ektarのピントグラスな日々・デザイン備忘録 -4ページ目

大西学園吹奏楽部 my favorite things は、かなりイケてる と思う

日曜日の夜遅く、屋根裏アトリエに籠って秋の作品展の準備下書きをしながら、京都橘高校の台湾ステージ公演をチラ見していたら、橘を見るのが中心になって、結局、うっかり最初から最後まで見てしましまった。

数回に渡り、ローズパレード出場を果したこの高校は、オレンジの悪魔としてすっかり有名になってしまって、

独自のダンシング演奏スタイルはは、数多くの高校吹奏楽部に大きな影響を与えた超有名校で、可愛いオレンジ色のミニスカユニホームには絶大なファン層がついています。

 

4年前に顧問の先生が変わられて、どうなるか? と一時は心配?もしておりましたが、

そんな心配は杞憂で、 以前は、エネルギーで乗り切る ような 若さパワーでどんどん行くような

感じも多少、ありましたが、

今回の公演を聴いて、演奏が丁寧、かつ音楽的になったような印象を受けました。

曲の編曲も大変だったたは思いますが、結構レベルの高い編曲です。

まあ、すごく立派になったね!! です。

 

さて、大人数の演奏に堪能した後、 ちょっと気になって、大西学園演奏の My Favorite Things JAZZアレンジ

を再度聴いてみました。

 

2024.03.16 大西学園中高等学校吹奏楽部/おんまち・みぞのくちライブ

 

 

以前、少ない人数でがんばってる と応援してますが、 この曲は、JAZZで演奏する場合、実は、この程度の人数の方が、

効果的で 聴かせるのではないかと思いました。

個人の演奏レベルが高い事はが前提ですけど。

 

この曲は、皆さんご存知の通り、ミュージカルのサウンド・オブ・ミュージックの中の1曲で、

リチャード・ロジャースの作曲です。 後に、ジャズの巨人? コルトレーンがこの曲を演奏し、

モダン・ジャズの曲としても有名になりました。

 

この曲は、モダンジャズっぽいクールで素敵な和音を響かせてくれるのが魅力なんですが、

僕にとっては面倒なコードの連続で、ほとんんどすべてがマイナー、メジャー問わず

7th, 9th,で、♭5 ♭9 とか くるくる出てる、下手なアマチュアピアニスト泣かせの一曲です。

 

大西学園の場合、こじんまりした人数が、こういうサウンド出すには向いている感じがあって、

まあ、JAZZクインテットっぽい各楽器の個性を出した演奏がされているわけですね。

これがビッグバンド位の編成になると、もっと楽器の音が厚くなり、大人数の吹奏楽団になると、

音が重厚になって、やはり超ビッグバンドサウンドになるわけで・・・

 

まあ、そんなわけで、大西学園の my favorite things  JAZZ 好きオジサン としては、

若いのに けっこー イケてるよねー と感じしてる次第です。

 

 

 

さて、my favorite things  JAZZスタイルの演奏を、ネットに上がっている他の吹奏楽団を

聴いてみましたが、アドリブも含めて、大西学園の子たちのほうが、クールにモダンジャズしてる

感があり、サウンドもジャズクインテット+ ぽくて、素敵な演奏してくれてますね。

途中で入ってくるヴィブラフォンのアドリブっぽい所も結構、クールでいい感じ。

まあ、総じて、各楽器のアドリブ部分は上手ですね。 

この アドリブ 部分は、吹奏楽部の体質というか

構造的弱点で、なかなか難しいのです。

あ楽譜通りきちっと演奏できることは、最も基本的部分ですが、

その上で、音楽的にノルのは また別の事のようなので・・

少人数のメリットは、トランペット隊、サックス隊とか

人数が多きく音が大きい楽器隊が、同じ楽器の息とノリを合わせる

事に気を遣う必要があまり無い?という事もあるのでしょうか?

 

アレコレ、勝手な個人的感想を書いてますが、

識者の方のご意見をお待ちします。

 

 

他の人数の多い吹奏楽団では絶対にできない好演奏で、

仮に、人数の多い吹奏楽団が、 人数減らしてこの曲を演奏したら、途中で演奏崩壊しそうです。

 

贅沢を言えば、演奏を3倍伸ばして、もっと長い時間、勝手に各楽器でアドリブ決めてくれれば、

楽しいと思いました。(これはJAZZオジサンしか受けないので、真に受けないでください)

 

この時の構成

 

フルート 1         一人フルートでセンター支えがんばってる

               ソロ上手

 

クラリネット 2       トランペットがいないので、音の小さいクラリネットで

               メロディー支えて頑張ってる。 ソロ上手

 

A サックス 1        一人サックスでがんばってる ときどきクラに持ち替え?

