リフレクションペーパー -8ページ目

宮﨑明日香

05W1404013L 宮﨑明日香 今回お忙しい中、大橋さまから貴重なお話を聞かせていただいき感謝しています。大橋さまのお話を聞いて、私とは大きく違った生き方をしている人だと感じた。大橋さまは私たちにお話をしてくださっている最中も、とても素直に言葉を口にしていらっしゃる方だという印象を受けた。他の人であれば、口にすることを少しためらうような言葉を、自分の言葉で私たちに伝えてくださった。このようなお言葉はへたに口にすると価値が下がってしまうようなものだろう。簡単には人には伝えにくいような『大好きだ』とか『また行きたい』という言葉を笑顔でおっしゃられていた姿は、とてもまぶしくて、生き生きとしていて印象的だった。大橋さまのお話の内容、テンポ、あっという間だった。

  大橋さまのお話の中で、先進国と途上国の差は何か、何ではかるのかと問いかけられたときに、なにも思いつかなかった、答えられなかった。改めてそう問い直されてみると、なにも考えずにこの言葉を使っていたことに対して、私は今まで何も疑問を持たずにいた。私の頭の中では、知らない間に先進国や途上国という概念が出来上がっていたのだと気づかされた。また、開発という言葉は“先進国側”がなにかを“途上国側”に対してすることなんだと漠然と思っていた。しかし、大橋さまが「開発において変わるべきはどちらの立場なのか」と言われたときに疑問を持った。初めはこの質問の意味が理解できなかったが、常に自分がある一点の方からしか物をみることができていなかったのだと自分が恥ずかしくなった。開発という言葉にせよ、私たちの中にある一種の西洋がスタンダードだというような概念は、恐ろしいほど私たちの中に浸透していた。このことに気づいてさえいなかった。大橋様のお話をから気づくことができてよかったと感じた。『相手に対してあわれんでいたら一緒に仕事はできない。同じ視点に立ち、問題にとっくみあうことができなければならない。愛が一番大切。』だという言葉は、いままでいらしてくれた実務者の方からは聞くことのなかった言葉だった。ストリートチルドレンにはお金を渡すのは好きだから渡している!と言い切っていたのは、はっきりいって私は耳を疑ってしまった。笑顔でいる大橋さまをみて、私とは違い、私は素直には同じようには思えないと思った。

『無理してやるとつらくなる。自分がやっている行動が大好きだということが言えていなければだめだ』という言葉は、すべてのことに共通している言葉だと思った。こういう風には考えることはできても、なかなかその言葉通りに行動することはできない。素直に思ったこと言葉を口にすることができない私は、そういう生き方をできるのがとてもうらやましく思えた。今回、大橋さまのお話から、自分が普段考えていることや概念としてもっているものは、当たり前だと思っていてはいけないのだと感じた。自分自身を見直すことができた、とてもよい機会だった。お忙しい中、お話をしにきてくださった大橋さま、そしてモモには感謝している。

飯島輝美

05W2111001G 飯島輝美

 今回大橋様のお話を聞き、今までの自分の考え方に偏りがあることを気付かされた。私は途上国の人々との生活を考える際、学校に行っていない子どもはかわいそう、GDPが低いには貧しい証拠などということを前提に考えてきた。しかしそれは、私が日本という国で生活を送って出てきたなかで生まれた勝手な概念だった。日本に生まれた私の中には服や料理などに関して西洋のものはスタンダードなものとして染み付いており、それはヨーロッパというのは私達が目指すべきものと自然的に考えていた結果であった。大橋様のお話の中で、学力とはどのように判断するのかを聞かれた際、偏差値だけでは人それぞれの能力は比較できないことに気付かされ、このことと同じように考えると先進国と途上国の本質的な分け方はどこにあるのかについても考えさせられる。GDPなどは一つの判断基準にしかならない。貧困でも幸せと感じる部分は存在する。しかし貧困だと途上国と考えさせられ、私達の中では助けるという対象になっているになってしまっているのが現実である。戦後にアメリカが作った「開発」と言う概念がグローバルに受け入れられてしまい、私達の生活を基準に考えている限り、先進国と途上国の本質は見えてこないのではないだろうかと思った。自分たちの先入観により、助けるという形でしか考えを持っていなかったことを反省したい。また、助けると考えた時に何をどうやって助けるのかが重要と考えた時に、国際協力という共生と言葉がどういう意味を持つのかを理解することができた気がする。問題の発端はどこにあるのかを考えることによって、自国が変わらなければいけない可能性も出てくる。どのような援助が必要なのかは求めている現地の市民が一番知っていることであり、現地で学ぶことも多い。一緒に生きる、共生するためには、世界全体が変わらなければいけないということを感じた。日本では軍事費を多く使っているが、軍事費の半分をエイズ患者のための薬代にまわせば多くの人が助かると言うことを聞き、人の命を助けるためではなく人の命を奪う可能性がある事のために日本はお金を使っていることにショックを隠しきれない。政府機関等の権力の中枢に入ってしまうと支援する国のことを上から見てしまうという組織の倫理にはまり抜け出しにくくなることを考えると、多様性のある組織の中で、同じ土俵、同じ目線に立って問題点を見ることのできる市民によるNGOは同じ地球市民として生きて行こうという姿勢が感じられた。

