沼尾 咲絵
05W2116011G 沼尾 咲絵
大橋様の講演内容全体を通じて感じたのは、大橋様は人間「一人ひとり」の存在を、等しく、重要なものとして考えているのではないだろうかということだった。個々の民族には、個々の文化がある。それはひとつのものさしで計ることのできるものではないし、図る必要などない。大橋様はNGO班の5つ目の「大橋様にとってdevelopmentとは何ですか」という質問に、様々な例を用いて回答し、その中で「多様性があるべきなのに、なぜ途上国の人がかわいそう、ということになるのか?」という問いを私たちに投げかけた。大橋様の言葉を聞き、自分の頭の中で当たり前のことのように、かつて「the First World」と呼ばれていた国々の文化をpositiveに、「the Second World」と呼ばれた国々に対してはnegativeに、そしてかつて「the Third World」と呼ばれた国々対しては腫れ物に触るような感覚で、それぞれに偏った固定観念を作ってしまっていたことに気づいた。しかし大橋様は違う。大橋様は大橋様自身をカテゴライズすることもなければ、世界をカテゴライズすることもない。私は私の意識の中にある明らかな「優越感」を確かめざるを得なかった。その優越感とは「先進国で暮らしていること」への、「優越感」であり、「豊かな暮らしをしていること」への「優越感」であった。その「優越感」の根底には大橋様が指摘したように「途上国」の人の暮らしは「貧しく、辛いものである」という前提がある。自分がこれまでの人生の中で勝手に作り上げてきた「前提」である。大橋様はまた、「“development”、つまり“開発”自体作り出された概念だ。“途上国”というレッテルを貼られたということは“君は発展途上人だ”と決め付けられるようなもの」ということもおっしゃった。私の浅はかな前提は、「作り出された概念」の上に。耳から入ってくる言葉を頭で直感的に理解した瞬間、大きな無力感を感じた。わたしはなぜ“development“について勉強しているのだろうか。勝手に作り上げていた前提を崩し、作り出された概念を認め、今やっとわたしは、わたし自身の「学び」に対するスタートラインに立てた気がする。ここから、私自身の力で積み重ねて行きたいと思う。
最後に、示唆に富み、刺激的なお話をしてくださった大橋様、またこのような機会、大橋様と私たちのすばらしい出会いの機会を与えてくださったモモに心から感謝申し上げます。
武石 さとみ
05W2114011J 武石 さとみ 今回大橋様のお話を伺えたことは、自分自身を大きく見直すきっかけとなった。大橋様のお話は、知識をさらに深めるという以上に、今まで私が当たり前のように考えてきた概念自体を打ち砕いてくださった。
私は今まで、当然のように「先進国」「開発途上国」という言葉をつかい、途上国の人々を助ける対象と見ていた。しかし、先進国・途上国という区分自体、国民一人当たりのGDPを比べただけであって、先進国だから幸せ、途上国だから可哀想だとは決して言えないのである。そして、シャプラニールが直接途上国で支援活動をするのではなく、現地のNGOのパートナーとなって間接的な支援を行っているのは、現地のNGOにしかできなく、先進国にはできないことがあるからだというお話は、先進国の方が能力があるのだという勝手な認識を改めるきっかけとなった。「『開発』という概念は砂上の楼閣である」という大橋様の言葉には、今まで私が考え、思ってきたことを根底から揺さぶられた。特に、「今電気がなくなったらインドの方が先進国になり、日本は支援される側になる」というお話は本当に衝撃的だった。それまで当たり前のように思ってきたことに対し疑問を投げかけられ、自分がいかに西洋を基準とした指針で世界を見ていたのか気づき、正直ショックであった。話を伺っている間何度も自分を振り返ったとともに、途中涙が出そうになった。それくらい今回の講演は私にとって衝撃であったし、考えさせられるものであったのだ。このように開発に対し新たな認識を持てたことは、本当に大きな学びであると思う。