 

ホルン    1       一人ホルンでがんばってる

 

ユーフォ   2        アドリブ上手  2人でメロディーも支える。

 

テナーバストロンボーン  3  中低音ハーモニーを支える3人娘隊。ソロも上手。

 

チューバ   1        一人で低音を支えてがんばってる   

 

 

ここまでで、管楽器隊11人!!

 

パーカス   5        忙しく良い仕事をこなす。 ドラムはパワー満載でがんばってる。

                ノリもよい。

                ヴィブラフォン JAZZっぽい演奏お上手。

 

       総勢、16人?

パーカス隊が映像の端っこだったのでよく見えず、人数カウントが間違ってるかもしれません。 間違っていたら御免なさい。

 

独り言

この編成で 楽譜に手お入れる編曲も大変なお仕事。ご苦労様です。

一人しかいないパートって、間違えるとすぐわかっちゃうから大変だよねー。 みなさん、間違えないのはすごい。

中高吹奏楽部とありますが、この16人の中に中学生の方も参加されてるのでしょうか?????

 

 

てな事考えてるうちに真夜中になってしまった!

 

ヒルマン インプ 最新お役立ち情報1  ファンは見逃すな!

ご存知の方の多いとは思いますが、最近、僕が良く見ているヒルマン・インプ情報サイトをお役立ちでご紹介

します。50年も経過すると、悲劇の車も、カルトカーの仲間入り! 良かったね!

 

 

以下のサイトで、インプ情報と、インプの兄弟車情報満載です。

まあ、よく熱心にここまで集めたものだと感心しきり!

 
 
 

サイトのトップのリードをご紹介しましょう!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

貧乏人のポルシェ 911

ヒルマン インプ、ルーツ グループのベビーカー (1560 ポンド)。まさにドライバーズカー。

 1963 年に初めて製造され、多くの革新的な機能が備えられていました。最後に登場したのは 1976 年。

コベントリー クライマックス派生エンジンを搭載した軽快なエンジンです。

運転するのは本当に楽しいです。

驚くべきギアシフト。素晴らしいロードホールディング!

後部に搭載されたエンジン (170 ポンド) はすべてアルミニウム合金で、オーバーヘッド カム。

全独立サスペンションを搭載。
スポーティバージョンは、875cc から 55 bhp @ 6100rpm、55.6lbs.ft @ 4300rpm のトルク出力で工場から出荷されました。

ラリーでは75/80馬力を実現。

レース用では、キャブが無ければ(インジェクションの意味?)8500 rpm で少なくとも 110 bhp 。
インプは、スコットランドのリンウッドにある特別に設計された工場で製造されました

ルーツ グループは、これらの並外れた車を 440,000 台生産しました。

リアエンジンのインプは、愛好家の観点からすれば、これまでに作られた量産サルーンの中で最も優れたものの 1 つであることは間違いありません。

1963 ~ 2023: インプの 60 年

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とまあ、こんな具合で、

先に紹介させていただいた、50周年記念本と同じく、インプの良い所だけを見てあげよう という

楽天的なサイトです。

 

レース用に改造したい方には、かなり向いているサイトで、じっくりオリジナルレストア という向きの方には

方向が違うかもしれませんが、技術情報満載なので、相当お役立ちだと思います。

 

 

実用的に、多少難点が指摘されていたトランスミッションは、べた褒めで、ゴムのドーナツも褒めて

いますが、その所は、もうちょっと読んでみたいと思います。

インプの評価は、大好き と 大嫌い に大きく分かれる と言われてますが、

大好きの最右翼サイトです。 暗黒面はスルーされていましたw

 

インプファンには絶対に必要なサイトです。

 

 

 

HILLMAN IMP ヒルマン・インプ 資料館3 ちょっと素敵なファンブック

ヒルマン・インプ 資料館、 3冊目は、前回までの研究資料ではなくて、

 

OUR HILLMAN IMP  Paul Coulter 著

 

インプ 50周年を記念して出されたインプ本で、インプファン的に素敵な本となっています。

 

 

かって、インプは闇に閉ざされた暗い事柄にまみれていたけど、もうその黒歴史は忘れて、

楽しかった思い出、良かった事はを語ろう

というノリの内容で、まあ、悪夢が良い思い出に変わるのに50年かかったという事?