 Developmentには答えがなく、自分で考えていくしかないとおっしゃられていた。Developmentだけなく生活を上で答えが出ないことはたくさんあると思う。時間を無駄にせず、どんどん行動を起して自分なりの答えを探していくことが重要であるというお言葉は、まだ学生である自分にとって貴重なお言葉であり、大学生活の中で時間の許す限りたくさんのことを勉強し自分の中の知識として身に付けていこうという気持ちになった。その努力の中で、興味関心があり、かつ自分が自然に楽しいと思えることを見つけていきたい。

 最後に今回、人生経験豊富な大橋様に、お忙しい中遠いところから来ていただき、貴重なお話を聞け、様々な発見ができたことに感謝したい。


渡辺愛李

05W2116012E 渡辺愛李

大橋様のお話に衝撃を受けた。大橋様のお話は、私たちが開発について学ぶ際に考える必要が不可欠である問題が数多く含まれていた。

まず、開発の概念である。「空中の鎖状のようにつくられた概念が開発である」という言葉が強く心に残っている。「世界中が先進国を目指す」前提のもとに、私たちは、発展途上国や貧困層の人々に対し、「貧乏だから可哀そう」という思いを強く持っているのではないか。開発という言葉の本質を考えなければならない。大橋様は、私たちの途上国や貧困層に対する思い込みを見直す機会を与えて下さった。そして、大橋様が仰っていた、西洋が私たちのスタンダードであり、そこから外れたのがエスニック=途上国であるというこの考え方も、私たちが普段何気なく思い込んでしまっていることであると気が付いた。テレビや雑誌を見ても、エスニック料理や店の紹介はインドであったり、タイやベトナムであったりと、「変わった、非日常的」であると思い込んでいる国のものしかない。フランスやイタリアをエスニックと呼ぶ人はかなり少なく、実際はエスニックであるという考え方も見られない。大橋様が仰るように、エスニック、つまり民族は、変わった非日常的なものであるという意識を改善する必要があると感じた。私たちがエスニック=変わっている=途上国=かわいそうという意識を変えなければ、何も変わらない。この大橋様のお言葉を私たち一人一人が考えなければならないのではないだろうか。

また、「開発の物差し」についても、意識が低いものである。サウジアラビヤやクウェート、スリランカもGDPから見れば先進国レベルであるが、先進国といえるのか。この ように問われたら、返答に困り黙り込んでしまうだろう。実際私も授業中に答えが分からず悩んだ。「途上国だから開発を行おう」と思う前に、途上国とは何であるか、どうして途上国と言えるのかという根底を見直す必要性に気付かされた。

そもそも、開発を考えること自体が、開発を善行であると受け入れている証拠である。そしてそこから、「かわいそう、助けなきゃ」という考えにつながってしまうと大橋様が仰っていた。確かに、私は無意識のうちに開発を受け入れていた。高校生の時から、発展途上国の問題を緩和したいと思っていた。これはまさに、大橋様が仰っていた、自分達先進国の生活水準に追いつかせようとする自分勝手な考え方であったことに気が付いた。

