おなか ぽっこり ヴィーナスの謎
芸術新潮が、ヴィーナス様観光団来日記念に合わせて出した、ヴィーナス100選 特集号は、なかなか面白かったけど、結局、以前から謎であった、ルネッサンス以前のヴィーナスのおなかは、何故ぽっこり出てるのか?
というお答えは、発見しそこねてしまった。
立ち読みしたときに、ヴィーナスのおなか の文字が見えたので、長年の疑問が解けるかと思って、あわてて買ったんだけど、家でゆっくりり読んでみたら、がっくし 。
(この特集号自体は、面白いので、書店から消えないうちに入手されることをお勧めしておきますけど。)
さて、この特集号によれば、ぽっこり腹は、
それは、当時の女性がそういう体型をしていたからではないかと・・・・・・
繊維質の穀物を食べて、腸が長かったからか?とか?
ええええええええ
それならば、現代日本人女性はは、おなかが ぽこり とでていなくてはいけないのだ。
現代日本中年のおじさんのメタボ腹はあるが、ここで問題にしてるのは、ヴィーナスのおなか なので、問題外としよう。
画家が実際の裸を見れる時代ではなかったから 適等に描いてしまった説とか、いろいろあるが、どれも、説得力に欠ける。
かの、高名な紳士な美術評論家 ケネス・クラーク氏の著作 ぬうど を見ても、その周囲の研究はあまりされてないようだ。ちなみに、クラーク氏も、背中とおしりにセルライト脂肪がたっぷりついた美女が好みだったことは上げておこう。
1900年頃までは、ぼよんぼよん の豊かなバディーが美人であった西欧においては、ルネサンス以前の
ぽっこり腹も、美女の証 と考えるほかはなさそうだけど、ほんとに、ぽっこりでていたのかどうかは、かなり
怪しいと思う。
おなかいっぱい食べれて、豊で幸せな状態の美女・・つまり、やせっぽちは、貧相で、つきあいたくないようね。という時代だったんだろうね。
世界で食糧難になると、ぽっこり腹と、Aカップ が美女の証であった時代が、またやってくるかもしれないね。
マジかね?
もしタイムマシンがあれば、おなかぽっこり美女がいたかどうか、是非見にいきたいものだ。
クラナッハのクピドとヴィーナス
クラナッハのヴィーナス 1532
Lucas Cranach the Elder, Venus, 1532
夕暮れ・・小雨・・日本海 演歌的なランディング ANA鷲は舞い降りた
週末に、アンコ型力士1名分に達しそうな各種撮影機材と一緒に、遠地撮影の旅に出かけてきた。
案外、何本もの望遠レンズ群は、セキュリティーでチェックされることもなく、素通りしてしまい、やや残念な心境。 チェックのときに、この素晴らしい望遠レンズ群について、10分くらい解説してあげたかったのだが、それを察知されてか、あっさりと、通過してしまった。
帰路、空港の屋上の最悪な環境下、夕闇に紛れて降りてくるシコーキの撮影を試みた。
夕闇で、小雨降り、雲が山から低くたちここめるという、ドラマチックな光景。 カメラにとっては悪夢な状況。
突然、闇と雲のなから姿を現すANAのボーイング767は文学的に思える。 ロマンを感じる瞬間。
何のロマンだ?(自己つっこみ)
ここはどこ? 霧の英国ヒースロー空港? はたまた、ドイツの夜間爆撃から帰還した、銃弾で穴だらけのランカスター爆撃か? サン・テクジュペリの夜間飛行か? と、妄想をひろげながら、
うーん、日本海だから、やはり演歌的着陸風景だなーと実感し、なぜか、「津軽海峡冬景色」をくちずさみながら、500mm(35mm換算750mm)レンズを三脚無で夕闇の空に向ってかまえるという暴挙を企てたのであった。 これは、JAZZの気分ではないね(爆
ノイズが出るの承知の上で、ISO 1600 。
こういう状況化であれば、ある程度ノイズが乗ったほうが、格好はいいかも。
レンズも暗いので、シャッタースピードは多いに低下・オートフォーカスは追従しましぇん。
こんな状況で、750mm相当が手持ちで 暴挙。 でも、案外撮れるもんです(爆
夕闇から、雨の中、突然にドラマチックに現れるので、フォーカスリングをあわてて回しながら、ひじ