また、大橋様の「南アジアが好きだから、この活動が楽しいからやっているのであって、決して犠牲的にやっているつもりはない」という言葉が非常に印象的であった。政府の海外支援などは、まず「開発」をしようというところから始まり途上国の現地へとつながっていく。しかし大橋様の活動は逆で、まず「その国の人々が好きだから力になりたい」というシンプルな気持ちが、自然と「開発」に結びついていく。だからこそ、本当に現地の人々のことを考えた、当事者主権の海外協力ができるのではないだろうか。当事者主権とはフラットに相手と同じ目線に立つことであり、それはすごく苦しく、戦いなのだとモモはおっしゃっていた。その苦しさ、辛さに全力でぶつかれるのは、大橋様が本当に南アジアを好きだからだと感じたとともに、私もそのような形で「開発」に関わっていけたら、と思った。また、「多様性」を認めることの重要さを今回改めて感じた。大橋様はインドのストリートチルドレンを支援する2つのNGOを例に、絶対的な価値観、正しさはないのだということを教えてくださった。一番大切なのは、何が正しいのかということより、自分が何を選ぶかということ。何が正しいかに答えはなく、だから私たちは、常に自分の中の価値観を疑いながら答えを探していかなければならないのだと感じた。
きっと今回大橋様のお話を伺っていなかったら、「開発」という概念に対し疑問を感じることさえなかったかもしれない。そう思うと改めて私の価値観を見つめ直すきっかけをくれた大橋様に感謝するとともに、大橋様のお話を伺う機会を与えてくださったモモに、本当に感謝している。大橋様という熱い心を持たれた方に出会え、本当にうれしい。
井上 八香
05W1405026L 井上 八香
今回大橋様のお話を伺うことで様々な発見ができた。まず「開発」そのものを問い直すことができた。私は今まで貧しい生活をしている人達を「かわいそう」と思い、それが自分なりの優しさだと思っていたが、「かわいそう」と思うこと自体彼らを上から見ていることに気づかされた。かつて大橋様がモモにおっしゃったように、哀れんでいたら仕事はできないことを知り、また現地の人々と同じ土俵に立つことが本当の意味で共生であり、海外協力であるのだと理解した。
加えて、「変わるべきは途上国の人達か、それとも自分たちか。」という問いを与えて下さったことにより、自分は「開発」を考えるとき、途上国しか見ていなかったことに気づいた。貧困が生まれる背景にグローバルな構造的問題等があることは学習しておきながら、身近な自分自身を見れていなかったことに、空虚さや未熟さを感じた。自分自身を見直すことができなければ習得した知識も活かされない。途上国の人達の生活を改善したいなら、自分達先進国の人達の生活をも改善しなければならないということは、必要な発見であったと思う。
また、大橋様のお話を伺って、多様性とそれを尊重することの大切さを学んだ。例えばストリートチルドレンの支援に関して、孤児院で保護するなどしてストリートチルドレンをなくす動きと、子供達をempowerすることによってストリートチルドレンとして生きられるようにする動きがある。両者はストリートチルドレンを助けるという同じ目的を持ちながら、全く異なる手段をとる。しかし、どちらが正しいとか選択するのは現地の人々であり、それが当事者主権なのである。
上述のように、今回のご講演によって私は今まで気づいていなかった、しかし気づかなければならなかった見方や考え方というものを得ることができた。改めて自分を見直すきっかけにもなり、大橋様には大変感謝したい。
中村 蕗子
05w2116001E 中村 蕗子
大橋様は、どれほど勉強されてきたのだろうか。本当に気さくなご様子で、私が今まで考えたことのなかった「開発」についてを考えさせる貴重な機会をくださった。今回の講義で、私の目指していたものが変わった。
私が漠然と、「国際協力」というものに興味を持ち始めたのは中学3年生の時のことである。大好きな先生が1冊の本を泣きながら読んでくれた。その先生は、世界には私たちのような贅沢な生活をしている人は本当に少数で、ほとんどは考えられないような貧しい生活環境にいるのだということを教えてくれた。その時から私は、いろいろな本やテレビ番組にも影響されながら、そのような人々が「幸せな生活を送れるようにしてあげたい」という思いを抱いてきた。そしてその楽な生活というのは、自然と「お金のある生活」「毎日おなかいっぱい食べられる生活」などと自分の中で整理されていった。
