地面を弓で穿つが水が出ない。
そして、↑が左腕から扇子の先が出ているのは、普段見えない物が現れるという意味合いで神様を表す仕草です。
そして、弁財天に祈りを捧げると。
龍神様が現れて。
その後に、龍王様が現れます。
すると。
水が湧きます。
↑の扇子を水平にしているのが杯を表して、縦にした扇子は源頼朝の杯に水を注いでいるのを表しています。
ちなみに、龍王様が祈りを捧げてから水が湧き出るまでに時間がかかり、その際に源頼朝が『遅い』と言ったのが、『遅野井』という名前の由来なのだとか。
ということで、最後は餅撒きなどがありまして(僕はゲットできずw)、こども神楽は終了となりました。
表参道(東参道)と3つの的
帰りは、来る時に通った北参道ではなく。
表参道である東参道側から帰ります。
そして、東参道の右側、通常に東参道から入ってきた場合は左側に。
三の的と刻まれた石柱があります。
これは、5年に1度執り行われる流鏑馬神事の的を立てる位置の目印です。
僕は、逆行して歩いているので、最初に三の的がありました。
そして、ニの的。
最後に一の的が。
ちなみに、井草八幡宮での流鏑馬神事は5年に1度と書きましたが、2017年を最後に行われていません。
2017年の5年後の2022年はコロナ禍で開催されなかったと推測されるので、それから5年ということは来年は執り行われるのかな?
大鳥居
ということで、正面入り口の大鳥居。
大きさの対比で、人を入れて撮ったのですが見えるでしょうか?
前々から、井草八幡宮の存在自体は知っていて、↑の青梅街道沿いの大鳥居は通って見ていて『大きな規模の神社なんだろうな』と思っていましたが、今回のブログで由来を調べたら源頼朝ゆかりの神社なんだと知り、もっと早く来ればよかったなと思った次第で御座候。
ではでは👋



















































































































