スピードと柔軟性
今日もライセンス講習会がありました。
講師のフェリス氏はとにかく話好きで、よく授業を脱線します。
特に自分の事になると、1部のカマチョ監督と知り合いだとか得意げに話します。
その勢いに乗って「俺の持論でPKを蹴る選手の80%は方向を推測できる!」
っと豪語しました。
それは凄い事だと皆身を乗り出して聞きいりました。
彼の持論は「キッカーが右に蹴ろうとする場合、自然と右手を上げバランスを取ろうとするから右のコースに蹴る!」。「左に蹴る場合は、自然と左手が上がるから左に蹴る!」
っという持論でした。
フェリス氏が、「どうだ!」といわんばかりの顔をしていると、
一人の受講生が「じゃあ、真ん中に蹴ったら、手は両手上がるんですか?」
という質問に対して、フェリス氏は「えっ?」っという完全に裏を取られた顔で、数秒の間、教室内がシ~ンと静まり返りました。
フェリス氏もそこまでは考えていなかったようで何とか答えを言おうと黒板に絵を書き出しました。
「つまり、今の持論はキーパーを中心に、右と左に蹴る場合で上がる手が違ってくる」っとかなりアバウトな答えで乗り切りました。
ここで終わればいいものを、さすがスペイン人。
へそ曲がりの別の受講生が「右に蹴るフェイントだったらどうするんですか?」
という質問に対し、フェリス氏は段々顔を赤くして意地でも答えるといわんばかりムキになってました。
そんなやり取りを20~30分続けようやく本題へと入ったのでした。
今日はフィジカルの授業でパワー、スピード、柔軟性をやりました。
子供の時期は特に怪我の防止やパワーを最大に引き出す「柔軟性」を大切にすることを心がけ、3歳前後で急激に柔軟さが下がる為、筋肉をつけるよりもまず柔軟性を維持することを言われました。
そしてスピードも柔軟性と同じく18歳辺りで伸びきり、個人差はあるものの徐々に下がっていくというデータもあります。
更に子供の時期のスピードに関しては、神経と連動した運動を心がけます。
時間も短くして集中して、できる限り早く動作をするようにします。
トレーニングというよりは、鬼ごっこや、警察・泥棒などといった遊びで引き出すのが一番ですね。
パワーは20代後半から頂点に達しそこから平行線になるので、子供の頃はまだまだ考える必要はなさそうですね。
「スピード」と「柔軟性」はとにかく子供の頃からしっかりはじめることが大切のようです。
僕はもうスピードも柔軟性もなく、油の切れた自転車のようにキーキーいいます。
やはり年齢には勝てませんね
職人
まだ僕がサッカーをやり始めの小学生の頃、ボールとスパイクは必ず各自持参で持ってきた覚えがあります。
そして、中学・高校時代は「ボールに座るな」や「スパイクを磨け」、「用具を大切にしろ」、「サッカーノート」などサッカーに関わる道具の扱いに厳しくいわれてきました。
今年3月にスペイン遠征に来た日本のチームの選手は、皆スパイクは綺麗に磨かれ、練習用具なども全て自分達で運んで当たり前の光景としてありました。
スペインにいて子供が練習行く時にスパイクは持っていくものの、ボールを持っていくという光景は殆ど見られません。
ボールはクラブが用意するもの、コーンを並べたり、片付けたり、練習の準備・後片付けは全てクラブ任せなのです。
試合はプロの様な待遇で、クラブが水やユニフォームを用意したりで、選手はスパイクとシャワーの用意をしていくだけでいいのです。
当然スペインでは靴墨でスパイクを1時間もかけて磨くという行為をしている子供は滅多にいないでしょうね。
ここで思ったのが、スペインは自分が履くスパイクに対しては「物」として愛着はあるけれど、「道具」としてしっかりと管理してないと思います。
そして日本の子供は小さい頃からスパイクもボールも「仕事の道具」として丁寧に扱い、グランドに応じてスパイクを取り替えたり、それに応じメーカー側も革やポイントの数など細部に至るまでのこだわりも見せています。
まさに「職人気質」なのが日本が世界に誇る素晴らしい資質だと思います。
日本の選手は個々でみると、素晴らしい職人技を披露する選手が何人もいます。
スペイン人は自分の技術が足らない部分は「他の人で補えばいい」という楽観的な考えがあり、日本人は足らない部分は練習して「自分自身が補わなければいけない」という考えがあると思います。
だからその職人気質なだけに団体で団結するという事に関してはなかなか難しいのではないでしょうかね。
