
某生成AIで、「乙女坂 山手の女子校」を作ってもらった・・
あまり暑いので、朝からクーラー全全開のスタジオに閉じこもって
食事とトイレの他は、一歩も部屋から出ていないので、
朝・夕の自転車散歩ができず、
多少・・煮詰まり気味で、
気分転換に、生成AI様にお願いして、 乙女坂の図 を作ってもらった・・・
そしたら、こんなのが 出ました・・。
何故か桜が・・・ピンクのバックを背負ってるのが 可愛いけど、やりすぎ感。
道幅を狭める指示を出せば、更に良くなりそう。
なんか、お水っぽい感じがしますが、
リボンがピンクなのは 何故か??? そう学習してるってこと??
遠景で、坂を下ってくる女学生は、 リアル感があって。マジにいそう。
これなんか、もっともらしいが・・ 制服が惜しい・・。
具体的な校名をいれれば良いのか???
何故かピンクのリボンに ピンクのバック
なんか、お人形っぽいですね。 下を歩いてる生徒は リアルな感じ。
手前の派手な子を消してもらって、道幅狭めれば、
乙女坂を下る共立女子っぽい雰囲気も。
背中のバックに謎ブランドロゴがw
それにしても、この生成AI スカート短かすぎ・・・ まあ、そういう学習してるのね。
こちらは、昨秋流行った某Aiで作画。
石川町駅界隈をいかもに歩いていそうな女子高生っぽい。
ピンクのリボンが無いのも好ましい。
先ほどのAI作画よりも、健全?だけど、
スカート短すぎ・・・。
坂の雰囲気も違いすぎ。
山手の乙女坂で何故 和風?建物がでkてくるかは謎。
制服が・・・山手の女子校からはほど遠い・・
生成AIの使い方が悪いのか? AIの学習データが偏よっているのか?
アニメと萌イラストかた学習しているのか?
謎な所が多いのですが、
まだアレコレ試そうと思っております。
横浜 山手の女子校 お嬢様の11系統バス 成美も通ります(60年目)!
夕方になると自転車散歩に出かける
横浜 山手の丘の道、山手本通りには
僕が生意気な高校生の頃からバスが時折走っていて、
今でも11系統のバスが頑張っています。
ネットで調べてみると
11系統は、1957年には 今のルートとほぼ同様の
桜木町ー山手の丘ー平楽ー中村橋 運航
まだ保土ヶ谷には行っていません。
今の路線になったのは1962年からで、
桜木町駅 - 平楽 - 中村橋 - 南区役所前 - 保土ケ谷駅東口の運行。
全線運行便の他、桜木町駅 - 蒔田駅間、中村橋 - 保土ケ谷駅東口間の区間便が存在。
近年、2007年をもって廃線の方針が発表されるが、、
廃止となれば徒歩で急坂を昇り降りする必要があるため、周辺住民・通学利用者の反発は大き、神奈川中央交通に路線移譲の上、横浜市道路局より補助金を受け運行を継続している
という訳です。
そういえば、気が付かない間に
神奈中バスになってるし。
神奈中バスは、 11系統は、YAMATE LINEER と書かれた、
ブラウン・べージュのシックな塗装のバスを走らせているので、
まさか カナチュー とは思いませんでした。
従来の田舎くさい あの カナチュー色とは全く違う!(ディスってすいません)
このバス、も元町の出口(入り口?)から 谷戸坂を一気に山手の丘へと駆け上がり、
横浜雙葉学園の入り口(元町公園前バス停)
↓
フェリス女学院(山手町バス停)
↓
横浜共立学園(地蔵坂上バス停)
横浜女学院も、当然、このバス停。
と、まあこんな具合で、
特筆すべきは、
山手の丘 ファイブシスターズの一校である
成美学園(英和)まで11系統は回ってるんですよねー
なんだか 良くできた話です。
成美学園至近の
蒔田駅前(バス停)があります。
一駅手前の榎町2丁目バス停の方が
近いかも?
