リフレクションペーパー -9ページ目

西村麻美

05W2115015F 西村麻美 まず、私はこのdevelopmentライブの授業で大橋様に出会い、ご講演を聞けたことをとても嬉しく思う。私が物事を相手側の立場からも捉えるということ、つまり当事者主権という見方を十分にしきれていなかったということに気付かせてくれたからである。また、大橋様の「好きなこと・興味があることだけをやる。無理はしなくていい。」という自分自身に対して素直でまっすぐな姿勢に非常に惹きつけられるものを感じ、自分自身もそうありたいと再確認できたからである。

私は、リサーチの段階で『“市民”による海外協力』とは、助けたい・学びたいと思い、自分に何ができるのかを考えて行動するといった自主性を持った一人ひとりが、共に同じ地球上で協力して生きていく“共生”であると解釈した。しかし、大橋様のお話を聞き、私の中にあった「途上国の人は私たちが助ける対象」「先進国・途上国」などといった概念がすべて作られたものであるということに気づき、“共生”を考えるときに私は無意識に、開発を目指すこと・世界中が先進国を目指すことと捉えていたこと、その前提自体が偏ったものであったと分かった。もともと先進国・途上国といった概念は政治的に作られたものであって、ほんとの本いうことが質というものは表していないのである。ヨーロッパに追いつけ追い越せ、そして先進国を目指すこと、このことをスタンダードとしてしまっているということをもう一度考え直さないといけないと思った。単純に途上国、先進国、助ける、助けない、と分けるのではなく、問題の原因を構造的に考えなければならないということを思い知らされた。その上で、開発というものを考えなければ、開発そのものは何なのかという議論自体、空論になってしまう。私の中にある作られた概念、そして相手側の視点で物事を見ていたつもりが、それでも根底にあった自分側からの視点、これを見直す必要性を感じた。これは大橋様のお話を聞き、そして机上での勉強を通して根本的に直るものではなく、やはり自分が直に現地と関わりを持ったりするなどの経験のなかでこそ真に改善されていくものなのではないだろうか。

もう一つ、講義を聞くなかでストリートチルドレンの話が印象に残った。どうやったらストリートチルドレンを助けられるか?この場合2つの大きな思想的な違いがあると大橋様はおっしゃった。1つめに、子供は保護される権利、学ぶ権利、教育を受ける権利を所有しているから、児童労働しているストリートチルドレンはすぐに保護され、教育を受けるべきだという思想。2つめは、働く子供たちをエンパワーしようという思想。つまり、子供たちがストリートで荷物運びやごみ拾いをしていることを権利として認め、また、病気になった場合は医療を受けることができるよう保護するということである。ストリートチルドレンをストリートから引っぺがすのではなくストリートで生きていけるようにしようという考え方である。この2つの思想にはどちらが正しいとかはないのである。現地の市民社会にも多様性がある。だから、私たちがすべきことは、その多様性のなかでそれぞれの立場をサポートすることなのだ。現地には現地の市民社会があるということを私は忘れてしまっていた。このことに気づけたことはとても大きいことなのではないか。なぜならこれは、現地だけに限らず日本の中でも言えることだからだ。

ここで学んだことを次につなげるためにも、ここで得た新たなものの見方をただ受け取るだけではなく自分のものとしなければならないと感じた。そして、今後また偏ったものの見方をしてしまわぬよう、さらなる努力と勉強と経験を積み重ねていく必要があると感じた。