大橋様は、市民と現地の「共生」という言葉を強く仰っていた。開発には現地の人々と私たちの共感が大切であり、一緒に生きていこうとする気持ちが大切なのであるというお話に強く感銘を受けた。

「変わるべきは途上国の人々か、私たちか?」という問題提起も、ALPs以外の授業では触れる機会が少ないと感じた。現地の問題は日本の問題であることを常に意識している大橋様であるからこそ、現地の市民社会を考える「市民による海外協力」を実現できたのではないだろうか。

始終大橋様のお話に圧倒されながらも、大橋様が考える「市民による海外協力」について直接伺う貴重な機会であった。大橋様のお言葉の一つ一つが私の心に響いた。今回のお話をもう一度自分に問い直し、これからの学びへとつなげていきたい。

私たちに向かい熱心にお話して下さった大橋様に心より感謝の意を表したい。


長島慧史

05W1406016C長島慧史

大橋様のお話を聞いて、私が一番衝撃を受けたことは、私が物事を判断する上で、自分の価値観において判断するが、この私が持っている価値観は西洋的な価値観に偏って出来ているということであった。大橋様からの問いかけにインドのガムラン音楽、ヨーロッパのバロック音楽、ソーラン節・東京音頭、この中で、一番進んでいるのはどれかというものがあった。この問いかけの選択肢は比べられるものではない。しかし、普段の生活の中で、私は西洋的なものを良いもので、インドの物は劣っていると判断しているかもしれないということに気がついた。そして、世界の各地に住む民族のそれぞれの文化は一つの価値観で図れるものではない、それぞれの文化には多様性があるということが分かった。この多様性という考えに基づき、今この世界に存在する先進国、途上国、第一世界、第三世界という概念について考えると、この考え方も、今第一世界と呼ばれる方の価値観でしかない、ということを大橋様はおっしゃっていた。

今、私の持っている価値観は一つの価値観でしかない、この価値観ですべての価値は決められない、いや比べる必要がない。私はこの世界にある多様性を認め、さまざまな考えと受け入れる姿勢をもつべきであると考えた。この多様性は、NGOの活動の違いにも現れている。ストリートチルドレンを救う活動において、二つの方向性の違うNGOの話を聞いた。一方のNGOはストリートチルドレンを保護し、一人一人に子供の権利を享受させようと試みるもの、もう一方はストリートチルドレンが路上で生きていけるように手助けしようというものであった。どちらもストリートチルドレンを救う活動だが、方法は違う、どちらが良いとは言えない。このように開発にも多種多様の考え方がある。どれが正しく、どれが間違っているとは言えないのである。だが、私はさまざまな開発の考えを受け入れて、そのひとつひとつ考え、今後、開発に対する考えを深めていきたい。最後に、お忙しい中遠いところまで来てくださり、私たちの価値観をもう一度考える機会を与えてくださった大橋様に心から感謝したい。

岩瀬慧

05W2111017H 岩瀬慧 今回の大橋様のお話を聞いて、私は、自分が得ていた(と思い込んでいた)知識すべてに対して疑う姿勢を持つことになった。どういうことかというと、曲がりなりにも“development”を勉強するために、日々様々な情報を得る努力をしていると今日まで自負していた自分が、先進国の定義にも、途上国の定義にも答えられず、ALPsの一貫したテーマである“development”という言葉を一度も疑ったことがなかったことに気づかされたとき、自分の中の前提(あくまで傲慢な姿勢)が全て覆された。だが、同時に、前提を覆されたことをプラスに捉え、少しずつ、自らの行動に対して信頼できる過程を自分で踏めるようになったと考えて、大橋様と、この機会を与えてくださったモモ、そして私の稚拙な考えを日々いやな顔一つ見せずに聞いてくれるALPs・developmentライブ!の仲間にこの上ない感謝を述べたい。本当にありがとうございます。

