北京妄想王国 -12ページ目

一高

ある中国人の話。

 

日本には三高ってコトバがありますよね?

高学歴・高収入・高身長ってヤツです。

 

中国では一高です。


女が男に求めるモノはカネ。

男が女に求めるモノは容姿。

 

それが全てです!!


 

そうのたまったのは、某外資系企業に勤める、

北京では中の上くらいの生活レベルの男性。



・・

なんとも身も蓋もないご意見。

ある意味正直な意見でもあるかも。笑

  

 

三高って、日本では死語・・のはず。たぶん。


バブルに乗り遅れた世代のため、

イマイチその頃の空気がピンと来ないけれど、

当時は日本でも

そりゃもう言いたい放題、やりたい放題。

三高じゃなければ男じゃない!

的な風潮・・だったのかな?

 

でも結局は、結婚するにあたって

「この人となら落ち着ける」とか、「誠実だから」とか

「楽しい人生を送れそう」とか、

ココロの部分だったり、等身大の幸せを優先させている・・

ような気がする。

(少なくともワタクシの知っている先輩諸氏は)

  

それは、きっと日本人が平均的に豊かであるからこそ

そういう選択ができたんだろうな~と思う。

 

 

貧富の差が激しく、

ろくに読み書きができない人、

仕事をしても、その日暮らしがやっとの人、

仕事すらなく、物乞いをする人。

そういう人たちの生活を目の当たりにしていれば、

やはり豊かさへの欲求は日本人より強くなるのだろうなあ。

 

そして、どこでも男は基本的に雄本能優先。笑

 

 

その後、老師にそのことを聞いてみた。

 

 

老師曰く


若い子は、デブでもハゲでも年寄りでも愛人作っていても

金持ちと結婚できるならそれでいいと思っているでしょう。

男は、性格なんかあまり気にしないんじゃないですか?

 
 

やはり一高。笑


 


そして加えて曰く、

 

私のように、大学へ行き留学をして

仕事を続けるキャリアウーマンが一番結婚しづらいのです。

相手に、同じ年収、学歴、生活水準を求めると、

そんな男は大抵若い子と結婚しています。
子供がほしいので結婚したいんですけど・・。

 

 

中国ではまだ逆タマはないんだな~・・。

  

 

 

これが中国人全ての考えとは思わないけれど

中国人の結婚観を知る、とても興味深い話だった。

 

 

夕暮れ


 

ある農村

北京市内に住んでいると、

なかなか目にすることのできない農村の生活。


たまたま郊外に行く機会があり、

近くの農村を見ることができた。

 

 

農村

 

 
北京から車で一時間。

 

山間の痩せた土地、少ない雨量で

採れるものと言えば栗、胡桃、柿。

当然村は貧しく、

毎年政府より生活保護を受けているその農村。


農業従事者なら、農繁期であるはずのこの時期、

畑や田んぼの無い彼らは、

昼間からそちこちに集まっては井戸端会議。

収穫期以外はすることが無いらしい。

 

 

 

 

廃墟



廃墟発見。

 

 

聞くと、コレが伝統的な北方の農村の建物だということで、

ちょっと入ってみた。

 

 

廃墟

 

 

長い平屋の中心が玄関。

玄関の両側に部屋が一つずつ、という間取り。

 

北方の農村は、冬の寒さ対策に

床下の暖房、オンドル(?)のようなものがある。

画像の、床が抜けて丸見えになっている所に

暖かい空気が流れていく仕組みらしい。

 

 

大きな梁に、ぱっとみ障子にも見える窓は

日本の家屋にも似ている気がするけれど

外観は石と煉瓦。

やはりココは中国だ。

 


道具

 

 

大豆を潰す道具。

 

いまだに手動・・というか

ロバに轢かせて使っている・・とのこと。

ちょっと押してみた。

お・・重い・・。

 


 

農村からの帰り、

長い長い列車が見えた。

 

山西省・大同から、北京へ石炭を運ぶ専用列車だ。

 

 

列車

  

 

首都北京の大事なエネルギー源である石炭は、

18時間かけて、この列車で運ばれる。

車両はなんと50両! 