谷本純加

05W1404016F 谷本純加 

 大橋様のお話をうかがっているとき、まさにモモが言っていた通り、私は圧倒されていた。今回のご講義の間だけで、大橋様のたくさんのお話、お言葉が自分の中に流れ込んできて、私は戸惑った。しかし、大橋様のお話により、今まで見えていなかったことが見えるようになったと思う。私たち学生のために、お忙しい中お越しくださった大橋様に心から感謝申し上げたい。私は大橋様のお話をうかがい、自分の物の見方が偏っていて、また、物事に対しての考察が非常に足りないと感じた。私は、現在世界では、文化相対主義がメジャーな考えであり、それぞれの文化に優劣をつけることはできないと当然のごとく感じていた。しかし、大橋様のお出しになったクイズにより、実際には自分が西洋文化中心主義に陥っているということがわかった。また、“開発”という考え方も、第二次世界大戦後、西洋、特にアメリカ中心に作られた概念であり、一方的な考え方であるということに改めて気づかされた。そして、自分が当然と思っていることでも、もう一度考え直さなくてはいけないのだと身をもって感じた。私たちは、“開発”というものについて考えるとき、発展途上国という言葉を使う。それだけのことでも、その国の人々に対し、マイナス、または、かわいそうという思いを抱いていたのかもしれない。また、遅れているという言葉さえ、結び付けていたのかもしれない。そして、世界のさまざまな人の持つ、さまざまな文化など、世界の持つ多様性がすばらしいのに、“開発”においては、単一化を求めてしまっているという大橋様のお言葉に、それを忘れ、ただ、経済的発展に重きを置いてしまっている社会、また、自分自身に気づかされた。今回のご講義で、自分の中で、大切なこと、そして、大切なのに今まで忘れてしまっていたことがクリアになった気がする。私は、私が使っている言葉、持っている概念や考えに、自分が無意識であっても、偏った前提、偏見がひそんでいるのだと、大橋様のお話をうかがうことによりはっきりわかった。また、今回そのことに気づくことができたため、これからさまざまな自分の考えを見直していこうと思った。大橋様のお話は、上記述べたこと、また今回書ききれない、また、言葉では言い尽くせないほどに、私に大切なことを教えてくださり、私個人の考え方を見直すきっかけを与えてくださった。また、今回の授業のテーマであったNGOについても、NGOの持つ大切な意味が、実際にシャプラニールの代表を務めていらっしゃる大橋様のお話により理解することができたと思う。私はODAについて自分で調べていたとき、これからは政府とNGOが協力し合って、よりよい援助を目指すべきだと思っていた。しかし、そう考えたとき、NGOの持つ意味を深く考えていなかった。NGOだからできることがあるのに、私はその重要性を正しく認識できていなかったのだ。しかし、今回のお話により、その重要性に気づかされ、同時に自分の中でもやもやしていた部分がすっきりしたように感じた。今回大橋様のお話をうかがうことができて、本当にうれしく思った。すばらしいお話をお聞かせくださった大橋様、そして、このような素敵な機会を与えてくださったモモに心から感謝申し上げたい。

飯田 彩乃

05W2111009B 飯田 彩乃 

「多様性」。大橋様は、この言葉を頻繁に使われていた。

 私は「価値観」という言葉をよく使う。それは、大橋様のおっしゃっていた「多様性」があるからこそ、存在するものであり、多様性があるから、人それぞれに「価値観」が違い、だからこそ物事をひとつの基準では図ることができないということを今回のDevelopmentライブ!では、再確認させられた。

私は、よくモモの授業から、「どんな問題においても正面から向き合って、自分で考えなければならない。」ということを学ぶ。それも物事には多様性があるからであり、モモも口をすっぱくしておっしゃるように、大切なことは「問題の本質は何か。自分にとっての最大の価値が何であるか。」を考えることだと大橋様はお話してくださった。だからこそ、先進国と呼ばれる日本に住んでいる私は、途上国で暮らす人々と同じ目線に立って、現地の人々にとっての「最大の価値」は何であるかという「本質」を見つける必要があることに気がつかされた。そして、多様性の中でそれをお互いに尊重することができて初めて「市民による海外協力」=「共生」が実現すると感じた。