なので、研究書ではありません。

(インプ販売開始は1963年です)

 

著者はインプ現役時代経験者ではなく、インプという自動車が記憶の彼方に消え始めた

頃のインプ所有者なので、初期型インプに関する悪印象は無く、

むしろ、好意的なインプのファンで、

現代のインプファンの代表みたいなイメージがあります。

最近、英国がインプで盛り上がってる雰囲気があるのは、

ファンの世代が変わったからなのでしょうかねー??

 

 

 

厨房時代の悪夢の失恋記憶も、オジサンになると、懐かしい記憶となるの図ですね。

 

 

さて、この書籍は比較的薄い本で、その代わり、カラー写真多数です。

 

構成は、

 

1,インプの生産歴史のダイジェスト。

  ダイジェストで、著者もこの部分(特にテクニカルな部分)には

あまり立ち入りたくないようです。

まあ、ブログ前出のインプ古事記とインプ日本書紀で語り尽くされた感もありますいので。

 

2,インプのその仲間たちの紹介。

  当時のインプのメーカーであるルーツ社は、かって買収しまっくったサンビーム、シンガー、とかのメーカー・ブランドがいっぱいあって、(他にも、タルボ、ハンバーなど)サンビーム・インプとか、

他バッチの一族をコマーシャルカーまで含めて網羅紹介。

インプも初代からのバリエーションを紹介、

カラー写真付きで、インプ一族のビジュアル把握には最適です。

 

 

ルーツ(ROOTES)のルーツ(ROOT)はイギリスの自動車ディーラーで

他のメーカーブランドのように自社生産自動車会社としての生い立ちで無い所が

特徴で、自動車メーカを買収しまくり、多数のブランドを抱えるルーツグループ

となったわけですが、1960年代にクライスラー傘下に下り、その後、クライスラー・

ヨーロッパに再編後、1977年に経営破綻消滅。

以上、wiki調べ

 

そーいえば、僕のインプのスペア部品の箱には、クライスラーのマークが

付いていました。 1970年代の事ですが。

 

さて、構成の3番目は

インプ生誕50周年を記念して、インプの現オーナー、かって所有していたオーナー、50人、50台の、さまざまなインプの記憶を紹介したページで、これはなかなか好企画。

僕も、当時の我が家のインプと家族の事を思い出しました。

さまざまなインプ一族がカラー写真で紹介されているのもよい感じです。

 

その他、インプのレース活動も紹介されますが、本の目的から当然、チューニング技術的な事には触れられていません。

 

 

 

 

 

本のタイトル

 

OUR HILLMAN IMP

 

今風に言えば、僕等のヒルマンインプ

 

Paul Coulter 著

 

著者はパートタイムの自動車ジャーナリスト(本職は測量士)

1997年、17歳の時に、中古のヒルマンインプを購入以来、

熱心なインプファン。

 keeping the imp alive がスローガン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がんばれ! 大西学園中高吹奏学部 少人数編成の奇跡?

5月になると、横浜の港まつりパレードがやってくる。

実際に見に行くと、結構大変なので、

のんびり自宅でにて、 地元TV局のTVKによる中継を眺めていたら、

生中継の最後に、大西学園のパレードは、後日の再放送でご覧になれます と

テロップが出た!

 

なんって事だ! 放送事故? ジャストタイミングでCMが流れた?

とか、頭の中が疑問符だらけ?????

 

 

実は、僕は若いころブラス・バンド(昭和の時代はウインド・オーケストラとかお洒落に呼ばれず、こう呼ばれていた)でトロンボーンを吹いていたので、中高生のブラスバンドの演奏を聴くのは結構好きなのです。

 

中継で大西学園が流れなかったので、夜にYoutubeを漁ったら、早速に親切な方が短い尺ではありますが、アップロードしていたので、ありがたく拝見させていただきました。

そのついでに、最近の大西学園の演奏動画を続けて見た結果、

僕の大西学園に対するイメージが、大きく変わってしまったのであります。

まあ、良く知らなかった ということなので反省!

 

今までの理解は、

京都橘高校の吹奏楽部スタイルを真似た神奈川県の学校 という感が先に立って、

まあ、そんな位置づけ・・・(理解不足で申しわけありません)

 

Youtubeで2024年のハートフルコンサートを見た(聞いた結果)

まあ、なんてすごい子たちなんだと、びっくり仰天・感動!