24時間ひっきりなしに動いている。

 

 

夜、近隣の農民は、その長い車列に飛び乗り 

石炭を拝借するそうだ。

それが生活していく為の手段の一つ。


 

・・

北京からおよそ80キロ離れたある農村の生活だ。


夏が来た~ 船がきた~

気がつけば北京はもう夏・・。

大陸の乾燥地帯にも、緑はそれなりに生い茂るわけで。

 

  

夏

 

 

たまたま通った小川のほとり。


 

き・・汚なーっ!!


 

川底はヘドロ。

周辺には生ゴミ、プラスチックゴミがゴロゴロ。

青みがかったグレーに、不気味な泡立ち。

周囲に漂う腐った匂い。

 

絶対に近寄りたくない!!・・と思う傍らで、

平然と釣り糸を垂れる中国人。


そのうち、もっと深さのある川では

泳ぎ始める人も出てくるんだよな~。

 

 

これが北京の夏の風景!

 
 

「北京の夏をすっかり忘れてた~」

 

と思っていたところに、

これまた忘れていた、日本からの船便が届いた。

 

 


帰国したときはいつも、

とりたてて緊急でないもの、

雑誌や書籍、洗剤などの重くて腐らないもの、

を中心にごっそり船便で送っている。


日本からだと、だいたい3週間~1ヶ月で届く。

運が悪いと税関で開封され、

モノがなくなることもあると聞いていたが、

今のところそんなことはなく無事に届いてる。

 

 

送ったことを忘れた頃に届くので

ちょっとしたサプライズだ。


 

 

今回もBOOK OFFで大量買いした書籍に加え

日本ではやっている新刊をたっぷり入れていた。



その中で一番楽しみにしていたのが

 

 

世にも不思議な中国人

世にも不思議な中国人

五十嵐らん 著

 

 

著者の超有名ブログ

中華的生活『多少銭』

の書籍化されたものだ。


日本人女社長として、一人大陸にやって来た著者が

見た、体験した、中国の姿。

作り話のような本当の話!! 


○国・教科書・ガス田問題・反○デモ・・

ソレ関連の小難しい時事書籍・評論とは一線を画す、

「まずは中国人について面白おかしく理解してみ~ようっと♪」

そんな気楽な気分で読める中国入門書(ブログ)。

 

ブログが半年で200万ヒットというのもうなずける内容だ。

 

 

残念ながらアクセス制限のため

中国内からはこのブログを見ることはできない。


しかし、ワタクシのブログの読者様は

ほとんど日本(もしくは海外)在住だと思うので、

閲覧は可能のはず。

抱腹絶倒のエピソードの数々。

ぜひ一度読んでみてください!!



 
・・

読後はきっと・・

著者だけでなく、大陸で孤軍奮闘しているであろう

大和なでしこ達を応援したくなるはず。

 

 

つまり、ワタクシも応援してねってコトさ。フフ・・

シルクロード 麺紀行 

長々と綴ったシルクロードの旅。

 

最後は、無類の麺好きである我々が、

ガイドの用意したレストランをことごとく断り、

無理やり現地の麺料理を案内させ、食べ歩いた

シルクロードの麺の数々をご紹介しよう!!


旅した順番とは逆に、東から西へ、

漢文化から中央アジア文化へ・・。

東西の食の伝播を感じながらお楽しみくださ~い。

 
 

 

敦煌

 


『敦煌といえば麺』といわれていることをはじめて知った。

 

昔の敦煌では、「麺を上手に作れない女は嫁に行けない」

と言われていたくらい麺が好きな土地らしい。

案内してくれたガイドももちろん自分で麺が打てるとのこと。

当然麺は美味を極めた~!!

 

敦煌に来たなら、

ホテルのレストランより巷のラーメン屋へGOだ!!




面

 

月桑(つきへんに桑)子面

 

 

十数年前まで、敦煌の人たちにとって

お正月や祝い事でしか食べられなかったという麺。

角切りの野菜、豆腐が入っており、

その具沢山なところがめでたかったのだろう。

街全体が豊になった今、どこででも食べられるそう。

そばつゆのようなスープはとても美味しかった。

 

 

 

面

 

ジャージャー面(?)