また、「ブランド化した日本では、善意といえども支援金などが広く名の知れている団体に偏ってしまっているのが現状である。」という大橋様のお話を聞いて、私もそのうちの一人であったことに気がついた。つまり、その団体の「本質」を見ていなかったのだ。規模の大きな組織や、よく広告されている団体には、信頼性が生まれやすいのは確かである。しかし、そうなってしまっているのも、私たちが物事を表面しか見ていないということが原因として挙げられる。ALPsや統計と社会の授業など、多くの機会に物事の本質を見ることの大切さは学んできた。また、私自身もそれには注意を払ってきたと思っていた。しかし、私もその対象であったのだ。大橋様は大学名にもブランドがあることをお話されていた。ただひとつ確実なのは、私がこの大学を選んだのは「中央大学」というブランドに惹かれたのではないということである。他の多くの大学の入試案内を見たり、Open campusに赴いたりもした。それでも私は、この総合政策学部の「学びの特徴」と、この「ALPs」という授業に惹かれ、この大学を選んだ。

ALPsの授業を履修してから早2ヶ月が過ぎた。今までも今も、とても苦しい。モモの学生時代や今までの苦しみを考えると、今の私の苦しさはちっぽけなものに過ぎないかもしれない。もっと、もっと苦しむことを彼女や大橋様は私たちに望んでいるのかもしれない。楽しいけれど、とても辛い。でも、初心に戻ってみたい。なぜ、私がこの大学を選んだのか。なぜ、私がこのプログラムに魅力を感じたのか。そうした時に私はまた前へ進もうと考えることができる。大橋様のお話から、何事も根拠があれば、自主性はいっそう強いものになるということに気がつかされたのだ。

大橋様のお話の中には普段、モモが私たちに教えてくださることと重なる点が多く見うけられた。そしてその重要性を改めて感じた。

お忙しい中、私たちのために貴重なお時間を割いてくださった大橋様、そのきっかけを与ええてくださったモモに心から感謝したい。本当にありがとうございました。

片山朋子

05w1407016G 片山朋子 

高校2年生のちょうど今頃の11月、私は衝撃を受けた。漠然と国際関係に興味をもっていた私は高校で大橋先生の講義を聴くことができる機会を得た。はじめは全く期待をしていなかったが、その後の自分を決めるくらい重要な出来事だった。はじめに大橋先生は今日と同じくエスニック料理の話をされた。(そのことを今まで忘れてしまっていた私は今日また同じ発見をしてしまったのだが。)そしてあまりはっきりとは覚えていなくて大変もったいないのだが、その時に大橋先生は植林活動の話をされた。自分が良かれと思って援助をしようとしても、相手にとってそれはいいこととは限らないので、せっかく植えた木を引っこ抜かれることがあるのだよといわれた。そういわれて私は驚いた。なぜなら今まで喜ばれない援助があるということを考えたことがなかったからである。私はその時まで漠然と人のために何かしたい、途上国への援助がしたいとか、かわいそうだから援助をしたいと思っていたが、そうではないのだと気づき、では何なのだろう、もっと知りたいと思い、今私は開発について勉強をしている。

ALPsの授業を通して私は「開発」とは先進国側の考え、作られた概念ということを理解してきたつもりでいた。しかし、今日再び大橋先生のお話を聞いて、自分も世界の風潮と同じく先進国側の考えに汚染されている事に気づいた。エスニック料理の話もそうだが、貧しいとか、遅れているということがどういうことなのかを考えたとき、開発というものを見直すきっかけをいただいた。貧しいというものは何をもってして貧しいというのか、相対的には判断できない。また発展途上国が先進国より遅れているからといって開発をしなければいけないわけではない。そもそも遅れているのが何でまずいのか、また実際に遅れているのか。わからない。こういった考えは開発にかかわる上で必要になってくることである。

