リフレクションペーパー -7ページ目

鈴木真理奈

05w1407022F 鈴木 真理奈

まず、大森様、大変お忙しい中、お越しいただき本当にありがとうございました。私は、世界銀行のミッションを大森様のお話から学び、「貧困のない世界」という言葉が心に残った。それは、私が実際に生きている世界は、自分で思うには「貧困がない」状況であり、「貧困がある世界」とあまりに違うものだったからだ。また、大森様がお話してくださった「貧困に苦しむ人々」の定義を聞き、リサーチ段階では、一日1ドル以下の生活という数字上の概念を鵜呑みにして、その数字について深く問い直すことをしていなかったことに気がついた。そして、「貧困に苦しむ人々」の中でも、紛争や政治的動乱に巻き込まれている場合、政府に援助をしている世界銀行は動くことができないことに、ジレンマを感じた。そんな中で世界銀行が「貧困に苦しむ人々」を助けるために何とかしたいという思いが感じられたのは、IDA(国際開発協会)の償還期間が30~40年、無利子など条件が、負債を返す余裕のない国にやさしい仕組みになっていることや、不良債権が起こった際、IBRD(国際復興開発銀行)加盟国から資金が流れる約束になっており、そういった面から途上国を支える姿勢からであった。

私は、MDGsを初めて知ったとき、世界基準での目標が掲げられていて、あまりにも大規模な問題だと思った。しかし、そんな大規模な事業だからこそ巨額な資金を動かせ、多くの国とつながりを持ち参加を促せる国際機関である世界銀行とMDGsのつながりを感じられた。

 また、大森様は言葉に含まれた思いを大切にしていらした。発する言葉は人の政治的バックグラウンドを示すという事を初めて知った。そしていかに自分が自分の心を表す分身である言葉を投げやりに扱ってきたかを考え直すきっかけになった。例えば、黒人・Negroという言葉の使い方は差別用語に当たるとして使うのは好ましくないといったように、中学の時の英語で習った位であった。しかし、一方でアメリカのHIPHOP音楽の中でそういった言葉が連発されていて不思議な気持ちでもあった。大森様が「貧困に苦しむ人々」という言葉を使われた思いの中に、世界銀行のミッションを大切にしていることも反映されているように私には感じられた。

 また、大森様のおっしゃった「開発とは変化だ」という言葉に、開発と持続可能な開発は、分けて考えていく必要があると気がついた。そしてなぜ開発が必要で、誰が開発を必要としているのかという根本的な疑問が私の中で生まれた。これから、開発というものを見ていくとき、この疑問を持って考えてみようと思った。

 大森様のお話から、何気なく通り過ぎてきた大切なものに戻って考えることができました。また、新たな発見をし、もう一度問い直す姿勢というものを学びました。世界銀行の仕組みは、複雑で本当に難解に感じてきましたが、大森様のお話により銀行システムのおもしろさを知りもっと経済知識をつけたいと思いました。本当にありがとうございました。

田原歩

05W2115019I 田原 歩 

 まず、お忙しい中わざわざお越しいただいた大森様に感謝の意を示したいと思います。貴重なお話を聞くことができ、大変嬉しく思います。

 今回のご講演の中で私にとって一番印象的であったことは、イニシアティブをとるべきなのは世銀でもなく国連でもなく、当事者たちなのだ、ということです。最初の生徒からの質問の三番でGDLNに関してのものがありましたが、これに関して大森様がなされた話のことを、自分は今まで見落としていたのだと思います。

 前回の講演会では、NGO・シャプラニールの代表である大橋様に、バングラディシュでの「ショミティ」についてのお話を伺いました。ショミティとは、援助が一方通行にならないように、まず当事者たちに自分たちの暮らしは自分たちでよくしていこうという意識を持たせ、農民たちを20人程のグループに分けたもので、農民たちはこの中で相互扶助して生活します。また、支援はこれに対して行われます。このショミティの目標も、偏にイニシアティブをとるべきはあくまでも当事者たちである、ということなのだと思います。

