べるなーる な、写真教室
今日、皇居の近所を通ったら、なにやら、カメラマンジャケットを着て、カメラをぶらさげた1団と、なんとなく説明してまわっているオッサンの集団に遭遇した。 どうやら、カメラ教室の人たちらしい。この集団は、なんだか怖いものがあるんだ。先生が指さした方に、一斉にレンズの砲列が向く。カリビアンパイレーツの海賊船の艦砲射撃。で、同じ構図の写真が一斉にとれる仕組みなんだろうね。 ここで思いだしだのが、フォトグラファー仲間のベルナールが、日本で開いた、「写真教室」だ。「お教室」じゃないことにご注意あれ。 ベルナールは、基本的には、他人の写真はそれほど評価しない人で、自分の写真が世界で一番と信じているからなんだけど、その説得力は十分にあるアートフォトグラファーだ。 なので、先生の撮ったような写真とおんなじような写真をとろうものなら、その場で破り捨てられるんだよね。先生より良い写真を撮っても、素直には認めないし、ダメな写真は即ぼろくそだ。 いわく、「自分は評論家でも教育者でもないから、教えることはできないが、」と断った上で、構図ぬるい、ピントの深度がダメだ、そもそもテーマがダメと 駄目だしの嵐!
そんなわけで、生徒は激減し、僕が最後まで、アシスタントでつきあってあげたんだけど、まあ、そんなフォトグラファーに付き合ってみると、自分の写真の在り方もはっきりしてくるということで、こういう先生は実はお勧めなんだ。でも、もう2度と、教室は開かないそうです。(笑
で、最近は、お互い写真の見せっこをして、口論しながら、餃子をパクパク食べる、餃子研究会を開いているのであった。 プリントに飛ぶ、ゴマ油にご注意! 僕も先生の写真に、生意気にも駄目出しをつけたりするからであーる。
今日はヴァイオリン
昨日、ヴィーナスのポスターとのご対面で、鼻血じゃなくて、鼻水が止まらなくなってしまい、一夜あけたら、立派な風邪引き人間が完成していた。なので、かなり頭がぼーっとしている水曜日。にもかかわらず、寒い中、マスクの怪人の姿で原宿の近くにある、ヴァイオリン工房に行ってきた。 人生の振り出しは、IDデザイナー(インダストリアルデザイナ 工業製品をデザインするのがミッションのはずだったが・・) というのが僕の正だが、かなり奥が迷路な人物であるので、こういう分野にも当然の事ながら、関係したりしてしまうんだ。
打ち合わせしていたら、いつも間にか、僕が楽器の陳列家具を作る話にすり替わってしまい、焦ってしまったけど、この工房は、ヴァイオリンの上に、超が3つくらいつく、銘器の専門ショップで、ちょっと見てよ と放り投げらた楽器が、350年前のクレモナ産のストラディバリであったりするところが怖い。中を飛んだストラディを受け取った人っていのはそうなないだろねー。ああ、こわい。値段的には、フェラーリが数台あってもかなわないんだね。ここの工房で素敵なのは メンテナンスしている楽器を引き取りにきた演奏家が、チェックのために、皆さん試し弾きをされるんだけど、奏者、楽器ともにグッドが組み合わせに恵まれると、至上の音楽をその場で聞けるとういう特典があることだ。 もう一つ面白いのは、演奏家のヴィオリンケースの中をしっかり覗けることで、皆さん、ニッポンの女子高生よりすご状態で、ナルスルティックなポートレートから、記念カードとか、日本のうちわ とかがはいっていたりする。 おっさんのケースが気兼ねなく覗けて、人生が垣間見えるのが素敵なんだけど、おねえ様のケースを除くのは、なんだか、恥ずかしというか見ちゃいけないというか、そんな気がするの何故でしょうねー?(じゃあ、見なきゃいいじゃなかと突っ込まないこと) あ、ガキのケースの中は、まったく興味ありません。
そういいえば、バイリン、ヴィオラ族と、女性のバディは、なんとなく似てるねーって事を思い出した。マン・レイにも、こんな有名な写真がある事もついでに思い出した。(ヴいオラのお尻をなぜなぜしていると、妙な気分になる今日でした。 ウルビーノのヴィーナスかねー。 明日は、おしりの出ないテーマを書こう。
上野の森できらめく美女に遭遇した夕方
今年の講義はあと数回で終わりなので、フフフフと思いながら明るいうちに事務所にもどろうと上野公園を歩いていると、西洋美術館の脇の大きな看板が、夕日を浴び金色に輝いていた。金色の光を浴びて、優雅においでおいでしてるのは、つつましやかに部分的に手を添えている、裸の美女である。彼女はテッツイアノーの描くところの、ウルヴィーノのヴィーナスで、古典絵画のわりには、現代的な美女なんだね。