 

 

庶民の麺。

一人ひとりに、無造作に皿に盛られた麺が出される。

野菜炒め、卵とトマトの炒め物・・など

定番中華料理を好きなようにぶっかけて食べるらしい。

画像はニンニクの芽の炒め物を混ぜたもの。

麺を小碗に取って自分の好きなように味付けする。

 

現地の人は、酢をかけたり辛い何か(←不明)を混ぜたり

とにかくオリジナルで自分の味を作る作る。笑


ちなみにコレを食べたのは超~ローカルな農村の一軒。

食後、用を足そうとトイレにいったところ、あまりの汚さに、

食べたものを全部吐きそうになりました。

中国では、食前にトイレに行くことをオススメします・・。

 

 


面

 

鳥湯面

 

 

敦煌の朝食麺は「鳥湯面」と聞いて、

早起きして街の朝食麺屋へ繰り出してオーダー。

「朝からコレかよ!!」

と言いたくなるほどの劇辛!!

シンプル鶏がらスープを期待していたのだが・・。


上にのっているのはパクチー。

まだ半分寝ている胃袋に、完食は不可能だった。

 

 


面

 

野菜麺

 

 

ちょっとこぎれいなレストランで出された一品。

麺を練るときに野菜の汁を混ぜて作るのだそうな。

日本の茶そばのようだけれど、風味はやっぱり野菜。

淡白なスープに合ってとても美味!!



探せばまだまだありそうな敦煌の麺。

 

お次はトルファン~♪




トルファン

 

 

トルファンに来ると、中華文化が薄れ

中央アジアテイストが多くなってくる。

東西食文化の融合を感じたメニューが多かった。

 

 

面

 

餃子

 

 

これを麺とするかどうか・・。

でもワンタンぽかったので、紹介してみた。


トマトベースのスープに、羊肉とパクチーの餃子。

もう中華ではありません!!餃子なのに!!


美味しかったです。

パクチーも食べれるようになりました!!

ありがとうトルファン!!

 

 

面

 

豆豆麺

 

 

屋台の名物といってガイドがオーダーしてくれた麺。

豆がたっぷり入っているから豆豆麺。笑

ベースはやっぱりトマト。

麺は中華のソレなのに、スープは洋風。

トルファン辺りは、唐辛子、山椒、胡椒などの香辛料を

使わない土地柄なのか、全体的に味がマイルド。

  

 

 

ラストは・・

 

 

ウルムチ 

 

 

ウイグル人比率はトルファンの方が多いはずなのに、

味はより中央アジア・・だったウルムチ。




面


拌面

 

 

『拌』とは、中国語で混ぜるという意味。

ということで、皿で混ぜ混ぜして食べる麺。


麺はラーメンの麺よりは、ツヤのあるパスタのそれ!!

ほとんどパスタを食べているようなカンジ。

野菜たっぷりで美味。


 

面
 

拌面(別の店)

 

 

幅広パスタというかラザニアというか・・。

てんこもりに羊肉とじゃがいも・ニンジンがのっていて

クリームパスタみたく、すご~く乳臭い!!

ワタクシ、食べれませんでした・・。

 

 

 

喰いに喰ったりシルクロードの麺。

体調最悪だったというのに、

この食に対する精神力は我ながらスゴイ。

 

 

しかし、

このつたないシルクロード麺紀行で満足できないアナタ!!

 

こちらをどうぞ!!


 


麺紀行

中国麺食い紀行

坂本一敏 著
 

 

アフェリエイトなぞ気のきいたことはしておりませんので、

書店・インターネットで探してみてください。

 

中国の麺の奥深さに驚愕です!!

・・ていうか、ココまで食べ歩いた著者に驚愕。 

 

 

ちなみに敦煌のホテルの売店で購入。(←何でだ?)



以上!!



・・最近とっても不安定な我が家のインターネット事情。

もしかしてアクセス制限?!