でも日本の歴史を振り返ってみても、ある大将の元ではしっかりと団結しているので、絶対的なカリスマ性をもった監督がいれば、更に日本は強くなると思います。
誰かいないですかねえ・・・(笑)
有酸素・無酸素運動
今日はフィジカルについての講義と、主に「有酸素運動」と「無酸素運動」についてのレッスンを受けました。
ダッシュや瞬発系の運動で心拍数が170を越えるのは無酸素運動で、それ以下は150前後のランニングや水泳など有酸素運動という、その後は休息をとるなど、トレーニングをする上で基本のことばかりでした。
もっとテクニックや戦術などは後になるみたいで、少し退屈な授業が続きます。
とにかくレベル1はジュニア~ユース年代の子供を中心に、成長期と共に伸びる重要な時期なので、体形に常に気を配ってやらなければいけないからしかたないですね。
そういえば以前1、2部の監督や、アトレティコマドリッド・ユースの監督に指導について話を聞いたことがありますが、皆それぞれ基本の上に独自の指導方法があります。
その基本が時に選手を「少年」のように扱い、精神面などに気を配ってあげることが大切なようです。
そもそも1部の選手も当然サッカーが楽しかった少年時代があり、そこでサッカースタイルの核を作り上げたのですから大人の中に常にそういった少年の心があるというわけですね。
僕が教える子供がしっかりとした「核」を育まなければ、大人になったところで人間として選手として未熟者として扱われてしまいます。
だから今講義を受けていることは、一番大切な基礎を学んでいるんだなと思いました。
スペイン・サッカーの試合
週末土曜日に行われるユースの試合と、日曜日に社会人いわゆる1部~7部の試合がありました。
社会人7部の試合は金銭的な問題でラインズマンはいないので、主審が一人でオフサイドからなにまで判定します。
勿論そんな状態で正確な判定ができるわけ無いので、試合は決まって大荒れですね
主審も黙ってはいないので、選手とケンカすることもしょっちゅう見かけます。
とても一人では追いつかないので明らかにオフサイドの判定を取らなかったり、ファールを取らなかったりで、観客から選手まで主審相手に1対100くらいで文句を言われ正直いつも見ていて同情します。
6部はラインズマンがいますが、まだ線審タマゴの中・高学生くらいの子供がいたりして、これまた観客・選手のプレッシャーを受け完全にてんぱり、誤審の連発。
まともになってくるのは、preferenteと呼ばれる5部クラス以上の試合からでしょうね。
それでも審判に対する罵声は止まなく、試合のレベルが上がるほど観客・選手・監督の罵声も厳しくなってくるので6部の試合でも地元の警察官が出動したりするぐらいです。
こうした下積みを得て4部辺りから主審はじめ、ラインズマンもブーイングに対する免疫が付きどんな罵声でも常に平然としているので、1部で笛吹いている主審は正に「心臓に毛が生えた」持ち主だと思います。
スペインで「審判」という職業は相撲の世界よりも厳しいかもしれませんね。
こうした事情を知り尽くしている選手・監督・観客は当然試合を有利に進めるために、まずすることは笛を吹くたびに取り合えず「レフリーに抗議」することです。
これまたタイミングが絶妙で、オフサイドの瞬間など選手や観客初め監督も一斉に後押しするので抗議の相乗効果となります。
以前スペイン人に何故正当な判定に対しても、毎回わざわざそこまでするのか聞いたことがあります。
これは自然と身に付いた「戦術」として当然のように行うらしいです。
足を引っ掛けられてわざと大袈裟に転がったり、明らかにオフサイドでも線審に抗議し、選手の代わりに観客がレフリーに卑猥な言葉を浴びせます。
もし僕がレフリーをやったら試合中泣くかもしれないですね(笑)
レベルが均衡した試合になると、このレフリーを上手く利用できたチームが勝利を勝ち取ります。
これがジュニア~ユースのカテゴリーでも行われているので、国を背負う代表戦ともなればそれはもうえげつないでしょうね。
いずれにしても「レフリーへの抗議」は「戦術」として重要な要素だと思いました。
スペイン・サッカーの歴史エル・クラシコ(レアル×バルサ)2
スペイン王位継承戦で、最後までブルボン家に対抗してきたカタルーニャには特に厳しく、州政府、地方組織が廃止され、更にカタルーニャ独自の法律や特権も廃止されたのです。