 では、なぜすでに前回同じことを学んでいるのに、今回のご講演でまた私がこのように思ったかと言うと、それは、前回はショミティというものもある、そういう考え方もある、と思ってしまったからです。しかし今回、それはみんなが目指すべきものなのだ、ということに気づきました。このことは、大森様が繰り返しおっしゃられていた「パートナーシップ」につながることなのだと思います。イニシアティブをとるべきなのは世銀だ、国連だ、ということではないのです。全世界が、と言うと何か語弊が気もしますが、みんなでやっていかなければならない、とうことをみんなが意識しなければならない、ということを強く思いました。

また、ここにきて初めて、MDG8の「グローバルな開発パートナーシップの構築」の意味が分かったような気がします。MDGsは全8項目からなっていて、内7番までは具体的な各方面においての目標に言及しています。そのため私は今まで、意味が包括的な8番は、きっとこれらをまとめて言ったものなのだろう、概念的なものなのだろう、という解釈をしていました。しかし、そうではないのです。もはやどこかの国際機構、国々、団体が個別に取り組むのではいけない。効率も悪い。だから当事者たちも意識を高め、みんなで一丸になってやっていこう、ということなのです。

だから、今、現場での最前線の課題は、いかにしてターゲットに啓蒙するか、ターゲットを表に出してくるかが問題であって、GDLNをフルに活用することではないだとか、MDGsについて広く知ってもらうことではなく、どうやって現在ある問題を広く知ってもらうかである、ということもよく理解できました。

私は今まで、ひどく視野が狭かったことを痛感した。全体像を見ることができていませんでした。政府機関、NGO、国際機関など、個々別々に見て、どこがどうするべきだとか、勝手なことをいろいろと思案していました。しかし、大きく考えて、何より、大切なことはパートナーシップであること。そして、そのためには当事者たちが表に出てこなければならないことを、今回のご講演で知ることができました。

このことに気づかせてくれた大森様、モモに、改めて感謝の意を示したいと思います。


高塩愛子

05w2111020B 高塩 愛子

大変お忙しい中、中央大学までお越しいただきとても楽しい時間を作ってくださった大森様、誠にありがとうございました。


今回のテーマは世界銀行ということで私にとってはとっつきにくい題材であった。経済や組織的なものに対して難しいという苦手意識を持っていたため、個人レポートにおいてもあまり組織的なものにこだわらず、別の視点から作成するようにしていた。開発を考えたときに、世界銀行と結び付けて考えたのも今回が初めてであった。しかし、大森様のご講演を拝聴し、世界という大きなものを相手にするとき、いかに強い組織が必要か、仕組みを成り立たせるためにはどれだけしっかりとしたルートが必要かということを教えていただいた。私は今まで“開発”を考えるとき、感情的・概念的に「どんな開発、協力が必要なのか」という捉え方をしがちであった。しかし大森様のご講演では、「開発をどのように考えるか、どんな視点が必要か」ではなく、「安定した“開発”を行う組織の形」を見ることができた。自分たちのリサーチでは、世界銀行=政府間機関=政府からの資金調達という表の形しか知り得ることができていなかったが、より多くの資金を調達するためには政府からだけではなく投資家からの投資も必要だということや、銀行としての融資をうまく成り立たせるためには投資家と政府とのバランスをうまく保っていくことが重要となることなど、世銀で働く方だからこそお話いただける細かな仕組みも知ることができ、大変おもしろかった。

私はどうしても経済や組織の仕組みを難しいと感じ、あいまい且つ自由な部分で開発を考えようとしてしまっていたが、本当に開発について考えるならば、経済や組織の仕組みを知ることも重要であり、逃げずにぶつかっていかなければならないと思うことができた。