 

15人程度という 私立高の吹奏楽部としてはかなりの少人数・・

普通は50-60人くらいは平気でいます。

 

しかも、

な な なんと トランペットがない!

トランペット隊が一人もいない というのはかなりのショックでした。

SAX隊もいない・・・

 

それなのに、演奏が始まると、トランペットが無いにもかかわらず、

心地よいサウンドを響かせているという奇跡。

上手に他の楽器で補ってるので、最初からこんな曲 と思ってしまうほど。

 

少人数なので、各自の技量向上力が特別高いのではと想像しております。

 

JAZZのビッグバンド編成がそんな人数であることを考えると、

 

バンドサウンドを出せる限界人数? かもしれませんね。

 

 

 

大西学園吹奏楽部の演奏で感じるのは、

 

個人の音楽的演奏レベルが高いこと・・・

オリジナルのアドリブを数コーラス演奏でこなせるのは素晴らしいですね。

また、欠けてる楽器が多いので、かなり編曲に手を入れる必要があると思うのですが、見事にアレンジされtます。 これは顧問の先生がセンスがある?

音楽的にも、少人数のためか、細かく丁寧な演奏をされてること。

人数問題にめげず、楽しそうに演奏していること。

などなど。

 

まあ、というわけで、今度は 「大西学戦吹奏楽部の奇跡」の演奏を実際に聴きにいって応援したいと思います。

 

ついでに、15人編成での良い所は、演奏してえる人の個人個人を完全に区別できる事かな。

JAZZぽいアドリブの上手なユーホの男子、

聴かせるセンターのフルート、

一曲聴かせるトロンボーのソロ演奏女子

北村英治ばりのクラリネットソロ女子

ヴィブラフォンのアドリブっぽい所もマレット4本持ち!

などなど、すべてのパートの顔(個性)が見えるというのは魅力ではないかと・・

 

付け加えれば、JAZZ,POPs系のビート感も、吹奏楽部としては、

なかなか良いと思いました。 パーカッションもがんばってます。

大西学園吹奏楽部の皆さん、応援してますから、少人数でもめげずにがんばってね!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

HILLMAN IMP ヒルマン・インプ 資料館2

ヒルマン・インプの本で、日本書紀にあたるのが、 

 

「IMP THE COMPLATE STORY]

George Mowat-=Brown 著

2003年初版

 

といいう書籍です。

 

先の、APEX  THE INSIDE STORY OF tHE HILLMAN IMP

1988年初版 から、15年後の出版です。

IMP生産終了から1/4世紀経て、ようやくIMPの事を冷静に

総括できるようになったのでしょう・

 

まあ、THE INSIDE STORY が古い本で、違っているとこも多々あるので、

オレが徹底的に、当時の公文書、関係者への徹底聞き取り調査を

やって、IMP書籍決定版を出すぜー

 

とまあ、こんなノリで・・

 

内容は

当時の関係者に多数インタビューを行った結果を反映。

また、IMPを悲劇に導いた様々な周囲環境・・・

イギリスの政治問題の犠牲に

とか、

ルーツ社の斜陽化

とか、

より高い所からのパースペクティブで捉えた書籍で、

IMP研究家の方は、前出の一冊と共に

必携書籍だと思います。

 

妙な事に、先に出た INSIDE STORY OF THE HILLMAN IMP

についての言及が先の本の誤り指摘個所以外は

あまりなく、巻末のBibliographyにも掲載されいない不思議?

先の本を参考にしてないはずは絶対に無いと思うんですが。

 

著者同士が中が大変悪かった??

二人とも、英国の自動車書籍の執筆者です。

 

 

さてこの本のリードがなかなか良くて、

リード自体で、IMPの本質を良く表しているような気がします。

 

「IMPは英国の自動車業界のサクセスストーリーの一つになれる可能性がありました。

モダンなデザイン、

それに見合ったパワーと優れたハンドリングを備えたこの車は、

MINIよりも優れた車であると広く評価されました。

 

そしてその工場はスコットランドの歴史の中で

輝かしい地位を占めるはずでした。

 

しかし、それはうまく行かず、

初期トラブル、

品質管理の問題、

労使紛争

企業の弱体化

などがすべての計画を台無にしてしまった・・

 

綿密な調査で、悲劇のスモールカーのすべての歴史を明らかにする とかとかいうような感じで、」

 

amazon.comの紹介文も、なかなか良いですね。

この本は、値段もそう高くないし、ファンとしては1冊は持っていたい!