 具体的に大橋様のお話の中で新鮮だったことをいくつか挙げる。まず、「日本はブランド志向の国である」ということ。それは、受験であっても、買い物であっても、そして募金であっても、同じである。受験というのは、その時の学力を偏差値というフィルターを通して計り、選抜して入学許可を与えるもの。しかし、大学生がどこの大学に通っていようが、学力は常に変化し続けるものであるため、本質的に違いは存在しない。だが私たちは、ランクが上だとされる偏差値の高い大学への入学を希望する。服というものはある程度外部から体を守るために身に着けているにすぎないにもかかわらず、稼いだお金をより高額の服に使ったりする。同じように、知名度の高い団体に募金はしても、分からない団体名を聞くと「オウム真理教じゃないの?」などとネガティヴなイメージがまとわりつき、知名度が低い団体にはお金は集まらない。このように、日本のブランド志向は主に明治維新からのヨーロッパ・アメリカを手本にしている風潮からきていて、我々はとかく本質よりも、その表面に出ている情報に惑わされており、本質を見失っている。

 次に、“development”の和訳である“開発”について。“開発”は戦後の考え方だ。“開発”という言葉は“先進国”と“途上国”の差を埋め、便利な尺度として勝手に人間が作った経済的成長などを、“開発”として捉え、それが“途上国”という国々では遅れていると勝手にみなし、なんとかしなければと頭をひねっている。つまり、ヨーロッパ・アメリカがお手本になった世界を何の疑いもなしに受け入れているのだ(ブランド志向にもつながる話)。 私たちは問題の原因を本質として捉えなければならない。

 最後に、大橋様ご自身の仕事について。「やって楽しくなければ意味がない。故に個人的なゴールというものはない。大事なのは愛なのだ。」とおっしゃっていた。その通りであると感じた。無理なことは続かない。本当にやりたいことのみが、続けられることなのだ。そして、現場で苦闘すること。それが、NGOという立場を取り続ける意味。NGOが社会を変えると信じていること。それが、大橋様の原動力になっていると感じた。

 大橋様がモモに伝えたキャパビル、苦しむこと。そしてモモが常日頃私たちに伝えようとする、苦しむこと。私たちもまた、キャパビルしていくことで、本質を見失わずに生きていく姿勢を示していくのだ。

玉木香奈

05W5215005D 玉木香奈 まず始めに、大変お忙しい中遠いところまで来ていただいた大橋様に感謝の意を示したい。

 今回の講演の中では、私たちが今このプログラムで学んでいるdevelopmentがもたらす危険性というものを改めて深く考え、今後の学びに生かしていくための大きなきっかけとなったと思う。

 大橋様が勤めるシャプラニ-ルは、外務省が掲げるall Japan(NGOとの協力体制)に対し、否定的な意向を示している。それは、NGOはそれぞれの多様性を持っているのに、それが一つになることはない、絶対的な中立はないためだとおっしゃった。NGOには様々な形態が存在するが、その中で危惧すべき点を大橋様はこのようにおっしゃった。財源が豊富で規模の大きいNGOなどは、その善意がブランド化したところにしか集まってこない、つまりお金によって中立という立場が保たれないという点である。Donor driveの力により、この現象がさらに促進される場合もあり、このため自立性という言葉も怪しくなってしまう。

 途上国、先進国の問題とは何かという大橋様の問いに対し、私はすぐに答えが出せなかった。もしこの時答えが出せたのだとしても、それは次に述べる、自らの価値観のみによって導き出したものとなっていたのだろうと思う。その答えを大橋様は、「同じである」とおっしゃり、当事者が問題を解決することが大事であると強調した。これはシャプラニールの理念にも匹敵するものであり、改めてこの理念に関する大橋様の強い思いが感じられた。

 また、developmentに関するお話に、私はとても感銘を受けた。そもそもdevelopmentは戦後の概念であり、世界中が先進国を目指すという価値観の中で生きているということを指摘された。たとえお金を持っていなくても幸せかもしれない、先進国に比べて発展が遅れている国がなぜ援助対象になるのか、という問いに私はすごくショックを受けた。これこそがdevelopmentの危険な面でなのであると。Developmentの指標となるGDPも、相対的なものであり、絶対的なものではない。Developmentを考えるためには、その原因を考えることが重要であるということ、また、常に心に留めておかなければならないことは、途上国だけではなく、自分たち(先進国)も変わらなければならないと言う点である。頭ではわかっていたものの、自分がこのdevelopmentの危険にまんまとはまっていることをダイレクトに見透かされた気がした。Developmentについて学んでいるはずなのに、一番重要で根本的な部分と言ってもいいこの点が欠落してしまっていることに気づかされたこと、しかしそれは様々な経験を重ねた大橋様が伝えてくれた、とても重みのある言葉であり、なんだか感動してしまった。自分の価値観を払拭するということほど難しいことはないように感じてしまったが、それを現地の人との対話等といったコミュニケーションを通じて考えていくものであり、それが大橋様の愛する、人との付き合いというものを尊重する姿のように思えた。自分の力量未熟さ故、そのような大橋様の人柄に圧倒されながらも、今後の学びに十分に活かしていきたいと思う。