また、今までのdevelopmentライブ!にお越しくださったゲストの方々と同様、大森様のお人柄にも人を惹きつける強い魅力を感じた。とても温厚そうな方であり、また内面に強い芯を感じさせる方であった。私は大森様からご講演の最後に伺った「自分のやっていることが貧困に間接的にでも繋がっていると信じているし、その強い思いが、ガッツがなければ人に伝えていくことはできない。」というお言葉がとても胸にしみた。現地で直接働くことだけが開発に携わることではなく、人に伝えていくことも不可欠であること、また根気よく人に伝えるという多大なパワーを要することを行うとき、自分の信念がいかに必要かということを伝えていただき、それを私自身の力へと繋げることができた。

今までのゲストの方々とはまた違ったご講演をお聞かせくださった大森様、たいへんありがとうございました。



中村 蕗子

05w2116001E 中村 蕗子


 

今回、大森様はダブルどころかトリプルブッキングというご多忙の中、多摩の山奥までお越し下さった。このことは本当に、本当に感謝するべきであり、そのご講演を聴くことができ、私はとてもうれしく思う。大森様、心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 今回の講義は私に、“貧困”というものを考えさせるきっかけを与えてくれた。貧困とは何なのか。大森様は、貧困層などと呼ぶことはせず、“貧困に苦しむ人々”とおっしゃった。そこに含まれる意味は、”貧困”というものを、人として見るか、一つの層として見るかという違いなのだと思った。これは前回の講義で学んだ先進国と発展途上国のあり方と似ているのではないだろうか。一体何が進んでいるのか、そして何が発展していないのだろうか。これと同じように、偏った視点で“貧困”というものを捉えた時、「貧困だからかわいそう」「貧困だから助けよう」など、そのような考え方に直結させてしまうのが、“貧困層”だと思う。なぜなら、層という、集団として”貧困”を見てしまうと、一人一人の生活を見ることをせずに、ある固定観念を持ったまま、”貧困”をとらえてしまうからである。これを考えた時、さらに“貧困”というものが何か、わからなくなってしまった。

 広辞苑で“貧困”を調べてみたところ、「乏しく欠けていること」と記されていた。一体何が欠けているのだろうか。大森様がおっしゃるには“貧困”とは「一日1ドル未満で生活している人」であるという。しかし、もしこの指標が“貧困”であるならば、資源が豊富で、澄んだ川のそばで暮らしている人々が一日に必要なお金が一日1ドル未満であれば、彼らも“貧困”と呼ばれる人となるのだろうか。しかし、もし“貧困”とは広辞苑が示すように「乏しく欠けていること」であるならば、1ドル未満という指標には矛盾が生じてくる。1ドル未満という指標そのものが、先進国と呼ばれる私たちの、偏った視点から生まれた指標なのではないだろうか。

 また講義の中で、世界銀行の融資活動に関して、詳しく知ることができた。融資をした国が、何らかの原因でそのお金を世界銀行に返すことができなくなったとする。その場合は引き続き請求をするのではなく、政府からのお金でまかない、貸した側に返すとのことであった。政府には、そのように「返済しなくても良い」という形でお金を世界銀行に対して預ける義務があるのだそうだ。だから、融資を返せなくなってしまった国が出てきても、政府からの資金でまかなうことができるのである。この場合、必要になってくるのが、融資を返せなくなってしまった国を今後どのようフォローするかということだと思う。もし、「返せなくなりました」と言ってその分を政府がまかない、その国は返す義務を解消することができておわってしまっては、その国は、これから支援ばかりに頼ることになってしまうだろう。「返せなくなってしまう」という状況がこれから先なくす、つまり自らの力で国を支えていける力をつけるために、そのやり方などをフォローしていくことが重要なのではないかと思った。講義の際はここまで考えつくことができず、この作業について質問するまでに至らず、残園に思う。そのようないわゆる“自助努力への支援”は国際機関である世界銀行がやるべきことではないのかもしれない。そのために、NGOや政府、その他のセクターが存在するのだと思った。