の脇を固めてのショット。 その瞬間に恐怖じゃなくて強風にあおられて、機体が大きく
傾いた。 乗客には申し訳ないけど、大きく傾いたほうが絵になる(爆
まじ、翼が地面に激突するかと思うたが、なんとか体制は立て直し。
おそらく、この光景はライブビューじゃ撮れんよねと 深く感じいった瞬間でした。
ファインダーでも、くらやみ+望遠なので、見えにくいんだから。、
α700のファインダー良かったと感じたね。
露出も手動、フォーカスも手動のほうが、ちゃんと撮れるじゃんとか、思いながら、
記念の1枚をゲットしたのでありました。
題して ANA鷲は舞い降りた・・・・
ビーズアクセサリーのデザインの独自性とは? 出願した人、おしえてくださいねっ。
今日、デザインの打ち合わせで浅草橋へいってきた。
で、帰りがけ、ビーズパーツ屋&パーツ屋&パーツ屋 の前を歩きながら、ビーダー界ではありがちな、
キット作品の著作権問題? を思いだした。
デザインの仕事に長年携わっていると、自然と意匠権とデザインの模倣問題にはセンシティブになる。
クライアントに提出後、他の会社から訴えられた実績を作ると、狭いこの世界では仕事もできないからね。
ある物の形に、浦安にいる高名な「三月鼠」風シルエットを使用したがったクラントを、そりはヤバイですぜ と御注進する立場であったりする。
現在でも、単線で在来線特急が走る路線の駅裏に、平気で、スナック ティファイー(ロゴ入り)、バー・ミッキー
(堂々、キャラクター付き)、とかあるのが実情なんだから。
で、ビーズキットを外野から眺めていると、案外勘違いされているのが、著作権と意匠権なんだ。
著作権は、基本的には著作物が対象で、広くは、音楽、絵画、論文まで含まれ、深夜スナックで勝手に歌謡曲を歌うと、お金を払えと 著作権協会が飛んでくるという図式である。 この場合は、音楽と歌詞が対象なわけね。
で、ビーズキットで著作権があるとすれば、それは、レシピと称する「制作解説書」だ。これはまぎれもない著作物。 参考写真、イラストが掲載されれば、それも著作物。 誰が書いても同じにしかならない解説に著作権が認められるかどうかは内容によりけりで微妙。たとえば、カップヌードルの「原材料の表示表」は認められないでしょ
で、デザインはどうなるかといえば、デザインは意匠権でカバーという事になる。
意匠の登録を行う場合、いままであった意匠と異なります 似たものはありません という売りがないと、意匠の登録は認められなくて、似てる、似てない、は審査官の判断になるので、デザイン雑誌で幾多の例が紹介されるとおり、えー? これが通らないのおー?とか、えー? これが認められのー? とか、延々ともめることは多いけど、一度、審査担当官様に、そのあたりの愚痴をこぼしたら、「あのねー、そんなちまちました違いじゃなくて、
決定的に新しい、いままでにないものださないあんたらが問題 」 と一撃されてしまって、
そのとーりです・・・・ とたじたじになってしまったことがある。
ビーズアクセサリーの意匠登録を行った経験がないので、よくわからないのだが、
早い話が、審査官的に、簡単に言ってしまうと、
「どこの誰でも買える部品でつながっているだけ」
という構成なので、いったい全体、どういう風に意匠登録されるのか、非常に興味があって、どなたか経験者の方がいたら、ぜひ教えてほしいと思うんだ。
いまだに、心に突き刺さる、審査官のお言葉でした。
いわゆる、オサレ写真の迷宮
21世紀初頭の写真の特徴が何かというと、「オサレ写真」 ではないかと、最近思う。
カメラがコンピュータを搭載し、イメージのデジタル処理をカメラ側で行えるようになった事により、
カメラのモード設定により、たとえば、
「誰でもデビット・ハミルトン」な写真が撮れるご時世だ。
誰でもデビッド・ハミルトンなモデルを使えるけではなけどね。
誰でも写真が撮れることにより、
1、なごみ系写真
いわゆる、ローテク機材による写真で、機材が写真を決める良い例だね。
誰が撮っても、同じように映る。ピンホールもそうだけど、写真表現の手法
としては、手法に表現が固定されすぎてしまうので、よほど撮影対象を工夫しないと、作品にはならないぜ。