田内未紗

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まず初めに、私たちの特殊講義のゲストとして講演するために、お忙しいにも関わらず、わざわざ遠方である多摩までお越しいただいたことに感謝いたします。ありがとうございました。

 今回のゲストである大橋様はとても明るい、陽気な人柄で、初めて大橋様が教室に入られた途端に、教室の雰囲気が大橋様色にガラッと変わったように感じました。それまで、ゲストが来るということで、緊張していた私たちを和ませてくださりました。そして、ご講演の際には、とても勢いのある熱い語り口調で、私は聞いていてすっかり魅了されてしまいました。大橋様はご自身自ら「勢いだけで、あとに残らないしゃべり方」とおっしゃっていましたが、ご講演の端々に感じられる大橋様の伝えたい気持ちがとても強く伝わってきました。今回の特殊抗議を通して、大橋様の講演を聞くことができたこと、本当に嬉しく思います。

 私の中で一番強く印象に残っているのは、「本質的なものをしっかり見据えて、考えていかなければならない」とおっしゃったことでした。これはすべての問題に当てはまることだと感じました。「この世にはさまざまな見方・ものがあり、それぞれに多様性がある。その中で相対的に中立として存在するものもあるかもしれないが、絶対的な中立のものなんて存在しない」とおっしゃりました。そして、大橋様がモモとの出会いの話をされた中に、モモがスリランカで物乞いに囲まれて、困ってしまった際に大橋様がモモに言った言葉として「泣いても良い。しかし、哀れんでいたら一緒に仕事は出来ない。同じ目線に立たなければ、取っ組み合わなければいけない。」とおっしゃったそうです。私はこの話を聞いた時に、自分の中である発見がありました。私は今まで、貧困に苦しむ人を助けてあげたい、何かしてあげたいと考えるときに、決まって「でも、私の今もっているお金をただあげるだけでは相手は喜ばないし、それは助けることにはならないのでは。でも、明日生活していくお金がない人にとってお金をもらうことは大事なのでは。」と混沌とした思いを持っていました。そして、自分には本当に何ができるのだろうかと答えの出ないままでした。その答えに少しでも近づきたくて、このAction Learning Programsを履修したという面もありました。そんな中、今回の大橋様のお話で、当事者主体で考えること・問題の本質を考えることを教えてくださりました。自分が助けてあげたいから、何かをしたいのではなくて、誰かが何かの理由で困っているのならば、その理由の解決への手助けをしたい。そう強く感じました。

誰かと何かをする時に、同じ視点に立って、見えてくるものを見ることの大切さを自分の中にしっかりと受け止め、そして偽善的に意識して援助活動をするのではなく、自分の意志で、愛を持って行動することは自分自身への幸せであると言い切れるような、私なりの方法を見つけて行きたいと強く感じました。


西林まや 05W1407024B

今回の講義を聞き、私は今まで自分の中で抜け落ちていた非常に大事な問いに気づくことが出来た。それは、なぜ発展途上国は開発するべきなのかという根本的な問いだった。

日本では、発展途上国=かわいそう、という考えを持っている人はやはり非常に多いと思う。そして大橋様が言うように、開発に非常に興味がない限り、なぜ私たちはそんな風に考えてしまうのか考えた事がある人は少ないと思う。私は以前、発展途上国の人々を勝手に自分達と比べてかわいそうだなんて言うのは傲慢ではないのか、現地の人達にとってはその生活が普通の生活なのだから、彼らは自分達がかわいそうだなんて思ってはいないのではないか、と考えた事はあった。だからと言って、先進国は何もしなくても良いとは思わなかった。それに対する答えが導き出せず、自分の中でわだかまりとなっていた。