なので、まあ、11系統は、YAMATE JK・JC LINER
なのではないかと思うのですが。
さて、運航本数は少な目で、朝の8時台は4本、
その他は一時間に3-2本という感じ。
夕方の自転車散歩途中にお嬢様方の学校近くのバス停を見ると、
パラパラをご利用されているご様子です。
ただし、この11系統のバスは2大急坂があるため、
雪の日は運航停止になるとか・・・
さて、
見ごたえある場所は、 中村橋側の急坂、稲荷坂を
一気に下るところは、景最高です。
多少怖いけど。
高校生当時、原付免許を取り立ての事、
中古バイクで、
稲荷坂を登り切った所から、平楽の手前までは
未舗装の砂利道を走り、
当時はウォ‐クマンが出る以前で、
小型のモノラルテープレコーダを肩からさげて、
バートバカラックの 雨に濡れても(明日に向かって撃ての曲)
を聞きながら、水たまりの穴ぼこを避けて走った光景がよみがえります。
このルート、地蔵坂上を過ぎて、稲荷坂までの区間は
岡の尾根の超狭いくねくね道路を走るので、
結構おもしろいですよ!
Youtubeに11系統の動画が上がっていましたのでご紹介。
100円本コーナーで この本を見たら買うこと
どー考えても 横浜の山手の女子高校を舞台とした
少女漫画の乙女坂戦争ですが、
他にもその路線の作品が無いか見まわしていたら、
風物語 IN 横浜 (集英社文庫 63-I)
著者は 正本ノンさん
という、それらしい 本を見つけました。
これは 集英社文庫 コバルトシリーズから出ている まぎれも無い いわゆる ラノベ で 1983年出版!
コバルト文庫と言えば、 淡い恋愛をテーマに扱った少女向け小説のブランド定番ですよね。
読書メータなど書き込まれた書評を読むと、短編集でまとまりがないとか
ありますが、 大人が見る目と少女の目は違うのだろう思いながら、
中身が気になる所です。
所で、何歳くらいまでが少女なんでしょうかね????
永遠の少女 かっての水森亜土さんとかもおられるし・・
この本を読んてみようと思って探した所、
50年近くも前の本なので、当然新刊では出ていない。
ということで、 古書を探すしかないわけで・・
Amazonの古書価格が なななななーーんとの、
¥29,871 !!!
メルカリでも、 他の古書店でも、値段は同じ!
とビックリしたのであります。
正本ノンさんの絶版本が高いのかと?
思いきや、 そんなことはなくて、
ひたすら、この本が高いわけなんですねー。
謎です!
著者の正本ノンさんは、
1980年代に大活躍されてれているようで、
同時期にかなりの数のラノベを執筆されています。
その中で、横浜舞台モノとしては、
海岸通り物語(集英社文庫コバルトシリーズ)
がありますが、この本は中古で¥866!
舞台は不明なんですが、
あいつ: 8つの恋の物語 (集英社文庫 コバルトシリーズ)
中古で¥1!
とまあ、古書価格にかなりのバラつき。
とりあえず、古書店の店頭のバーゲン本にまぎれてたら、
買いです。
早速テンバイヤー必須。
それにしても、この本の高価格・・謎ですねー。
中身も気になるし・・・
古書店100円コーナーの楽しみ
夕方の自転車散歩のときに、通り道にある古書店、図書館には良く立ち寄ります。
まあ、ご幼少の頃から本が好きなので、
もう、本好きの修正と言うか、
本能のようなものですね。
思い返せば、僕の母も読書好きで、読書には理解があり、 僕は子供の頃は近所の本屋さんで、ツケで本を買う
という事が母から許されておりました。
今から考えると、けっこう、とんでも無い事で、
本に関しては、青天井で
好きな本をツケで手に入れて読みふけったのですが、
その代わりに、お小遣い というものは、あまり貰えた記憶がありません。
バットもグローブもサッカーボールも
ありません。 自転車は貰い物・・。
先年、母が亡くなったあと、叔母(母の妹)から、
実は、私の母は、子供の頃から読書好きで、
本屋で父親のツケで本を好きなだけ買っていたんだよ
と聞かされて、
ああ、あの親にしてこの子あり ってことだねー
と妙に納得してしまいました。
その結果、すごい量の本を読みふけっていたので、
国語の成績だけは、
何の努力をしなくても、優秀で、
そりゃー当然だよねー とか今でも思います。
ただし、漢字の書き取りが多少弱く、 漢字が読めること と書けること は
違うんだ と知ったわけです。
まあ、そんなわけで、 本が溜まりすぎていて、先日、もはや不要と思われた
本をなじみの古書店にて処分した所、結構な金額になり、(段ボール箱30個くらい)
結局、そのお金は 新しく購入した本に見事に化けたのです!