漠然とした思いから、実際に行動に移していき、写真を見たり話を聞いたりする中で、感じることがあった。途上国の人々は、決して「かわいそう」な存在ではないということ。空に飛んでいってしまいそうな、あふれる笑顔。私が日常生活では出会えないような溢れんばかりの幸せそうな笑顔。その笑顔にうそはないことを確信させる説得力がそこにはあった。しかし、なぜだろう。私は今まで、その笑顔のある現在の暮らしを保ってあげようと思ったことがなかった。「開発」していくことが、すべての幸せにつながるとしか考えていなかった。まさに、私の心で革命が起こった。今回お話をされた大橋様の、「開発が一概に良いものとは言えない。」というお言葉。一度聞いただけでは、小さな違和感を覚えただけで終わっていたかもしれない。しかし、今回プレゼン班を担当し、援助、協力について今までにないくらい考え、そして何より大橋様というお方に直接触れることができた。だからこそ、そのお言葉は重く、深く私に入り込んできた。開発するということは、もうすでに先進国、途上国という仕切りを作った上で、考えられていることなのだ。
世間一般で途上国と呼ばれる国々では、知る限りでは確かに生活状況はいいものとは言えないし、暮らす場所の環境がよくないから、感染病などもはやりやすいのだろう。私たち先進国と呼ばれる人々は、そのようなことばかり見過ぎていたのではないだろうか。少なくとも私はそうであったと、大橋様からのお話で気付いた。
どれだけお金のある生活を送っていていても、毎日お風呂の入れる生活を送っていても、幸せとか、楽しいとか、そのようなことにはつながらない。私たち先進国と呼ばれる国々に住む人には、この世で暮らしていく中で、少し余裕があるだけだ。だから、その余裕のある分、余裕のない人に対して、お裾分けをすることができるのだ。まるで、ボーナスをもらった人が給料日前の人にごちそうしてあげるように。でも、給料はまだもらっていなくても、楽しい話をたくさんしてくれるかもしれない。そして給料はもらっても、その日上司に怒られたかもしれない。だとしたら、楽しい話をたくさん聞かせてもらって、怒られたことを忘れて、楽しい気分になれるかもしれない。
開発をすることをやめるべきではない。しかし、楽しい話も必要だと感じる。私なりに、もっと楽しみたい。そして共に楽しさを共有し、共に生きていきたい。素直にそう感じる。
鈴木彩
05W2113017E 鈴木彩
今回の大橋様のお話を聞いて、私はいくつか気付かされたことがある。
まず、私の途上国に対する考え方には偏った固定観念があったということである。その事に気付いたのは大橋様の「エスニック料理とはどれか。」、「民族衣装とは何か。」という質問と、「ピアノを習っていると『よいお嬢さん』だが、インドダンスを習っていると『変わり者』だよね。」という例え話を聞いた時であった。「進んでいる」文化、または「遅れている」文化などはないと思っていたはずなのに、私は無意識に大橋様のおっしゃる、「西洋がスタンダードで、そこから外れたものが非日常でエスニックであり、途上国である」という偏見を抱いていたということに気付いた。私は自分がそのような考えを持っていたことを恥ずかしく思った。
次に、私の「development」に対する考え方は先進国の立場からみたものであったということである。私は大橋様が海外協力をする理由として、「バングラデシュが好きで、この仕事が楽しいと感じるから。」と言い切ったことに驚いた。なぜなら、私はやはりどこかで「発展途上国の人は生活が苦しくてかわいそうだからNGOは彼らに援助をするのだ」と思っていたからである。しかし、それは先進国に住んでいて、「development」という政治的な考えに影響された私の価値観の押し付けであったのだと思う。そしてそこから、途上国の問題は先進国の問題でもあるということを学んだ。私が抱いているような偏見を持たれたまま援助をされても途上国の人々は喜ぶわけがない。そもそも「援助」という考え方自体、先進国の考え方なのである。途上国を変えるためにはまず、日本を変える必要があり、大切なことは、現地の人と同じ立場に立ち、一緒に生きていると感じて、援助ではなく、協力をすることであるということを学んだ。