とはいっても、ときどき、ワルな女子高校生あたりが、安物のROMOで、ちょっとビビッドな写真を取ってくれたりするので、侮ってはいけない。
2、個人のエモーショナルな写真
いわゆる、思い込み写真 の世界で、けっこう見るほうとしてはうざい事も多いけどね。 この手の写真は、すき者どうしで、見せ合う程度にして欲しいのだけどね。個人の内面が豊かでおもろい人が、この手の写真を撮ると、
なかなか結構な写真なるんだけど、そういう人に限って、なかなか写真を見せてくれなかったりするんだ。
3、おされ写真 (これは、お洒落になりそこねた写真を差す)
いまどきの雑誌のお洒落カット写真 まがい の写真。
恐らく、このルーツは、航空会社の機内誌と、女性雑誌にあるとみてるけど、ちょっとスノッブで、気の利いたエッセーのイメージカット風に使われるんだ。
「ニースのホテルのブランチで、やさしい潮風に包まれながら、フランスの太陽が私に安らぎを」みたいなカットですね(爆
なぜ、まがい になるかといえば、一部分だけ切り取る とか、絞り解放気味に取るとか、全体的に淡いトーン傾向とか、その手法のコピーのみで構成されているからだ。この場合、精神をパクラなくてはいけない。
これも、ワルな女子高生のなごみ系 と同じように、カメラマニアのダンナ、もしくは彼氏より、同じカメラで
なかなかインパクトの強い写真を撮ってしまう、パワーオサレ系の女性がいたりする。その場合は、極めてストレートな写真で良かったりする。これは、彼女の才能が優れている という証明なんだけど、旦那もしくは彼氏がが、卑劣にも、その彼女の繊細な映像の才能を押しつぶしにかかることが多いんだなー。
女性フォトグラファーの方々・・つぶされずにがんばってください。
てなわけで、今世紀のはじめは、この類の写真の洪水となっていて、半世紀あとには、再評価されるかもしれないね。
この、1,2、3揃った写真のせいで、いままで主流だった、前世紀の1,2、3写真である、1、雑誌コンテスト写真 とか、2、レンズ・カメラ作例写真 とか、3、グラビアアイドル風写真が、目立たなくなってきた印象がある。
先日、フランスのフォトグラファーと、現代日本の写真について話したときに、現代日本の写真の本質として、新旧の1,2,3写真を解説してあげたら、かなり受けてしまって、改めて、まじめにレクチャするはめになってしまったけど、猫写真系、おはなマクロ写真系 はどこに分類されるかと? マジに質問されてしまった・・・困った。
さて、話を、。オサレ写真 に戻すと、これは、どういうものがおされか? という、その時代の感覚によるのだけど、原点が、おされカットの写真を自分でも撮りたい だから、それ以上のものは取れないという、お釈迦様の手の平の孫悟空もみたいな世界でもある。
本当のおしゃれは何か? という、究極のライフスタイルをつきつけて、お洒落写真が撮られれば、おされ からお洒落へ転身するわけで、それには、マジにトレンドリーダ最前線をつっぱしらなければいけないのです。なので、他人にはなかなか理解されなくなりますね。
という見方で、ヘルムート・ニュートンの写真とかを眺めると、なにか心が動くのでありました。
それしても、カメラのエンジンは素晴らしく自動になっても、モデル・・撮影場所 までは、面倒みてくれないから、
まあ、そこが面白いわけですね。
そこの、あなた、ちょっと写真撮らせて・・・・・
最近のANAのサービス 音楽編
縁あって、ANAのボーイング767を良く利用する。
僕は、ガラガラな胴体後部の中央横3列席を独り占めするのが好きで、幸い、いつも乗るローカル路線は、3席どころか、横7席ひとりじめ できるのが嬉しい(爆
スーパープレミアムより、遥かに優雅だ。 前後の座席間隔が狭いのは別にすれは。
ただ、少し欠点がある。
1、仕事熱心な客室乗務員の鴨にされやすい。
2、エンジンの爆音がうるさい
そりゃー、主翼よりも後ろで、エンジンの排気口がよくみえるくらいなので、うるさいのは当然だね。