カスティジャーノ語(スペイン語)の使用を義務付け、更に政治家になることはできなくなったのです。
しかし、これらの政策によって彼らは政治の分野では何もすることができなくなってしまった一方で、「産業」に集中することができるようになったのです。
そしてスペイン国内で唯一「産業革命」を成功し、またこの時期ぐらいから、カタルーニャの中心地バルセロナでは「芸術」や「文化」で繁栄し、ガウディなどの芸術家が現れるようになりました。
こうした時代の背景で、1899年バルセロナには「FCバルセロナ、1902年マドリッドには「マドリッド・フットボール・クラブ(後のレアル・マドリッド)」が誕生したのです。
しかし、バルセロナ、マドリッドの歴史的問題は更に深くなるのです。
フランコ将軍の出現で、カタルーニャは暗黒の時代を迎えることになったのです。
フランコはクーデーターを起こし、3年にわたってフランコと戦ったが、敗北したのをきっかけにカタルーニャは政治的な側面はもとより、文化、社会的なものまでもが徹底的に弾圧されました。
カタルーニャ語の民俗芸能、カタルーニャ語による本の出版、氏に至るまでで、例えばジョルディという名の呼び方をホルヘと名乗らなければならなくなったのです。
一方、レアル・マドリッドは政府に近い財界人と交流を深め繁栄し、現在のレアル・マドリッドのホームスタジアムである「サンティアゴ・ベルナベウ」は、当時の会長であったサンティアゴ・ベルナベウ氏の名前が由来しているのです。
彼は、アルゼンチンのスーパースターであったアルフレッド・ディ・スティファノの獲得に成功し、ディ・スティファノの活躍で、「チャンピオンズ・カップ(後の「チャンピオンズ・リーグ」)」5連覇という偉業を成し遂げたのです。
一方のバルセロナは、固有の言語であった「カタルーニャ語」の使用を禁止され、自治権も剥奪され、中央政府に対して抵抗する術が、唯一サッカーだったのです。
「中央政府」の加護を受けていたと言われるレアル・マドリッドに勝つことが、カタルーニャ人の生きがいであり喜びでもあったのです。
こうした歴史・政治的背景があり、今のエル・クラシコ(レアル・マドリッド対バルセロナ)という伝統的な戦いが行われるようになったのです。
スペイン・サッカーの歴史エル・クラシコ(レアル×バルサ)1
スペインリーグを語る上ではずせないのが、レアルマドリッドとバルセロナであります。
国内でも「伝統の一戦 (エル・クラシコ)」と言われるとおり、この2チームがスペインのサッカーを盛り上げてきたといっても過言ではないでしょうね。
このエル・クラシコが盛り上がるのは、単にリーガ・エスパニョーラ内で突出した力を持った「強いクラブ同士」の戦いだからというわけではないのです。
マドリッドとバルセロナという互いの都市が持つ異質な文化や、歴史的背景、などのサッカー以外の要素がクラブチームと絡んで、ダービー戦をより盛り上げているのです。
その歴史を振り返ってみましょう。
バルセロナのあるカタルーニャ地方は、中世の時代に「カタルーニャ・アラゴン王国」という国がありました。
一方のマドリッド周辺には、旧首都であった「トレド」を中心とした宗教国家(キリスト教)の「カスティージャ王国」が存在していたのです。
余談ですが、首都のあったカスティージャ王国の名をとって、スペイン人は標準語のスペイン語のことを「カステジャーノ」と呼びます。
14世紀に「アラゴン・カタルーニャ連合王国」の皇太子の「フェルナンド」と「カスティーリャ王国」の王女イサベルが結婚しました。
その後、それぞれの国の国王・女王となりますが、スペインという統一された国家ではなく、依然として両国とも存在し続けたのです。
この時代はまだ「レコンキスタ(国土回復運動)」を実行しておりました。
つまりイベリア半島には未だイスラム勢力が広がっており、イスラム勢力を半島から追い出すという運動が行われていたのです。
そして、「アラゴン・カタルーニャ王国」は、「カスティーリャ王国」の政策を譲歩しながらも受け入れ、ついに「レコンキスタ」を成功させたのです。
その後、孫のカルロス1世の時代でようやく「スペイン」が統一がなされました。
こうして徐々に生活も豊かになり、言語も統一しバルセロナのカタラン語からマドリッド周辺の、今のスペイン語に統一されたのです。
(カタラン語は生活レベルでは使われておりました)
しかし、17世紀に今のエル・クラシコ戦につながる、歴史的事件が起こったのです。