・・そんなことないよね・・。



「王朝」考察

ワタクシの小さい頃の夢。

 


・・ 

漫画家。



実家には、小学校の頃に描いた作品が未だに残っている。


タイトル 『ようきひ伝』

 

 

ぐは~っっ!!

タイトルだけでも恥ずかしい!!!



ようきひ=楊貴妃
 

楊貴妃は実はスゴイ悪女で、

気に入らない女を殺しまくり、

言うことを聞かない人間を落としいれ、

皇帝をたぶらかしてやりたい放題をする・・

というストーリー。
 

 
ノリは「悪魔の花嫁」

 

読み返す度に大爆笑!!

か~な~りお粗末。

 

 

中にこんないでだちの人たちが登場します!! 

 

 

清朝       清朝

 
 
おかしいです・・。
 

 

辮髪は満州族の髪型。右は西太后。  

そう・・これはの時代の服装です!! 

 

  

楊貴妃が生きていたの時代は、たぶんこんなカンジ。

 

楊貴妃

 

竜宮城の乙姫様のイメージかなあ。

 

 

  

・・と、マチガイを指摘してみたところで
ワタクシの昔の中国のイメージは、

未だに各時代がミックスされてゴチャゴチャ。

漫画を描いていた当時と比べて大分知識は増えたけれど

厳密な時代ごとの違いなんて分かっていない。

 
 

ガイジンが十二単と振袖と浴衣の違いが

よく分からないのと一緒だ。

 

 

 

 

敦煌では、観光用の中国(昔の中国ってこと)は

唐(宋?)の時代のものだった。

(ワタクシのあいまいな知識レベルで)

 

 

薄絹をまとい、なまめかしく踊り歌う女性。

日本の奈良時代を彷彿とさせる壁画。

仏教の影響が色濃く残る建物群。

 

 

北京に残る「中国の歴史」とは違う。

  

 

 

長安(現西安)を東の起点に西ローマまで続いたシルクロード。

敦煌をはじめ数々のオアシス都市には、

中国と西域の文化が入り乱れ、発展していく。

最も栄えた時代は唐代。

 

その後、造船技術と航海技術の進歩により

交易の中心が、広州からインド洋を通りアラビア半島へ至る

海のシルクロード・南海路へ移り、明代以降陸路は衰退していく。 

   

王朝は漢族からモンゴル族、そして満族支配と移り変わり、

都が長安から北京に遷都され、文化や風習も変わっていった。

 

 

シルクロードの繁栄とともにあった敦煌は 最盛期である唐代

(またはその後シルクロードが廃れるまでの王朝)で

時間が止まってしまったんだな~。
だからこそ、今、世界遺産として認められたんだろうけれど。 

 

 

栄枯盛衰・盛者必衰

  

 

皇帝気分で敦煌舞を観劇しながら

そんな事を考えた。

 

 

敦煌舞   

 

そして思い出した。

 

 

学生時代、

「アルプス一万尺」

に合わせて、中国歴代王朝を暗記したことを。

 

 

 

殷・周・東周・春秋・戦国 

ア ル プス  いちまじゃく

晋・前漢・新・後漢 魏・蜀・呉 西晋・東晋・宋・斉・梁・陳・隋
こやりの  う えで  あるぺん  おどりを   さあおどりましょ
五湖十六・北魏・東魏・西魏・北斉・北周

ら~んららんらんらんらんらんらん ら~んららんらんらんらんらん

隋・唐・五代十国・宋・金・南宋・元・明・清~♪

ら~んららんらんらんらんらんらん らんらんらんらんら~ん♪

 

(隋重複) 
 

 
 
敦煌舞

 
 
ブラボ~ッ!!!!

 

 

砂コレ

王国コレクション。

この旅で二つ増えました!!

 

 

砂コレクション



砂漠の砂!!



