このところ毎日(昼寝を含め)誰と一緒に寝るかを迷う。
 姉の退院が決まったので、姉から預かっている3匹のうちの誰かにするか、レギュラのアヲにするか、アヲ以外の2匹のいずれかにするか。

 2匹以上を寝室に連れてゆくと必ず安眠を妨害されるので(遊び始めるのだ)1匹しか連れて行かないことにしている。

 また、5匹を同じ部屋にしておくと大騒ぎになることがあるため、就寝中のみ2〜3部屋で2、3匹ずつに分かれてもらっている。
 人間と同じように、徒党を組むと規律を無視したり、気が大きくなって愚行に走る者が出るようなのだ。

 さらに、きちんと躾を身に付けたはずの子が、馬鹿の子といるうちに、躾けたことを忘れたりもする。
 ああ、子育てするときに友達関係にも言及する親がいるのはこういう心理からかと納得する。

 じつに、1番の問題児(?)は、仔猫たちの母親なのではあるが……。
 一緒に寝る子と、残りの子たちの部屋分けとが、なかなかに悩ましい問題である。
 こんなことで悩んでいるのは、相当に平和な証ではあるが。
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200619
// NOTE:神様と猫と猫のカミサマと私について。
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
見えざる手は誰のもの。
SUBTITLE:
~ Invisible handler. ~
Written by Bluecat


// ----- >>* Lead Division *<< //


::ここで日本企業が、新興市場に進出するとどうなるだろうか。繰り返しだが、インドやアフリカ諸国では「賄賂が常識」のところも多い。その環境で、現場を知らない日本の本社から「賄賂は絶対にするな」と命じても、それは現地のレジティマシーに合致せず、競争に参加すらできない。結果として政府案件を失注し、絶対に勝てるはずの裁判に敗訴し、許認可が得られずライバルにスピードで負ける、という状況に陥るのだ。




// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 目醒めると、蛙の重唱が聴こえている。
 田畑の多い地域で生まれ育った僕にとって、子供の頃でこそ入眠を妨げる耳障りな雑音であったそれは、今では柔らかな郷愁と眠りを誘う子守唄である。
 知っている人もいるかもしれないが、田畑での蛙の鳴き声というのは、いつの間にか始まって、あるときピタリと止む。
 それは、その群衆のそばを自動車(あるいは大型の生命体)が通りすぎたからなのかもしれない。その場合、彼らの演奏は一定の静寂ののち再開される。
 あるいはその日の演目が終わって、閉演の時間がやってきたときも、やはり同様の静寂が訪れて、きっと聴衆や演者たちはめいめい、帰途につくのだろう。
 あるものは自らの寝ぐらへ、あるものは新しいパートナーとの褥(しとね)へ、あるいは私のように、微睡みの水面へ。

 もっとも今日は思いのほか早寝になってしまったため(一昨日、ワークアウトの余韻が皮膚を醒ましてまったく眠れなかったのが理由である)、微睡みの水面は再び柔らかい抱擁をもって僕を受け入れてはくれず、僕は僕の猫の神様とともに起きることにした。じつに深夜の2時。

>>>

 冷蔵庫のフレッシュライムとトニックウォータ、冷凍庫に眠るジンを使ってジントニックを作る。
 ジントニックはステア(要は軽く混ぜること)によってできる簡単なカクテルだが、同じ材料を使っても作り方で味が変わる。
 僕が特に好きなのは、ライムをグラスの内面を一周するように搾ってからグラスのふちをぐるりと撫でて今度は皮目をしっかりとグラスの奥に絞ってから落とし、ジンを注いで、氷を入れて、トニックウォータを注いで軽くステアするパターン。
 ライムの香りと酸味が主体の、ジュースのように飲みやすい(あるいはジンを増やしてキックをより高めた)ものにできる。

 もともとジンは大嫌いな酒だったのだが、ある時を境に好きになり、今ではロックでも楽しめるようになった。そのきっかけが、ジントニックである。

>>>

 嫌いといえば煙草も、もともとは嫌いであった。
 飲み物や飴、ガムなどの添え物なしには楽しめなかったし、味も匂いも好きになれなかった。
 愛煙家になったのは、正しい吸い方を学んでからである。
 シガレット(広く流通している紙巻き煙草)であっても、正しく加湿し、正しく着火し、正しく火の温度を保って味わえば、同じ煙草でもまるで別物のような味と香りをもたらしてくれる。
 このあたりも、カクテルに似ているだろう。
 シンプルなものほど奥が深いから、手軽に味わおうとして雑に扱えば、その粗雑さはそのまま自分に返ってくる。

 人間もかようにシンプルなありようを体現したいと思うものだが、僕のようなキメラは魑魅魍魎としてしか扱われない。シンプルになりたいなどとはおこがましい望みなのだろう。

>>>

 煙草と酒に共通しているのは、人間を酔わせることである。
 しかしそれ以外にも人間を酔わせるものはあり、たいていある程度以上には毒である。
 権力や経済、美や知識。
 異性なども僕にとっては十分に強い毒で、酔わされることがある。
 あるいは法的に禁止されている薬物も、きっと似たような作用は持っているだろう。
 つまるところ、毒に対して酔ってしまうメカニズムが、僕らには備わっているといえる。常用し、依存するようにもなれば中毒である。人間をやめる前に、己を律したいところだ。
 もっとも人間をやめてしまったイキモノがこれを書いているのだが。

>>>

 酒や煙草、さらに一部の薬物(を抽出できる原料)は、宗教と深い関わりがある。
 酒は神からの贈り物であり、神に捧げるものであり、それを作ることは神の行いであった。
 煙草は、インディアンの神聖な儀式の中で、神(正確には霊父/グレートスピリッツ/大いなる神秘、だったか)との交流のためになくてはならないものである。
 またシャーマンたちの多くは、幻覚作用を持つ植物やキノコを用いて精霊たちと 交信したといわれ、中南米の宗教では砂糖(砂糖が希少な時代の人体にとって、精製糖は濃密な薬品である)が向精神薬として機能したという記述を読んだことがある。

 これらは、法律はともかくとして「近代的な」神々には忌み嫌われ、禁止されている。
 カフェインも向精神薬であるから、何らかの宗教では儀式に使われたであろうし、一部の「近代的な」神々によって禁止されている。
(ちなみに「近代的な神々」とは、WHOのことではない)(皮肉です)

 おそらく、これらの毒の酩酊状態が「人に魔を差す」からだろう。
 一部の「近代的な神々」は、異性との性交も禁止している。やはり魔が差すのだろうと推測される。酔って正常な判断を鈍らせるのかもしれない。
 魔が差した上、さらに魔を体現してしまうと、不浄になると考えられているものと想像する。
 そうした考えが行き過ぎれば、女性が不浄であるとか、女性が魔の体現のように扱われることもあっただろう。

 かくも人間は、己の欲すら外部からの圧力なしには律しきれない、弱い存在なのかもしれない。

>>>

 僕は比較的、宗教にはフラットに接しているので、親しい人間に誘われると、宗教の行事や集会に同席することがある。
 たとえばモルモン教は、金曜の午後に英会話のレッスンがあったり、日曜の集会やクリスマスのイベントは一般人も参加できた。英会話のレッスンにいたっては無料で、しかも宗教が全然関係しない(笑)。

 他のキリスト系の宗教だと、エホバの王国だったか、その集会には参加したことがある。
 キリスト系の教会における週末の集会は、おもに聖書の勉強であり、経験上、聖書の解釈について議論することが多いようだ。これらには僕も興味深く参加した。
 文書に記された文には僕のような一般人にも意味を見出すことができて、それは信者であろうとなかろうと、知性レベルによっては特定の事象における一般解のようなものを導くことができる。たとえば「人は何も信じないよりも何かを信じていたほうが内面的に豊かに過ごせる。また内面的な豊かさは物質的な豊かさを創造することが可能だ」といったような形で。
(当然のように、この一般解は異論の余地こそあるだろうけれど、一般解たりうるだけの割合/確率的正当性を持ち、経験則だけでなく実証も容易で、想像するだけでも心地よい)

