片山朋子 | リフレクションペーパー

片山朋子

05w1407016G 片山朋子 

高校2年生のちょうど今頃の11月、私は衝撃を受けた。漠然と国際関係に興味をもっていた私は高校で大橋先生の講義を聴くことができる機会を得た。はじめは全く期待をしていなかったが、その後の自分を決めるくらい重要な出来事だった。はじめに大橋先生は今日と同じくエスニック料理の話をされた。(そのことを今まで忘れてしまっていた私は今日また同じ発見をしてしまったのだが。)そしてあまりはっきりとは覚えていなくて大変もったいないのだが、その時に大橋先生は植林活動の話をされた。自分が良かれと思って援助をしようとしても、相手にとってそれはいいこととは限らないので、せっかく植えた木を引っこ抜かれることがあるのだよといわれた。そういわれて私は驚いた。なぜなら今まで喜ばれない援助があるということを考えたことがなかったからである。私はその時まで漠然と人のために何かしたい、途上国への援助がしたいとか、かわいそうだから援助をしたいと思っていたが、そうではないのだと気づき、では何なのだろう、もっと知りたいと思い、今私は開発について勉強をしている。

ALPsの授業を通して私は「開発」とは先進国側の考え、作られた概念ということを理解してきたつもりでいた。しかし、今日再び大橋先生のお話を聞いて、自分も世界の風潮と同じく先進国側の考えに汚染されている事に気づいた。エスニック料理の話もそうだが、貧しいとか、遅れているということがどういうことなのかを考えたとき、開発というものを見直すきっかけをいただいた。貧しいというものは何をもってして貧しいというのか、相対的には判断できない。また発展途上国が先進国より遅れているからといって開発をしなければいけないわけではない。そもそも遅れているのが何でまずいのか、また実際に遅れているのか。わからない。こういった考えは開発にかかわる上で必要になってくることである。

もうひとつわからなかったのは、途上国に対して哀れんではいけないということである。

講義の最後に大橋先生やモモが同じ目線に立たないと仕事はできないとおっしゃっていた。たしかに、かわいそうと思っていたら、シャプラニールの行っているような「ピリリと辛いやさしさを」のような海外協力はできないと思う。しかし、私はどうしても途上国の人の厳しい生活を知ると、そういうふうに思ってしまうのである。その考えを簡単に変えることはできないと思うし、どう変えていけばいいのかわからない。しかし、これに対して、大橋先生はヒントをいくつか示してくれた。それはシャプラニール(大橋先生)がモットーとしているネガティブキャンペーンをしないということである。たとえばシャプラニールの宣伝にはできるだけ人々の笑っている写真を使う。そうすればかわいそうな人に対する援助ではなくなる。もうひとつは、現地の問題を自分の問題として考えるということである。問題は自分たちの中にあると自覚すれば、それは解決しなければならない問題になる。私はこれらのことにことに気をつけて開発というものをこれからみていきたい。

大橋先生は今の仕事、バングラデシュ、そして人に対してとても熱い情熱をもっていらっしゃる方だと思ったが、それと同時に、問題があったときその原因は何なのか、どう支援をしたらよいのか、自分がすべきことは何なのかと冷静に物事を判断する方なのだなと思い、それは普通の人ではできないことだなと感じた。そのような尊敬できる方に偶然お会いし、また別の場所で再びお会いすることができるとは夢にも思わず、私にとって今日という日は貴重な一日だった。この出会いに私は感謝したい。