私は大橋様がおっしゃった、「あなた達がスリランカにいっても学ぶことばかりで、現地の人のためにできることはない。ただの邪魔者にしかならないだろう。」という言葉とモモが懇親会の時におっしゃった、「現地の人々はあなたたちのままごとに付き合ってくれるだけ」という言葉が非常に衝撃的であった。確かにただの学生である私たちが現地の人のためにできることは少ないとは思っていたが、「邪魔者」になるとは考えもしなかった。「現地にいくのだから何かできるのであろう。」という、少しうぬぼれた考えを抱いていたのかもしれない。この言葉をうけて、私は改めて答えのない「development」の難しさを実感した。「development」を学ぶ学生として、そして自主的な「市民」として、もう一度私にとっての「development」とはいったい何であるのか、そして自分にできることとはいったい何であるのかを考えていきたいと感じた。
今回の講演は、私の今までの考え方を見直すとても有意義な機会となった。最後に、様々な経験から得た学びをユーモアたっぷりにお話くださった大橋様に心からの感謝を申し上げたい。本当にありがとうございました。
檜垣真美
05W2115003H 檜垣真美
まず、大変お忙しい中、わざわざお越しくださった大橋様に感謝の意を示したい。大橋様のお言葉は数多くの現場を経験してきたからこそおっしゃられるもので、私たちが机上で考えているだけでは到底たどりつけないようなことが多かった。
今回の大橋様の講演で、私は今まで自分がいかに偏った見方をしてきていたかということ、多様性を認めることの大切さという2つに気づき学んだ。それは、題である「“市民”による海外協力」を私たちプレゼン担当班は、自主性を持った市民が同じ地球上で生きる者として共に協力していく「共生」であると考えていた。しかし、私たちはそれを先進国・途上国という視点から見ていたこと自体、「開発」というつくられた概念の上にある偏った見方だったと気づかされた。途上国を開発し発展させようという考え方が、「『開発をよいこと』だと思っている世界的に共有された価値観のあらわれである」と大橋様がおっしゃったからだ。発展のために共に生きていくのではなく、例え現状が変わらなくてもそのままの形で共に生きていくこと、それが本当の意味での「共生」なのであろう。そして、その「共生」というのは同時に、当事者自身による問題解決であるため、それは相手国だけではなく、協力している日本自身の問題であると言えるのだ。
また、大橋様は懇親会で「アルカイダもNGOだ」とおっしゃった。私はこの言葉にすごい衝撃を受けた。NGOは良いもの、という私の偏った考えからは想像もつかないことであったからだ。確かに、NGOが非政府・非営利の組織であればアルカイダもあてはまる。しかし同時に、「原理と現実は違う」とも大橋様はおっしゃっていた。原理的にいえばアルカイダはNGOだが、今のこの世界にそれを認められる人は少ない。人の固定観念というのはなかなか崩せるものではないからだ。むしろそれ自体を固定観念だと気づいている人こそ、極少数しかいないのではないかと私は思う。また、多様性を認めることの大切さから言えば、それを善い・悪いと言うのは個々人の自由だといえるかもしれない。しかし、その前提に固定観念が残っていてはその時点で平等ではないのだ。いくら多様性を認めることが大切だからと言っても、その固定観念を持ったままで善い・悪いと決めつけるのは間違っていると思う。絶対的な正しさはないのだから。今回、大橋様のお話を聞けたことで私はこのことに気づくことができたが、大橋様と出会っていなければずっと気づけなかったことかもしれない。