もうひとつわからなかったのは、途上国に対して哀れんではいけないということである。

講義の最後に大橋先生やモモが同じ目線に立たないと仕事はできないとおっしゃっていた。たしかに、かわいそうと思っていたら、シャプラニールの行っているような「ピリリと辛いやさしさを」のような海外協力はできないと思う。しかし、私はどうしても途上国の人の厳しい生活を知ると、そういうふうに思ってしまうのである。その考えを簡単に変えることはできないと思うし、どう変えていけばいいのかわからない。しかし、これに対して、大橋先生はヒントをいくつか示してくれた。それはシャプラニール(大橋先生)がモットーとしているネガティブキャンペーンをしないということである。たとえばシャプラニールの宣伝にはできるだけ人々の笑っている写真を使う。そうすればかわいそうな人に対する援助ではなくなる。もうひとつは、現地の問題を自分の問題として考えるということである。問題は自分たちの中にあると自覚すれば、それは解決しなければならない問題になる。私はこれらのことにことに気をつけて開発というものをこれからみていきたい。

大橋先生は今の仕事、バングラデシュ、そして人に対してとても熱い情熱をもっていらっしゃる方だと思ったが、それと同時に、問題があったときその原因は何なのか、どう支援をしたらよいのか、自分がすべきことは何なのかと冷静に物事を判断する方なのだなと思い、それは普通の人ではできないことだなと感じた。そのような尊敬できる方に偶然お会いし、また別の場所で再びお会いすることができるとは夢にも思わず、私にとって今日という日は貴重な一日だった。この出会いに私は感謝したい。

河合 暁

05W2114021L 河合 暁

 大橋様のお話から、前提を疑うことの大切さを再確認することができました。自分が当たり前と思っていることにも前提があるというのは当たり前のことですが、当たり前のことと思っているからこそ疑うことが難しいと思いました。例えば、developmentについても同じでした。自分がいま学んでいるdevelopmentも既に「先進国の考えの下で作られている」という前提の下にある。今までその前提を疑わずにdevelopmentについて学んできたように思えます。また、私たちが日常生活の中で何となく抱いている物事へのイメージ、価値観もdevelopmentの前提に深くかかわっていることに気づかされ非常に驚きました。加えて、日本のいたるところに「ブランド志向」が浸透しているということは事実であり、これから私たちがどのような行動をしていくにしても考えていかなければいけない問題であると思います。これらのことからもわかるように、前提を疑うからこそ本当に問題となっていることが見えてきています。それは大橋様がこれまでにシャプラニールにおいて活動されていたことからもうかがうことができました。「援助とは」・「先進国・発展途上国とは」など、それらの前提を常に見つめていた大橋様であったからこそ、共生という海外協力のあり方・相手国の問題は自国の問題であるなどの見解を持つことができたのだと思いました。

 大橋様の「自分の仕事は楽しくてやっている」・「当事者の視線に立つことが大切だ」・「ものごとには多様性がある」とおっしゃっていた姿も印象的でした。まず、僕の中で、大橋様のように何かをやり通してきた方は「全てには、楽しいことと辛いことがある」といった姿勢を強調される方が多いというイメージがありました。ですが大橋様は終始「今の仕事は楽しい」と述べられていて、それは懇親会の大橋様の自分たち学生との会話を楽しんでくださっている姿からも感じることができ、本当に仕事を楽しんでいらっしゃるように思えました。また、「援助において当事者の視線に立つことが大切だ」と述べられていたように、懇親会の中で私たち学生と同じ視線に立ちお話して下さっていたのが非常に嬉しかったです。「ものごとには多様性がある」と述べられていたように大橋様はお話の中ではっきりと「結論」を出しすぎないところも印象的でした。自分を含め、普通の人は断言できることをよいと考えがちで、曖昧なことをわるいと考えがちであると思います。ですが大橋様の多様性を強調される姿勢は決して曖昧には見えないところも凄いと思いました。

 大橋様のお話の内容と、懇親会での大橋様の姿勢が一致していることなどから、日ごろの生活・その人自身の考え方がそのまま学ぶ姿勢・社会における行動に繋がっているのだと思いました。だからこそ、素の自分を見つめ、自分という人間を理解し、社会との繋がりを考えていくことは大切であり、今のこと、将来のことを考える上で欠いてはけないことであると思いました。