その昔、北米のあちこち、カバンにマーカーとスケッチブックを入れて、どさまわりのデザイナーをさせられた
事があったけど、そのときは、DC-9の最後部 エンジンの横席によく座ったけど、うるさいだけ
ではなく、壁が熱い! のには閉口したもんだ。
で、騒音予防のために、東北パイアニア製の、外の爆音をカットする、ノイズキャンセラーヘッドフォン
を買ってみた。これは、BOSEのパクリだと思うが。
電車の中で、予行演習をして、なかなか良い結果!
よろこび勇んで、飛行機で使ってみた。 そうだ、機内のサービスの落語と音樂もこれで聞こう。
よれよれのiPodから外して、ひじかけのジャックに入れてみると、まあ、驚くべき低品質!
とても聞けたもんじゃないねー。 小学生の時に作った、鉱石ラジオなみの音質が、最先端ジェット機
からサービスされてくる。 ワンマンバスのアナウスのほうがましだね。
一説によると、良い音だと、録音して持ち逃げするヤカラがいるから、その対策だとか・・ 嘘だと思うけど。
というわけで、、もうちょっと、音質上げて欲しいんだけどねー。 いくらなんでも、ひどすぎるよ。
所で、落語を聴いていると、一番いいところで、スッチーのアナウンスが何度も入るというのは、オイラを狙い打ちしてるんでしょうか? おしえてください。
ドキュメンタリズムとしての写真の終焉は、写真の終焉かもね
デジタル写真は、今や当たり前で、携帯カメラに始まって、おねえたまと奥様に人気のデジイチに至るまで、日本全国どこでも誰てもデジタル写真時代となってしまった。かって人気のHIROMIXも、この時代では、総HIROMIX化しているので、フィルム最後の時代のでぶー でよかったね といえます。
カメラのファームウエアの優秀さにより、誰でもそれなり なごみ系写真が撮れる時代なのだ。
現代の写真は、湾岸戦争のオイルにまみれた鳥写真とか、近くでは、中国のコンテストで有名になった、嘘800のネイチャー写真 などなど、優秀なPhotshoperの手にかかれば、なんでも作れてしまう という非常に便利で困った特徴がある。
ちなにみに、オイラも自称フォトショの使い手の一人だが、写真をいじるのは、相当ディープな写真家でないと
バレル ということは指摘しておきたい。 もっともらしいレンズのフレアーとか、ガラス、メッキ面に反射して見える光源、窓、カメラマン等々、リアルな知識と想像力が要求されるんだ。
さて、こうまで修正が巧妙になると、皮肉な事に、写真が、ピクトリアリズムとか、サロン絵画まがい から脱出し、独自の表現を確立できる方向となった、ドクメンタリズムから、結果として見事に決別する事になってしまう。
これは大笑いということだ。
おいらは、加工無修正主義だ と言ったところで、デジタルな写真データそのもの証拠能力は極めて低くなてきたと思わざると得ない。
もし、ドキュメンタリズムから離れると、それは、絵での版画でもコンセウプチャルアートでもなんでもいいわけで、写真なんかは、表現のための単なる素材、ベースということになる。実は、そう考えている美術作家は結構おおく、気がつかないのは、カメラマン、写真家だけという、裸の王様 的光景が浮かぶ。美術家から見た 素材としての写真の魅力は、写真だと、真実っぽく見られる という事につきるんだ。 それで、コスプレ系現代アートの作品は、写真を素材にしたものが多いという事だよ。
実は、20世紀初頭に、ドマシーとか、ピヨーが試みた、ブロムオイル法の面倒極まりないプリントを作成し、木炭デッサンのような写真を作る世界がデジタルに再来してるといえる。
でも、木炭デッサンも、昔、目を悪くするほと描かされたおいらから見ると、そんなプリント作るなら、最初から木炭使えばいいじゃん となるわけです。
オイラとしては、いままでさんざんお味噌にされてきた、19世紀のレディー・クレメンティナのような 古典的やらせ写真 が、再出発点になると嬉しいね。
昔のことを捨て去ったカメラは思いきりがいい α700の顛末
はっきり言って、仕事では当然安全パイの機材しか使いたくない・・・・。 フィルムの方が、デジタルよりもいいのはあたりまえ・・・・。 レンズは、ウオーレンサックとツアイスに限る(爆 という保守の殿堂のおいらであるが、