いろいろ描かれたヴィーナスの中では、僕の一番好きな美女で、今回、西洋美術館にやってくるヴィーナスのなかでも、ぴか一だと思う。 他のヴィーナスは引き立て役という役周りで、贅沢な企画だけど、これで、ボッティチェッリのヴィーナス、と 春 でもあれば、失神ものの展覧会。 なかなかセンスの良い企画だとおもうたら、フィレンツェ美術館特別監督局長官のクリスティーナさんという素敵なオバサマの企画なんだ。西洋美術館の この企画展のサイトが結構できが良くて、ここは見に行ったほうが良い。しかも、いまなら彼女(長官のクリスティーナさんではない)の壁紙カレンダーも期間限定でダンロードでききるから、最大サイズのを落としておこう。
おそらく、ウルヴィーノのヴィーナスは2度と日本に来ないだろうだから、会いにいかなくては。 あ、それと、彼女のお腹が多少ぽっこりしているのは、当時は、豊な女性が美しい とされた社会で、ヒップも堂々なのだ。つまり、経済的にも豊かじゃないと、豊満体型にはならないからね。痩せているのは、ろくに食べモノも食べられない階層ということになるのです・・・。 ということで、古典のビーナスは、豊なのです。 ・・でも彼女、バストはBカップ?
ユニバーサル・デザインってーーーーっ
ここ数年、メディアによく出てくる、ユニバーサル・デザインってやつは、本音で語ると、デザイナーとしては嫌いである。 と断言するのは反社会的なような印象もあって、デザイナー非国民のレッテルを貼られてしまいのそーので、おとなしくしているデザイナーもさぞ多いかとおもうのだが、あえて、嫌いだ! と断言してみよう。
誰にでも使い易くてやさしいデザイン、こども、病人、老人、ハンディキャップを持った人でも、使いやすいデザインといのが、その目的なんだが、そもそもデザインって そういうもんで、それをあえて、ユニバーサル・デザインと称して、目的にしていまうあたりが実に偽善的な印象が強いんだね。つまり、そういうスローガンを使わないと、デザインの説得力がなくなってしまった、デザインの弱体時代ということでもあるんよ。 よく、デザインの学生が卒業制作で、身体障害者のための・・ とか、幼児のための・・ とか そういうテーマで制作をお行ってくれることあるけど、そういう場合は、へぼなデザインでも、評価しないと、社会的な悪者・・ってとられかねなくて、そこがいやらしいので、もっと違うテーマにしろ・・といいたくなることもある。 社会的、あるいは身体的に弱い人のことを考えて、もののデザインをするのは大切なことであるけど、あまり意識しすぎるのは、違った形ので差別じゃなかろうかとおもうのだ。 また、そいういうテーマを前面に出したデザインって、かなりひどいもあるんだね。つまり、デザイン力の勝負じゃなくて、テーマで攻め様って路線なわけです。
まあ、そんな主張をしないと、デザイナーの仕事の意味が軽く取られてしまうからというデザイン部門の戦略的な意義もあるんだろけど、昔、流行った「人間工学」と同じになってしまうような気がするんだな。
デザインというのは不思議なもので、あの使いにくくて、折れやすくて、汚れやすくて、ときどき爆発もする、IpodNANO とか、かなり好きなんだけど、どちらけと言えば、非人間工学的形状だし、アン・ユニバーサルデザインだよね(爆
君がIDデザイナーだとしたら、ユニバーサル・デエザイン・・マジですか?(笑
これが早道 俄かバレエマニア作成方法
先日、仕事の写真の撮影の事について打ち合わせをしていたときに、うっかり口をすべらせて、クラッシック・バレエの話になってしまった。まあ、よくご存知ですねとあきれられたのであるが、それには 秘密がある!。
暮に、現代美術と日本少女漫画とバレエの講義をしたとき(爆、その速習方法について伝授したのは以下のノウハウ。
1、バレエ漫画のスワンを読破すること。
2、同じく、バレエ漫画のアラベスクを読破すること。
その後、集中的に、世界的にレベルの高いバレエ団の公演を1年間はしごすること。 イギリスのローヤル、フランスのオペラ座、アメリカのアメリカン・バレー。・シアター、ロシアの復活なったボリショイとかレニングラードとかキーロフですねん。私は、これで、バレエを語れるようになりました(