 日本だと、今のアパートの近所に禅寺があり、小冊子を無料でいただけるのでそれを読む。説法や集会があれば(少々の浄財程度で許されるなら)参加してみたいものだ。
 それ以外の日本の宗教も一般公開しているイベントはあるものの、果たして参加する価値があるかというと、個人的には時間の無駄になるとは思う。

>>>

 ちょっとカミサマの話題からは逸れるものの、後半に言葉を(いつになく)濁してる宗教は、はっきり言えば人間を、すなわち個人を崇拝している。
 もうこの時点で相当にダメダメである。
「キリストかってそうやーん!」という人もいるかもしれない。
 でもキリスト教はまだ、ギリギリ「神様」が最初にいて、それを崇拝している。
 その神様と人間との歴史の中でキリストが出てくるだけである。
 国内の、比較的勧誘を一般の信者さんがしてくる宗教は「神が遣わした誰か」のうち「神」ではなく「誰か」が主体で、これを崇め奉っている。
 個人的にはキモチワルイ。

 しかも。歴史書がある。
 その「誰か」がいかに神(や仏)たらしめ、いかに神(や仏)の意志を体現し、いかに苦節を乗り越え、いかに人を超越せしめたかの歴史書である。

 たとえば僕は第2次世界大戦を知らない。
 いや、知識では知っているけれど、体験していない。
 だから第2次世界大戦が本当にあったかどうかについては、たとえば歴史書や映像フィルム、戦争体験者の体験談や原発ドームを見ることでしか知ることができない。
 では第1次世界大戦は?
 十字軍の遠征は?
 それが実在した事実であることを証明するのは、各国に保存された文献を含む史料のうち「一切矛盾せず完全に一致しているもの」に限られる。

 いくつかの宗教において崇め奉られることを約束された「誰か」には、にわかには信じがたい歴史が存在しているようで(私に対して実証されていないそれは「存在しており」とは表記できない)、さらには信者の解釈も議論もなく「押し付けられる教育」が存在している。
 まるでそれぞれの国の文化や教育スタイルのように、各宗教の中における「お勉強」は存在しており、この国のそれらは、ただ純然として存在することになっている教科書と(弾圧や湾曲によって闇に葬られた)歴史をただ享受し、暗記し、盲信することを余儀なくされる。
 一部の人間はその歴史が「弾圧された/されている」という概念だけで情念を燃やして盲信してしまえるようなのだけれど、科学的に検証不可能な歴史を「史実だ」と強要し広めることこそ狂信的なファシズムの走りのように僕には思える。
 少なくともそれは「科学的な歴史」などとは到底呼べないだろう。

>>>

 宗教における建築やその技術、審美の体現は、僕に構造体としての興味を抱かせる。
 またそれらの空間に集まってくる人々は、特定のキャラクタを演じてでもいるのか清潔感があって穏やかな空気の演出に一役買っている。
 仮にそれらのすべてが偽りであり、主宰者による計算と個々の自己承認欲による演技の賜物だったとしても、自由で気ままで、ために猥雑で下品で低俗になりがちなそこいらのショッピングモールに出かけるよりは精神衛生上心地よく、穏やかにいられる。

 宗教の意味合いのひとつに、それを信奉するもののありようやふるまいの方向性を誘導する、というものがあるとするならば、僕はそれを信じることはできなくても理解することはできる。

「宗教の意味合い」を「宗教の機能」と言い換えればどうだろう。
 たとえば僕は、掃除機やその存在の意味を崇め奉ったりはしないが、掃除機の機能を理解し、その機能を信用することはできるし、そのとき掃除機は「信頼に値する」だろう。
 宗教の機能を理解し、その機能が信頼に足るものであるならば、その宗教は崇め奉る対象にはなり得なくとも、その根本の発想や思想、具現したい目標を信頼することはできる。

 各宗教家の人がいたならば申し訳ないのだけれど、僕にとっての宗教は、基本的に掃除機程度のものでしかない。
 それは周囲(あるいは少なくとも観察者とその認識)を清潔に保つ機能を持ち得て、かつ、清潔に保つことを心地よくさせる機能が求められ、その本体すら自浄作用を持つことが根本的に望ましいだろう。

 仮に、宗教の対象を権力/政治/経済/恋愛/健康/美容/ファッション/猫/科学/神/社会として考え、それを当てはめても同じ事が言えはしないだろうか。

 だから神や天国や極楽浄土を僕は信じてはいないけれど、それらを信じる(あるいは信じたい)という人間の情念は理解できるし、その情念の昇華された作用も含めての機能を考えればまあ「嘘も方便かな」と信用できる。

 崇め奉ることは妄信であり、すなわちバカでもできることだから、そういう同調圧力によって、機能を理解しない人間にも同様の結果を発揮させるという意味では役に立つだろう。
 しかし知性が人間に残っているならば、そこには疑念があるべきで、疑問に対する答えが与えられて然るべきだろう。
 機能があって、それを疑われるとき、それは試験される。
 人が試されるのではなく、神が、宗教が試されるべきなのだ。
(100年後に名言として残りそうな言い回しだな「人が試されるのではない。神が試されるのだ」なんて)

>>>

 今日は疲れたのでこのあたりでおしまい。






// ----- >>* Escort Division *<< //


::ここで困難に直面するのが、新興市場に進出した先進国企業(例えば、日本企業)だ。先進国で、賄賂はご法度である。倫理的にいいか悪いかの問題ではなく、賄賂をしないことが「空気のような常識」なのだ。企業コンプライアンスが強化されている日本も、その風潮は強い。




// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~

 文頭文末の引用は、

「第28章 社会学ベースの制度理論」(p.529-530)
 From「世界標準の経営理論」(著作:入山 章栄 / 発行:ダイヤモンド社)

によりました。




// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Cross Link ]

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -青猫α-/-黒猫-/-BlueCat-/-銀猫-

[InterMethod]
  -Algorithm-Convergence-Darkness-Derailleur-Ecology-Life-Mechanics-Memory-

[Module]
  -Condencer-Reactor-Resistor-Transistor-

[Object]
  -Camouflage-Cat-Human-Poison-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-いのちあるものたち--夢見の猫の額の奥に-



//EOF
200617

 晴れ。
 ゴミの日ではないのでのんびり起きる。
 身体じゅうが鈍く痛くて怠い。
 筋肉痛である。
 大臀筋トレーニングを組み込んだので、臀部に慣れない怠さがある。

 起きて台所に行って気がついた。
 昨晩、芽が出ているニンニクを発見したので、植えようと思い、株分けしたものをボウルの水に浸けておいたのだ。

 猫の餌とトイレ掃除(目覚めて最初の日課である。多い日は1日に3回掃除する)を済ませ、花壇に行く。
 納屋の片隅に、鍬があることは数ヶ月前に気が付いていた。

 しかし躊躇はあった。
 そもそもこの家の敷地内には花壇てきなものしかない。
 畑がないのだ。
 花壇を勝手に耕して畑にしてもよいのか。
(書類の名義が変わったところで、いまだに自分の家に棲んでいる気はしない。可能なら出て行きたい)
 そういう迷いである。
 植物全般に詳しくないので、どれが「いわゆるよい草花」で、どれが「いわゆる雑草」か見当もつかない。
 庭のあちこちに自生し繁茂し勢力を広げている植物のうちには、可憐な花を付けるものもいる(数年前、それが大繁殖したので刈り取った記憶がある)。

 分からない。
 どれを生かしてどれを殺せばよいのか。
 どれを生かしてどれを殺すべきなのか。
 さっぱり分からない。
 Googleセンセィがこんなときに役に立たないことは分かるが、あとは分からない。
 誰かに尋ねろって? 冗談じゃない。
 庭師でもないのに他の誰かの望む庭を作ってどうする。

 ために庭の蜜柑の木の枝を剪定などしながら様子を見ていた部分もある。
 そして、おおよそ空白地帯であろう場所が分かってきた。
「いわゆる雑草」類が繁茂し、それ以外の芽を見たことのない領域があるのだ。
 これらの領域を畑にしてしまえばよい。
 草花の良し悪しなんて、惚れちゃったガールみたいに勘で選べば9割がたは上手くいくのだから、なんとでもなる。
 よし掘ろう! いま掘ろう! すぐ掘ろう!