コミック類はかさむので、もっぱらKindelの電子本のお世話になって
おりますが、 案外、読んでみたい本が古書しかない というケースが
多々あり、古書店ハンターとなり果ててるんですが、
実は、店頭のワゴンセール どれでも100コーナーで、
結構、面白そうなもの、探しているものが紛れていたりするので、油断ならないのです。
それに 読んだらハズレ だったとしても、
100円なので、
そー、心も痛みません。 今
時の自販機コーヒーよりも安いし・・・
100円コーナーは、 ジャンルグチャグチャで、
かなり以前に流行った推理モノとか、時代小説とか、が
詰まっているわけで、
夕方に立ち寄ると、
連載時代小説を漁ってるオッサン
官能小説を漁ってるオッサン(いまでも、このジャンルって人気ある?)
アマゾン、メルカリで、高く転売できそうな本を漁ってるオッサン
と一緒になる事が多く、 僕も、そーゆーオッサンの一人に見えるんだろうなー
と思いながら、
古い文庫本の隠れた名作を漁っているわけでした。
最近では、その中の一冊で、サロメの乳母の話 (新潮文庫) 塩野 七生 は、
存外に面白かったです。
オデュッセウスの妻であるペネロが、トロイア戦争勝利の英雄であるオデュッセウスが戦後に待てど暮らせど
ちっとも戻ってこなくて、
ようやく御帰宅したオデュッセウスは、
帰還がかなり遅くなったのは、
帰る途中で難破したり 苦難の連続であった のだ と
説明するものの(オデュッセウスの帰路の苦難に満ちた英雄冒険談)、ペネロペは女性の直観で、
「難破じゃなくて、軟派してたんでしょ、と見破り・・・」
という物語です。
ある意味、現代的でもあるお話。 身につまされます。
ホメロスが謳うオデュッセウスの漂流譚はでっちあげだ! と糾弾する妻ペネロペ。不器用で世渡りが下手な夫を嘆くダンテの妻。サロメの乳母、キリストの弟、聖フランチェスコの母、ブルータスの師、カリグラ帝の馬……歴史上の有名人の身近にいた無名の人々が、通説とはまったく違った視点から語る英雄・偉人たちの裏側。「ローマ人の物語」の作者が想像力豊かに描く短編小説集。
昭和な横浜の白いルノー・カラベル
昭和な時代、現在の根岸森林公園の前のバス通り沿い
の近辺には、ドルフィン の他にも 数軒のレストランがあって、ヴィラ・ベルデ とかもそうなんだけれど、例によってお店のファサード写真が見つからなかったりたりします。
ちなみみに、ヴィラ・ベルデのあった場所は、現在はマンションになっています。
家に近かったので良く行きましたが、週末の夜はかなり混んでいた印象が。
お店の人は若造の僕にも大変に親切でした。
後から知ったのですが、芸能人もかなり訪れていたらしい・・・
そんなわけで、山手本通りから山元町を通って
根岸の旧競馬場跡(現在の森林公園)
まで行く道の写真、映像がないかと探していたら、
1966年(昭和41年)制作の 「ひき逃げ」成瀬巳喜男監督 という映画の撮影舞台が
横浜だという事を見つけて、
早速、DVDをAmaaonに注文して 鑑賞大会 となりました。
出演: 高峰秀子、司葉子、小沢栄太郎、黒沢年男、加東大介、浦辺粂子
高峰秀子と司葉子 が主演という点もポイント!
当時は、交通戦争まっただなかで、
高峰秀子演じる母の 子供が、
司葉子演じる オートバイ大メーカー(どうみてもYAMAHA)
の社長夫人が不倫デート帰りに運転するスポーツカーにひかれて死亡してしまう。
その後の復讐心理劇というアラスジ。
えーーと思ったのは、子供の死亡交通事故で5歳以下の場合は慰謝料数万円
!!!!??? という展開で、昭和41年って、そんなもんだったのでしょうか?
女優 高峰秀子様は、 僕の年齢からすると、僕の高校生時代には過去の女優さん
というイメージでおりましたが、改めて真面目に見てみると
、おフランスのカトリーヌ・フロに似た印象のある
素敵なおばさん という印象で、演技力のある、
しうっかりとした方で、
高峰秀子様の主演映画をもっと見ようと決心した次第です。
残念な事に、アマプラ、ネトフリには主演作の多くは上がっておらず、
あきらめて、DVDを買うほかしかありません・・
で、
この映画、
残念ながら、山元町の商t店街は何回もでてきますが、
山元町の先は無い・・・・・
山元町商店街アーケード
その代わり、 個人的にびっくりした映像が出てきて、
司葉子様演じる社長夫人が運転している車が、
以前、このブログに何回も登場した、ルノー・フロリドのパワーアップ
版、 ルノー・フロリド(カラベル)だったのです。これは見逃せないですねー!