大切なのは、いいものはしっかり見るということで、ここはケチってはいけない。
デザイナ、アーティスト フォトグラファもそうだけど、色々なものを見たほうが良くて、世の中で、舞台美術あるいは作品が優れているといわれているものは、一度は目を通し たほうがよくて、バレエは女の見るものとか言っているデザイナーは、デザイナーとしては失格なわけで、選り好みはしてはいけないんだ。同時に、男性デザイナーでも、女性ファッションについて、歴史的に語れるくらいじゃないとだめなわけど、デザイナーてのも、結構大変な家業。 こういう僕は、決して オネエ ではありませんので、勘違いしないでくださいね。
今時、JAZZはオッサン趣味らしいね
僕は仕事中は音楽を聞かない主義である。 若いころは、デザイン事務所には、オサレなBGMが流れ、そこで、オサレにデザインするもんだ それがデザイナ事務所のいいところ。とか思っていたけど、今はBGMはいらないんだね。 音楽を聴いているのは、電車の中と、寝る前と、寝ながらと、あと、仕事しないで遊んでいるときに限る。 夜更けにJAZZを聴いている という雰囲気は、一般的にはすごくおっさんらしくて、木目の輸入物スピーカが置いてあるリスニングルームのソファーに座り、水割りかブランデーでも回しながら、紫煙をくるらして、ガウンをはおって聞く類の音楽 というイメージがあるらしい。 ああ、格好わるいじゃん。 この話を、自分のJAZZトリオ(ほとんと冬眠中)のベース弾きである、Tちゃんに電話でしてみたら、Tちゃんいわく「オレ、マジに、ブランデー回しながら、まさしく、そのスタイルで、正しくJAZZを聴いてるよ」 との返事。 思わず絶句。
都会的で、大人的で、ちょっとアンニュイぽかったり、JAZZって大人でいいぜ と思うのはおっさん?そんな意味では、今の日本では、やたらに若いおねえさんのSAX吹き、トランペット吹き、ぴあの弾きがJAZZ系で伸びているけど、大人の味わいがないところが、ちょっと不満なんだ。
JAZZマニアは、いわゆる、歴史的名盤ファンが多くて、新しいのは、あまり褒めない という層が多い。 僕はといえば、10年前に、ダイアナ・クラールを聴いてから、現代感覚のあるアーチストも共感あっていいねー という方向になってしま、名盤系以外のCDを聴くことが多くなった。 ダイアナ姐さんのあの雰囲気は今風でクール美人ぽいところがいいんだよね。で、最近、マニアから、日本向けの意図的味付けでコテコテと厳しく批判されているヴィーナス・レーベルのCDを聴くことがおおいんだが、いいじゃん、こてこて日本人向きで、とか、居直って楽しむ事にしている。このレーベルのCDは、たぶんにモノクロの女性nude写真を意図的に使うことで有名なんだが、
Hぽいほど、中身が良いらしい という結論に達してしまった。 なので、最近は、アマゾンで、そういうジャケットデザインのCDを買うことにしている毎日です。 では、次回は、クラッシックについて語ってみよう。
ピントグラスの楽しみ
仕事がら、カメラとレンズは色々使うし、持っているうちにクラッシックカメラになってしまった機材が多いけど、
デジタルとフィルムのカメラはそうわけへだてなく使っているし、お仕事出動する場合は、ほとんとデジタルなカメラを持っていくこの頃。 フィルムじゃないとまだ出せない世界 というもの確かに存在し、8x10とか、4x5のラージフォーマットでf64以上の超深絞りとかはその類だけど、通常はすっかり現代のデジカメをそれなりに便利に使っています。ラボの現像に出した後の、ハラハラ感から解放されました! お押入れには、あまり使われなくなってしまった8X10と4x5のカメラがごろごろと溜まっています。・・捨てられないのです。・・・・
デジカメはスゴク便利で好きなんだけど、デジカメで失われてしまったものの一つに、ピントガラス があって、暗幕をかぶって、ピントグラスを覗く楽しみもなくなってしまった。レンズを通した光が、ピントグラスに結像し、それを覗いで撮影するというのは、ものすごく不思議な体験で、あっちの世界をのぞいている という雰囲気が強いんだ。