お気に入りのミノルタのデジイチを、写真の通信写真大学の美人弟子に譲ってしまい、迷った挙句に、こともあろうに、SONYのα700を買ってしまった。仕事界隈の周囲からは、そんな気持ちの悪いカメラ とか言われてしまったが、実は、自分では、お仕事専用につかわされている巨大なEOSよりも気に入ってしまったんだね。 幸か不幸か、クライアントにCがつくカメラのメーカーがいらっしゃるので、お仕事ではほかのカメラメーカのは使えないのである。
このカメラの良いところは、気持ちよく撮れるカメラ ということだ。 雑誌の記事数誌で、そう紹介されていたが、マジに、気持ちよい写真がとれるんだね・・・これは大切。
もう一つの長所は、ミノルタの亡霊を引きづっているカメラなんだけど、CANON NIKON が捨てきれなかった、フィルムカメライメージの継承 という未練がましい所がないところだ。一番未練がましいのは、FUJIのSシリーズのプロヴィアモードとか、ヴェルヴィアモードのような、ポジフィルムの色再現の追及なんだけどね。
まあ、SONYはフィルムが伝統がないから、こだわらなけれいけない過去と歴史もない! というところが実は有利な点。 失うものなんか、なにもないのだ。
オイラの場合、フィルムを使うときは、ハッセル、ローライ、ライカを出動させて、どっぷり浸かって撮ればよいと割り切り、デジ1の場合は、そのエレキ性にかけてみることにしたのだ。
SONYが未来を見据えてると感じた所は、
1、超高感度でも、低ノイズで撮影可。 ヴィデオカメラぽいんだね。 これで、横浜の夜の街かどスナップがストロボなし昼間みたいの撮れてしまう。まさに、夜の黄金町、伊勢佐木町界隈を撮るのにはふさわしい性能だ。 感覚でいうと、宇宙人が横浜探検で、可視光線を超える波長で撮影している感覚だね。 ここでいう、宇宙人とは、オイラの事です。
2、ハイビジョンTVで写真が見れる・・・・・デジタル本来の意味から見ると、プリントするより、超高解像度ディスプレで見るべきでしょ。 つまり、旧来の写真が内在していた、フィルムフォーマットから規定されるメディアとしての表現の世界 が、デジタルになって見事に崩壊するという見本なんだよ。
3、ダイナミック・レンジ・コンプレッションの実装・・・・おいらは、このデバイスについては5年前から他メーカーの開発に協力してきたけど、様は人間の目の感じ方に近い写真も撮れる ということだ。これは、デジタルじゃないと実現できないし、デジタルカメラだから、必要とされることでもある。
4、ISO感度100以下は無い。すごい割り切り・・・
5、安いわりには、光学ファインダーは優秀で、マニュアルレンズが使える。 ここは、こっとミノルタ遺伝子だろ。
新しいハッセルのファインダースクリーンも確か、ミノルタのア-キュマットだよな。
てな具合に、このカメラ、中身は、いままでのカメラとは全く違うんだね。ほかの保守的カメラメーカーの、あくまでもフィルムカメラの延長というつくりじゃないんだよ。
SONYでは、そんなことは言ってないけど、内心、きっと、フィルムにできなかったことをやってやろうぜ!という魂胆なんだね。
というわけで、繰り返すけど、回りの写真家からは、きもちわりー とか言われてるんだけど、中味のアバンがギャルドさに、おいらはぞっこんんなんだね。 ただし、シリコンオーディオとか、ワンセグがないのは、ソニーらしくないねー。
さて、最後の問題は、オイラがぞっこん だったカメラブランドは、無くなってしまうことが多い ってことだ。
CONTAX、MINOLTA、GRAFLEX,KONICA、EXAKTA、KODAK、POLAROID・・・・
おいらがSONYを買ったせいで、SONYが無くなるかもしれません。
でも、ビデオのベータ、UNIXワークステーションのNEWS、カセットの手軽さと、オープンテープの質を目指してこけた、巨大なLカセット、 松田聖子のパソコン、MSX規格のHitBIt とうとう、やめちまったもの、山ほどあるじゃないか?