今回の講演で、私が今まで当たり前のように思っていたことが全て自分の偏った見方であると知ったことは、ショックであったと同時に発見でもあり嬉しかった。そんな機会を与えてくださった大橋様に尊敬の意を表すとともに、改めて感謝したい。
佐野佑希子
05W2113009J 佐野佑希子 始めに、お忙しいところ多摩の山奥まで来てくださった大橋様に感謝し、豊富な人生経験と熱い精神をお持ちの大橋様に出会うきっかけを与えてくれたモモに感謝します。
私が今回の大橋様の講演から学んだことは、多様性を認めるということです。私は今まで、先進国で生きていく中で、周りの国々を「途上国」という言葉で括る先進国の価値観を何の疑いもなしに持ってきました。先進国は途上国よりも幸せな生活をしているという考えがあたりまえになっていて、それを疑問に思うことさえもしませんでした。そして、自分たちが持っているような豊かさを持っていない国の人々はかわいそうで貧しい、と勝手に思い込んでいました。しかし、今回の大橋様のお話の中で、途上国の人々のどこが先進国に比べて遅れているのか、を問われたとき私ははっきりとした答えを出すことができませんでした。途上国の人々の貧しい生活は私の中の基準で図ったものでしかなく、しかもその人々が貧しい生活をしているということは、メディアを通した私のイメージでしかありません。一般に「途上国」といわれている国の中にも、それぞれ違った文化があり、それぞれが違った指標をもっています。私はその指標を、先進国で生きていく中で、勝手に先進国の価値観で図っていました。先進国に住む人々の多くが先進国の価値観で物事を捉えていると思います。その表れが「途上国」という言葉で括られた国々であると考えます。途上国は何が劣っていて、先進国は何が進んでいるのか、その劣ると進むという考えは誰かの基準を基にした考えであって、現在はその基準が先進国のもので形成されているのです。
今回の大橋様のお話を聞く以前は、「開発」という先進国の考えでものを観ることに対して、毎回クリティカルな視点に立って考えることができていませんでした。「開発」=途上国の貧困を削減する、という考えをすんなり自分の中にいれてしまっていました。しかし今回の大橋様のお話を聞き、はたして途上国はどの点で貧困なのか、そもそも途上国とはどこから見て途上なのか、ということを考えられるようになってきました。今まで鵜呑みにしていた先進国基準の見方を見直し、多様な存在を認めることで、その人にとってためになること=「開発」なのではないかと考えました。大橋様のお話を通して、他の存在を認めること、多様な価値観を受け入れることを学び、自分なりの「開発」の考え方を持つことができました。しかしこの考えも一つの価値観であり、今後も他の価値観を見つめながら、日々自分なりの価値観を形成できるようにしたいと思いました。
最後に、私が自分なりの考えをもてるようになったのも、大橋様が恩師様から与えられた役目の一つである、日本を変えることにつながるのではと思いました。多様性を認めることで、作られた価値観に疑問を抱く人々が増えれば、さまざまな視点から物事を考えることができ、世界に広がるさまざまな問題の解決を見出せるのではないかと考えます。大橋様から得た学びを消化しつつ、改めて感謝の意を表します。今回は本当にありがとうございました。
豊田貴志
まずお越しくださった大橋様に対してお礼を言いたい。今回の大橋様のお話を聞かせていただいたことで、開発とは何か、大橋様のお考えを通してNGOの役割、そして大橋様の海外協力に対する信念を学ぶことができた。まず開発とは何かというお話の中で、印象的だったのは、海外協力を行う際に大切なことは、現地の人々による問題解決、つまり当事者主体の問題解決が望まれ、現地の人々に対して哀れむ気持ちを持つのではなく、相手の視点に立った海外協力を行うことが望まれるということである。私が以前に抱いていた海外協力のイメージとは、支援をしてあげると考えていたが、大橋様のお話により、当事者が主体となれるような協力をするということが海外協力なのだと感じた。また私がイメージしている開発とは、あくまで西洋基準であったということである。開発という言葉の中には先進国、途上国という固定観念があり、この国自体の定義づけが西洋基準であり、そこで大橋様は、大学の偏差値を例に挙げられ、偏差値の価値は表面的に定義付けられているだけで、大学の内側を含めた良し悪しまでは、反映していないと述べられた。同時に大橋様は先進国、途上国というランク付けは表面的な定義づけであり、必ずしも先進国が途上国と呼ばれる国々よりも発展しているという捉え方は正しくないということをおっしゃられていたことが、自分が今までこのような固定観念にとらわれていたのだと感じた。