 と鍬を探りながら、しかし別の危惧もアタマに浮かぶ。

 過去に、アパートのベランダにプランタを置いて作物を育てようとしたこともあるのだが、平素のものぐさが災いし、実現しなかった。
 プランタも買った。
 土も買った。
 肥料も買った。
 プランタの底にメッシュを敷いて、土を入れて均した。
 そして急に飽きてしまったのだ。
 土を手で触ったり、種や苗を植えたり、虫がついたらそれを除けたり、水をやったりするのが、急にどうでもよくなってしまったのだ。やりたくなくなってしまったのだ。

 しかしボウルの中には芽の出たニンニクがいるのである。
 とりあえず植えてしまうには、今しかないのだ(今しなかったら、もうしないだろうから)。

 かくして鍬を振るう日が、この僕にやって来たのである。

>>>

 数分と経たないうちに、音を上げる。
 鍬は重い。
 ここ数ヶ月ワークアウトをしているし、独自開発の「ぱやぱや運動」のおかげで腰まわりの筋肉も多少は発達した。
 だから、腰が痛くなったりはしないが、引きこもりなので有酸素運動に弱い。ついでに愛煙家である。呼吸器系が弱いのである。

 腕も腰も肩も、たいして疲れないのだが、マスクをしているのも相まって、とにかく呼吸が苦しい。
 持ち方も振るい方も、角度も力加減も姿勢も分からないので余計である。
 柄と刃の角度が鋭角なので、どうしても重心を低くしなくてはならないから、これも非常に面白い。

 そのうえ土が固い。
 庭木の根が、横に伸びているのである。
 しかし刃を上手に振るうと、断ち切ることができる。
 鋭角になっているので、てこの原理で持ち上げたり、柔らかい土なら引き流すだけで畝らしきものを作ることもできる。
 しかし今は土が固い。とにかく固い。

 なのでほんの僅かな領域なのに(勘だけれど、体感で30分くらい掛かった気がするので)10分ほど掛かったように思う。

 無事にニンニクは植えられたが、何も分からないので調べながらいたしてみようと思っている。

>>>

 妹と姪が遊びに来る。
 だいたい週の半分くらいはやってくる。
 猫と遊んで帰ったので、買い物に出かけ、酒のためのライムとトニックウォータ、そして安かったのでカブを買う。

 ちなみに昨晩(今朝?)寝る前にペンネアラビアータを食べてみたのだが、やけに甘かった。
 玉ねぎを炒めるときに少量の砂糖は加えたが、味に出るはずもない。
 よくよく考えて、新玉ねぎであったことと、濃いめの茶色になるまで炒めたせいだと気付く。

 この場合、トマトは酸味やえぐみのある方が合うだろう。最近は缶詰でも、なかなかそういうホネのあるトマトには当たらないので諦めている。
 玉ねぎも多かったのかもしれない。
 まぁ、不味くはない。はっきりいえば美味しい。
 毎日(つまり僕にとって毎食)食べて問題ないレベルであり、むしろ変化がなくてつまらない気もする。

 などと考えながらカブと冷蔵庫に眠っていた人参を煮て、高野豆腐を最後に加えた。
 市販の廉価な白だしを使うことが増えたのだが、なかなか調整がむつかしいと感じる。

>>>

 BEATLESSの文庫版を、しばらく前から読んでいる。
 加筆訂正部分が多く、同じ骨格の、別モデルのようで楽しい。

「4月は君の嘘」を読み返したい気持ちはあるのだけれど、重くて読むのを躊躇っている。
 たとえるなら、めっちゃ眼鏡の似合うガールにデートを申し込まれているのだけれど、その子はデートの最中に毎回気絶してしまって救急車を呼ぶ羽目になるような。
 いや、この喩えはつまらないな。

 綺麗で大好きな話なのだけれど、とにかくテーマが重くて、繰り返し読める耐性がまだできない(かれこれ3回は通しで読み直しているのに)

 ことほど左様、僕は「飽きっぽい」と自称している割に、物覚えが致命的に悪いため、多くの人より一つの物事を長く続けたり、慣れずに最初の感覚を忘れないままでいたりする。

>>>

 半年以上、薬を飲んでいない。
 先日は、風呂上がりに見当識がおぼろになって、面白いので家の中を歩き回ったりした。
 右足の先端の痺れも、改善の気配はない。
 視力がこの数ヶ月でひどく衰えている(ゲームのしすぎかもしれないが)。

 僕の脳は、明らかに梗塞を起こしていて、僕はそれをわざと誘発させている。
 熱めの湯に浸かって、冷水を浴びるのは、血管や循環器にかなりの負荷を与えるのだけれど、これをわざと続けている。

 なぜなら、定期的に、小規模の梗塞を誘発させることで、不意の大きな梗塞に備えられると思っているからだ。

 水分循環系、呼吸器系、心肺機能、血管強度、それぞれにささやかな負荷を与えてトレーニングしておけば、自転車で走っている最中に倒れにくくなるという考えである。

 気が向いたら、病院に行ってこようと思う。
 私が早死にすると、弟子や妹がうるさいので。

>>>

 明日はゴミの日なので早起きをしなくてはならない。

 風呂から上がったら、アラビアータと煮物と煙草をつまみに、ジントニックを飲むであろう。
 そんな予感がする。
 日本酒がなくなってしまったので。



 ニンニクが育つのは、来年になるということをネットで調べて愕然とする。


200616

 晴れ。
 燃えるゴミの日なので、きちんと朝、目覚める。
 この一年、目覚ましを使う機会がほとんどなくなった。
 たいてい予定がないし、普段からよく寝ているので予定のある日は、前日から睡眠が浅くなる。
 仮に深く眠っていても早く目覚めてしまうから、目覚ましを掛けているのに目覚めてしまう。
 疲れていることも少ないので、起きてしまう。
疲れたらまた眠ればいいのだから気にすることもない。

 ゴミ出しをして、草取りをして、除草剤を撒いて、みかんの実をすべて取り(新しい実ができ始めているので)、裏庭の大きな木を切る予定でTU(古くからの友人)から借りたチェーンソウの点検をする。気乗りしないから、まだ切っていない。

 カラスエンドウを除草したのだが、そのあとにびっしりと猫じゃらしが繁茂した。
 お稲荷様は寂しがりか。
 下草が枯れたらチェーンソウを使おうと硬く誓って除草剤を撒く。

>>>

 午後はいつになく、気に入っている蕎麦屋に昼食。じつに満足である。
 それから母上のお見舞い。
 10年近く会っていなかったろうか。
 母上については以前も書いたが、深い感慨などはない。
 憎んでもいないし、過剰に好いているわけでもない。でも慕わしいとは思う。いくつになっても母上は母上だからだろう。父上がそうであったように。
 見舞いの時間は10分の規定だが、ちょっと(3倍を、ちょっと、と呼ぶならば)長くなってしまった。次は気をつけよう。

>>>

 ちなみに昨日は午後5時に起きた。
 弟子から電話が来たときにそれを話したら
「猫氏、大丈夫ですか。それはダメ人間なんじゃないですか」と叱責される。
 こう言ってはなんだが、午後5時に起きる立派な人間も、普通の人間も、きっとたくさんいる。
 夜勤の人などなら午後5時に起きなくてはならないかもしれない。
 つまり午後5時に起きることと、人間の立派/ダメ加減は相関性がない。
 起きる時間よりも、睡眠時間をきちんと確保していることこそが自己管理の基本であるから、そこから判断すべきだと諭す。
 弟子は納得がいかなかったようで、
「では猫氏、何時に寝たのですか。何してその時間まで起きていたのですか」と問うので猫氏の応えて曰く、
「午前4時頃、ゲームに飽きてきたから猫と遊んでいるうちにうとうとしてきたので眠った」と。

 弟子の激昂して曰く「それダメ人間を通り越してクズじゃないですか! 大丈夫じゃないですよ! ちゃんと人間らしく暮らしてください!」と。
 あにはからんや。

「吾輩は猫であるぞ」と猫氏の応えて曰く。
 弟子の嘆息が電話機の向こうに長く響くのであった。

>>>

 夕刻、買い物をしてから帰宅し、アラビアータソースを作る。
 ロングパスタなんてガキの食べ物は口に合わない(わけではないが、ほとんど買わないのだよ)ので、ペンネをはじめショートパスタが貯まりがちである。
 全粒粉ペンネが特に好きである。
(白米といい、精製された炭水化物が合わないのだろう)