 私は今まで、“貧困”という言葉の意味をそこまで考えていなかったし、他の授業の中で「一日1ドル未満」と聞いても、全く疑問に思うことなく、解釈しているだけであった。大森様のお話を受けて自ら考えてみて、その指標が本当に、誰にとっても通用する正しいものなのか、また“貧困”をなくすことが果たして良いことなのかなど、すごく考えさせられた。私は、なくせば良いと言い切れないと思うし、その“貧困”と聞いただけでは、その人々の暮らしなどほとんどわからず、ほんの一部分で判別しただけにすぎないのだと思った。だからこそ、“貧困”だから助けるとか、単純な考え方をやめようと思う。また、“貧困”と呼ばれる人々が、日々生活を送る中で、どのようなことに不自由を感じていて、何を必要としているのか、それを見ない限りは何をすることもできないのではないかと考えた。とても重要なことを考えるきっかけになった。


宮島優子

05W1406019H 宮島優子

 McMichaelは、世界銀行をはじめとして、第一世界を批判する傾向にある。

私は、これに対して疑問に思うことがある。本当に第一世界はMcMichaelが言うほどそんなに悪いものなのだろうか、と。今回、大森様のお話を伺って、さらにこの疑問の深みにはまってしまった。世界銀行は、「貧困のない世界」という目標を掲げ、本当に真剣に貧困問題に取り組んでいたのだ。McMichaelの言うようなjustificationの様なものは、大森様のお話による世界銀行には全く感じられなかった。

一体、どちらが本当の世界銀行の姿なのだろうか。これを問うべくもなく、どちらも真実なのかもしれない。だが、大森様のお話を伺って、私は、世界銀行はMcMichaelが言うほど悪いものではない、という考え方に傾き始めた。これが良いことなのか、それとも悪いことなのかは別として、とにかく私のMcMichaelへの疑問が強くなったのだけは確かである。

今、現実問題として、貧困がある。そして、市場社会が既に出来上がっているのも事実である。もう、これが今の現実なのだから、市場社会を批判したりしているよりも、今の世界構造の中でいかに貧困を解決すべきかを考えるのが先決だと思う。その点で、世界銀行を批判するMcMichaelよりも、もう既に存在する世界銀行の中で、現実問題に立ち向かっている大森様の方が、私はより信頼することが出来てしまったのである。

だが、だからと言って私はMcMichaelを非難しているのではない。現代人は、今の私の様な考え方を持った人が多い。また、現代人は、現代について問わないことが多い。そのような私たちが、忘れかけていたこと・気づかずにいたことをremindしてくれる存在が、McMichaelなのだと思う。現代社会を、批判の目で見る事は、より良い世界を作り上げていく上で絶対に必要だ。その点で、McMichaelの様な視点は、必要不可欠であるとも私は考える。

本当に、世の中は分からないことだらけだと実感した。絶対的に正しいと言えることはないのではないか、と思ってしまう位だ。きっと、社会人になって働き出したら、ひたすら自分の所属する会社や機関を優先に考えてしまうようになって、こうした現代社会に対する問いを持ちづらくなるのかもしれない。だから、学生である今のうちに、問いに対する答えは見つからないのかもしれないが、色んな視点を学び、思う存分考えてみたいと思う。そのうちの1つの視点として、今日大森様のお話を伺えたことを、大変嬉しく思う。親睦会で、分かりやすく丁寧にお話をして下さったことにも、心から感謝の意を表したい。

稲葉想

05W2111013E 稲葉想 

本日は、わざわざ遠いこの中央大学にまで足を運んで下さり、また、世界銀行という、私たちでは普段からあまりその内容を知ることのできない大きな国際組織についての、わかりやすい講演をして下さり、大変うれしく思う。今回のリフレクションペーパーでは、大森様がおっしゃった、「貧困に苦しむ人々」という表現の真意と、懇親会の最後におっしゃられた、ネットワーキングティップスについての意見を述べたい。また、モモがおっしゃったように、「Sustainable Development」について熟考することが必要だと感じるので、その点に関しても、意見を述べたい。