大橋様はNGOの役割について、多様性がある中で、現地に対応した協力が必要とおっしゃられていた。これはインドのストリートチルドレンへのNGOの対応を例に挙げられながら、説明していただいた。その中で、ストリートチルドレンを保護施設に入れる政策とストリートチルドレンであることをやめさせずに支援していく活動があることを知り、特に後者の活動が私にとって、新しい発見であった。私の中でのストリートチルドレンのイメージは保護してあげなくてはならないという前者の活動のような考えを持ち、彼らを哀れむ気持ちがあった。しかし上述にもある大橋様の望まれる海外協力は哀れむのではなく、相手の視点に立って行うということが、後者の活動に対して反映されていると感じた。そして私は後者のような相手の視点に立った活動というものも必要なのだと感じた。
大橋様の海外協力の信念として挙げられていたことは、私にとって新鮮であった。それは、「バングラデシュの問題は、日本の問題でもある」というお言葉である。この意味は、他国の問題を考える前に、まず自分の国の認識を変えていかなければならないということであるという。私は他国の問題を考える際、まずその国のことを知るということが大切であると思っていたが、このお言葉を通して、自分たちがその国に持つ偏見や固定観念といった認識を問いただし、相手の立場にたって考えるということがまず大切なのだと感じた。
今回の大橋様のお話では、自分の認識が凝り固まったものであり、そのことを疑いもしなかった自分が未熟であることを感じた。しかし今回を機に自分の固定観念を疑うということが必要であると気づくことができた。
田原 歩
05W2115019I 田原歩
まず、お忙しい中わざわざ遠くまでお越しいただき、実務者からということで大変貴重なお話をしてくださった大橋様に、感謝の意を示したい。
今回大橋様のお話を聞き、私は今まで自分が考えてきたこと、とってきた行動の甘さを痛感することとなった。つまり、自分は「援助」という言葉の意味をあまりにも簡単に考えていた、ということである。今まで私は、現地の人のニーズに合うような、一方的になってしまわないような援助をすべきだと思っていた。一方的な、押し付けになってしまう援助は絶対によくない、ということを理解しているつもりでいた。
しかし、今回の講演会で大橋様は繰り返し、「協力」、「現地の人と同じ立場で」ということをおっしゃられていた。例えば、developedとはどのような状態のことを表すのか、ということを考えてみる。世界にはトイレで紙を使わない国々がある。しかし私たちは、紙を使わないからという理由で、ethnicであるとか、発展途上国なのだとかと決め付けているのではないだろうか。日本人の着ているものは洋服である。このことからも、私たちは何をもってundeveloped、ethnicと考えるのかと言うと、それはつまり「非西洋であるもの」と考えているのではないだろうか。だから、本当はトイレで紙を使わないほうが清潔であり環境にも優しいのに、西洋式ではないがために私たちはそれを特別視、ethnicと思っているのはないだろうか。
また、先週宮本先生の文化人類学Ⅰの授業を受けた際、自文化中心主義について学んだのだが、これも今回大橋様がおっしゃられていたことと同じことなのではないか、と思う。結局私たちは、気づかない内に自分たちの中の文化が全てである、それはどこでも同じであると認識し、トイレに紙がないのはおかしい、developedではない、と考えているのだ。