カスティージャ王国の「ブルボン家」とアラゴン連合王国の「ハプスブルグ家」による、「スペイン王位継承戦」でスペイン連合のブルボン家が勝利したことによりブルボン家(スペイン)が、厳しい中央集権を敷いたのが始まりです。
つづく・・・・・
スペイン サッカーの歴史、1
毎週土曜と日曜日に熱狂的な
リーガエスパニョール(1部~7部)の試合が行われます。
現在世界最高峰の一つと呼ばれるリーガも、一夜にしてできたのではありません。
スペインのサッカーを知る上で、やはり歴史などが深く関わってくると思い調べてみました。
1872年にアンダルシアにある地中海岸の町、HUELVA(ウェルバ)にイングランド人によってサッカーが伝えられ、
1889年スペイン初のサッカークラブ「ウェルバ・レクリエーション」が設立されました。
日本には殆ど知られていない名ですが、現在1部の「レクレアティーボ・ウェルバ(Recreativo Huelva)」ですね。
一方、イングランドに近い北部のビルバオでもサッカーが盛んになり、1899年には「アスレティック・ビルバオ (Athletic Bilbao)」というチームが創設されました。
それを機に、マドリツド、バルセロナなどにもクラブが誕生し、現在のスペインサッカーの基礎が築かれたのです。
この時期産業革命でバルセロナは繊維の街として発展し、多くの外国人が住んでいたという背景がありました。そこで1899年に、スイス人のジョアン・ガンペール氏が、バルセロナに住んでいたスイス人やイングランド人を集めてFCバルセロナが作られたのです。
一方レアル・マドリッドは、1902年に、実はカタルーニャ人(バルセロナ地方)の学生によって作られたチームなのです。
しかし、まだこの頃はサッカーの基礎がなっていない状態でした。
スペインの裕福な家庭の学生がイングランドに留学をし、サッカーを学びスペインに持ち帰ってプレーし始めたところから始まりました。
こうしてウエルバにサッカーが伝わり、その約半世紀後の1928年にサッカー・プロリーグが誕生しました。
その後クーデターなどで一時リーグは中断されリーグが低迷した時期が続きましたが、1960年代再びサッカーが人気を取り戻し現在の最高峰のリーグまで成長したのです。
続いては、スペイン最大の試合とまでなった「レアル・マドリッド対バルセロナ」の因縁の対決を歴史的背景から見ていきます。
講習第2弾
今日の講義はEntrenamiento「基礎練習」についてです。
練習といっても、ウォーミングアップから、フィジカル、メンタル、テクニック、などがあります。
スペインの練習はシーズンを通して3段階に別けられます。
シーズンオフは必ず1ヶ月前後の完全休養がありますので、第1段階シーズン開始約1ヶ月前に「身体を呼覚ます」内容のトレーニング方法と、第2段階「シーズン中」の呼覚ました身体を一定以上に保つトレーニング、そして第3段階のシーズンで心も身体も疲れたのを「休ませる」トレーニングの3段階です。
全てのトレーニングに、この「負荷」と「休息」が比例して行われます。
第一段階の最初は負荷も休息も大きく、第二段階では負荷と休息が小さくなります。
その中でも小中学校の子供は人それぞれ発育も、筋肉の付き方も違うので、ウォーミングアップの正しいやり方や、フィジカルのメニューの組み方などがあります。
この点に関しては日本の方が進んでいる気がします。
数年前はウォーミングアップをしないで、いきなりズゴーン!っとシュートを打つ子供達を見たことがあります。
今ではましになりましたが、とにかくスペイン人はアップやストレッチが少ないですね。
そのくせ練習中激しいのでしょっちゅう怪我があります。
でもほとんどが接触プレーの怪我などで、長期離脱には至らないですが。
フィジカル練習のメニューは年齢に応じた心拍数を元に行われ、フィジカル内容にもよりますが休憩時間も含め長くて20~40分程度です。
色々なクラブを見てきた中で、やはり日本のフィジカル練習の方がきついと思いました。
基本的にスペイン人は辛いことは大嫌いです。
練習も常に楽しくないとすぐに飽きてしまうので、20~30分間走れといったらブツブツいいながらダラダラとペチャクチャお喋りしながら走るでしょう。
教本の言葉にも「Fiesta=祭り」という言葉がありました。
練習は常に楽しませろ!がレベル1の僕達に課せられた課題でもあります。
