田原 歩 | リフレクションペーパー

田原 歩

05W2115019I 田原歩 

 まず、お忙しい中わざわざ遠くまでお越しいただき、実務者からということで大変貴重なお話をしてくださった大橋様に、感謝の意を示したい。 

今回大橋様のお話を聞き、私は今まで自分が考えてきたこと、とってきた行動の甘さを痛感することとなった。つまり、自分は「援助」という言葉の意味をあまりにも簡単に考えていた、ということである。今まで私は、現地の人のニーズに合うような、一方的になってしまわないような援助をすべきだと思っていた。一方的な、押し付けになってしまう援助は絶対によくない、ということを理解しているつもりでいた。

 しかし、今回の講演会で大橋様は繰り返し、「協力」、「現地の人と同じ立場で」ということをおっしゃられていた。例えば、developedとはどのような状態のことを表すのか、ということを考えてみる。世界にはトイレで紙を使わない国々がある。しかし私たちは、紙を使わないからという理由で、ethnicであるとか、発展途上国なのだとかと決め付けているのではないだろうか。日本人の着ているものは洋服である。このことからも、私たちは何をもってundevelopedethnicと考えるのかと言うと、それはつまり「非西洋であるもの」と考えているのではないだろうか。だから、本当はトイレで紙を使わないほうが清潔であり環境にも優しいのに、西洋式ではないがために私たちはそれを特別視、ethnicと思っているのはないだろうか。

また、先週宮本先生の文化人類学Ⅰの授業を受けた際、自文化中心主義について学んだのだが、これも今回大橋様がおっしゃられていたことと同じことなのではないか、と思う。結局私たちは、気づかない内に自分たちの中の文化が全てである、それはどこでも同じであると認識し、トイレに紙がないのはおかしい、developedではない、と考えているのだ。

だから援助をするのも、自分の国にあるものがそこにはなくて、それはよくないから改善してあげよう、援助してあげよう、と考えているのだ。確かに一方的ではなく、現地の人々のニーズに合わせなければならない、とは考えていたが、これも結局は、視点があくまでも自分自身なのである。それでは真の意味で相手の立場を考えていることにはならない。まず、相手の文化を理解すること。どのような土地に住んでいてどのような歴史があってどのような宗教でどのような…ということをきちんとリサーチし、理解しなければ本当の意味でその人たちのことを考えていることにはならず、その人たちと同じ立場になってものを見ることはできないのだ。

このことに気づいたとき、今まで自分のしてきたことの酷さに落胆した。モモの指摘通り、現地のこともよく理解もせずにスラムやストリートチルドレンがいる、何とかしなければと、相手の立場を全く踏みにじりながら、愚かにもその人たちのために何かしてあげようなどと思っていたのである。それがどれだけ失礼なことなのか、酷いことであるのかに気づき、私は本当に自分が許せなかった。その想いが涙に代わってあふれ出てきた。

自分にこの大切なことを気づかせてくれた大橋様、モモ、宮本先生には大変感謝している。そしてまた、改めて自分の甘さを恥ずかしく思うと同時に、気づくのは遅かったが、この想いを絶対に忘れずに今後の活動に活かしていこうと思う。