でもね、αマウントは、世界で3番目にユーザの多いマウントだから、きっとどこかが面倒みてくれるでしょ・・
しばらくは、このカメラをつかうんだい
一眼レフの形にすれば売れるんだろうが、ID的には未来がないぜ
昨日、いつも通り、チカバの淀橋カメラに大量のDVDの板を買いに出動した。これを出勤と称します。
ついでに、この前、チラっと見て気になったSONYのα350が、欲しい病になってしまっていたので、
アレコレ、聞きたがりの若い定員につきあいながら、実物をいじくりまわしてきた。
オイラの場合は、お仕事は安全パイのEOSなので面白みにかけるということもあり、
趣味は、エキゾチックな趣味的ブランドにするのがスタイルで、
そのおかげで、なくなってしまったCONTAXだとか、MINOLTAをごろごろ抱えるはめに落ちいっているけど、、
アートな魂は絶対的な少数派に宿るのだっ!
まあ、実際のところ、αの旧型銘レンズをいっぱい抱えちまってることもあるんだけどね。
ちなみに、写真と同じく、お仕事でデザインしてますが、趣味もデザインだったりします(爆
このカメラ、背面液晶でフォーカシングとフレーミングが出来るのがウリで、
液晶パネルとちょいとつまみ上げて水平ポジションにすると、
いまだに好きなブローニ版のSLRカメラのピントグラス的なスタイルで使える!
これはおしいい!
カメとか、猫とかトルのに最適だなあ。
と思っていたのだけど、いくつか障壁が出現してしまった。
1、液晶では、フォーカスの確認がちゃんとできない・・・
つまり、カメラのオートフォーカス任せにするっきゃないてことだよ。
・・・・まあ、このカメラの目的からして、カメラにおまかせね! なわけだから、これはしょうがないと思う。
2、ファインダーが小さすぎて、ファインダーでマニュアルでフォーカシングするのは不可能だっ。
つまり、マニュアルで使ってはいけないカメラなんだね。
でも、おいらは、マニュアルレンズもかなり使うんだよ。あー、残念。
せっかく、良さそうなカメラなんだけど、このカメラ、光学ファインダー、いっその事、無い方がいいんじゃないの?
カメラにおまかで、ファインダーが、申し訳程度のファインダーだったら、コンパクトデジカメで十分だし、そのほうが使い心地が良いのでないの???