 ソースを作りながら、冷蔵庫内を片付けて(散らかっていた)、食器を洗い(昨日は食事らしい食事はしなかったので、一昨日くらいの洗い残しである)、ゲームをし、ワークアウトをし、ソースが仕上がる。

 ニンニクと玉ねぎと、トマトと唐辛子とコショウとオイルでできた、シンプルなソースである。
 トマトソースにしなかったのは、アラビアータしか食べないだろうと予測がつくからだ。
 クリームやトマトクリームは外食で食べるものだと思っている(だいたい「クリーム的」なものでしかない)が、外食のときは塩味かトマトソースである。店の味が分かりやすいから。
 家でクリームは、ちょっと重い。
 小洒落て、皿の中央にしゅっと、数口ぶんのそれを作れればカッコも付くが、ガールに頼まれでもしないとコースは作らない。
 大皿でシェアして食べればよいのだ。
 かようにがさつな男である、私は。

>>>

 日記風しばらく書く気にもならなかったのは、人疲れと、猫疲れである。
 預かっている親猫が、網戸を破壊し(破いただけではなく、外した)、障子だったものを過去形にし、家出し、妹が連れ戻した翌日に網戸を再び破壊し、なんとか連れ戻したら家の中で、嘔吐をするわ糞尿を畳でするわで疲れたのである。

 人間疲れは、基本的に正義アレルギィか自己顕示欲アレルギィか独善アレルギィである。
 僕は自分が正義や自己顕示欲や独善を誰かに振りかざしたときも、もれなくアレルギィを起こして数日、引きこもる。
 誰かから押し付けられたそれによっても、ときどきアレルギィは起こる。
 もっとも、単なる開示(強制ではない)場合は、それはその人の価値観であるから尊重できる。
 僕は嫌いな蜘蛛を好きになれるほど、柔軟で、寛大で、ノータリンである。
 他人の価値観に侵食されたりなど、本来はしないのだ。

>>>

 経済というイキモノについて、つらつらと考えている。
 毎日、アタマが空いているときに、数分は考える。
 あのイキモノは、虚と実がある。
 ネット上の青猫と、IRLの猫氏の違いくらい、虚と実がある。
 玉と石も混交している。
 そしておそらく、寿命がある。

 復讐して息の根を止めたいなら生きているうちに、であるし、とりあえず滅びるのを待ってもいいだろう。

 永続すると思わせる手法は、ネットゲームにも似ている。
 ステータスはインフレを免れないし、胴元がいるなら緩やかにでもインフレさせないとサービスが成り立たない。
 ユーザに盲信をさせてきた綻びは、もう私のようなアンボンタンにも見てとれる。

 サービス終了後に、別のゲームにみんなが熱中してくれればよいが。

>>>

 僕はこれまで、腹筋や大胸筋を鍛えることをしてこなかった。
 なにかこう、これ見よがしに鍛えている人たちを見て、その自己顕示欲にアレルギィを起こすからである。
 僕はナルシストではあるけれど、他人に誇示する趣味の悪さは持ちたくない。
 肉体なんて、みんな持っているのだ。
 自分のそれを愛でればいいではないか。
 だから、他人にそれを誇示する必要を僕は感じないし、他人に誇示したとすれば己のその行為を醜く感じる。

<<<

 ちなみに日記は自己顕示欲の現れの一つである。
 世に棲む猫どもは、吾を崇め奉れと、内心ちょっと思っている。

>>>

 ドロップハンドルの自転車に乗るうちに、腹筋や、腕の筋肉や、大胸筋の意味に気がついた。
 上体を保持する上で、背筋より有能で、脚の力を伝達する上で、なくてはならなかったのだ。

 それに、長らく上体前面の筋肉なんて鍛えなかったため、外観が貧相にも思えるようになった。
 何もかもを年齢のせいにするのは嫌いだが、年相応を自覚しないのはもっと嫌いである。

 若いうちは、その瑞々しい肌を隠すように(誇示するのは独善的ではしたないからだ)、老いてはその衰えた体躯を隠すものだろう(誇示するに足るものでもそうなら、貧相であるならなおさらに)。

 もっともそんなことを言いつつ、温泉などにゆくと、僕は身体を隠すことなく歩き回ってしまう。
 大丈夫、誰も僕の体など眺めたりはしない。
 ちょっとときどき猫っぽかったりするだけだ。

 そのようなわけで、腹筋やら大胸筋やらも、貧相を抜け出して、自転車で走りやすい程度には鍛えるつもりである。
(誰にも見せないので口から出まかせかもしれないが)

>>>

 そういえば、今日は初自撮りをした。
(過去の分も含めて自分の写真を持っていないし、撮る気になることもないので特別なことである)


 ヒトの着ぐるみを着て、庭仕事をしている格好である。
 弟子に「ダメ人間」と罵られたとき、
「ちゃんと庭仕事をしているのだ」と証明するためのものである。

 どう考えても、この炎天下に現れた不審者ではあるが。

 ちなみに飽きたら消す。


// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200609
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ごみ箱問題。
SUBTITLE:
~ Dusk shooter in dust box. ~
Written by 黒猫


// ----- >>* Lead Division *<< //


::やがて、強さは慈しみを取り込み、社会の構造を柔軟化させた。そこに、過去になかった「しなやかな美」を模索しているようだ。




// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 ごみ箱問題、というタイトルではあるが、それほど問題を感じているわけでもないし、問題を提議したいわけでもない。また問題視するつもりも、してもらいたいわけでもない。
 いつものとおりの、周囲をざっと見回した程度の、いい加減な雑感である。

>>>

 僕は昔からものぐさだったので、自分の部屋を作った(家の中のひと部屋を、徐々に、しかし確実に占有していった)とき、部屋にごみ箱を2つは設置した。
 たしか6畳か、多くても8畳の部屋であったから、ごみ箱2つは大袈裟だと思う人もいるかもしれない。

 その部屋には布団(もしくはベッドのマットレス)があり、簡素なテーブル(もしくは作業台、あるいは手製の質素なカウンタ)が置かれ、猫たちの多くは僕の部屋で暮らし、友人たちのたまり場でもあったから、ごみ箱が2つでは、少ないことこそあっても、多いと感じることはなかった。

 以来、僕はごみ箱が「人が室内に居留する位置から片手で届く範囲にひとつあること」を理想的な状態と考えている。
 工作などをしていると、ごみが出る。新しいものを買ってきたときもそうである。
 料理のときもそう。
 洗濯物のポケットチェックや干す前に見つけた糸くず。
 トイレだって、掃除をするときにすべてがすべて、水に流していいものばかりではないだろうから、汚物入れ(汚物入れという固有名称自体、今ふうに表現すると悪意を感じるが、一般名称でもあるから今回はそこには切り込まない)とは別に(あるいは兼用で)ごみ箱を要する。

 廊下で通りかかりにゴミを拾ったら、廊下の途中で手放したい。
 コタツのある部屋ならコタツの対角線上にひとつずつあっていい。

 また、来客者のユーティリティ性向上のためにもごみ箱は「いちいち尋ねなくてもどこにあって、何を入れるか一目瞭然であること」が相応しい。
 これは、トイレおよび清掃道具、洗面所と石鹸とタオル、ティシューペーパなども同様である。

 ポケットの中で手にしてしまった糸くず(なぜかポケットで定期的に糸くずが発生するのは僕だけでしょうか)を捨てるのに、いちいち「あの、ごみ箱は」なんて質問したくない。
 洟が出そうなのでティシューが欲しいのに持ち合わせがないとき「ティッシュはありますか」ではなくて「ティシュー、いただきます(いただけますか)」と言える方が、ハードルが低く済む。くしゃみが出そうなときなら、とにかくすぐに手にできることがホスピタリティでありユーティリティであろう。
 トイレを来客側から「貸してください」というのではなく、長居すると予測される訪問であれば、最初に「うちのトイレと洗面所はここだからね」と案内しておくことで借りる方は気が楽になる。
 清掃用具も見えるところに置くことで、万が一、設備を汚してしまうようなことがあったとき(なおかつ使用者が、綺麗にしてから使いたい/使い終えて綺麗にしておきたい精神の持ち主であるとき)役に立つ。
 まさか設備を汚してしまったからといって「清掃道具を貸してください」なんて言えないし、言っても掃除をさせてはもらえない(まず間違いない)し、そのわりに僕のような酔狂でもないとトイレ掃除を嫌々する人が多いのではある。