永野彩香

05W2116003L 永野 彩香 今回私はプレゼン担当班ということもあり、約4週間にわたり「“市民”による海外協力」とは何かと考えてきた。最初はまったく違うことを話し合っていたが、04スリの先輩方からアドバイスを頂き、今回の私たちのプレゼンテーションとなった。「“市民”による海外協力」とは、「助けたい、学びたいと思い、さらに自分に何ができるのかを考えて行動する”といった自主性を持った一人ひとりが共に同じ地球上で協力して生きていく“共生”である」というのが結論だ。この考えはある日、市民や海外協力についてみんなで話し合っていたとき、メンバーの一言から全てができた。海外協力は互いに助け合うもので、だから自主性を持った市民でしか協力は成り立たないだというように、この一つ一つの考えだったものが、メンバーの中で次々と繋がって一つの考えができた時、私は興奮、感動し、同時に学ぶことの楽しさを心から感じられた。しかし、私たちの考えはまだまだ偏ったものであることを今回のゲストの大橋様に教えていただいた。

 大橋様のお話から、私たちのプレゼンテーション、考えが前提からすでに先進国からの偏った視点だということに気づかされた。というのは、先進国、途上国という分類自体が作られた概念なのであり、発展をめざすこといいという考えも先進国側の意見なのである。私たちが考えている“development”といものが少し見えたようでもあり、さらに分からなくなった。また、アフガニスタンのアルカイダなどもNGOだという私の中で新しい考え方に出会い、その考え方だとそれまで思っていた様々なグループの枠組みが大きく変わってくることに、大きな戸惑いを感じ、私が見て、考えてきたことはほとんど植えつけられ、偏ったものばかりだと感じた。さらには、この偏った考え方の上で学んでいることについて少し怖さも感じた。

大橋様にお逢いしてなにより一番感じたことは、大橋様のお人柄、心の広さである。私はこの夏にフィリピンに行った時に、子供から物乞いをされて何も出来なかった経験から、是非大橋様に聞いてみようと思っていたことなのだが、大橋様は「物乞いをされれば自分が上げたいからあげるのだ。NGO活動もバングラデッシュが好きだからしている」ということをおっしゃった。また、「絶対的な中立はありえない。考えは必ず偏ってしまうのだ。」ということも聞いて、どの行動をしても負の面があるため何も出来なかった私は、最初めはとりあえず「好き」とか「やりたい」ということから初めてもいいのだと分かり、安心した。そしてそこから、勉強し、現地に行って何が大切なのかを考えて、そこで大橋様のようにするのかどうかという結論がでればいいのだと思った。

私は今、ストリートチルドレンについて興味がある。私の考えの中心は子供たちを保護するべきだという所にあった。しかし、大橋様は子供たちをエンパワーして、ストリートで働く権利を認め、ストリートで生きていけるようにしようという考えもあることを教えてくださった。どっちが正しいかではなく、どっちを選ぶか。私はもっともっと勉強して、現地では何が起こっているのか、何が必要なのかを知り、私には何ができるのかをよく考えた上で、選択をしたいと思う。知って、考えなければ選択する権利などないのだと思うからだ。

最後になったが、今回ご多忙な中、お話をしてくださった大橋様におおいに感謝したい。大橋様のお話のひとつひとつが私にとって大きな衝撃を与えるもので、確実に私が今後行動や選択をする上で指針となると思う。

長谷川優

05W2114018G 長谷川優

「“市民”による海外協力」という言葉は、とても深く、温かく、そして地球に生きる者として大切な理念がつまっているもの、私は今回プレゼンテーション担当班として、多くの時間をかけこの言葉の意味を模索することで、この言葉が持つ意味の素晴らしさ実感した。だからこそ、今回、この「“市民”による海外協力」の理念のもと活動する大橋様を迎え、話を伺えることにとても大きな喜びを感じていた。