 

「ヒルマン インプは、おそらく英国の自動車史における他のどの車よりも激しく意見が分かれています。好きか嫌いかのどちらかです。 BMC ミニに対するルーツ グループの答えであるヒルマン インプは、グラスゴーのリンウッドにある専用工場で製造され、スコットランドの自動車産業の新時代の始まりを表すものであることが期待されました。デザインチームの主要メンバーへのインタビューと、公式文書の前例のない調査の助けを借りて、この風変わりな小さな車の設計と開発の物語は、それを取り巻く複雑な商業的および政治的陰謀と対照的に設定されており、この本は単なる自動車の本ではなく、危機に瀕している業界についての興味深い洞察でもあります。」


 

さて、僕の知っている限りでは、この2冊を除いては、

IMPに関する詳しい書籍は出版されえいないようです。

2冊とも、相当な労作です。

著者に感謝

 

ついてに、

僕がIMPを好きか嫌いかと言えば、

結構好きです!

 

HILLMAN IMP ヒルマン・インプ 資料館1

以前から、何故か、このブログのヒルマン・インプの記事を読まれてる方

が大変に多い事に気がつきました。

 

長年に渡り放置しておりましたが、申し訳ないので、多少書き足す事に

しました。

 

 

僕は、車の専門家ではないので、多少の間違い、勘違いはご容赦くださいね。

 

 

さて、僕のインプの記事は、決して、インプを礼賛ではなく、まあ、その昔に

アレコレ経験した若者の体験談なので、チューニングの秘訣とかノウハウは

出てきません。

 

インプの中古車を長年乗った経験談なので、恐らく、新車のインプを数日ドライブしたインプレッションとは相当異なると思います。

自動車で、5年以上乗り続けていると、深い何かが見えてきたりすることもあります。

設計した人たち思いもしなかったその車の何かが? 見えてきたりしますw

 

というわけで、昨今流行のSDGS的観点からも、自動車はディーラーのセールストーク、メディアの提灯記事にまどわされず、最低でも10年は乗り続けることを

お勧めします。

 

インプは、最近になって、母国のイギリスでは、ファンの活動が大変に盛んになってきた模様で、コアなインプのチューニング専門サイトも見られるようになりました。

 

インプはプアマンズ911 というキャッチフレーズもあったりします。!

(まあ、耐久性と信頼性の無さは、プラマンズにふさわしい)

 

で、感じているのは、 カルトカーとして持ち上げ過ぎでは?

 

ま、エンスー というのはそんな世界ですけどね。

 

 

例えば、あるサイトでは、例のドーナツと言われるラバージョイントは

「ミッションに対するショックを和らげる優れた設計」とありますが、

耐久性の欠如については触れられていません。

まあ、ショックはない方がIIは思いますが。・・・。

また、シフトについては、リアエンジン車としては

ダイレクトな感覚で優れてるとあります。

まあ、これは、フレキシブルジョインを数年に一度

交換が前提ではあると思います。

あるいは、最近のフレキシブルジョインのレース用リプロ製品が

優秀になったのかもしれませんね。

 

 

 

長い,間、乗り続ける日常の足としては不安要素の多い車ですが、

サーキットが好きなマニアにとってはいじくりまわす素材としはエンジンの

サイズアップが計れない以外は、結構面白いとは思います。

 

インプをインジェクションにして、ディスクブレーキに。

ゴムドーナツは辞めて金属カップリングに改造するのは良く見られます。

 

ここで、本題にはいりましょう。

 

インプ開発の歴史的背景をまとめ上げた最初の基礎資料!

 

[APEX the inside story of HILLMAN IMP]

 

という書籍で、1988年にイギリスで出版。

David & Peter Henshaw 著

 

 

APEXというのは、インプの開発コードだそうです。

 

出版年に、優れた車書籍として多数受賞。

 

 

何故、この書籍が重要かと説明すると、

インプの開発経緯と背景を克明に調査して紹介した初めての

専門書で、ヘンテコなインプ試作車各種の写真も掲載されています。

政治的背景から会社の姿勢なども調べた力作。

 

以後、インプの専門書も出されますが、 上記の書籍が基礎資料

となおりまして、まあ、インプファン必携のインプ古事記 みたいなもんですね。

ただし、その後の専門書インプ日本書紀も必要で、 インプ古事記の誤り訂正などが掲載されているからです。

まれに、どっちの書籍の記載が真実か? という事もあったりして、

面白いですね。

 

 

初版 amazon で購入可能です。 プレミア価格!