だから援助をするのも、自分の国にあるものがそこにはなくて、それはよくないから改善してあげよう、援助してあげよう、と考えているのだ。確かに一方的ではなく、現地の人々のニーズに合わせなければならない、とは考えていたが、これも結局は、視点があくまでも自分自身なのである。それでは真の意味で相手の立場を考えていることにはならない。まず、相手の文化を理解すること。どのような土地に住んでいてどのような歴史があってどのような宗教でどのような…ということをきちんとリサーチし、理解しなければ本当の意味でその人たちのことを考えていることにはならず、その人たちと同じ立場になってものを見ることはできないのだ。
このことに気づいたとき、今まで自分のしてきたことの酷さに落胆した。モモの指摘通り、現地のこともよく理解もせずにスラムやストリートチルドレンがいる、何とかしなければと、相手の立場を全く踏みにじりながら、愚かにもその人たちのために何かしてあげようなどと思っていたのである。それがどれだけ失礼なことなのか、酷いことであるのかに気づき、私は本当に自分が許せなかった。その想いが涙に代わってあふれ出てきた。
自分にこの大切なことを気づかせてくれた大橋様、モモ、宮本先生には大変感謝している。そしてまた、改めて自分の甘さを恥ずかしく思うと同時に、気づくのは遅かったが、この想いを絶対に忘れずに今後の活動に活かしていこうと思う。
藤元亮太
05W2114005K 藤元亮太
今回、特定非営利活動法人シャプラニール=市民による海外協力の会代表理事をなさっている大橋正明様のご講演を聴き、私は2つのことを改めて認識させられた。
1つは、「先進国」と「発展途上国」という区別についてである。この区分は資本主義であり、経済的に豊かであった国が勝手に決めたものであり、各国を比較するうえで、このことが本質を問うているわけではないということは、本などから認識していたはずなのに、大橋様がご指摘してくださったように、私は何事を見るにも「先進国」という枠組みのなかで見てしまう傾向があったことが改めて認識できた。自分のなかで勝手にわかっているつもりになり、本質的には何もわかっていなかったことを恥ずかしく思うと同時に、悲しくも思う。私は作られた概念である「開発」というものを知らずに受け入れ、それを思考する際に前提として考えていてしまっていたのである。これは「開発」のことに関わらず、教育などの分野でも、私は西洋を中心とした考えを真ん中に持っていたことを痛感させられた。大橋様のおっしゃるひとつひとつの例が、私に新たな視点を与えてくれ、そう考えられなかった自分を再認識できた。特に、児童労働のことに関しては驚くしかなかった。グループワークにて児童労働のことを調べていながら、児童に稼ぐ権利を与え、彼らの生活を認めるという考え方を、まったく思いつかなかったのである。考え方は好みだと、大橋様はおっしゃられたが、私はすでに考えの選択肢を削っていた。このことに気付き、今の自分のままではいけないと強く感じた。
2つ目は、「答えはないから、苦しめ」というお言葉の重さである。途上国がかわいそうだから援助をしようなどと、短絡的な考えでは何も解決はしないということを大橋様は強くおっしゃられたが、この問題には答えはないとおっしゃられたことに大きな衝撃を受けた。専門家が何十年も考えてもわかることのない「開発」という問題は、今後の世界にとって最も重要なものであろう。しかし、解決しようとするならばまず視点をそろえなければならない。言葉にしてしまえば簡単だが、実践することは困難である。さらに答えがないとなれば、このことはどうしようもなくなってしまうだろう。だが、だからこそ苦しまなければならないのではないだろうか。同じ視点に立って考えられるよう、散々に苦しまなければ先へは進めないことを改めて感じた。
以上2点のように講演を聴けば聴くほど、自分の無知さが露呈し、反省しなければならない点が多いことを改めて認識した。しっかりした知識とさまざまな経験をなさってきた大橋様だからこそ、このようなことを感じさせてくださったと思う。気付いたことを今後に活かせるようにしていきたい。
大橋様は恵泉女学園大学の教授もなさっており、大変ご多忙ななか、遠いところよりわざわざきてくださり、たいへん楽しい講義をしてくださったことに感謝の意を表したい。