この年代のルノー・フロリドは
1108cc(ルノーR8のエンジン)。
僕のフロリドは初代なので、
845cc (ルノー・ドーフィンのエンジン)
で、ゴルディーニチューンのエンジンでした。
ルノー・フロリドの名称については、
英語圏にはカラベル、
その他の地域は
フロリド(おフランスも含める)でしたが、
2代目が出るころにはすべて カラベルの名称に統一されたようです。
初代と1108エンジン搭載の2二代目の外観は、ほとんど同じなんですが、
唯一違っているところが、リア・フェンダーの凹み部分に空気を取り入れる
開口部があるのが初代、無いのが2代目です。
これは、初代はラジエターの位置が後部座席の後ろにあったのですが、
2代目は、車両の一番後ろに移されたためだと思います。
この開口スリット、雨水が入って、もともと弱いボディーが腐る元凶でしたが、
塞がれてよかった!
なんと、この映画を見ていたら、司洋子社長夫人が運転する白いルノー・カラベルは、
僕が毎日の夕方ドライブで通っていた山手の丘沿いの道を走ってるんですいねー!
これには大感激。
涙が出ちゃうような、僕のナマイキ盛りの若造時代を思い出させるカットです。
まあ、僕のフロリドは、タダで貰ったひどいポンコツカーだったのは別として。
社長夫人不倫デートカーは
白いルノーフロリド(カラベル)コンバーチブル。
ここは、埋め立て前の本牧岬下
道路は未舗装。 コンビナートもありません!
この年代であれば、ホンダS600 日産フェアレディー1500 も発売されていますが、
社長夫人不倫デート車であれば、オサレなおフランス製のほうがベター。
この車、おフランスではブリジット・バルドー様 が宣伝を務めておりましたです。

ついでにですが、先日、TVで吉永小百合様のの若い時代の映像特集を見ていたら
なーんと、吉永小百合様 ルノーフロリドから降りて出てくる 場面を目撃!
やはり、ルノー・フロリドは、美人女優様の乗る運命のくるまなのでしょうか??????
話は、元に戻って
この先が間門 埋め立て前の海が見えてます。
山手の丘の崖沿いの道で、 ここを僕も毎夕走ってました。
この先には韓国公使館があります。
右には当時の貯木場などが見えるエリア
交通事故はここらあたりで起こる。
山手にある社長邸宅ガレージ
1966年 谷戸坂 マリンタワーが見える
おまけ
オープニングは東横線 桜木町ー高島町 間の高架。
1966年には横浜市電も健在! この6年後の1972年に市電廃止。
この映画に出てくる横浜の感想なんですが、
1966年の横浜って もっと都会のイメージがあるんですけど、
映画でみると、終戦からそう何年も経ってないんじゃないの?
という雰囲気があって、びっくり仰天!
この掘割川沿いのカットみると、
掘割川が埋め立てられる前(今は大通り公園に)
って、 昭和20年代かと思われますが、
昭和41年なんですよねー。
いろいろな意味でショックな映画でありましたw
このカットの場所ですが、遠景に丘が見えて、
左の端は丘が切れてそうなので、
元町の対岸から山手の丘を望んでいるようにも思えます。
根岸線 桜木町ー磯子間 開通が1964年なので
映画撮影時に開通しているはずで、高架線が映っていなのは、石川町より海より?
youtube にこの映画のロケ地映像が載っていますのでご紹介
DVDはこちら
手前が司葉子 奥が高峰秀子
横浜 山手の女子校 戦争でマジ酷い目に合ってるし
山手の女子校の長い歴史を眺めてると、
幸せな時期だけではなく、
不幸のどん底の時期もあり、
古い所では、関東大震災で校舎全壊とか酷い目にあっていますが
(まあ、旧横浜市内全域が酷い被害ですけれど)
なんとか立ち直った後に、第二次世界大戦時、
旧軍による校舎接収と横浜空襲で、 再び酷い目にあってしまいます。
終戦を迎えるもの近い時期、
戦争の悲劇は、全女学生におよび・・
共立学園は
海軍:横浜港湾警備隊の桜隊が
校舎を兵舎として接収。
爆撃で本校舎1棟残し全壊!