大森様が、普段から「The Poor」というものを日本語訳にするときには、「貧困に苦しむ人々」という表現を使っているということを聞いて、大森様のこだわりが見出せたような気がした。というのも、大森様は講演会、懇親会、首尾一貫して、「私は~」と、自分に意見を出し、自分に当てはめてお考えになる傾向があったように思うのだ。「The Poor」の日本語訳でも同様、一般的な呼称に疑問を持ち、そこに自分を当てはめて考え、自分の意見を反映させて、「貧困に苦しむ人々」といった表現に頑なにこだわるようになったのだと感じる。その少し遠まわしに聞こえる表現には、おそらく大森様自身の、「貧困」と程遠い国で不自由のない生活を送っていながら、「貧困」を扱う国際機関で働くことに感じる疑問も含まれているようにも思える。「貧困」に深く関わる「開発」をこのALPsを通して学んでいる自分でさえも、今の自分の周囲の状況があまりに利便性に富んだものであり、「貧困」の発生している現地のそれと大きく違う状況の中で学んでいることに疑問を感じることはある。しかしながら、だからこそ、大森様のように、自分の意見をしっかりと持って、指針を、ターゲットを見失うことなく行動していく姿勢が大切なのだとも思った。

お教えいただいたネットワーキングティップスからは、ネットワークを作る際の注意点というものだけでなく、あらゆるものに通ずるコツを見出せた。「自分から動く」という姿勢は、当たり前なようで、実はとても難しいことなのだとも思う。「自分から動き」出すためには、その機会を自分で見出さなければならないし、その時その時の判断を自分で決めなくてはならない。また、その責任を自分にすべて返ってくる。「自分から動く」ことには、実に様々な困難が含まれているのだとも感じた。しかし、大森様は、どちらかといえば、「自分から動いた」後にやってくる困難よりも、その瞬間その瞬間に面白みを見出して、その状況を楽しむことが望ましいとでも言っているかのように感じた。それが例えば、人とアポイントをとるのに、紹介状など不必要で、「自分」がしっかりとしていればいい、といった発言からも感じられるだろう。その場で「自分」というものを精一杯発揮して、相手に自分を理解してもらうことの面白みを、大森様はよく理解していらっしゃるのだなと思った。このことはある意味で、前述した「自分としての意見を出す姿勢・こだわり」にも通じていると思うが、つまりは、自分に素直に生きているのだなと感じるのだ。

また、最後に、「Sustainable Development」に関しての自分の意見を述べる。私は、以前から「Sustainable Development」に深い問題意識を感じていた。大森様のおっしゃったように、「Development」とは、Changeであり、何かがその中で変わるわけだから、当然Impactを持つものである。しかしながら、そのImpactとは、常に良いものであるとは限らない。悪い影響力であるものであったり、その時点では影響力が現れないものもあるだろう。だからその点で、Sustainableにするためには、Impactの持つ破壊性を、できるだけ少なくする必要があるわけだ。けれど私がいつも感じる問題意識は、その悪い影響力は、その破壊性は、誰にとっての、何にとっての悪い影響力であるのか、誰を、何を破壊する性質であるのか、その点に感じるものなのである。「Sustainable Development」といっても、私たち人間を中心においた考え方であって、だからこそそれには、自然の搾取が必ず伴われてしまうのではないか。そん感じるのである。この問題意識は、すぐに解決するもの、明確な答えがあるものだとも思わないが、今回大森様からのお教えいただいた「自分に素直に生きる姿勢」を見習って、これからも疑問を頑なに持ち続けながら、妥協することなく生きていきたいと思う。改めてではあるが、ありのままの自分を私たちにぶつけ、諭してくださった大森様に、感謝の辞を述べたい。また、他の用事が二つもあったのに関わらず、わざわざお越しくださったことにも、大変感謝している。