大判カメラはさすがにとりまわすのめんどくさいけど、ハッセルとかローライも、小型ながピントグラスを除いて撮影するカメラで、もしできることなら、ピントグラスを覗いて撮影できるデジカメがあったらなーという心境。別に、フィルムにはこだわりません(笑
明るいピントグラスのほうが、写真は撮りやすいが、覗いていて楽しいのは、古い、暗いピントグラスだ。
これでのぞくと、普通の部屋が、フェルメールのアトリエみたいに見えたりする。
カメラは、カメラオプスキュラ(ラテン語で暗い部分のような意味)がルーツで、まあ、ピンホールカメラみたいなものがルーツなわけだけど、こういう怪しい雰囲気は、デジカメでも欲しいんだよ。
僕は、ポートレートには、ローライフレックスの80mmよりもハッセルブラッドに120mmのSプラナーを使うのが好きだけど、何が好きって、ハッセルのピントグラス(フォーカシンg・スクリーンと称するけど)を覗いて、おねえさまを眺めるの良くて、覗いているいる人にしかわからない醍醐味なわけです。デジカメではこれができなのが残念だ。ピントグラスがないといのは、カメラの撮影の楽しみが、半分くらいしか無いということだし(過激)、デジカメでしか写真を撮ったことがない皆様には、絶対に必要な体験というか、トレーニングだと思うのです。
あ、ピントグラスを除ければ、別に写真はとれなくてもいいかもしれません。(爆
まだ仕事し始めてから2日目だというのに、いそがしい中、地獄の門が気になってしまう
まだ、仕事し始めてから2日目だというのに、なんだか2月の終わりのような、あわただしいペースになってしまった。午前中、某クライアントのグラフィックデザイン案がスタッフから出てきたんだが、デザインの細部が明確でないので、結局、プリントアウトに2Bの鉛筆でゴリゴリ指示を入れて、若いスタッフに渡すと、煙ったい顔されたが許せないものは許せないのだ!(笑 巷では、若手デザイナイーの新鮮発想で作った とかよく出るが、実のところ、ベテランデザイナーの経験を積んだ直感には勝てない部分もがあるんだ。 とかぼそぼそいいながら、お願いだからら直してね という自分に多少の自己嫌悪・・・(笑 こんどはどつくか、若手デザイナーの心にグさっとくる一言でやっつけてやろう!
で、提出デザイン案訂正後は、あわてて、大学に出校した。年明けての最初の講義なので、出席率は毎年最悪の日なのだが、なぜか今日は全員勢ぞろい。前回、お宝動画の大公開をしたのが受けてしまったらしい・・。予想外。講義終了後、油と彫刻の生徒と、最近のアニメ情勢について語り合ったのだが、夕方、某映画制作会社の打ち合わに行く事を忘れていたので、大慌て。東京の下町から山手線を横断して多摩川の近所まで、1時間でいかなきゃならい・・・。 でもしっかりコヒータイムは取っていたのでった。
撮影所で、大荒れの打ち合わせ。某j俳優の画像の使用許可が本人からなかなか降りず、タイムアウトになってしまったので、その部分だけ、真っ黒にしてしまう事にした。 本人が見たらびっくりするだろうねー。ふふふ で、訂正箇所の宿題を山ほどかかえながら、また東京を横断して、東京駅の丸善本店に。で、明日打ち合わせの資料につかう本を4冊。ついでに、イタリア画家の論評を一冊、模型飛行機のキットを1つ買ったところで夜の9時。ああ、もうこんな時間だあ。
今日の心に残る風景は、西洋美術館の地獄の門で、(本日は休刊日)夕日を浴びてそびえている姿はおどろおどろしいものがあって、怖くてよかったね。地獄の門 を初めてみたのは、オマセな幼稚園児時代だった。美大に通っていた叔母につれられてここに来たことが良くあって、その時見た絵はまったく覚えてないんだけど、ロダンの地獄の門とカレーの市民はくっりきやきついていて、クレヨンで、絵を描いていたらしい・・・。 今日、地獄の門を眺めていたら、オイラって、幼稚園児時代より、そう成長していないんじゃね? と感じた夕方だった。なんだか、さっきまで幼稚園児という感じが残っていて、地獄の門 には、そういうタイムマシン効果もあるらしい。
そういえば、小学校の図工の粘土細工の時間に 地獄の門 を楽しく作ったこともあったけ。
ネズミ年にゴリラ