お隣組 横浜千歳女子商業(後の横浜女学院)
も校舎全部を海軍に貸与(実は徴用?・・・・)
仕方ないので、横浜女子商業の校舎一部を
借用。
可憐な(だったかもしれない)女学生は 東芝とビクターの
工場に徴用の憂き目に・・・・
戦時中の工場勤務って、かなり危ないですよね・・。
なんとか全壊は逃れたものの、
横浜千歳女子商業校舎の破損の被害は甚大!
海軍接収時に天井板とか、全部はずされていたらしい。
一方、神奈川女子商業(臣道女学院)← (後の横浜女学院)
昭和19年5月 空襲により山下町校舎全焼。
焼け出される。
この空襲後、海軍様は立ち去った模様・・・
その後、なんとか全壊を免れた 千歳女子商業の校舎を借用。
で、千歳女子商業も、ボロボロになってしまった元の校舎に
復帰。
というわけで、この2校は、ぼろぼろ校舎に同居していたわけです。
この縁が、終戦後、昭和22年に困り果てた2校が合併した
きっかけの様にも思えますね。
さて、フェリスも
海軍:横浜港湾警備隊の橘隊に校舎を
兵舎として接収と、横浜市の記録にあります。
生徒は学徒動員で軍需工場へ・・
ファリスの校舎は他の女子校の様な被害は
免れたようで、ラッキーと思えますが、
終戦後、駐留米軍によって
再接収されてしまう悲劇が! アンラッキー。
まわりの学校の建物を米軍みずから全部爆撃で壊して
しまったので、終戦・占領時に周囲にはフェリス以外に
使える建物が残っていなかった気配が。
横浜雙葉も
海軍省に校舎の2階以上と地下を病院として
接収。海軍は、使用後は現状復帰するというカラ約束。
屋根に赤十字マークをつけるので、
爆撃は逃れられと思いきや、
そんな事には関係なく 爆撃されて、横浜空襲で全校舎壊滅!
女生徒は疎開と勤労動員!
海軍は空襲とともにいずこともなく退避して、
その後、何の連絡もなかった と記録にあります。
山手の丘にはいなかったけど、
山手5シスターズの捜真は、
横浜大空襲で校舎全焼の悲劇にあっています。
場所的に京浜工業地帯の一部だったのが災い?
その一方、5シスターズの成美学園(横浜英和)は、
他のシスターズのような校舎全壊の悲劇は免れた模様で、
蒔田周囲に工場・軍施設、は何もなかったのが幸いしたのでしょうか?
山手の丘から蒔田に脱出した大英断の成果かも。
結果
全壊 横浜雙葉
捜真
神奈川女子商業(臣道女学院)
ほとんど全壊 共立
全壊まぬがれボロボロ 横浜女学院(千歳女子)
ほとんど無事(多分) フェリス ただし駐留軍に接収
成美(横浜英和)
とまあ、終戦記念日までにはまだ1か月ありますが、
華やかなお嬢様の学園も大変な目に会っていたわけで、
校舎の被害だけではなく、戦災による女学生と一般市民の犠牲も
多大なので、これからこんな事が繰り返されないように願うばかりです。
山手の丘 横浜大空襲の被災エリア(赤斜線部)
結構 酷いですね。 外人墓地は無事?
この図だと、横浜女子商業も危ない。
蒔田の成美学園 丘の上だけ、被災を免れているようですね。
蒔田の町も広範囲に被災
あ宝か? 珍品か? スターウオーズのフィルムを発掘! ただし8mm
週明け、本当は作品のフレーム塗装をする予定だったのですが、
あまりの暑さにめげて、冷房を入れた室内で、
いつの間にか行方不明となっている(10年間使って無かった!)
マンフロットの超小型特殊三脚を
ノンビリと探索することにしました。
7月末に使うお仕事ができてしまったんですよねー、泣
道具は、使おうと思うと、見つからないことが多々あり、
整理が下手な自分を反省はしてるのですが、
小学生の頃から、治っていないんですよねー。
で、ひょっとしたららここらあたりにと思いつき、
開かずの収納を無理して開けてみると、
三脚は発見できず、
な な なんと、これまた消息不明となっていた、
スターウオーズEP4 つまり、一番最初に公開された アレ
ですね のフィルムが出てきてしまったのです。
これが、劇場用のフィルムだったら、大変な事で、
流出してしまったEP4のフィルムが、駒単位で切り売り
されていて、一枚7500円!