河合 暁

05W2114021L  河合暁 

以前僕たちは政府開発援助に関してのプレゼンテーションを行った。その後の懇親会でChadさんから頂いた言葉はとても印象的であった。それは「大学に来るまでの君の世界は黒と白だったと思う。けれども今回のプレゼンテーションからも感じたかもしれないけれど、世界は灰色に近い。これから、学んでいくにつれて世界はどんどん白と黒が混ざって灰色になっていくと思う。」という言葉だった。その中で今回大森様のお話を伺い、これまで僕の中で黒に近い存在であった世界銀行が白になった。今まで世界銀行に対するイメージは黒であった。なぜならALPsⅠで読んでいるDevelopment and social change: A global perspectiveの著者であるMcMichael氏の見解からすると、世界銀行は自分たちの影響力の為なら相手国への介入をも行ってしまう。また、世界銀行の行いが貧困増加を誘発させている。これが世界銀行に対するイメージであったからだ。けれども、その世界銀行に対するイメージは大森様のお話を伺う中で変わっていった。『世界銀行のミッション 私たちの夢は「貧困のない世界」の実現』。この、言葉だけが一人歩きしているように思えてしまう言葉も、大森様のお話を聞くに連れて行いと言葉が一致していると思うようになった。それは大森様のビジョンが明確であったからだ。「大森様にとってのdevelopmentとはなんですか。」この質問に対して「developmentとはchangeであり、impactである。developmentをする側にとってdevelopmentによってもたらされるchangeをどうやってnegativeではなくpositiveなものにできるか。またそれによってもたらされる破壊をどれだけ最小限にできるか。」学べば学ぶほど輪郭が分からなくなると思っていたdevelopmentがこれほど自分の中で、輪郭がはっきりしたことはこれまで無かった。僕はdevelopmentには輪郭が無く、だからこそ学ぶべきものだと思っていた。けれども、世界の最先端で貧困やdevelopmentに携わっていく人々にはそれぞれのdevelopmentに対する輪郭があり、だからこそ、これだけ変化の激しい現代であっても指針を見失わずに目標に向かっていけるのだと感じた。

そして今回までの4人の方々のお話を伺って、僕の中の世界は「黒と白」ではなく「白と白」になってしまった。お話をして下さった方々の機関すべてが僕の中で白になってしまった。物事を学んでいく上で大事なcriticalな視点を持てなくなってしまっている。物事を灰色に見られていない。その中で僕が感じたのは、物事を批判できるというのは物事を一度正しく理解できているから、ということだ。McMichael氏が一方的に世界銀行を批判しているとは思えない。一度世界銀行を正しく理解したからこそ批判できているのだと思う。大森様のお話からもそのことは伺えた。自分たちがどのように批判されているのかを正しく受け止めているからこそ、自分の行動に自信を持てるのだと感じた。

自分自身のプレゼンテーションを終えたときの実感、また世界銀行班の感想からも分かるように、僕たちは第一にcriticalな視点を持とうとしてしまうから内容の薄い理解に終わってしまう。これからは、第一に物事を正しく理解する、そこから始めていきたい。そしてトリプルブッキングにもかかわらずご講演して下さった大森様に感謝したい。


森田麻美

05W2113016G 森田麻美 

今回講演をしていただいた大橋様は、海外協力に対して大変熱い思いを持っていらっしゃる方であった。質問に対して熟考し答えてくださった姿勢や、エネルギッシュな語り方を通して、その思いがヒシヒシと伝わってきた。

 私は今回の講演で、大橋様から「ものの見方」を教えていただいた。この「ものの見方」には二つの要素が含まれている。一つは固定観念を崩す視点であり、もう一つは海外協力における海外協力先の現地の人と自分との関係をどう見るか?というものである。