大橋様に出会わなければ、私は自分が考えている事、考えようとしている事がすでに先進国側からの視点であるという事実に気づかなかったであろう。今回大橋様のお話を通じて、自分自身を見直すきっかけが得られたことを心から嬉しく思い、また大橋様に感謝したいと思う。大橋様は、現地の人々を「かわいそう」などとは思わない、彼らの国を愛し、その人々とふれあうのが楽しい、だから活動しているとおっしゃった。これこそ現地の人々と同じ目線に立つという「“市民”による海外協力」が指す“共生”であると感じた。いくら私が途上国の人々を助けたいと思っても、それはすでに上からの視点であること、つまり本当の意味での共生にはつなげられないということに、私はとてもショックを受けた。このように上からの立場からしか見られていない自分が情けなかったが、だからといって思ってしまっている以上どうすればいいのかもわからなかった。しかし大橋様は、「かわいそう」と思うことがきっかけでもいいから経験を重ねて分かればいいとおっしゃった。大橋様が人生の中でどんなに経験し学んできたかが実感できる一言であった。またモモの「相手と同じ目線、同じ土俵にたつことは辛いこと。なぜなら相手と取っ組み合うことだから」というお言葉もとても心に響いた。やはり同じ目線にたたなければ、上下関係は消えない。辛くても取っ組みあわなければお互いにとっても意味のない薄っぺらのものになってしまうのである。大橋さま、モモのおっしゃるこの“同じ目線”というのをこれからもっと深く考えていきたいと思う。

また、大橋様が強調していた“多様性”という言葉の重要性も知った。NGOは、それぞれが独自の考えを持っており、一つにくくる必要はない、また自分のとは違う理念だからといって他のNGOを批判するわけでもない、それぞれがその考えのもと頑張ればいいのだというお言葉を聞いたとき、私は大橋様の心の広さを感じた。この“多様性”を理解することは人との関わりの中でも、とても大切なことである。互いを理解し尊重しあうことは、当たり前の事ではあるけれども、実際私たちはできていない。そうしなければ平和は生まれない、そう思った。

今回、私は「“市民”よる海外協力とは」の持つ意味を、長い期間必死に仲間と模索し、討論することで、私たちなりの一つの結論を導き出した。この結論にたどり着いた時の感動は今までに味わったことのない喜びであった。人に教えられるのではなく、自分で考えることによって答えを見いだす、これこそ本当の学びであると実感した。この学びに気づくという経験をできたことは自分の中でも一つの大きな節目だったと思う。この時の仲間と得た感動は、決して忘れることはないだろう。プレゼンテーション担当班としての今回のdevelopmentライブ!の授業は、私にとって学びを知るという経験を得ることができ、また自分自身を見直すきっかけになるとても意味のある充実したものになった。このような機会を得ることができたことを心から嬉しく思う。

鈴木 真理奈

05w1407022F 鈴木真理奈

大橋様のお話のお話を聞いて、海外協力や発展途上国についての考え方が大きく変わった。中でも、児童労働に関する話に一番ショックを受けた。子どもは、自分の好きなことを選んで成長するべきだと思い、将来自分の就きたい仕事に就けるためにも、社会で自立して生きていけるためにも、教育は欠かせないという絶対的な概念を持っていた。しかし、労働を選んでいる子どもおり、孤児院から逃げ出し街に戻る子もいるのだと聞き、いかに自分のような考えが押し付けがましいかに気づかされた。大橋様によると、NGOの中でも、メディアに訴えかける方法として、かわいそうと思わせるような写真を使って宣伝をする所もあれば、シャプラニールのように笑っている子どもの写真を使う所もあるということを学んだ。確かにかわいそうという気持ちは、そのまま問題意識となるだろう。しかし、大橋様がおっしゃっていたように人やその土地が好きであるという前提がなければ、現地の人と向き合って仕事はできない。そのことは、笑顔の子どもの写真を選んだ気持ちに繋がっているのだと感じた。テレビや本を通して、貧困国の子どもたちがいかにかわいそうかという意識が、先入観として根付いていた。しかし、一部を切り取って見ただけの私には、そうした子どもたちの幸せを、自分の基準で計れないのだと思い知った。