表紙の写真は 衝突実験写真ですが、ガソリンタンクはフロントに搭載

されてます。 大丈夫?

 

 

 

 

 

第2版 僕の持っているのはこちら。

上記、イギリスの古本屋でネット注文 

 

 

 

 

 

第3版

なんと、昨年に追加改定3版が出版されてます!

内容を調べてみたら、かなり追加されます。

これもamaqzonで購入可能ですが、結構良い値段・・

 

今になって、追加改定版がでたというのは、

やっぱり再流行して事は間違いないですね。

 

内容で気になるのは、

 

BMW Conversion というのがありますが、

BMW700のエンジン搭載?

バイクエンジン搭載?

 

気になりまねー。

 

New 2023 Edition includes:

  *New chapter – the Imp since the 1970s

  *89 black & white photos, plus 145 in colour, mostly new

  *Rare Prototypes  – Gillie, Asp, Swallow etc

  *Imp Club celebrations of 40th, 50th & 60th Anniversaries

  *Racing, Spares, BMW Conversion

  *Plus the full Imp story: Slug to Apex; the Linwood story; Mk1; Mk2; all the variants; Mk3 to the end

 

こちら、追加改定2023最新版です。

AMAZONで運が良ければ購入可。

僕はイギリスの古書店ネットにて古書買いしました。

 

 

 

覚えていますか? 横浜雙葉学園 昭和な校舎

さて、昭和な時代、時々自転車で前を通った横浜雙葉学園の新築前の校舎が

 どんな校舎だったか?  あまりはっきり覚えていなかったので、懐かしさ半分で調べてみたけれど昭和な校舎写真が出てこない。 なぜか、超古い時代の写真は出てくるのですが。 長い間、すごーく気になっていたのですが・・

 

で、超ラッキーな事に、自分のスタジオの隅っこの 長年に渡り放置して、遺跡となった段ボール山を発掘整理していたときに、 なんと、昭和な時代に学校の夏休みの宿題で描いた 横浜雙葉校舎の図 が1枚でてきた。

夏休みに近所をスケッチしてきないさいという宿題で、他にも描いていたのですが、

たまたまこの1枚が見つかった。夏休み中だったので、通学生もいなく、 校舎正面は人通りもなく、ひっそりしていたので、 怪しまれる事もなくスケッチできました。

当然、道路から描いていて、敷地内、校舎内には侵入していないので、ご安心を。

今だったら、不審に思われて通報されるよねー。

 

恐ろしい事に、小学校1年生の時からの絵が多数埋蔵されていて、まあ、よく、親が捨てなかったもんだと、びっくりするやら感謝するやらです。

 

 

というわけで、昭和な校舎 を思い出したい方々のために、つたない絵ではありますが、ご紹介しておきます。 画用紙が黄ばんで変色してましが、 夏の西日があたってる時間に描いたので、壁は薄くイエローオーカーで着彩。

薄れつつ行く記憶でも、実際の壁面もサンド色っぽい石材、あるいはモルタルであったよういな気が。

 

 

昭和40年代

 

横浜 山手 女学校黄金時代の覚書

昭和な高校生当時の僕にとっては、横浜の山手の丘の上は 一種の聖域ともいえる場所で、、天国とまでは言わないけど、まあ、お年頃の男子高校生にとっては、眩しい場所で、足を運ぶのも恐れ多いエリアでした。

 

美大受験塾でお友達になったお嬢様が横浜の私立女子校、フェリスと共立の女子高校生という事から、丘の上の学校を初めて知ったのですが、

まあ、実に男子学生から見るとゴージャスな学園エリアで・・・

 

何故なら、丘に向かって、左の端から(海の見える公園に近い方から)

1,横浜雙葉学園

2,フェリス女学院

3,フェリスの隣に、 横浜女子商業

4,ちょっと離れて  横浜共立学園

5,その下に      横浜女子学院

 

番外で、

6,横浜雙葉の隣に サン・モール(インターナショナルスクール)

 

以上、昭和当時

 

 

まあ、こんな具合で、キリスト教系の女学校を主として、

女子学生の聖域だったわけです。

 