 まず固定観念を崩す視点について述べる。大橋様は「エスニック」という観念を例として用い、私は固定観念を持っており、さらにそのことに気づいてもいないということを意識させてくださった。その上で相対的正しさはあるが、絶対的正しさはないとも教えてくださった。この相対的、絶対的正しさは海外協力の場でも重要であり、現地のことについて、私が絶対的正しさを持って決めることはできず、現地の市民社会が決定することが大切であるということだ。私は今まで固定観念を好んで用いており、例えば、ある物事を善悪の固定観念でどちらかに分け、自分を善に置くことで安心感を得ていたということがいえる。しかし、大橋様の考え方に基づくと、私が善とすることが、他の誰かにとっては必ずしも善とは言えないことになる。したがって、固定観念を答えとして考え続けることをやめてしまうのではなく、不安定な立場に置かれるとしても、クリティカルな視点を持って考え続けることが必要であることを学ぶことができた。大橋様が答えはなく、悩みながら走っているのだということを伺い、大橋様は固定観念を崩す視点を意識しながら生きているのだと実感した。

 次に、海外協力先の現地と日本との関係をどう見るか?ということである。講演を伺う中で、大橋様は現地と日本を同じ平らなフィールドに置いて考えていると感じた。それは、「日本が変わってこそ現地が変わる」、「自分は海外協力を行っているバングラディシュの人をかわいそうとは思わない」などと述べていたことからうかがえた。私は貧しい人をかわいそうだと思うからこそ援助をしなければならないと思っていた。しかし、この考えには、私が彼らをかわいそうな状態にしてしまっているという考えはほとんど含まれていないことに気づかされた。今の私にとって当事者意識を持つことは、かなりの努力を必要とすることである。けれどもスリランカと関わりを持ち始めた私にとって、当事者意識を持つことは不可欠であるため、これから意識して改善していきたいと思いを新たにさせられた。

 最後に大橋様の講演の中で確認できたことがある。それは、多くのNGOODAの目的として挙げられている「我が国の安全と繁栄の確保に資すること」という国益論を否定しているということで、この点は、先週のプレゼンテーションで私たちの班が主張したことと一致していることがわかった。

 大橋様は実際にスリランカの人々と関わっていく上で重要な「ものの見方」を教えてくださった。これはNGOの代表を務め、何度も現地の人々と関わってきた大橋様からだからこそ得られたことであり、このような機会を与えられたことに感謝したい。

加藤 翼


 私が大橋様から聞いた話の中で、一番考えさせられたことは大橋様にとってのdevelopmentとは何ですか という質問に対する、大橋様の答えであった。私たちは逆に大橋様から、どういったことを基準として発展したといえるのか、という問いを与えられた。その問いによって、今まで、発展していない国は発展する必要があると感じていた私は先進国としての立場から物事を見ていたのではないかということに気づいた。普段の生活の中で西洋の文化があふれている今日の日本では、西洋からの文化を必然的に正しいものと決めつけ、そうではない国(スリランカ、アフリカなど)の文化を“民族的である”という一種の偏見交じりの考えで見ることに慣れてしまっていたのだろう。しかし、大橋様のおっしゃるとおり、日本料理でもフランス料理でも、スリランカ料理でも、“ethnic”料理なのであり、発展途上国の文化をマイナスのイメージでとらえていたことは否めない。すべての文化はそれ固有の特徴を持っているのであって、ある文化はいいけど、あの文化はだめであるといった考えを持つこと自体考えてみればおかしいことである。それにもかかわらず、民族楽器の例でもあったように、私たちは発展途上国からの文化を正当なものだと認めようとしていない部分がどこかにあるのだろう。

 また、大橋様はNGOのブランド化ということもおっしゃっていた。普段の生活の中でも私たちは、ともと自分の持っている価値に付け加える形でブランドを求めようとしている。学校でも、偏差値が高ければそれなりに社会的な評価が高くなるという考えから、偏差値の高い学校を受けるのであり、高額なものを買うことによって自分の購買力の高さを示そうとしている。また、有名なものはさらに人を集め、人が集まるところにブランド性を感じてしまう。大橋様がおっしゃったように、NGOでもお金の集まるNGOと、あまり集まらないNGOとの違いにも人々のブランド志向が表れているのだと感じた。