 それがゆえ僕にとってごみ箱などの、比較的パーソナルな、にもかかわらず公共性があり、そのうえセンシティブになりかねないモノは「目についてなんぼ」のものであり、言わなくても目につくことが安心であり、見えない場合はあらかじめ案内しておくことが親切さだと思うのだ。
「貸して」と頼まれてから応えるのではなく、必要のないうちから「ご自由にどうぞ」と言っておくタイプの親切さである。

>>>

 妹と叔母の家が、およそ僕の対極にあたる。
 部屋にごみ箱がひとつあればいい方で、ごみ箱のない部屋もある。
 妹夫婦の家は、1F部分がほぼ仕切りのないLDKなのだが、そのぶん広いし、猫もいる。
 キッチン、リビングエリア(和室部/洋室部それぞれ)、猫ケージ(ネコもの専用)の、最低4つは必要なのではないだろうか。
 そこに、ごみ箱はひとつあるだけである。

 叔母の家は、ごみ箱のある部屋が少ない。
 キッチンにさえロクなごみ箱がなくて難儀した。

 べつに彼女たちがどうこう、という話ではない。問題はごみ箱(あるいは掃除用具やティシュー)である。

 ごみ箱や掃除用具を見せない家に住む人は(僕の経験上)だいたいごみ箱が汚かったり、壊れていたりする。とても見せられるものではないように思える。
 だから見えない場所に置こうとするのかもしれないし、見えない場所に置いているから無神経になるのかもしれない

 ごみ箱が見えないということは、ごみ箱の数が少ないと予測されるが、ごみ箱が少ないことによって、それぞれのごみ箱はいっぱいになっている。
 ゴミの指定日にならないとまとめなかったり、ゴミの指定日でも(あと1/4くらい入るから、詰め込めば次回でいいだろう)なんて考えてゴミ出しを先送りする。
 そして気がつくときにはあふれる。そういう使い方なのだ。

>>>

 さあ改善しよう。
 まず、ごみ箱は「見て何のごみ箱か分かるくらい」のものがいい。旅館やホテルのの客室ではないのだから、花瓶だか照明カバーだか分からないようなものは避けるべきである。
 目立って、綺麗で、清潔で、機能性が一目瞭然で、欲をいえば、ごみを捨てるのが楽しくなる外観や機能があるといい。

 それにゴミの収集日には、内容物が少なくてもゴミに出すべきである。
 どうしてももったいないというなら家じゅうのゴミをまとめろ。それでも足りないなら今から台所掃除をしろ。それでも余裕があるなら隣の家からゴミをもらえ。まだか。まだ余裕なのか。それなら道路の、公園の、ゴミを拾ってこい。

 逆にゴミの収集日(あるいはその前日)でもないのにごみ箱がいっぱいになりそうならどうするか。
 ゴミをまとめろ。ごみ袋に入ったそれを保管する場所を作れ。玄関前だっていい。こら、そうやって裏に隠すな。お前はいつだってそうやって裏に隠そうとするんだ。表に置け。誰だってゴミを出す。恥ずかしいことはない。

 誰だってうんちもするしオナラもする。お前はアイドルじゃないから間違いなくする。セックスしてコンドームを使うこともあるだろう。なに使わない? まあそれはご自由に。「できちゃったかも」と、言ったり聞いたりしたい人なら使わない方がいいだろう。
 ちなみにアイドルは耳と口と鼻にしか穴が開いていないから、うんちもしないしオナラもしない。セックスもしないし笑いすぎておしっこが漏れたりもしない。
 お前はアイドルじゃないから、玄関にゴミを置いても誰かが持ち去ったりはしない。安心していい。
 むしろうんちをしたり、お風呂でオナラをしてそのかほりを自分で楽しんだり、セックスできるのはお前がアイドルじゃないからだ。どれだけ美人であってもアイドルじゃないならそれらができるのだからそれを恥ずかしがる必要はない。
 何でもかんでも汚いと感じたものを隠そうとする、汚いものと綺麗なものを区分けしようとする、その自分の浅ましさ、弱さ、醜さ、汚れた心と価値観を知るがいい。アイドルでもないくせに綺麗なだけの、片面ポリゴンみたいな不気味な自分を演出して見せびらかして褒めそやされようなんていう、薄っぺらな虚像にすがる惨めな自分の欲望を見つめろ。

(※片面ポリゴン
::3DCGモデルの「面」は、基本的に、片側しかレンダリング(表示)されるデータを持たず、反面側からレンダリングしても透過するため、そこに面がないかのように表示される(面があるように表示されない)。こうした特性を持つ面(ポリゴン)を片面ポリゴンという。
 反対面もレンダリングされるポリゴンを「両面ポリゴン」と呼ぶ。通常は2枚の「片面ポリゴン」によって構成されるため、データ量は2倍になる。たしかそんな話を聞いた)

 そして家の各部屋には「ちょっとゴミを入れるのが楽しくなっちゃうから、人に見せちゃおうかな、でも、ごみ箱なんて、ありきたりだから、ちょっとはずかしいかな、きゃ♪」なんて感じの「ちょっといいけどわざとらしくない」程度のごみ箱を増やせ。なんなら同じごみ箱を随所に置いておけ。
 あと、どこでもいいからスーパーのレジ袋をダイレクトに引っ掛けた「実は庶民派ごみ入れ」スペースを用意しろ。本当のあざとさというのは、本当の魅力というのは、完全なる美を超えた先にあるのだ。
「しゃれたごみ箱しか置かないワタシ」なんてSNSの向こうで自己承認欲の餓鬼になって干上がり散らかすしかない魑魅魍魎だ。
 パブリックスペースの均整の取れた美と、パーソナルスペースに垣間見せる庶民的な堅実さ。この二本立てなら、並居る他のSNS大好きガールであっても尊敬せざるを得ず、ボーイたちに至っては家庭的な一面に思わず二人の未来を想像するかもしれない。しないかもしれないがな。

 ああ。
 蛇足を書かせるとこの通りなのだ。

 さて、日本から絶滅したといわれる「アイドル」という存在のことは放っておいて、トイレの掃除用具も同様である。

 そんじょそこいらのホームセンターでも「ちょっとかっけーなぁ」というのが売っている。
 たしかにちょっと高いかもしれない。

 でも待て。
 かっけー道具でトイレ掃除をするのは、汚く朽ちた道具ですることの何倍も楽しくて、何より気持ちがいい。
 かっけー道具で綺麗にしたトイレを想像しろ。そして事実、その清浄なるトイレを具現しろ。己の肉体と頭脳を使えば、それは決して不可能ではない。仮に困難であったとしても、不可能などではない。不可能ではないのだ。
 そのとき幾つかの発見があるだおう。
徹底的に、見せびらかしたくなるほどまで(そして決して見せびらかすことなく)トイレを綺麗にすれば、新しい風景が見えるだろう。
 そして綺麗にしたあと、最初の一服たる魂の清浄剤、禊(みそぎ)としての排泄行為に耽るがいい。
 そこでときに人は「神からの啓示」を受け取ったり、「ユーリカ!」してしまったりするらしい。してみればわかる。僕は無神論者でありエンジニアであるので量子モデル宇宙の絶対神たる猫の神様しか信じないが。

 さあ、綺麗でちょっとかっけー掃除用具を、ゴミ箱と同じように、見やすく配置しよう。
 隠してはいけない。隠す必要なんかない。
 美しいトイレを汚してしまったことを悲しむ迷える仔羊の、贖罪と浄化の機会を奪ってはいけない。

 汚れた掃除道具を綺麗にして、朽ちていたら新しく「ちょっとかっけー」のを買ってこい。
 よし、そうだ。それでいい。








// ----- >>* Escort Division *<< //


::装飾的に飾り立てられたものは美しくない、と感じる感覚も、理由のあるものだと思われる。ヨーロッパのある時期の美は、豪華絢爛な装飾の量を競ったが、それらは、富で美を買おうとした哀れな行為としてしか歴史に残らなかった。革命によって葬り去られたし、そうでなくても醜く朽ち果てたはずである。歴史に残る美とは、ピラミッドの力学的洗練であり、叩き上げられた刃の材料学的達成だ。




// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
 文頭文末の引用は、

「98 美しさを知るほど、人は強くなる。強くなるほど、美しくなるのだろう。」(p.217)
From「つんつんブラザーズ」(著作:森 博嗣 / 発行:講談社文庫)
 によりました。






// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -黒猫-/-BlueCat-

[InterMethod]
  -Algorithm-Ecology-Engineering-Kidding-Maintenance-Mechanics-Style-

[Module]
  -Condencer-Connector-JunctionBox-Transistor-

[Object]
  -Human-Tool-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-おこと教室-:-ひとになったゆめをみる-



//EOF
200608

 晴れ。0700起床。
 たぶん睡眠時間は4時間ほどか。

 ワークアウトをして、筋繊維が成長しつつある時(したとき/したあとではない)の方が、少ない睡眠時間で目覚める傾向にある。
 だから、部分的に疲れている時などはわざわざ筋トレをすることが、昔からある。
 おそらく血流が多くなるのだろう。

 頭の中もスッキリする。
 もっともこれらすべてが、カフェインのせいかもしれない。

 空腹状態の身体が、脂肪を燃料にしはじめる。
 軽い貧血のような脱力感などが、ときどきふと、現れるのでわかる。
 僕の身体は、それらを普通に過ごせる。

 これを書いている今日などは、最後の食事から24時間以上経過しているし、ワークアウトも調子に乗ってしてしまった。

 夢で見るかなにかして、後付けで捏造した記憶なのかは判然としないが、自分の指を動かすのが楽しくて仕方なかった記憶がある。
 楽しいというより、不思議な感じ、とでもいうのだろうか。
 目の前にあるものを「こうしたい」「こうしてみよう」と、思ったり思わなかったりするとき、目の前にある(おそらくは自分の)手が、指が、動く。
 そういう記憶。
 感情も、言葉もなく、感覚もいい加減な、曖昧な視覚と意識の記憶である。

 あたりまえに身体を動かすことは、僕にとっては20代の半ばになるまでむつかしかった。
 多分そのあたりで成長期がピークを迎えたものと想像する。
 とにかく、思ったときに、思ったように身体を動かすことができて、なおかつ思った出力をすることが、昔から苦手だった。

>>>

「母親らしいことをしなかったから」と、母は長女家族に言ったらしい。だから僕と妹に知らせないようにしてくれと。
(他の姉についても同様だろう)
 具合の悪い時だけ連絡するような人間ではいたくなかったのだろう。
 3月には罹患していた癌を、私も妹も知らなかったのは、そういうことらしい。
 もちろん私と妹が、長女や母と連絡を長らく取り合っていないせいでもある。
 何が正しいとか、そういう話ではない。
 長女は昔から母親と仲が良かったらしく(だから結婚して家族もいるのに、わざわざ一緒に暮らす決断をできたのかもしれない)、妹は誰であろうと死ぬとショックを受けて悲しむので、それぞれ面倒である。

 子を持つ「母たる」「母となった」人たちからは「知りもしないくせに勝手なことを」と怒られるかもしれないが、僕は「母親らしさ」というものについて考える。
「子を産んだ時点で『母親らしいこと』は終わりではないのか」と。
 そりゃもちろん、育児は大変である。
 出産までの過程より大変かもしれない。妊娠したことがないから分からない。

 ただ「母親にしかできないこと」は「妊娠して出産すること」でほとんど終わりである。
 もちろん母上が言いたいことはそういう意味ではないことは分かっている。
 ただ、純然と、僕は母から母親らしいことを十分にしてもらったと認識している。
 母親がいた記憶があるし、散歩に出かけたり、病院に連れて行かれたり、家族で旅行に出かけたり、寝込んでいるときに看病されたり、授乳された記憶もある。
 その授乳でさえ、母乳アレルギィを僕が持っていることが分かってからは「きな粉を湯で溶いたようなもの(粉ミルクもダメだったらしい)」に変わった。
 つまり、母親がしなければならないことではなかった。

 学校行事の「母親参観」の日は、当然に父上が来た。父上は、今思うと、ちょっと見事に学校で僕たちに寂しい思いをさせなかった。
 行事に持参するお弁当は手作りで、クラスでもトップクラスに豪華だった。
 だからといって、父上の方が母上より偉いとか、すごいとは特に思わない。

 もともと女家族に育って自分を女だと思っていたこともあり、母親の方が好きではあった。
 父を憎んだこともある。
 でもまぁ、10代になる頃には、そんなことはどうでも良いことだと思うようになった。

 母親がいないからこそ、僕は僕になったのであって、母上がいたら、僕は間違いなく、今の僕にはなっていない。
 僕は今の僕をけっこう気に入っているから、そこはできれば譲りたくないところだし、今から変更できることでもないので譲れないことでもある。

 僕は父上も、母上も、尊敬してはいないが、かといって憎んでもいない。
 僕がここまでの僕を生きた範囲で言えることは、生きていると色々なことがあるわけで、いろんな選択があるわけで、必ず正しい答えだけ選べる人はまずいなくて、失敗したり、ときどき後悔したりしながらいるわけで、たとえ親だからといって、完全に子供のために生きられるわけでも、生きなくてはいけないわけでもないということ。
(子の場合もしかり)

 不在であることによって生まれる価値があるということ。
 不可能によって可能になることがあり、無駄だからできる必然があり、失われているから埋め合わせる意思を持ちうるということだ。

 友人であろうと、癌なら見舞いにくらいは行くものである。
 もっともこのご時世なので、面会は当面無理らしいが。

>>>
「好きと嫌い」は変えられない。
 と、弟子が言っていた。

 僕が嫌いなものを好きになることについて同意を求めたところ、そのような回答であった。

 僕にとっては、嫌いなものを好きになるのは、死活問題のときもある。
 なぜなら僕は、心のどこかで経済を憎んでいて、人間を憎んでいて、社会を憎んでいて、生けとし生けるものを、憎んでいるといえば憎んでいる。
 正しさだって、性差だって、憎んでいる。
 卑近なところでは、会社に行って仕事をするのが嫌いだったし、毎朝決まった時間に起きるのが憂鬱で仕方なかった。
 経済活動のためだけに、知らない誰かと話をしたり、したくもないことをすることに耐えられなかった。

 ただ、父上が死ぬ頃には一人暮らしをしていたから、働かないわけにもいかない。
 自死選択はフォースと同じくらい、僕の中で眠っているけれど、多少なり、生きることに希望を見出せるうちは、我慢をしてでも生きているほうがいいかもしれない。
 少なくとも、僕の死体を発見したり片付けるのが、僕に親しい人であってほしくなくて、これを実現するのが簡単ではないことに気がついた。

 だから。
 僕は嫌いなものを好きになった。

 月曜の朝が、もっとも好きになって、日曜の夜にはソワソワしてくるくらいになった。
 会社は楽しいし、失敗を糧にする過程を楽しんだ。通勤も、出入り禁止も楽しめるようになった。取引先にカンヅメにされたときも、いい経験をしたと納得した。
 そして経済も、よいものとして呑み込んだ。

 異性にモテることも、お金持ちになることも、経験すれば新しい発見があるだろうと思って、偏見をなくし、実践できるように努めた。
 僕は本来、かなり真面目で正義感が強くて潔癖であったから、不真面目で、白黒がはっきりしないことを良しとして、混濁したありようにも秩序を感じられるようになった。
 人見知りも、引きこもりも、自力で改善した。
 嫌いなものを、次々と好きになった。

 そうしないと、今まで生きられなかった。
 まるでストックホルム症候群のように。
 僕は嫌悪すべき僕にまつわるすべてのありようを解明して、いつか復讐し、根絶することを心の底に誓って、私を棄てた。

 ときどき思うことがある。
 僕は、いつから相貌失認なのだろうかと。

 いくつかの記憶を、明確に覚えているのに、いくつかのことをまったく覚えていないのは、僕が記憶を操作しているからである。
 思い出さない仕組みを作り、必要によっては、捏造して上書きさえする。