Volumen>Intenso:量>強度
んん~この僕に子供達を楽しませることができるのか・・・
少し心配になってきた。
「部活」と「クラブ」
そういえば、僕がまだスペインに来て間もない頃、色々日本と違うなあと思うところがありました。
まず、中学も高校も「部活」という授業の延長みたいなのが無く、柔道にしてもサッカーにしてもそれぞれ皆自分が行きたいクラブへお金を支払って習うというシステムです。
よって各スポーツクラブはたくさんの生徒に来てほしいので、ちゃんと資格を持ったコーチの人をお金で雇うという感じですね。
だからコーチは片手間で教えるようなことは無く、「仕事」としてしっかり指導するのです。
大人の社会人1部~7部では「試合の結果」が全て評価に繋がりますが、ジュニア~ユース年代は試合の結果とその過程を重視します。
ちなみにユースは1部:7グループ×16チームで、2部:17グループ×16チーム、3部、4部とあり、それぞれリーグ戦で、練習試合あわせて年間30~40試合行われます。
日本を知るスペイン人コーチの人が言ってたのは、日本は部活という環境下では才能ある選手が潰れてしまうとか。
まず部活は全国など大きな大会になると、一発勝負のトーナメント形式となり、どうしてもリスクを回避する負けないサッカーをします。
全国に行けば当然学校の名前と監督の名前が日本中に知られ、選手も良い高校・大学に推薦で入れるからどうしても「選手を伸ばす」練習よりも「試合に勝つ」ことを優先してしまいます。
勿論中には素晴らしい指導者もいるので一概に「部活」の全てが悪いとは言えないですが。
僕の場合練習は毎日朝練習と夜練習があり、そのうち休みは1日だけでした。
土曜日、日曜日は絶対に試合で、しかも1日2試合以上がほとんどです。
年間試合数は優に100試合はいったかと思います。
こちらでその話をすると、プロの選手でもそんな試合はしないのに、なぜ成長盛りの子供達にそんな過酷な「労働」をさせているのか!?選手が壊れてしまう!と鼻の穴を膨らませて怒られたことがあります。
ライセンスの講義の中にもありますが、子供を指導する方法は心技体を常に心がけることが一番重要だといってました。
「心のバランス」礼儀、モラル、遊び心など子供らしさを育てる。
「体」は身体を酷使しないようにそれぞれの子供の状態を常に心がける。
それと指導の基本として、Volumen>intenso=強度よりも、練習の量(種類)を多くするが掲げられてます。
細かな内容は今後講師のフェリス氏に教えてもらうのですが、とにかく日本よりも圧倒的に週の練習時間、試合数が少ない中でどのような指導が必要なのか更に勉強する必要がありますね。
折角コメントいただいたのに、返信の仕方がいまいち分かりませんでしたので、この場を借りてありがとうございました。
コーチライセンス:2
いよいよ、11月4日最初の講習会が始まりました。
夜7時から10時まで。
場所はかなり大きな中学校で、約40名の教室に、スペイン人以外に、ブラジル人、ペルー人などもいてアジア人は僕一人でメッチャ目立ち緊張しました。
講師はサッカーは勿論、バスケットからハンドボールなど様々なスポーツの資格を持つ資格王フェリス氏です。
最初のレッスンはレベル1についての意味を約30分にわたり説明を受けました。
特に一番強く言われたのが、「レベル1は監督と思うな!」です。
監督の資格としてレベル1を取得しに来たのに、皆頭に?マークが付いたと思います。
レベル1はサッカー選手はじめスポーツ選手の最も大事な部分を形成する基礎中の基礎であって、監督としての本当の業務はレベル2以上からだということです。
だからレベル1を取っても、軽々しく「監督やってます」などと言うなと言われました。
レベル2も3もレベル1を土台としてあるので、いかにこのレベル1をおろそかにする事はできないという事でもあり、若い選手を育てる事が名監督としての条件でもあるというわけですね。
だから厳密に言えばレベル3は「監督」、レベル2は「監督補佐」、レベル3は「選手育成コーチ」、というわけです。
そういうわけでして、最初の講義は2時間ちょい育成についての大まかな流れなどを教えられました。
というのも、まだ教科書が届いてないので事細かくはできないというわけでして・・・これもスペイン人らしいです。
次のレッスンは教科書をコピーしてやるそうなので多少は進むかと思います。