 大橋様がNGOをやろうと思ったときに、バングラディッシュを変えていくことは日本を変えていくことと変わらない熱意を持っていたことを知った。大橋様にとっての海外協力とは、ただ外国で起きている問題として考えるのではなく、その国に、または自分の国に対して自分に何ができるのかということを追求していく能動的で主体的な姿勢の現れであることを強く感じた。そして、その姿勢がNGOを今後も続けていこうという思いへとつながっているのだと思う。

 お忙しい中お越しいただいた大橋様に感謝したい。

辛尚美

05W2116004J 辛尚美

 今回、大橋様はご講演の中で、本当にたくさんのことを私たちに教えてくださった。まず印象深かったのは「多様性」についてのお話である。NGOは市民の自主性を大切にしているが、その市民一人ひとりは様々な考え方を持っているものであり、多様性がある。それと同様に、ひとくくりにNGOといっても、それぞれ様々な考え方を持っており、絶対的な中立の立場というのはありえない。また、絶対的な価値観、絶対的に正しいものもなく、それぞれが自分たちなりの考え方で活動していけば良いのだ、とおっしゃっていた。私たちは、『“市民”による海外協力』を理解する上で、勝手にNGOはすべて良いものだと決め付けていたように思う。しかし、人はそれぞれ考え方が異なり、良い、悪いの判断も、当然それぞれが持つ価値観によって変わってくるものなのだ。だからこそ私たちは、自分の考え方にあわないものを否定するのではなく、それはそれとして認めた上で、自分の考え方にあったものを選択していかなければならないのである。また、さらに大橋様は懇親会において、「アルカイダだって立派なNGOである。」とおっしゃられ、とても驚いた。しかし、それと同時にNGO、さらに人々の考え方は本当に多様性に富んでいるということを感じ、自分なりの信念を持つことが大切だと強く思った。

 さらに、大橋様にとってのdevelopmentとは何か、という質問に対し、大橋様は、まず「開発」という概念自体を問い直さなければならない、とおっしゃった。確かに、先進国・途上国という言葉でさえ、「お金」という価値基準で分けられたものであり、開発というのは明らかにその「先進国」側の視点に立った考え方である。そして、そこには必ずといっていいほど、貧しい国の人々を「かわいそうだから、助けたい」という気持ちが働いているのだ。このことに気づかされ、私は今までの自分の考え方が非常に自己中心的であったことに気づいた。私は、貧しい国の人々を「なんとか自分の力で助けたい」と思っていた。なぜなら、「あんなに貧しい暮らしをしなければならないなんてかわいそう」と思ってしまっていたからである。しかし、どんなに貧しい人でも、それぞれの生き方があり、そこには当然その人たちなりの喜びというものがあり、勝手に「かわいそう」などと思うのは失礼なことなのだ。本当に貧しい人々の暮らしを少しでも改善していきたいと思うのなら、哀れんだり、上からの視点で現地の人々のことを考えるのではなく、完全に相手と対等な立場に立たなければならない。大橋様は、シャプラニールの活動を、ただ単にバングラディッシュの人が好きで、自らが楽しく、さらに現地の人と楽しさを共有できるから行っている、とおっしゃっていた。これこそが、本当の意味での「共生」なのであろう。

私たちNGO班は、本当に悩み、苦しみ、考え抜いた結果、自分たちなりの『“市民”による海外協力』に対する答えを出した。しかし、大橋様のお話によって、私たちの考えはまだまだ視野が狭かったということに気づかされた。また、大橋様のお話を通して感じたことは、大橋様のお人柄の良さであった。話される言葉の一つ一つに、大橋様の広く、優しく、まっすぐなお心が表れていたように思う。そして、大橋様から教えていただいたことは、今後の自分の行き方を考えていく上でも、とても重要なものとなった。

最後に、その貴重なお話を通して、こんなにも多くのことを教えてくださった大橋様、そんな大橋様との出会いの場を私たちに与えてくださったモモ、そして、時にぶつかりあいながらも、ここまで共に頑張ってきた大好きなNGO班のみんなに心から感謝したい。