夕方、ベルナールから年賀メールがやってきた。いつも ニューイヤーのグリーティングカードとして、素晴らしいハンドプリントをデカイサイン入りでくれるんだけど、ことしは多少手抜きである。 1年の大半はアフリカとフランスの写真を撮っていて、数か月に1度程度しか会っていないのだが、彼の 世界の銘器バイオリン写真集の撮影の手伝いをしてるので、ときどき一方的 かつ 衝動的なメールをよこす。 日本では、ネズミ の年であるけれど、何故か ゴリラの親子だ。何を食べているか気になりますか? 謎です。
彼はポートレートも良い写真を撮るのだが、このゴリアの表情もなかなかだ。
僕は未だかって、ベルナールのような直球フォトグラファーに会った事はなかった と断言できるほど、個性的なフォトグラファーで、小細工は一切しないで、光と影を撮る というのが彼の頑固なスタイルなのだ。そのフォトジェニックな雰囲気には評価が高い。彼から教わるるところは多いので、一応、弟子にしてもらってるが、実はアート系出身というところで、僕とウマが友達という感じである。ベルナール師匠は、作品はELLEなど中心に多いんだけど、いつもお金がないので、機材が潤沢な日本のカメラマンのように、贅沢な超望遠レンズは使えないので、自分が近寄る という技を駆使している・・・。 というところがストイックで格好良いフォトグラファーなんだ。
自分の視覚で、対象物を取り巻く空間、光、影のグラディエーションを直観的に把握しないと取れない撮影スタイルには、カメラの進歩で最近のフォトグラファーが亡くしてしまったものがあるようにも思える。
イメージの力強さ、豊かなな快調、完璧な構図、影の中のデリケートな美しさ を撮れ というのがベルナールの世界で、どことなく、油絵っぽいのは、血のせい? 本当にエモーソナルな写真は、妙な怨念とか、情念の消えた もっと、クリアな目から生まれるのではないのかな と改めて認識させられたベルナール君の写真であった。
そんなベルナール君は、トロとウニが大好物であります。
万華鏡を作ってる場合では・・・・
あけましておめでとうございます。
今年は、ふだんやりかけていて、そのままにやりかけになってしまう 制作中 構想中 が多すぎるので、備忘録的なメモ代わりに記録を残す計画を立てた。メモ用ノートがあるものの、書きかけばかりが数冊あったりして。
正月休みは、あと4回分の講義ノートを煮詰めたり、新年早々始まる
次のデザインの提案作りとか、崩壊したお仕事部屋を歩けるようにしたりとか、崩壊した車庫兼工房をなんとかする とかいろいろやらなきゃいけない事があったのに、片付け途上で鏡の板を発掘し、わき道に逸れて万華鏡の制作が始まってしまった。 この鏡は、もともと巨大万華鏡を作ろう! というわけで用意しておいたもんだ。万華鏡というか、古い光学アートは 怪しい雰囲気が漂うところがすきで、試作したり、調べたりしたけど、基本的な表現としては、かなり煮詰まっているところがあって、そこをなんとかしたいのだが。
本日、急に試作してみたのは、幽霊が見えそうな万華鏡で、ハーフミラーを部分的に使っているところがポイントなのだが、相当怪しい感じは出ていて、キルヒャー先生が喜びそうなイメージも見える。鏡は、もともと怪しい存在で、鏡の向こうに、世界とかあったりして、怪しい世界をかいま見るものだとおもうのだが、案外、鏡の怪しさに関しての著作は少なく、パルトルシャイテスの著作集とか程度。アマゾンでも、アメリカの若手が数冊さしている程度で、ナナメに読んでみたら、レビューとおりに、あまり面白くない・・・。
個人的には、もっとこの界隈を調べてみたいのだけど、今日は作るほうだ。アクリルミラーも使用たので、板の切断に、古典的な猫の爪式、ひっかき型カッターを使ってみたら、30年前の道具なので、まったく切れない・・・
グラインダーで歯を研ぐところから作業をはじめた。研いでも切れない??? しょうなないので、チップソーで一機に切断作業。チップソーで切るのは数分・・・。掘り出すのに1時間・・・
で、一応、完成を見たので、試作画像を上げてみる。 どちらかといえば、夜景向きなの気もするので、夜になったら港にっかなくては・・・いけるか?(笑
この万華鏡は長さ45cm 三角の長辺の長さ30cm という特大サイズで、具は、そのまま見える景色 というスタイル。 本当は 具 に、ゴージャスなスワロ を入れたいところだけど、量が多いので、誰か不要なスワロを大量に寄付しておくれやす 虫のいいお願いどす。 形は問いません。