現在、横浜女子商業が無くなり(中央大に併合後、校舎がはるか遠くに移転)

セント・ジョセフも無くなり、 ほとんどの校舎が建て替えられ、

以前の雰囲気を残してているのは 共立の歴史的木造校舎とフェリスだけなんだけど(以前の雰囲気で新築された建物なんでが。)

 

昭和当時のそれぞれの校舎の雰囲気は、もう昔の写真を見ないと

良く思い出せないのが残念であります。

 

ネットを漁ってみると、昭和の校舎の写真が見れるのは、フェリス、サンモール、

セントジョセフ、共立、くらいで、 雙葉は建て替え前の校舎はまったく見当たらないんですね。 残念!

 

そんなわけで、山手の丘の上は、昭和の時代は、マジ、すごい密度の女子校天国だったって事がお分かりになると思います。

まあ、今でも、1校減っただけなので、ゴージャスですが。

 

 

僕は制服フェッチではないけれど、 フェリスの夏服、共立のエンジ色とは、

いまでもかわらず、横浜の街角で見かけると、オジサンの頭の中はタイムスリップしてしまうのです。

 

いいですよねー あれw

 

かって、丘の上に通学されrていたお嬢様がおられたら、 聖域のお話をお聞かせくださいw

内容が間違っておりましたら、ご指摘ください。 なにせ、かなり以前の事なので、

あまり正確に覚えていないので。

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶の彼方の 山手のドルフィン

先日の元町 MIKI に続いて、 初代 「山手のドルフィン」 つまり 

オリジナルな「ドルフィン」のお店のビジュアル資料を探してしるんだけれども、

これが また、まったく見当たらない (泣)

 

 

僕が生意気盛りの美大生の頃のある日、愚弟が、 おにいさん 家の近くに喫茶店があるよ と 隣の部屋から教えにきた。 つまり、教えてやったんだから連れていけ ということです。

 

そこで、早速、5分くらい歩いてコーヒー飲みに行ったのが「初めてのドルフィン」でした。 当時は、今のようなシアトル系カフェとか皆無で、というか、カフェ とか皆無で、 昭和の意識高い系学生は、喫茶店に朝日ジャーナル持って入るとか、カバーをはずした文庫本を難しそうな顔して読むとか、そういう時代だったのです。

 

さて、お店は白い外壁の平屋民家で、木の入り口ドア、店内は木の床と白い壁で、入り口のカウンターに少年ケニアの本が並べてありました。

このお店は 「少年ケニア」の作者である山川惣治さんのお店だったのですね。

実際にお店を切り回していたのは次男の方だったそうです。

それで、山川惣治先生をお店で見かけた記憶があまりない?

 

お店はそう広くは無く、 窓からは根岸のオイルコンビナートと根岸沖のオイルタンカー、本牧埠頭に向かう貨物船が見える景観! 

 

夜はコンビナートの照明も綺麗なので、 当時のガールフレンド(現奥様)

を連れて良く通っておりました。 

 

ググるとドルフィンの景観は、現在のモダンなものしか出てきません。

1982年に現ドルフィンは建て替えられ、他の会社に譲渡されたという事でした。

(この部分はWIKI調べ)

 

 

ドルフィンが有名になったのは、ユーミンの歌「海を見ていた午後」 1974年LP「ムスリム」に収録されてからで、ドルフィンが「山手のドルフィン」として知れ渡ったのは、

 山手のドルフィンはー 静かなレストランー♪ と歌ってからではと思います。

 

ユーミンがドルフィンに通っていたのは wikiを信じれば、ユーミン高校生当時で ドルフィン開店数年後との事で、そうすると、完全に白い壁の平屋時代で、現在の山手のドルフィンではなかった事は留意点ですね。

まあ、八王子から根岸まで、横浜線でよく通われたもんです。

 

さて、ドルフィンについてアレコレ

■晴れた日には三浦岬もみえる    実は見えないのです。 房総半島が見えたりします。 そもそも、三浦岬って? 

 

■ソーダ水の中に貨物船が見る    席がよければ見えます。 

地理的には根岸湾沖を眺める事になります。

 

 

■一部にドルフィンの場所は山手ではないという説

 

歌詞は文学的創作なので、決して突っ込んではいけません。

素敵な歌詞だと思います。

実は僕はJAZZとBOSSA NOVA おじさんなのですが、ユーミンの70年代のアルバムはすべて持っています!

