鈴木 真理奈
05w1407022F 鈴木真理奈
大橋様のお話のお話を聞いて、海外協力や発展途上国についての考え方が大きく変わった。中でも、児童労働に関する話に一番ショックを受けた。子どもは、自分の好きなことを選んで成長するべきだと思い、将来自分の就きたい仕事に就けるためにも、社会で自立して生きていけるためにも、教育は欠かせないという絶対的な概念を持っていた。しかし、労働を選んでいる子どもおり、孤児院から逃げ出し街に戻る子もいるのだと聞き、いかに自分のような考えが押し付けがましいかに気づかされた。大橋様によると、NGOの中でも、メディアに訴えかける方法として、かわいそうと思わせるような写真を使って宣伝をする所もあれば、シャプラニールのように笑っている子どもの写真を使う所もあるということを学んだ。確かにかわいそうという気持ちは、そのまま問題意識となるだろう。しかし、大橋様がおっしゃっていたように人やその土地が好きであるという前提がなければ、現地の人と向き合って仕事はできない。そのことは、笑顔の子どもの写真を選んだ気持ちに繋がっているのだと感じた。テレビや本を通して、貧困国の子どもたちがいかにかわいそうかという意識が、先入観として根付いていた。しかし、一部を切り取って見ただけの私には、そうした子どもたちの幸せを、自分の基準で計れないのだと思い知った。
開発は、人を相手にしていることを忘れてはならないと思った。シャプラニールのパンフレットに書いてあった「ピリリと辛いやさしさ」というモットーの元にある自立の支援という考えは、一時的充実しかもたらさないお金と人、物資と人の関係での援助という形態にはない、放任しない深い愛情があるのだと思った。相手が何を求めているかを本当に理解するために、現地に行けば私たちのような外国人が行って一から学んでいくよりも、現地のNGOが活躍する方が適していることも多い。確かに現地に行かなければわからないことがたくさんあるだろうが、現地に行くだけでは、自分のためでしかないのだと思った。自分に適したもので何ができるかという指標は確固たるものでありたい。むしろ無力さが思い知らされ、もらうものが多くなってしまう気もした。
私は、絶対的に日本が先進国だとは、もはや思えない。進んでいる、優れている、変わっているなどの言葉に絶対的なものはない。同時に自分たちの価値観が基準だという自信は空虚なものでしかない。また、自分たちの価値観は変わっていると評価を受ける気持ちも想像しなければならない。公式な場での料理はフランス料理であり、まさかそれをエスニック料理と呼べるなんて思いもよらなかった。自分の中で暗黙の了解としていたが、それを受け入れてしまうのは、放蕩に悲しいことであると思った。このように、海外協力やNGOについてまた幅広く自分の持っていた文化的偏見についての新たな姿勢を学べたことは、今後の自分の生き方に大きく関わっていくと感じた。大橋様と出会えて本当に嬉しいです。山奥にあり、夜はとても冷え込む中央大学へ、お忙しい中、お話に来てくださりありがとうございました。