開発は、人を相手にしていることを忘れてはならないと思った。シャプラニールのパンフレットに書いてあった「ピリリと辛いやさしさ」というモットーの元にある自立の支援という考えは、一時的充実しかもたらさないお金と人、物資と人の関係での援助という形態にはない、放任しない深い愛情があるのだと思った。相手が何を求めているかを本当に理解するために、現地に行けば私たちのような外国人が行って一から学んでいくよりも、現地のNGOが活躍する方が適していることも多い。確かに現地に行かなければわからないことがたくさんあるだろうが、現地に行くだけでは、自分のためでしかないのだと思った。自分に適したもので何ができるかという指標は確固たるものでありたい。むしろ無力さが思い知らされ、もらうものが多くなってしまう気もした。

私は、絶対的に日本が先進国だとは、もはや思えない。進んでいる、優れている、変わっているなどの言葉に絶対的なものはない。同時に自分たちの価値観が基準だという自信は空虚なものでしかない。また、自分たちの価値観は変わっていると評価を受ける気持ちも想像しなければならない。公式な場での料理はフランス料理であり、まさかそれをエスニック料理と呼べるなんて思いもよらなかった。自分の中で暗黙の了解としていたが、それを受け入れてしまうのは、放蕩に悲しいことであると思った。このように、海外協力やNGOについてまた幅広く自分の持っていた文化的偏見についての新たな姿勢を学べたことは、今後の自分の生き方に大きく関わっていくと感じた。大橋様と出会えて本当に嬉しいです。山奥にあり、夜はとても冷え込む中央大学へ、お忙しい中、お話に来てくださりありがとうございました。

杉本朱

05w2116009K 杉本朱

まず、長時間かけて、中央大学までいらしてくださり、非常に興味深いお話をしてくださった大橋様に、感謝したい。1時間半という講義の時間は、あっという間に過ぎてしまい、気づけば授業が終了していた。あれほど自分の首を縦に振りながら聞いたお話は、きっとないだろうと思うほど、共感を覚えるお話ばかりだった。

大橋様のお話は、私の前提を、見事に崩してくれた。今まで、本当に、当たり前のように考えていた、「援助」、「開発」という言葉の意味。私はそれらを、当たり前に使っていた。そして、そこには、一方的なものではなく、双方の助け合いであるべきだ、という考えはあったが、「先進国と途上国」という位置づけが、当たり前に存在していたことには気付くことができていなかった。その、私の中にあった前提を、一気に崩してくれたのは、大橋様の、「友達になればいい」という言葉だった。助ける、助けられる、かわいそう、辛そう、そんな気持ちで触れ合うのではなく、友達になる。形付けられた「援助」、「開発」なんて言葉にとらわれる必要はない。友達になればいいのだ。このような、大橋様のお言葉が、とても簡単に自分の中に入ってきた。

私の両親は、国際交流に熱心で、私が小さな頃から、数え切れないほどの人々を、ホームステイという形で、我が家で受け入れてきた。その影響もあり、私は、人に対するステレオタイプを持つことが、あまりない。持っていたとしても、少し触れ合えば、すぐに崩れるほうだ。同時に、人と触れ合う機会が多かったので、自然と人好きになっていた。そのため、友達が増えることをとても嬉しいと思うし、彼らを大切にしたいとも、強く思う。大橋様のお話の中にあった、「友達になればいい」という言葉が、自然と自分の中に入ってきたのは、きっと私自身、「友達になる」という行為に慣れていたからであろう。大橋様のお言葉を聞いた時に思ったことは、「あぁ、いつもと同じことをすればいいんだ。特別なことじゃないんだ。」ということである。このことから、私自身、「開発」というものに、なんらかの形で関わっていけるかもしれない、と希望を持つことができた。