 嫌いなものを好きになるように改変するとは、そういうことだ。
 そしてその技術のオマケで、嫌いな食べ物を克服したり、嫌いなイキモノ(クモとか、ゴキブリとか)を好きになったりする。

 その操作した記憶さえ、思い出さないようにしてしまうことができる。
 そうやって僕は僕を作って生きてきたのだけれど。

 最近、その仕組みに綻びが認識できるようになった。
 時限性だったのか、条件性があったのか、単なる脳の老化なのかはわからない。

 ではその「操作の前の僕」が本来であったとして、いきなり「そこ」に僕が戻っても、やはり僕などいないのである。

 ここまできて、それらの改変をすることを決定し、その結果も含めて時間を過ごしてきた僕が、僕なのである。

 たとえば壊死した部位を切断しても。
 あるいは余剰の悪性新生物を除去するにしても。
 生き残ったものが、僕のカタチであって、僕である。
 切断しなければ生きられなかったのだとすれば、全滅か変化かを他の誰かが決める前に、自分で選んだほうがよい。

 僕にとって、僕は、いまだに得体の知れない存在ではある。
 つまりそれは、他のすべても、やはり得体の知れないままの存在だということなのかもしれない。

200607

 晴れ。
 僕にとって、合法的なブースタがある。
 カフェインである。

 14歳の頃から過剰摂取をしていたためか、一般の人からすると「まったく眠れない」レベルがちょうどいい。
 そうでもないと眠ってしまう。

>>>

 姉の家から猫を引き取る。

 今回の入院が最後でもう会えないかもしれない、という経験を、子供の頃から、父上で何度も経験したためだろうか、それとも2人を分かつ死が、死そのものが僕の恋人だからだろうか。
 誰かの死の予感や、死の可能性について、僕は何を感じることもできなくなってしまった。
 あるいは死が、本当にその人に訪れたときも。

 生きているその人を、僕はどれだけ知っていたのか。
 生きていたその人と、僕の関係は僕の中に残って。
 生きていないその人との関係は、新しくそこに産まれたばかりだ。

>>>

 家に着いて6匹の猫に囲まれ、ぐったりしていると、妹からメール。
 母上(20年ほど前から長女の家で暮らしている)が、肺がんであるらしい。
 ステージ4であるらしい。
 年齢的に、進行は遅いだろうけれど、片足が不自由になって、いくつか転移の可能性もあるようだ。

 母上とは、出生から約5年ほど、共に暮らした。
 両親の離婚後も、ある時期からは自由に行き来することがあったが、僕は両親から躾も教育も、さほど受けなかった野蛮人である。
 親元にいたい気持ちより、早く自立することを僕自身が望んでいたから、なんというか、親戚に顔を合わせるような、そんな親子関係だった。

 今年も誰かが、鬼籍に入るのだろうか。
 何ともいえない気持ちで、下半期に差し掛かろうとしている。

 僕についていえば、社会から隔絶されていてちょうどいいくらい独りには慣れているし、死にも慣れている。

>>>

 そういえば昨晩、ホトトギスの鳴き声を久しぶりに聞いた。
 この町にもいるのかと驚く。きっと裏の、田んぼの中の森だろう。

 大人になってからの僕の子守唄であり、あれを聞いているととても安心する。

 すべての人の眠りが、微笑みに値するものでありますように。
 ぱやぱや運動をしてから、驚くほどの速度で腰部付近に筋肉がついた。
 もっとも僕は毎日ワークアウトするような勤勉な性格ではない。
 1箇所(あるいは1エリア)につき、2日から3日に1度するだけである。
 負荷を大きくかけるより、早く動かすことに重点を置く。
 また、1日に何セットもトレーニングしない。
 面倒だからであり、だいたい1セット。多くても2セット。3セットしたら多分、次は3日後である。

 いわゆるプランクと呼ばれる運動に使う筋肉が強化されたように思う。
 プランク運動は基本的に姿勢を保持するものだが、ぱやぱや運動なので動かす。上述のとおり、大きな負荷ではなく、速く、動かす。
 とてもじゃないが運動中の風景など見せられたものではない。
 マットか座布団を組み伏せて腰を素早くひたすら健気に振っている姿を誰かに見られようものなら僕は自殺しかねない。

 サイドプランクの運動も、動かして行う。
 これは全くぱやぱやっぽくないのだが、ぱやぱや運動のついでに思いついたので、ぱやぱや運動のセットである。

 腰部と下腹部の筋肉が発達した結果、僕のウエストを、外から内から、脂肪が圧迫する。
 スラックスのウエストは、今までないほどぱつんぱつんである。
 また胃袋の膨満感が凄まじく、食事をわずかに摂れば苦しくなる。

 一週間ほどして、多少はウエストや大腿部が細くなってきたが、とにかく空腹にならないので、今までどおりに食事を作って失敗をする。

 叔母の家には体組成計はおろか体重計すら見当たらない。
 おそらく体重は、増加しているだろう。

>>>

 一週間ほどのうちに、猫が2匹増えた。
 妹(の友人の友人)がくれたアヲのあと、姉が、産まれた子猫の半分をおまえにやろう、などとドラクエの魔王よろしく囁きかけてきた。
 どうせそのままにしておけば、姉の家で飼育崩壊が発生するのは目に見えている。
 何せ彼女は指定難病に罹った身障者である。
 身障者だから多頭飼いができない、と言う気はないが、いかんせん生活保護受給者である。
 猫を飼うことにそもそも問題がある。

 そのようなわけで猫が3匹になった。




 さらに明後日、姉が急遽入院することになった。
 治験薬キットが切り替わったのだが、うまく合わないらしい。
 継続性の注射器を利用した投薬を数日行えないでいるため、具合が悪いのだとか。

 余命宣告はとうの昔に過ぎてしまっているから、誰も今後を予測できない(笑)。
「(笑)」と付けてしまうあたりが、僕らしい。

>>>

 そしてその、姉の入院に伴い、姉の家の猫を預かることになった。
 その数じつに3匹。
 倍である。

 もうやめてくれ、とも思うが、無碍にできるものでもない。
 将来的に、全員の避妊手術をすることを考えると、こちらが飼育崩壊を起こしそうである。
 定額給付金では足りそうにない。

 働こうかな(しみじみ)。

>>>

 猫たちは僕の生活に合わせて、あちらこちらを移動する。
 車での移動も、お風呂も、定期的な部屋の変化にも慣れつつある。

 たた。6匹にもなる猫を連れて移動などできないし、家を数日空ける日常は送れないことになる。

 姉の退院時期は不明だ。

 つくづく、憂鬱である。

200525

 こたつがある。
 察するに、20年以上は使われているようである。
 ヒータユニットは一度くらいは交換されたのだろうけれど、いかんせん使用者は工学の知識に乏しかったようで、被覆が劣化し、あわやショート寸前のところ、圧着端子による突貫工事で冬を越した。

 堀こたつである。
 重厚なそれの大掃除をすべく、テーブルユニットを動かした(とても重い)、そして派手に落下した。
 どうやら叔母夫婦も同じことをしたことがあったようで、テーブル本体のストッパと、穴(堀こたつの、堀の部分)にある電源コンセントにひどい破損を見つける。
 実のところ、テーブルを安全に移動させられる方向があるのだが、どう見ても(破損状態から)2回以上落としているようなので、まぁ、そんなものかな、と考える。

 ストッパは木材にネジ留めされた鉄板なのだが、ネジ部を起点に材料が破断し、それを接着剤で固定して使っていたようだ。
 掛かる力を察して処理してほしいが、工学の知識に乏しいのだから仕方ない。
 再破損した部分は破棄して、別の穴をドリルで開けて、固定した。

 スノコが下にあるのだが、これも破損部位を強引に固定しようとして、材料を傷めていたので、ステイになる鉄板を当てがって、ネジ留めし、ヒータユニットは買い直すことにした。
(なんとなれば、この家にもうひとつ、アパートにもひとつ、こたつがあるのだから)

>>>

 今日は朝からアヲ(飼い猫です)が大暴れだった。
 僕を親と認識したのか、やたらと噛みつくことが増えたし、視力が向上したのか、走り回ってはケージの上段に飛びつこうとし、失敗してはうにゃうにゃ話していた。