しかし今日、開発とは戦後アメリカが作り上げた概念であり、空中に浮いているような実態のないものなのだという事を知った。そして大橋様は開発ではなく共生がしたいという風に考えられていた。そこで、私もそういう風に考えたかったのではないかという事に気づいた。私は今まで、貧困救済キャンペーンの自分達が上に立っているかのような、哀れんだ同情を煽る表現にどこか不快感を抱いていた。だから、大橋様はかわいそうだから援助をしている訳ではなく純粋に現地の人々に興味があり、南アジアが好きで愛を持って活動しているという事、ネガティブキャンペーンは極力しないというシャプラニールの姿勢に大いに賛同できた。そして、大橋様のバングラデシュの問題は自分の問題、日本の問題であるという見解に深く感銘を受けた。今までこのような人と直接お会いすることが無かった為、私はとても影響を受けた。

日本の多額のODA拠出に対して不満を言う国民は少なくない。それは自国の事しか考えていない国民が多いという事を表していると思う。このままではシャプラニールやその他のNGOに協力する人も増えはしないだろう。そのような人達の意識改革をどうするか。大橋様のなされている、大学での講義により学生達に問題意識を植え付けるという事は最も有効だと感じた。事実私はこの授業を通して様々な事を学び、少しずつではあるが自分がなすべき事を認識できて来ているように感じる。しかし、このような授業に巡り合う事は非常に稀である。その他にこのシャプラニールで行っている活動をどうやって広めるか。更に、大橋様がおっしゃられた日本では善意がブランド化しているという事はまさにその通りだと思うし、言われるまで全く気がつかなかった。このようにまだまだたくさんの問題が残っている。

大橋様は現地で援助する場合、現地の人を憐れんではいけない。同じ目線に立たないと当事者主権の考え方をする事は出来ないとおっしゃられていた。確かにその通りだと思ったが、それは物凄く難しい事だと思った。それは、そうなる為にはほとんどの場合、自分の中にある価値観や概念を再構築しなくてはならないと思うからだ。

そもそも本当に格差の無い世の中にすることなんて出来るのだろうか。それが本当に理想の世界なのだろうか。これを突き詰めて考えて行く事が今後の私の課題だと分かった。これらの問題点に気づけたことから、この講義で私が得られたものは非常に大きかったと思う。

小幡将吾 

05w1403011L 小幡将吾 

今回、遠くまで中央大学までいらしてくださり、大変貴重な講演をしていただいた大橋様に感謝したいと思います。今回の講演も、私にとってとても感慨深いものとなりました。 

まず、私は、なにもかも前提を疑わずに「development」とはということを考えていました。私が見ていた「development」とは、私が先進国で暮らしているがゆえに先進国側として、見ていたような気がしました。生活を送るなかでも、このような前提のもとになっているものが数多く存在していることに気がつかされました。例えば、大橋様がおっしゃってくださった、エスニック料理や民族音楽についてです。欧州が主流であり、それと異なるものがエスニックであるという途上国的なイメージをもっていました。この考えは、間違っているもので、民族的なものとしては同じであり、先進国と途上国の固定観念の問い直しを考えさせられた。

 次に、私は、リサーチを進めていくうえで、NGOなどが途上国対して支援活動をしているが、もっとたくさんの人に対して知ってもらう必要があるのではないかと思った。今回の大橋様の講演でもあったが、「日本を変えなければ、バングラデシュは変わらない」とおっしゃっていた。そのことが活動を通しての一番学んだことだともおっしゃっていました。私、一人が支援活動を行ったとしても数多くの人に対して支援はできないだろう。しかし、日本にいる多くの人がバングラデシュなどの活動を知ることによって、たくさんの人が支援に参加すると考えます。日本全体の“意識”を変えることにより、バングラデシュの開発問題も変わってくるのではないだろうか。「日本を変えなければ、バングラデシュは変わらない」という言葉に隠れているのは、意識の変化が必要ではないかと考えた。

 最後に、大橋様は、「開発」に答えはないとおっしゃっていた。答えを導きだすことが重要なのではなく、考えることが大切であるともおっしゃっていた。私自身、「開発」って何だろうと無理やり答えを導きだそうとしていた。しかし、そうではなく、「開発」について自ら進んで考えることが大切なことだと気づいた。