砂漠のあるトコロに行くと、

まるで甲子園の高校球児のように、

砂を持って帰る殿。

 

荷物になって重いけれど、はずせないお土産だ。


 

 

今回のコレクションは・・。

 

■画像右の瓶・・新彊ウイグル自治区鄯善産 

 

 

砂漠

 

 

 

砂

 

 

粒が小さく、赤みがかった色をしている。

やわらかい手触りで、とても気持ちよい。

水のように流れる砂は、見ていて飽きない極上の逸品。


 

 
 

■画像左の瓶・・甘粛省敦煌 鳴沙山産 

 

 
砂漠

 

 

 

砂漠

 

 

敦煌の観光名所のひとつ、鳴沙山。

「シルクロードの砂漠」のイメージにぴったりの

その広大な砂漠の砂は、ちょっと粒が荒い。

日本の「鳴き砂」のようなカンジ。


赤・黄・緑・白・黒の5色の砂があり、

太陽の光、天候によって印象が変わると言われる。

確かに色とりどりの粒が混ざり合ってとてもキレイ。

  

 

 

砂質(?)は、地域によってこんなに違うものなんだ~・・。 

 

砂コレ、奥深し!!!


 

ところで、日本語の「ゴビ砂漠」

中国人に言わせると、とてもおかしなコトバだそうだ。

 

 

ゴビ


ゴビ ↑

  

 

ゴビとは・・荒地、不毛の地の意味。

砂に石が混ざった荒れた土地のコトを指すとのこと。

「砂漠」とは全く違うものなので、

一緒に使うのはヘンなのだそうだ。

なるほど。


 

 

日本の国土面積より広いというゴビ。

やっぱり中国はデカイや~。

 

莫高窟の歩き方

「莫高窟」



言わずと知れた、敦煌観光のメインスポット。

「砂漠の大画廊」と形容される石窟群に、

一度は訪れてみたい、と思う日本人も多いだろう。

 

 

今秋、忙しい殿に代わって

親族一同をアテンドするお役目を仰せつかっているワタクシには

下見を兼ねて、是非一度行かねばならないところだった。


 

 

さて、その莫高窟観光。

 

ワタクシも期待に胸を膨らませていた一人だけれど、

見学するにあたって

「そうなの~~???」

と思うこと多々アリ。


 

莫高窟を満喫するためには、

ある程度準備が必要なのね・・と実感。


というわけで、
反省も含めて莫高窟の歩き方をご紹介。


 

 

 

莫高窟は、市内から車で20分程度という

敦煌の観光地としては好立地。

(車に揺られて数時間・・という観光地はザラ)

 

近づくにつれ、車窓には断崖の石窟が!


 

莫高窟




駐車場に車を停め、歩いて受付へ。

チケットを購入して、外人専用入り口から入場し

石窟を見て回るのだが・・。

 



莫高窟

 

  

★手荷物を預けなくてはならない!

★ガイドと一緒に回らないといけない!

★撮影禁止!

 

 

思っていた以上に厳しい~!!

 
 

自分達のペースでのんびりと回ろうと思っていたのに、

ガイド付きでないと入場できない。

そのガイドは莫高窟の専門スタッフに限られる。

しかも、ガイドにつき10人以上の客という決まりになっているらしく、

ワタクシたちは、日本からのツアー団体に無理やり組み込まされる!!


まあ、いいか・・と石窟へ。

 

  

 

★見ることのできる石窟は限られている!

★どの石窟を巡るか、また回る順番は分からない!

★石窟真っ暗!→懐中電灯・望遠鏡必携!

★石窟見学は超短時間!

 
 
 

一応、はじめにガイドより、

「今日は○○番と○○番石窟と・・を見ます」

との説明があるが、公開される石窟は

いつも同じとは限らないらしい。

年によって、また調査・補修時期、傷みの有無などで変わる。

 
 

驚いたのは、石窟の中が真っ暗なこと。

明かりが無い!!

石窟を見るには、懐中電灯で照らして見ないといけないのだ。

  

そんな情報、聞いておらず、ワタクシたちは

ガイドと団体客の照らす明かりを追うしかなく、

日本の旅行代理店の親切さをうらやましく思った。

(中国の旅行会社は情報くれず・・・。)

 

ただ、懐中電灯があっても

高い天井に描かれる緻密な絵をはっきりと見ることはできない。

望遠鏡も持ってきていたほうが絶対にいい!!