 僕が叱るとはっきり分かるらしく、たいていは動作を停止する。
 呼びかけに応じることが増えて、ひょこひょこ歩きながら喉を鳴らす。
 足元に寄ってきて、にぃ! と鳴いて、手をかけたりする。
 悶絶して死なせる気か。

 自動車で2時間近く移動することもあるので、生活の基本はキャリーケースである。
(トイレと餌場とベッドを、タッパと膝掛けで設えたカプセルホテル風にも見える)

 運転中、たいていこのケースの金網をかじっては激しく文句を言う。要はうるさい。
 目が見えなかった頃は、静かに寝ていたのだが、視力の向上は、抱き方の好き嫌いも、お風呂の耐性も、自動車慣れも変えてしまったようだ。

 会社員の頃もよく乳児猫を育てたが、当時は僕の生活に完全に合わせてもらって、早朝起きてミルクをあげて、トイレをさせて、暖かい場所で寝かせてから会社に行き、なるべく早く帰宅した。
 今回は、僕の都合に合わせてもらっているのは同じだが、長距離移動もお風呂も一緒に過ごす時間がある。(親と間違えるようになるわけである)

 叱るとき、警戒音や威嚇音で訊かなければ、叩いたりするものの、すぐに分かってくれるのでストレスが少ない。私の育て方が上達したというよりは、もともと賢い子なのかもしれない。
(バカな部分はたくさんあるが)

>>>

 ミルク皿に後ろ脚を突っ込んで、あちこちミルクまみれになったので、今日はお風呂。
 僕の長風呂に付き合って、窓辺で眠ってしまうのであった。



 嗚呼、可哀(あわれ)なる猫よ。
 この先、水浸しの泡まみれになる運命を知るのは私だけなのだ。

(どっぷーん!)

// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200513
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
封印再度の夢の中
SUBTITLE:
~ Who inside on your dream. ~
Written by Bluecat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 0513

 1匹残っていた猫が脱走したのは数日前だ。
 だから、僕の家には猫がいなくなってしまった。

 正直なところ、飼っている動物が死んだり、居なくなったりした場合、僕だって落ち込む。
 ただ他の人と比較して、周囲をざっと見回した範囲と比べてみても、僕は、ほとんど何も感じていないレベルにしか落ち込んでいないように観察される。
「しらたき」が、掃除機の取扱いについての私とのケンカの果て、家出をしてしまったことも。
「ラキシス」が、集合住宅の鉄製の重いドアに挟まれて死ぬことを看過してしまったことも。
「マックス」が野性に返ることを決定した日も。

>>>

 生まれ落ちるそのときよりも多く、猫の死や不在を味わってきた僕にとって、確かにそれは「またか」と思う部分でもあり、他の人と比べれば回数を重ねているぶんだけ慣れてしまってもいるし、ついでに僕はもともと無神経な方(「かた」と読むと味わい深い)だろうとも思う。少なくとも、コモンセンスとの共通点をあまり持たないのは疑いようのない事実だ。
 それでも少しだけ、落ち込むし傷つく。

 死んだ猫の名前を挙げればキリがなくて、僕はそのたびに記憶の箱をほじくり返しては、余計なものばかり目にすることになる。

 その痛みは、自分の玩具がなくなってしまった痛みでもあり、猫にさえ必要とされない、猫を育てる役にも立たない、猫にさえ忌み嫌われる自分を認識する痛みでもある。
 それでも自己憐憫を僕は嫌うから。
 自分に価値がない可能性なんて考えていたってどうしようもないからせめて。
 料理を作ったりして、庭木の手入れをしたりして、少なくとも自分自身の役には立てるのだということを証明しようとする。

>>>

 死んでゆくもの。
 僕のもとを去るもの。
 それらすべてが、僕の中の空洞に乾いた音を立てる。

 お前は無力だ。
 お前は役に立たない。
 お前は価値がない。

 他人に対して/現実に対して。

::だから、あなたは、孤独で。
::だから、どこにも、味方がいないんじゃないの?
::だから、どこにも、居場所がないんじゃないの?

>>>

 匣に封をするように。
 僕はある時期から、猫に名前を付けなくなった。

 そのインデクスは、僕に特定の記憶を参照させる。
 僕に特定の感情を想起させる。

 その記憶の向こう。唐突に。漆黒の断絶が現れるから。

>>>

 猫だけではない。
 人もそうだろう。
 ただ、人の名前は「僕が名付けない」選択肢を持たない。

 彼ら/彼女たちは、誰かの祝福/呪い/エゴの発露/偶然の顛末として、名前という記号を、すでに持っている。
 僕が自身に付随するはずの記号のいくつかを次々失っているのとは対照的に、より強固に、あるいは項目を増やしてさえいる。

 だから本来、人と接して、親しくなって、記号を交換して、それを記憶してゆくのは、僕には嬉しいことである以上に、恐ろしいことなのだ。

::その記号はいつか。
::失われ。
::かつての記号と同じように。
::匣の封を、内側から。

 激しく打ち据えるのだ。

::あなたに、どれだけの価値があるの。
::あなたは、わたしの役に立つというの?
::あなたは、存在に値するの?
::あなたにとっての記号と同じように。
::あなたが記号にしてきたように。
::無意味なものとして。無価値なものとして。
::誰もあなたを記憶しないのではないの?

>>>

 だから僕は、いくつかの記憶を失っている。
 ときどき整合が悪くて、周囲の人より先に、自分が不審に思う。
「ああ。匣だ」と僕は思うけれど。
 言葉にもしないし説明もしない。

「あなたがた」は大切なものに名前を付けることができる。
 僕は、名前を付ける資格さえなくて、どんな名前も呪いになってしまう。

 まさか多くの人は、匣の中の記号が、悪魔のような呪いを連れて出てくるとは思っていない。
 自分の中に匣があることさえ、知らないかもしれない。

>>>

 13日に、たまたまweb上の日記を見たら、星座占いが1位になっていて、
「ずっと手に入れたかったものが手に入る」とかなんとかとあったので、しばし考えた。
 僕が欲しいものなんて、ほとんど何もないのだ。

 たしかに、戸建ての家のweb環境であるとか、新しいMacであるとかは欲しい。
 しかしそれは「手に入る」類のものではないように思える。

 つまりガールか。
 また新しい恋人が増えるのか。正直悲鳴を上げてもいい頃だろう。もうやめてくれ。これ以上ボクを滅茶苦茶にしないでくれ。いやしてもいいけれど、ちゃんと責任とってよね!

 そんなことを思うか思わないかのうちにすっかり忘れ果てて(当たり前だ。そんなものは所詮、占いなのだ)泥のようにアパートのベッドで溶けていたら、妹からメールが来た。
「今日遊びに行ってもいい?」
「いいけど今はアパートの方にいて、しかも猫が逃げたから、猫と遊べないよ
「え? じゃ、新しい猫飼う?!」

 ……。
 はい?

 その後、とんとん拍子に話が決まって、その日の午後には新しい猫がやってきた。


 離乳しきっていない、仔猫である。
 数日後、やわやわとした桜色の耳を持つこの子は、目が蒼いという理由で「アオ」と、姪によって命名された。真面目な話、ダジャレではない。

 ちなみに、当たり前だけれど、僕のIRLの知り合い/友人/恋人/血縁者、いずれも、僕が青猫工場を運営していることは知らない。

>>>

 仔猫を育てるなんて、10代のガールをテゴメにするより簡単である。
(正直にいえば10代のガールをテゴメにした経験がないので分からないが、多分、仔猫を育てる方が簡単だろうと想像する)

 めちゃくちゃ可愛くて、日記を書くことが出来なかった。
 目が見えていなかったのでなおさらである。目が離せなかった。
 久しぶりに粉ミルクを作るのも新鮮だった。

 昼も夜も買い物もお風呂も一緒である。
 あれか。天使か、すなわち天下りか。
 あと、アカウントに不正アクセスされたので、コメントの返事すら出来なかった。








// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -工場長-/-黒猫-/-BlueCat-/-銀猫-

[InterMethod]
  -Blood-Darkness-Diary-Ecology-Interface-Life-Love-Memory-Stand_Alone-

[Module]
  -Condencer-Generator-Resistor-

[Object]
  -Cat-Human-Memory-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-ひとになったゆめをみる-





//EOF