中村 蕗子
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大橋様は、どれほど勉強されてきたのだろうか。本当に気さくなご様子で、私が今まで考えたことのなかった「開発」についてを考えさせる貴重な機会をくださった。今回の講義で、私の目指していたものが変わった。
私が漠然と、「国際協力」というものに興味を持ち始めたのは中学3年生の時のことである。大好きな先生が1冊の本を泣きながら読んでくれた。その先生は、世界には私たちのような贅沢な生活をしている人は本当に少数で、ほとんどは考えられないような貧しい生活環境にいるのだということを教えてくれた。その時から私は、いろいろな本やテレビ番組にも影響されながら、そのような人々が「幸せな生活を送れるようにしてあげたい」という思いを抱いてきた。そしてその楽な生活というのは、自然と「お金のある生活」「毎日おなかいっぱい食べられる生活」などと自分の中で整理されていった。
漠然とした思いから、実際に行動に移していき、写真を見たり話を聞いたりする中で、感じることがあった。途上国の人々は、決して「かわいそう」な存在ではないということ。空に飛んでいってしまいそうな、あふれる笑顔。私が日常生活では出会えないような溢れんばかりの幸せそうな笑顔。その笑顔にうそはないことを確信させる説得力がそこにはあった。しかし、なぜだろう。私は今まで、その笑顔のある現在の暮らしを保ってあげようと思ったことがなかった。「開発」していくことが、すべての幸せにつながるとしか考えていなかった。まさに、私の心で革命が起こった。今回お話をされた大橋様の、「開発が一概に良いものとは言えない。」というお言葉。一度聞いただけでは、小さな違和感を覚えただけで終わっていたかもしれない。しかし、今回プレゼン班を担当し、援助、協力について今までにないくらい考え、そして何より大橋様というお方に直接触れることができた。だからこそ、そのお言葉は重く、深く私に入り込んできた。開発するということは、もうすでに先進国、途上国という仕切りを作った上で、考えられていることなのだ。
世間一般で途上国と呼ばれる国々では、知る限りでは確かに生活状況はいいものとは言えないし、暮らす場所の環境がよくないから、感染病などもはやりやすいのだろう。私たち先進国と呼ばれる人々は、そのようなことばかり見過ぎていたのではないだろうか。少なくとも私はそうであったと、大橋様からのお話で気付いた。
どれだけお金のある生活を送っていていても、毎日お風呂の入れる生活を送っていても、幸せとか、楽しいとか、そのようなことにはつながらない。私たち先進国と呼ばれる国々に住む人には、この世で暮らしていく中で、少し余裕があるだけだ。だから、その余裕のある分、余裕のない人に対して、お裾分けをすることができるのだ。まるで、ボーナスをもらった人が給料日前の人にごちそうしてあげるように。でも、給料はまだもらっていなくても、楽しい話をたくさんしてくれるかもしれない。そして給料はもらっても、その日上司に怒られたかもしれない。だとしたら、楽しい話をたくさん聞かせてもらって、怒られたことを忘れて、楽しい気分になれるかもしれない。
開発をすることをやめるべきではない。しかし、楽しい話も必要だと感じる。私なりに、もっと楽しみたい。そして共に楽しさを共有し、共に生きていきたい。素直にそう感じる。