 
 
その石窟内滞在時間は10分も無い。

かいつまんだ説明をし、石窟内のメイン壁画を紹介し

「じゃ、次行きましょうか・・」

みたいなカンジ。

 

じっくり見たい派には不満が残るだろうなあ。

 
 
 

★特別窟を見学するか?!

★事前に勉強!!

 
 

一般のチケットで見学する石窟のほかに

別料金で見ることのできる石窟がある。

ひとつの石窟で100元(1,500円)~500元(7,000円)で、

チケットを買うのだが、これを見るかどうか・・。

 

  

その日、ガイドに勧められて

100元の特別窟を見に行った。

 

なんでも、敦煌の石窟の中でも

「唯一ナンタラが描いてあって、ナンタラが違う・・」らしい。

滞在時間5分程度・・。

 

5分で、1,500円。

それを高いと思うか、安いと思うか・・。

「いいモノを見たね~」と言われてもピンとこない。 
 

 

せめて事前に知識を得ることは必要だった。

・・深く反省。

 

  

 

石窟見学は、およそ一時間半で終了だ。


残念ながら

撮影禁止ということで、石窟の写真は撮れなかった。

 
 

 

 

見学が終わり、改めて辺りを見回すと

異様に人が多いことに気づいた。

  

 

 


莫高窟

 
 

その日は旧暦で、4月8日、

お釈迦様の誕生日だった。

 

この日だけは、3つの石窟が市民に無料公開されるため、

大勢の人がこの莫高窟にやってくるらしい。

そして、年に一度のお参りをするそうな。

 
 
 

莫高窟

 

敦煌一の大仏(非公開)の前で

香を焚き、ひざまずいて祈っている姿も。

 

 
 

ワタクシたちが西へ旅し、

この日にここを訪れたのも何かの縁・・。


 

多くの中国人に混じって線香を供え、祈り、

莫高窟を後にした。

 

 

 

莫高窟

 

 

 
莫高窟観光、

ゆっくり見学したいのであれば

旧暦の4月8日は避けた方が賢明だ。



敦煌へ

中国 甘粛省の西端のオアシス都市 敦煌

 

 

知り合いの中国人に

「日本人の一番人気の観光地は敦煌」

と言わしめる、

この都市を一躍有名にしたのは、

もちろんNHKの伝説的番組「シルクロード」。

 

 

・・と、もうひとつ



 

敦煌

映画「敦煌」

 

 

ワタクシは映画派。



 

小さい頃、父親とわざわざ映画館まで見に行った。

その後、何度も何度も観かえした、

大好きな映画のひとつ。


まさか本当にココを訪れる日がこようとは・・。


  

  

古城

映画「敦煌」のロケ地!!


 

当時、映画撮影の為に、敦煌郊外に

三億円位かけて一大セットを作った。

当時の城郭、街並みが見事に再現されている。

 

 

撮影終了後、敦煌市に譲り渡され、

観光名所のひとつとして、また

中国歴史ドラマの撮影セットとして活躍している。
 

さながら京都の太秦。

 

観光客は20元で入場でき、

運がよければ撮影風景に出会えるかもしれない。


 


古城

東城門


 

映画のクライマックス。 

李元昊(渡瀬恒彦)が騎馬隊を率いて

敦煌に攻め入ってくるシーン

に使われた城郭!


 

う~ん。感動。

 


 
古城


東城門には登ることもでき、

そこからは遠く続くゴビ(荒地)、

その先に臨む砂漠を見渡すことができる。

 

 

古城     古城

朱王礼西田敏行)、趙行徳(佐藤浩市)らが、

甲冑を着て撮影をしたと思われる城壁。

武器なども置いてあり、雰囲気ある~。


 

ガイドさんに無理言って案内してもらってよかった♪


 

敦煌といえば「莫高窟」。

でも、時間が許せば、ここ「古城」

行ってみるのもおもしろい。


 