飯野瑞穂

05W2112013I 飯野瑞穂

今回、プレゼンテーション担当班として、「“市民”による海外協力」の持つ意味について考え、その上で、大橋様のお話を伺うことができたことは、私にとって非常に大きな経験となった。大橋様と出会い、お話を聞けたことに喜びを感じ、「“市民”による海外協力」という言葉の持つ意味の深さ、すばらしさを再認識できたと思う。

私はこれまで、10人の仲間とたくさんの時間をかけて「“市民”による海外協力」について共に悩み、考えてきた。この言葉の持つ意味や重要性について、自分たちなりのひとつの答えを見つけ出した気がしていた。けれど、自分たちで考え抜いたからこそ到達することのできた結論に満足してしまい、その先を考えることができていなかったと思う。今回のプレゼンを作るうえで、モモに何度も添削をして頂いたが、その中で「あなたたちの大前提、giveするのもtakeするのも『先進国』ですね。もっと循環しているのではないですか?」という指摘があった。最初は、この「もっと循環」するという言葉の持つ意味がわからず戸惑っていたが、考えるうちに、現地にも市民がいることを私たちは忘れてしまっていたことに気づき、モモはこのことを私たちに伝えようとしているのではないかと思った。もし、現地に問題意識を持った、自主性ある市民が存在していなければ、こちら側が働きかけても、それは一方的な援助にしかならない。海外援助は先進国が途上国を助けるだけのものであり、海外協力は共に発展を目指すものだから、共生だ。共生に向かうものだからこそ、双方の市民が協力することが大事である。この答えを見出したときの感動が大きかったからこそ、私は結論に到達できたことに満足してしまっていたのかもしれない。大橋様のお話を伺って、この「発展を目指す共生」という考え方自体が、先進国側からの見方であることに気づいた。「開発」という言葉自体が、作られた概念であり、それを良いことと捉えていること自体が偏った見方なのである。絶対的な中立というのは存在しない以上、すべて偏っている可能性はあるが、ここで大事なのは、絶対的な価値観や正しいものはない、ということを私たちが認識し、多様性を認めることではないかと感じた。この多様性は国同士のレベルだけではなく、私たちの人間としての付き合いや学びにおいても不可欠なことであろう。

懇親会において大橋様とお話をしたときに衝撃的だったのは、アルカイダもNGOである、とおっしゃっていたことだ。これは、ひとつの見方に過ぎないともお話なさっていたが、このような考え方を聞くこと自体が、私にとって初めてであり、NGOを良いものとする見方で、固められていたのであると思う。NGOにも多様性が存在し、日本にも多様性がある。それは同時に、国家間においても存在するものであり、一概に発展を目指すという「開発」自体が多様性を無視した概念であり、現在はそれが共通の価値観となってしまっていることに気づかされた。

このように、大橋様のお話は、私の凝り固まった見方を崩し、また、今までそのようであったという事実に気づかせてくれるものだった。大橋様に出会わなければ、「開発」を学ぶ自分にとって、それが作られた概念として存在することも、自らの考え方が影響されたものであることにも気づけなかっただろう。これは、数多くの現場を経験してきたから大橋様であるからこそおっしゃえることであり、私たちがいくら机上で考えていても気づけなかったと思う。

もちろん、自分たちなりに「“市民”による海外協力」の意味を見出したときは、言葉では簡単に表せないほど、深く感動した。これまで、ひとつの事柄に、これほど真剣に、長く付き合って、取っ組み合ったことはなかったと思う。人から単に示されるのではなく、自分自身で考え抜いたからこそ、今回の大橋様のお話を自分の中でさらに深く理解できたと感じている。これが、学びであり、今回、プレゼンテーション担当班として作業をしていく中で、この学ぶことの楽しさを実感することができた。同時に、自らで考えることの大切さを今まで以上に感じた。答えを見出すことに満足するのではなく、さらに考えるプロセスが必要なのである。大橋様でさえも、いまだに苦闘されていることを知り、答えはなくとも、自分で考えることが重要なのであると感じた。今回、自分自身の価値観を見直すきっかけを与えてくださった大橋様に心から感謝すると共に、学ぶことの楽しさを実感できたことで、とても充実した時間が過ごせたと思う。このような貴重な体験ができたことを、心からうれしく思う。