というわけで、コンパクトデジカメも、用途に合わせて使ってますけど、最近のお気に入りは、RICHOのCaplio GX100で、これはフォトグラファ的には相当に面白いカメラで その前から使っていたGR digital よりも活躍してるんだ。用途によっては、一眼レフデジカメよりも各段によかったりする。
このカメラは、光学ファインダーの他に、ライブヴューファインダーがも使用可能で、しかも水平位置にできるあたりが感動ものだ。昔のエキザクタのファインダーとか思出だすんだよね。
このカメラは交換できない、ズームレンズ固定のコンパクトデジカメなんで、最初からマニュアルフォーカスは考えないし、最初から、オートフォーカスで割り切って使えるのがいいところ。 そういう意味では、なまじ一眼レフの格好していSONYのαが不憫なわけだけどね。 ああ、ついでに、実絞りのプレビュー(これは、あくまでも気やすめ機能ではあるけど、)もついていないんだけど、まあ、このファインダーじゃあ、しょうがないかもね。
なので、α350は、本質的にはコンパクトデジカメで良い世界で、レンズの交換っても、大半の人は、一眼レフじゃないと使えないレンズ を使用することはないんじゃないか? と思わせるもがあるが、一眼レフ が人気アイテムらしいので、旧来の一眼レフの格好しているってことが、まあ、マーケッティング的には大切なんだろうね。
IDデザイナー魂から見ると、一眼レフじゃなければいけない意味 というのは、極めて限られているのだが、カメラの形態の自由度が高いデジカメなので、機械式の一眼レフの形状を踏襲しなけれがいけないという図式には、デジカメの未来が見えない気がするんだなー。
で、オイラの考える理想のα350
1、形状は、ハッセル500スタイル。フードに覆われた大きな液晶を上からのぞく。
2、レンズは、αマウントで、VARIOゾナーのショートズーム標準。
3、光学ファインダー思い切って無!
4、フォーカスはAFで、マニュアル使用時、大きな液晶にてフォーカスポイントの拡大表示!
5、ペンタプリズム搭載で、後ろからのファインダーをのぞけるようにする。
6、超広角はいらない
7、当然のことながら、スクエアーフォーマット。
8、モノクロ液晶表示もモチサポート
9、フィルムバックの代わりに、各種のメモリーカードホルダーサポート。CFの3枚差しもサポート。
で、何につかうって??? もち おねえさん撮り専門です(爆
ここで、本題のもどりますが、
すくなくとも、レンズ交換式の一眼レフじゃないと良い写真が撮れない というのは幻想だと思うおいらは、今日もエキゾチックなカメラに溺れるのでありました。
広角に弱い・・・
ファインダーで見える以外の映像が見れない・・・・
ミラーが上がる瞬間のブラックアウト・・・・
重い・・・・
付属のレンズはちゃっちい・・・・・・・・・
優秀レンズが非常に高い・・・・・・・
CCDにごみが付く・・・・・・・
一眼レフデジカメの欠点をこうみると、
レンジファインダーカメラ、中、大判カメラが苦手とする、望遠系と、接写系、マクロ系が一眼レフの
得意技なんだけど、おいらは、天体屋でもないし、顕微鏡屋でもないし、お花、昆虫系でもないからねー。
でも、流行の「デジ一」、 ちょっと買い換えたいこの頃・・・
なんだか、デジ一のボディーって、数年で使い捨て?って感じが強いんですけど・・・とほほ
19世紀の写真漬けの1か月
レクチャーしなくちゃいけないハメになってしまって、ちょっと復習するつもりが、どっぷりと19世紀のフランスとイギリスの写真漬けになってしまった1か月。ああ、ようやく「世間」に浮上してきた感じ。「
ぐぐっても出てこないような、日本では超無名なフォトグラファーばかりなので、こういう分野には、ぐぐるは向かんとか思ったり、おふらんすのぐぐる でないと、出てこないこととか結構あり、かなり凹みました。
まあ、デザインの仕事も年度末つうこと事もあり、昼の部も夜の部も、夜中の部も、休みの部も、仕事漬けって感じなんだけど、19世紀の写真については、新しい発見もいろいろあり、きがついたら、資料の請求書の束・・・
毎日、amazon.lcom と ebay から小包が届くパラダイス!