乾いた空気と砂漠の文化が充満した

漢族・ウィグル族の各都市、観光地の中で

ふと感じる日本のかほり。



当時、過酷な撮影で多くの馬が死んだ。

その馬の死を悼み追悼の碑が建てられている。

日本の撮影隊が残したものだ。


 

ウェットな日本の文化。

誇るべき文化。



ウルムチ(烏魯木斉)の夜

ウルムチ(烏魯木斉)


新彊ウイグル自治区の州都。

思い描くシルクロードのイメージとは異なり

高層ビルの建ち並ぶ近代都市だ。





そのウルムチでの出会い・・。


 


・・彼 ↓



松井




ニューヨークヤンキースの松井かと思った。

日本語ガイドさん(中国人)です。



あまりの衝撃にツーショットをお願いした。




この世には自分に似ている人が3人いる・・というのであれば、

彼は松井のそれだ!!

顔が同じだと声も似るのか、少し甲高い声までもそっくり。

ただ、全体的に小さいところがちょっと違う・・。



NYの帽子は、日本人のお客さんが

わざわざ日本から送ってくれたそうな。

その気持ち・・わかる・・。



その彼が、新彊最後の夜をガイドしてくれた。

 

 

 

 


ところで、

ここ中国は、東西に広い国土にもかかわらず

標準時間が北京を基準として一律。


北京から飛行機で西に4時間ほどの場所にある

ウルムチの日没は午後9時過ぎ。


暗くなるのは夜の10時以降!!

夜が長いのである!!!


 

 

ワタクシはその日、たぶん高熱による関節痛、

そして声帯をやられて声も出ず、という最悪のコンディション。




それでも気合で街を巡り、飲み、食べた。





 

屋台


 

 

殿はヘビースモーカー。

ウイグル料理のレストランは、

イスラム文化になるので、禁酒・禁煙。

なので、ワタクシたちは屋台や、街頭で食べ歩き。


 


羊



羊肉!

 


新鮮な羊が市場にゴロゴロと並んでいる。

ちょっとグロい。

 


 


シシカカブ



名物はシシカカブ


 

文化はもう中央アジア!
北京も美味しいと思っていたけれど、それ以上に美味!!

ワタクシが塩焼きで食べれる位。

 

 

 

新彊は雨が降らず乾燥しているので、土壌がアルカリ性。

そこに生える草を食べると、羊特有の臭みが消えると

といわれているらしい。

確かに臭いは全然感じなかった。


 

 

パオズ

 

 

こんな羊料理も。名前は失念。

ナンのようなモノの中に羊の団子が入っている。

激ウマでした。


 

 

 

 

そしてワタクシが一番気に入ったウイグル料理はコレ!!


 

 

ポロ
 


ポロ


新彊で好んで食べられる米料理。 

 

見た目チャーハンに見えるけれど、

作り方を教えてもらうとピラフだった!



お店や家庭で味が違うようで、

具がニンジンだけという、ちょっとウへ~とおもう店もあったが

基本は羊肉とニンジン
 

オススメは、上の写真のような干し葡萄入り。

酢豚にパイナップルがダメ~という人は難しいかな。




新彊の豊かな食文化。

体調万全でもう一度トライしたいメニュー満載でした!!

 


ウイグルの子供たち

新疆ウイグル自治区の人口の半数はウイグル族らしい。



発展著しい州都ウルムチでは漢民族の流入が激しく、

人口比率は漢族が優勢になってきつつあるらしいが

トルファンでは今だ90%がウイグル族。



他にもカザフ族、キルギス族など

エキゾチックな面立ちの人々が暮らし、

街を歩くと、ここが中国であることを忘れてしまう。




何より、人々が気さくで人懐っこく、

カメラを向けるとニッコリと微笑み,、ポーズをとったりすることは

漢族文化には無いな~・・と思った。

(たぶん日本でもないかな)





子供

 


子供


子供


 

子供

子供


 

 



一人っ子政策の中国の中で、

ウイグル族は二人まで子供を生むことができる。

子供が多いな~と思ったのはそのせいかな?





人を撮るって楽し~い♪




そう思わせる街でした。