もうひとつ、大橋様のお話を聞いたことにより、私が気付いたことは、個人の尊重がいかに大事か、ということである。大橋様は、ご自身のお話の中で、「多様性」という言葉を何度も繰り返し使われていた。私にとって、なんとなく意味をぼかしてしまいがちだった単語、「多様性」だが、今回のお話を通して、多様性を認めていくこととは、一人ひとりの価値観を大切にすることなのではないか、と考えた。一人ひとり、考えることが違うのは、違う人間なのだから、当たり前。しかし、そこをどのように認めていくか、そして、その意見をどのように自分の中に取り込めるか、ということが、いわゆる「援助」、「開発」をしていくうえで、非常に大切なのではないかと思った。

今回のお話を通して、いわゆる「援助」、「開発」というものは、一人ひとりを個人として考え、尊重し、友達になっていく過程の中で行われる、お互いが真に求め合う、助け合いのことなのではないかと思った。大橋様のお話を通して、今まで私の中にあった前提が崩れ、新たな視点を持つことができた。このことに、強く感謝したいと思う。

前山明日香

05w2113005G 前山明日香  

今回大橋様のお話を聞いて、私は言葉で表せないほど感動した。

私は、Developmentを学び出してから、途上国とは、何をもって途上国というのか、途上国にDevelopmentを促すことは本当によいことなのかわからなくなっていた。私の中で、途上国にDevelopmentを促すということは、つまり、日本や欧米諸国のように、一般的に先進国と言われている国々のようになるということを意味していた。しかし、果たして先進国は、途上国よりも幸せなのだろうか。先進国にも、問題は山のようにある。途上国が先進国のようになることで幸せが得られるのだろうか。

大橋様は、この私の中の葛藤を、ずばり言い当てていた。また、実際の経験からそれを具体的に語ってくださった。大橋様によると、シャプラニ-ルの前身であるヘルプ・バングラデシュ・コミティ(HBC)は初め、現地で支援をするという形をとっていた。しかし日本人が現地に行って現地の人の本当に求めていることが何であるかを完全に理解することは不可能だった。実際に大切なのは、当事者自身がその問題を解決することなのだと大橋様はおっしゃっていた。私は、それでは支援をしない方がいいのではないか、支援というものは本当に必要なのかと疑問に思った。しかし、大橋様は、現地の人に本当に必要なことは何かを考え、それを間接的に支援することはできるとおっしゃった。そう、直接でなくてもよいのだ。何か私たちにできることがあれば手伝う。それでいいのだ。

また、大橋様は、途上国の抱えている問題は、先進国が抱えている問題でもあるとおっしゃっていた。当事者自身が自分の問題を解決することが必要なら、先進国は先進国の問題を解決しなければならない。先進国のとる行動によって、途上国の飢餓などの問題が発生している。

私は最近、途上国を支援することに加えて、この現状を日本の人にも伝えていかなければならないのではないかと思い始めていた。なぜなら、私たちの行動ひとつが、途上国の人々の生活に影響を与えているということを知ったからだ。このことは、大橋様のお話を聞いてはっきり私の中に浮かび上がってきた。大橋様は、日本を変えなければバングラデシュは変わらないと知ったことが、自分のなかでの最大の学びであったとおっしゃっていた。私は、この言葉に共感を覚えた。例えばバングラデシュの人を一人支援して、その人の生活水準をあげたとする。しかしそれはその人一人に対するものであって、社会全体をよくしたわけではない。では、どうすればもっと多くの人の生活水準を上げることができるのか、それこそが日本を変えることなのではないか。日本国民の意識が変わるだけで、それは大きく途上国にも貢献するのではないか。

ここまで考えてきて、結局Developmentは必要あるのかどうか考えてみた。大橋様によれば、そこに答えはない。しかしそれを考えることが重要なのだ。私は自分の葛藤に、無理に答えを出そうとしていたのかもしれない。しかし、考えていくこと、それが大切なのだと気づいた。私は、全世界の人々が、せめてその日食べていけないかもしれないという不安なく生きていける世界が望ましいのではないかと思っている。