残念な事に、僕が発掘したフィルムは、
8mmフィルムの長尺もので、
FUJIのシングル8用とあるので、
シングル8映写機を持ってないと見れないんです。
当然、持ってません。
アンバランスな事に、実は16mmフィルムの映写機と、
映写機扱い資格は持ってるんですが。
見るには、ヤフオクで映写機を入手しないといけません。
一応、光学録音音声もついてるので、
当時のビデオよりはマシな画質かも・・
さて、友達集めて、大映写大会を週末の夜にでも
やりたいんだけど、映写機どーしよー と悩んでおります。
利用者登録はがき(応募すると素敵なプレゼントが抽選でもらえる)
英語シナリオ
東映の8mm名が劇場のごあんない
3点セット完備!
フィルムの長さ116mm
フィルムプリント USA
壮絶な宇宙大戦争SF映画とあります。
どーしたもんだろー これ・・・・
ヤフオクで8㎜映画フィルム見てみたら、かなり安いんですよねー?
つまりコレクターがいなんですよねー?
格安でコレクションするなら、今のうちですよ皆さん!
画質から見ると そりゃー スターウオーズEP4だって、
ブルーレイ デジタルリマスター版のほうが、
大画面で画質も格段にいいんですよねー?
サラウンドも楽しめるし。
でも、何故か、16mmの映画のフィルムは良いお値段がついてるんですよーねー?
今時、16mm映写機の方が入手困難だと思うんですけどねー?
で、結局、デザインスタジオのインテリアの飾りに落ち着く?
シングル8の映写機・・欲しいなーーー
スタジオの白バックをスクリーンにして、カタカタ音を立てる
映写機動かして、夜更けの映画大会とか、楽しそうじゃないですか?
価格が安いうちに8mm映画のコレクションしてしまおうかとか
映写機買おうかとか
煩悩にさいなまれるワタクシであります。
横浜 山手の女子校 横浜女学院 ルーツは古い
山手の丘の下、石川町、打越などから見上げると、
丘に見えるのは、横浜女学院の堂々たる
校舎です。
マジ、共立学園は陰で隠れて見えず、
共立ファンはさぞかし、残念?
横浜 山手の女子校 5シスターズ枠では登場しなかった
のですが、横浜女学院は、校舎の存在感の大きさでは
5シスターズに決して負けてはいない模様。
この女子校は、あちらこちらの解説を総合すると、
終戦後に横浜千歳女子商業学校と、臣道女学院の二つが合併して
設立されたようです。
横浜千歳女子商業学校の前身の歴史はかなり長く、
あれこれ調べてみると、 明治19年(1866)に山内茂三郎によって設立された
山内小学校までさかのぼるようです。
横浜雙葉学園前身の横浜紅蘭女学校よりも数年古いんですよね。
文豪、吉川英治氏は山内小学校に通った時期があり、
氏の生い立ちからの思い出をつづった 「忘れ残りの記」
によれば正式名称は、横浜市私立山内尋常小学校とあって、
横浜市の千歳町にあったそうです。
それとは別に、横浜市立山内尋常小学校(都筑郡山内村)があって、
どうも、間違われる事もあるようですね。
山内尋常小学校は、現在は青葉区の横浜市立山内小学校として存続
しています。
山内尋常小学校の経緯もシンプルではなく、
1873創立という歴史の古い小学校(荏田村の観福寺の寺子屋をベースにした荏田学舎)があって、1937年に荏田学舎と同時期に満願寺に開校した「小学石川学校」と合併して山内尋常高等小学校の名称になったようで。
で、結論から言いますと、山内茂三郎氏が創立した
山内小学校の名称のほうが、年代的にもオリジナルだと言えますね。
吉川英治氏によれば、山内氏と奥様が先生を務めた
小さな小学校だったそうです。
その後、
1921年 - 横浜千歳裁縫女学校 設立
中区千歳町1-1
設立者 山内茂三郎氏 校長 山内錦子氏
設立翌年、女学生たちに悲劇が襲う!!
1922年 関東大震災で校舎全焼
1933年 横浜千歳女学校に改称
1936年 千歳高等家政女学校に改称
1932年の地図には、千歳町時代の学校が載っています。
今の長者町丁目のかごに近い地点で、
ガソリンスタンドの裏あたりでしょうか?
ここで、いよいよ歴史的引っ越し!
1937年 山手203番に校舎新築移転 !!!!
