飯野瑞穂 | リフレクションペーパー

飯野瑞穂

05W2112013I 飯野瑞穂

今回、プレゼンテーション担当班として、「“市民”による海外協力」の持つ意味について考え、その上で、大橋様のお話を伺うことができたことは、私にとって非常に大きな経験となった。大橋様と出会い、お話を聞けたことに喜びを感じ、「“市民”による海外協力」という言葉の持つ意味の深さ、すばらしさを再認識できたと思う。

私はこれまで、10人の仲間とたくさんの時間をかけて「“市民”による海外協力」について共に悩み、考えてきた。この言葉の持つ意味や重要性について、自分たちなりのひとつの答えを見つけ出した気がしていた。けれど、自分たちで考え抜いたからこそ到達することのできた結論に満足してしまい、その先を考えることができていなかったと思う。今回のプレゼンを作るうえで、モモに何度も添削をして頂いたが、その中で「あなたたちの大前提、giveするのもtakeするのも『先進国』ですね。もっと循環しているのではないですか?」という指摘があった。最初は、この「もっと循環」するという言葉の持つ意味がわからず戸惑っていたが、考えるうちに、現地にも市民がいることを私たちは忘れてしまっていたことに気づき、モモはこのことを私たちに伝えようとしているのではないかと思った。もし、現地に問題意識を持った、自主性ある市民が存在していなければ、こちら側が働きかけても、それは一方的な援助にしかならない。海外援助は先進国が途上国を助けるだけのものであり、海外協力は共に発展を目指すものだから、共生だ。共生に向かうものだからこそ、双方の市民が協力することが大事である。この答えを見出したときの感動が大きかったからこそ、私は結論に到達できたことに満足してしまっていたのかもしれない。大橋様のお話を伺って、この「発展を目指す共生」という考え方自体が、先進国側からの見方であることに気づいた。「開発」という言葉自体が、作られた概念であり、それを良いことと捉えていること自体が偏った見方なのである。絶対的な中立というのは存在しない以上、すべて偏っている可能性はあるが、ここで大事なのは、絶対的な価値観や正しいものはない、ということを私たちが認識し、多様性を認めることではないかと感じた。この多様性は国同士のレベルだけではなく、私たちの人間としての付き合いや学びにおいても不可欠なことであろう。

懇親会において大橋様とお話をしたときに衝撃的だったのは、アルカイダもNGOである、とおっしゃっていたことだ。これは、ひとつの見方に過ぎないともお話なさっていたが、このような考え方を聞くこと自体が、私にとって初めてであり、NGOを良いものとする見方で、固められていたのであると思う。NGOにも多様性が存在し、日本にも多様性がある。それは同時に、国家間においても存在するものであり、一概に発展を目指すという「開発」自体が多様性を無視した概念であり、現在はそれが共通の価値観となってしまっていることに気づかされた。

このように、大橋様のお話は、私の凝り固まった見方を崩し、また、今までそのようであったという事実に気づかせてくれるものだった。大橋様に出会わなければ、「開発」を学ぶ自分にとって、それが作られた概念として存在することも、自らの考え方が影響されたものであることにも気づけなかっただろう。これは、数多くの現場を経験してきたから大橋様であるからこそおっしゃえることであり、私たちがいくら机上で考えていても気づけなかったと思う。

もちろん、自分たちなりに「“市民”による海外協力」の意味を見出したときは、言葉では簡単に表せないほど、深く感動した。これまで、ひとつの事柄に、これほど真剣に、長く付き合って、取っ組み合ったことはなかったと思う。人から単に示されるのではなく、自分自身で考え抜いたからこそ、今回の大橋様のお話を自分の中でさらに深く理解できたと感じている。これが、学びであり、今回、プレゼンテーション担当班として作業をしていく中で、この学ぶことの楽しさを実感することができた。同時に、自らで考えることの大切さを今まで以上に感じた。答えを見出すことに満足するのではなく、さらに考えるプロセスが必要なのである。大橋様でさえも、いまだに苦闘されていることを知り、答えはなくとも、自分で考えることが重要なのであると感じた。今回、自分自身の価値観を見直すきっかけを与えてくださった大橋様に心から感謝すると共に、学ぶことの楽しさを実感できたことで、とても充実した時間が過ごせたと思う。このような貴重な体験ができたことを、心からうれしく思う。