スペイン・サッカーの歴史エル・クラシコ(レアル×バルサ)1
スペインリーグを語る上ではずせないのが、レアルマドリッドとバルセロナであります。
国内でも「伝統の一戦 (エル・クラシコ)」と言われるとおり、この2チームがスペインのサッカーを盛り上げてきたといっても過言ではないでしょうね。
このエル・クラシコが盛り上がるのは、単にリーガ・エスパニョーラ内で突出した力を持った「強いクラブ同士」の戦いだからというわけではないのです。
マドリッドとバルセロナという互いの都市が持つ異質な文化や、歴史的背景、などのサッカー以外の要素がクラブチームと絡んで、ダービー戦をより盛り上げているのです。
その歴史を振り返ってみましょう。
バルセロナのあるカタルーニャ地方は、中世の時代に「カタルーニャ・アラゴン王国」という国がありました。
一方のマドリッド周辺には、旧首都であった「トレド」を中心とした宗教国家(キリスト教)の「カスティージャ王国」が存在していたのです。
余談ですが、首都のあったカスティージャ王国の名をとって、スペイン人は標準語のスペイン語のことを「カステジャーノ」と呼びます。
14世紀に「アラゴン・カタルーニャ連合王国」の皇太子の「フェルナンド」と「カスティーリャ王国」の王女イサベルが結婚しました。
その後、それぞれの国の国王・女王となりますが、スペインという統一された国家ではなく、依然として両国とも存在し続けたのです。
この時代はまだ「レコンキスタ(国土回復運動)」を実行しておりました。
つまりイベリア半島には未だイスラム勢力が広がっており、イスラム勢力を半島から追い出すという運動が行われていたのです。
そして、「アラゴン・カタルーニャ王国」は、「カスティーリャ王国」の政策を譲歩しながらも受け入れ、ついに「レコンキスタ」を成功させたのです。
その後、孫のカルロス1世の時代でようやく「スペイン」が統一がなされました。
こうして徐々に生活も豊かになり、言語も統一しバルセロナのカタラン語からマドリッド周辺の、今のスペイン語に統一されたのです。
(カタラン語は生活レベルでは使われておりました)
しかし、17世紀に今のエル・クラシコ戦につながる、歴史的事件が起こったのです。
カスティージャ王国の「ブルボン家」とアラゴン連合王国の「ハプスブルグ家」による、「スペイン王位継承戦」でスペイン連合のブルボン家が勝利したことによりブルボン家(スペイン)が、厳しい中央集権を敷いたのが始まりです。
つづく・・・・・