山手203番は、共立学園の道を挟んだ
お隣です。
1936の地図 見事移転完了 共立のお隣になりました。
というわけで、共立のお嬢様と横浜女学院のお嬢様は、
同じ乙女坂を登る87年前からの古いご近所友達という事ですね。
古い地図で調べてみると、1932年(昭和7年)頃は
山手203番には越前屋の寄宿舎があったようです。
越前屋は、かっては横浜では大手の呉服から始まった
百貨店で、伊勢佐木町に8階建ての新店舗を建築したものの、
1932年に負債を抱えて早くも閉店。
その後、松屋が店舗を購入し1934年6月に鶴屋として開店
という残念な百貨店です。
旧来の呉服屋的な個別対面販売スタイルにこだわり、
時代の波に遅れたためとか・・・
つまり、廃業した越前屋さんの寄宿舎跡地に移転したってことですね。
1944年 横浜千歳女子商業学校 へ改称
ここで、また悲劇が女生徒を襲います。
せっかくの203番の校舎全部を海軍省に接収される!
仕方ないので、山手のお隣組 横浜女子商業学校の
校舎を一部借りる。
幸いにして?203番校舎は戦火により全壊だけは免れた模様です。
で、終戦を迎え、その後、神奈川女子商業学校との合併との道を
たどります。
一方、神奈川女子商業学校の前身は、
1940年 横浜市小港3-177 小原弁造宅で
夜間塾を開始から始まるようです。
1941年、学校としての体裁を整え、小原弁造校長となる。
1942年 山下町95番地 インド人商会のビルを借用移転
資料によれば、
以前の警友病院(中華街の向い)の裏にあったビルで、
現在の加賀町警察署近く
コンクリートの細長い校舎。倉庫を改造した講堂は、
屋根もまわりもトタン張りで、床は畳敷き だったそうです。
1943年 臣道女学院 各種学校として認可(仮校舎640坪)
1944年 神奈川女子商業学校認可
1945年 空襲により校舎全焼 横浜千歳女子商業学校の校舎を借用。
以上2つの女子校は、戦時中に千歳が校舎を失った臣道に校舎一部を貸したり
した関係だったのですが、終戦時には、両校ともに 校舎はボロボロ・全壊、
残ったのは生徒と先生のみ など、運営的、経済的にも大変な状
一時は校舎の貸借等を巡って、かなり険悪な関係だったようで、
臣道側は理事長一族と校長の対立とかの問題もあり、
なかなか両校とも再建の目途がたたず、
占領軍からは、もう両方とも廃校にしたら とのお達しあり、
あわや というところで、
あまり関係の無かったこの2校を合併して存続させるという、
大変な仕事をされたのが、金子正先生で、現理事長、校長でも
あります。
当時病床にあった神奈川女子商業学校(臣道女学院)創立者 小原弁造氏
に跡を託され、
もう一方の横浜千歳女子商業学校の創立者 山内茂三郎氏からも万事を一任
との言を得て、この難事に向かわれたそうです。
1947年(昭和22年)
両校合併 横浜学院女子商業学校・横浜女子中学校 と改称
1948年 横浜女子高等学校 認可
1952年 キリスト教教育開始
1983年 横浜学院女子高等学校 改称
1999年 横浜女学院行為等学校 改称
金子正先生の当時の回顧録を読むと、まあ大変な事をされていて、
よく、まあ、合併に漕ぎついて、合併再建というよりは、
新しい学校を作るといった方が適切な難事業ですね。
金子正先生は、熱心なクリスチャンでもあったため、
苦難の中にあった2つの学校を、キリスト教に基づいた
日本人による日本人の為のキリスト教育という建学・教育方針で
一つの学校として再建というよりは、新生させたわけですね。
所で、最初に戻って、山内小学校-横浜千歳女子商業学校 の
創立者、山内茂三郎氏は、晩年、横浜女学院の一室に住まわれて、
そこに、吉川英治氏が訪問したというくだりが、「忘れ残りの記」に
描かれておりました。
横浜女学院の一室に住まわれてたってことは、
山内先生の信頼も厚かったんでしょうねー。
まあ、横浜山手の女子校には、それぞれ、長いストーリーがあるんですね!
横浜 隠れ家度Aクラスのカフェ「シカト」
今日の午後、山手の裏のデザインスタジオに、
古いYAMAHAの木管楽器ウインドシミュレータMIDI音源を
エレピに繋いで音を出してみようと企んで、
MIDIケーブルを自転車で取にいった帰り道、
天気も良い午後だったので、
時折 立ち寄る、 謎な場所に存在するカフェが
健在かどうか?