1、110年前のカメラ 1台
2、120年前のガラス乾板ネガ(4x5)撮影済み36枚。 アメリカ南部の農家の少女が写っとりました。
3、120年前のキャビネ肖像写真36枚
4、140年前の名刺版写真160枚
5、100年前の映画のDVD2枚
6、洋書 主として美術書と写真集32冊
7、130年前のステレオ写真とそのビューワー
8、フランス人フォトグラファーへのインタビュー 延べ5時間
9、100年前の写真絵葉書 5枚
これって、ギャラより高くついてるね(爆
きがつけは、同じ本ちがうところから2冊かったりして。
おフランスの古い写真がテーマなので、数人のおしゃべりなおフランス人といろいろお話したけど、話していると、
結局、写真と映画を発明したのはフランス人で、フランスは偉い!というところに行きついてしままうのは、しょうがないいねえ。イギリスとアメリカの写真はママチュア主体で問題外だそうです。あー。
100年前の写真は、近代化以前の時代で、美術系では、キッシュな面での認識くらいしかされてないし、
写真界からみると、恥ずかしい過去 なわけで、 どちらかといえば、臭い物には蓋 をされていた時代なので、
あたらしく、アート的に再評価というのは、旬だと思うんだけど、おみそにされていたんだよね。よく良くみると、
再評価してあげたいものもかなりあるけど、おみそ のままが幸せというものあるんだけどね。
古いネガをプリントして、ウフフ となるのは、やりすぎると危ないので、そろそろ現世にもどるんだ。
というわけで、明日は 某高名な横文字レストランの撮影に行ってまいります。おふらんすだじぇ!
現世復帰であります。 ガンバ!オレ
ウルヴィーノのビーナスへのリスペクトといえばオランピアも・・
早くウルヴィーノのヴィーナスが来ないかなーと、首は長くして待ちつつ、ちょっと予習にはげんでおこう。
最近、西洋絵画の理解には、図像学的な理解と寓意の解釈が必須とばかりに、「読み解く」が流行っていて、まあ、宗教系絵画の場合は、図の意味するところのお約束とかを知っていると理解が高まるというのはいえるけど、これが行きすぎると、無理やり読み解いて、それで判ったような気になってしまうという、良くわからない思い込みの世界の突入してしまったりする。 もし、読み解けて、それで判ってしまうんだったら、読み解いた結果から、その絵が再構成出来るか? というと、それは不可能で、もし、イコンのような、記号だけでで成り立つと思われるような絵であっても、画家の力量によって、同じものが描いてあっても、別の絵になってしまうよね。 モナリザを精密に読み解いて、あらゆるディテールの絵に、意味を見つけて読み解いた美術評論でも、それを読んでモナリザを再現できるかと言えば、出来る分けがないんだけど、結構、そういうのを無視しきった評論解説は多いと思うよ。
というわけで、あまり難しいこと抜きに、マネが描いたオランピアの絵を見てみよう。優れた原型から生みだだされた変奏曲って感じだね。 オランピアがパリのお水の道のお姉さんとで、かなりこの絵は当時に顰蹙を買ったらしい とか、マネは厳密に言えば印象派じゃないよね と良く解説されている話は別にして、マネはティツアーノ描くところのアウrヴィーノ公夫人がモデルのヴィーナス をかなり意識していることははっきりわかるんだけど、下敷きにした絵が優れていればいるほど、変奏曲作品は大変なわけで、はやりマネはただ者では無いなあと思います。 文学的解説とか、美術史的解説は山ほどあるけど、やはり、自分が直感的に理解する部分が大切で、どれほど「読み取られていようが、いまいが」 あ、こお絵はすごいな と心が動く絵は、素敵な絵であり、そういう直感力を研ぎ澄ませるほうが、流行の「読み解く」より、僕にとっては大切思う一枚なのでした。
マネ オランピオ リスペクト三羽烏で良く取りあげられますが、
ここまでくると、色々な意味で神々しくはないね
早く本物に逢いたいな・・・ウルヴィーノのヴィーナス
元祖 ジオルジオーネのヴィーナス
あ、年代を入れれば良かったね。
今度は、この間のリスペクト作品を探して埋めてみよう
僕はやっぱり真ん中が好き