 

本当に山手にあるの? 問題ですが・・

これはですね、「海を見ていた午後」が出るまでは、誰も山手のドルフィンとは

呼んでませんでした(歩いて8分の近隣住民である僕の知っている限りは)。

地理的はには山手ではないんですね。 まあ、JRの山手駅から歩いていける距離ではありますが。

さて、1972年ころまでは、西洋館の立ち並ぶ山手の丘の道に続く根岸森林公園(根岸旧競馬場跡)に進むと山本町の旧市電駅あたりのレトロ下町っぽい商店街を抜け、森林公園に向かい坂を上っていくあたりから西洋館風の住宅が何軒も続き、山手の続き的雰囲気が漂っていたんですね。その付近は、まだ米軍家族の住宅エリアも返還前で、まあ、今とかなり印象が違っていたんです。

ちなみに、ドルフィンのすぐ近所にはアメリカ軍の消防署があり、完全にアメリカスタイルの消防車が並んで、黄色い消火栓があったり、日本離れした光景。

消防署は米軍住宅エリアの日本返還にともない閉鎖されるそうです。

 

まあ、そういうわけで、 当時の雰囲気としては「山手のドルフィン」でいいかな と思います。

 

ちなみに、山川先生の次男の方は 現在、千葉の四街道で びすとろビアンコ というレストランを開いておられるそうです。

横浜から遠いけど、当時のガールフレンド(現奥様)と行ってみたいなーー。

 

所で、どなたかオリジナル ドルフィンの写真持ってたら、見せてもらえませんかね???

 

 

ご参考に

WEB有隣には詳しいことが

https://www.yurindo.co.jp/yurin/31637/3

 

びすとろビアンコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元町のイタリアン・レストラン MIKI とセーラー服のお嬢様

秋にギャラリー出展のため、BOXアートのモチーフ素材として若いころに通っていた元町の当時のファサードを探していたら、 イタリアンレストラン MIKI のお店が

が無くなっていて、昔の入り口階段近辺の写真さえ、ネットで探して出てこないないので 軽いショックを覚えてしまった!

いつのまにか無くなっていたのは覚えているんだけど、痕跡がないのはショック!

 

そこで、 秘蔵の 交通公社のポケットガイド 横浜 昭和59年改訂版を参照し、

元町のお店地図を見ると、なんとこの当時でもすでにMIKIが記載されていない!

 

このお店はちょうど丘の上のフェリスの下あたりに位置していて、僕が美大受験塾に通っていたころ、同じ塾には山手の丘の上、共立学園(もちろん女子高)、フェリスなどのお嬢様達がおられ、塾友になっていただいた上に学園祭までご招待という、都立高校生だった僕にとっては一身に都立高ガラクタ男子友人の羨望の的になっりして、横浜の美大受験塾で良かった!  セーラー服 とか 憧れ度が高く、入試試験後、合格のお祝いと称してMIKIにお誘いさせていただいたという、当時の高校生としては、まあ、本格的なイタリアンとしては間違いないお店で、

いろいろ思い出の深い場所であります。

 

いまでもあまり変わらないフェリス・共立のセーラー服姿を駅でみかけたりすると、

一瞬 高校生当時の頭に戻ったりしますw 

 

さて、本当にMIKIは存在したのだろうか? あれは記憶の間違いで、他のお店と勘違いしていたのだろうか??? と不安な気持ちになって、がんばってググってみると、 1件だけヒットして、 それが なんと 電通の 電通報という webメディアで、2013年の7月の記事で山田さんという方が 元町の MIKI  の事に触れておりました。

 

「巨大な椅子が置いてある家具屋を抜けて、階段を上った2階にあったイタリアンレストラン「MIKI※1」 でよく食べました。」

 

そうです。 階段を上がった2階になったという記憶は妄想ではありませんでした。

巨大な椅子が置いてある家具屋さんは「ダニエル」で、今でもご健在ですね。

MIKIの店主さんはは女性のきさくな方で、高校生でも歓迎してくれました。

 

MIKIのビジュアルですが、どこ探してもないのが残念ですが、

確かに昭和40年代までは存在していた事は確かです。

 

ちなみに、数十年前、MIKIに誘いしたお嬢様の一人は、美大の同窓生なのですが、 先日の同窓会の際、MIKIの話をしたら、 まったく覚えてませんわ との

事。 聞かなきゃよかった!