確かめがてら、冷たいコーヒーを頂きに寄ってみることにしました。
(僕は、レイコーとは、絶対呼ばないのですw)
シカト という実に大変な名前のカフェで、
以前、グーグルアースで 実に辺鄙な所にあるのを発見し、
やはり、この季節のスタジオ帰りの午後に、
山手本通りのかなり稲荷坂に近い丘の上から所から、
横浜浜橋めがけて、一気に自転車で駆け降りる途中の
家と家の間の隙間を迷いながら、路地横にある、
終戦直後に建てられ様なのトタン壁の木造家屋の
DIYっぽい改造による、
たそがれた建物のカフェなのです。
決して、オサレで無理したカフェではないのですよ。
もよりの駅からかかなり遠い!
だらだら坂をがんばって登る必要がある!
道に面していないので、大変にわかりにくい!
周囲にオサレなお店とか皆無!
平日は営業しない日も多い!
車では行かないようが良い!
と6拍子揃った難易度が三ツ星のカフェです。
そのかわり、
意識高い系ピーポーはあまり見受けられず、
高校生のお子ちゃまもみられず、
そんな意味で 隠れ家度は三ツ星と思います。
まあ、土日は行った事ないので、混んでるかもしれませんが。
写真撮るの忘れて 全部飲んでしまった
トイレ入り口が面白い事に
元バスルーム?
ついでに、隣に大谷石外壁の蔵があって、
その中もカフェ別室になっているので、
密閉空間を楽しみたい場合は、そちらにも居られる
という特典もあります。
蔵の中、スマホは使えないかも・・w
ここを通り抜けていきます。
蔵の中
探検したい方は、ググって 是非に見つけてください。
ヒントは、お米屋さんの横の脇道 ですよ。
コーヒーですか? お嬢さまが丁寧に入れてくださいました。
ちなみに、googleの口コミ、4.6 ですよ。
元町のイタリアンレストラン MIKI の写真を古本で見つけた
好きだったお店が無くなると寂しいものだけど、
どんなお店だったか? 具体的なイメージが
思い出せなくなるのは
もっと寂しかったりしますけど、
これは、大昔のガールフレンド もしくは、ボーイフレンドの名前は覚えてるけど、
姿がもう思い出せなくて 寂しい・・
のと似てる?
さて、 先日
横浜は伊勢佐木町はずれの古書店前の格安本箱を
先日、散歩ついでに ふらふら 覗いていたら
昭和51年初版発行の、保育社 カラーブックス 「横浜の味」
(文庫本サイズで、カラー印刷のページが3割程度ある)
というのを見つけて、自販機のコーヒーより安いので、
早速、買って中を見たところ、
元町の ミキ が載っているではありませんか!
外観はなく、店内のテーブルだけなのですが、
無いよりはマシというもので、
なんとなく、店内の雰囲気を思だしてきました。
そう広いお店ではないけれど、女性の店主様が
生意気盛り男子の僕にも、親切で、
女の子連れのときには、本当に親切で、
緊張バリバリの僕がドジしないように
気配りしていただいて、
今でも感謝しております。
さて、さて、 本の中でのお店の紹介文が、
何とはなしに、昭和な夕刊紙の飲み屋紹介というか、そんなノリで
なにやら、昭和のタバコ臭いオヤジっぽい文章で、
紹介文の最後に
「魚料理、肉料理、ご飯ものに、タリテアル、マカロニ、
スパゲッティにワインが欲しいところ。」
とありました。
ワインが欲しい所マル で終わるところが昭和の味出してますねー。
今風のオサレさは見事に皆無だねっ!
とか思ったら、
執筆者は当時の神奈川新聞の社会部の記者の方でした。
いかにもです。
テーブルクロスはは当時のイタリアン定番の赤白チェック、
キャンティーワインが置いてあるのが昭和のイタリア感!
紙ナプキンが三角に折っておいてあるとか・・
見どころです!
イタリアのにぎりめし は、 ライスコロッケ
カラーブックス
保育社の経営悪化により1999年に刊行が休止
2007年(平成19年)5月よりメディカ出版の出資を受け再スタートした[7]。2010年(平成22年)にはかつて30万部以上のヒットとなった河合豊彰の『おりがみ』(1970年刊)と『おりがみ入門』(1975年刊)を合わせたカラーブックス『復刻版 おりがみ』が刊行
がんばれ カラーブックス




































