200616

 晴れ。
 燃えるゴミの日なので、きちんと朝、目覚める。
 この一年、目覚ましを使う機会がほとんどなくなった。
 たいてい予定がないし、普段からよく寝ているので予定のある日は、前日から睡眠が浅くなる。
 仮に深く眠っていても早く目覚めてしまうから、目覚ましを掛けているのに目覚めてしまう。
 疲れていることも少ないので、起きてしまう。
疲れたらまた眠ればいいのだから気にすることもない。

 ゴミ出しをして、草取りをして、除草剤を撒いて、みかんの実をすべて取り(新しい実ができ始めているので)、裏庭の大きな木を切る予定でTU(古くからの友人)から借りたチェーンソウの点検をする。気乗りしないから、まだ切っていない。

 カラスエンドウを除草したのだが、そのあとにびっしりと猫じゃらしが繁茂した。
 お稲荷様は寂しがりか。
 下草が枯れたらチェーンソウを使おうと硬く誓って除草剤を撒く。

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 午後はいつになく、気に入っている蕎麦屋に昼食。じつに満足である。
 それから母上のお見舞い。
 10年近く会っていなかったろうか。
 母上については以前も書いたが、深い感慨などはない。
 憎んでもいないし、過剰に好いているわけでもない。でも慕わしいとは思う。いくつになっても母上は母上だからだろう。父上がそうであったように。
 見舞いの時間は10分の規定だが、ちょっと(3倍を、ちょっと、と呼ぶならば)長くなってしまった。次は気をつけよう。

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 ちなみに昨日は午後5時に起きた。
 弟子から電話が来たときにそれを話したら
「猫氏、大丈夫ですか。それはダメ人間なんじゃないですか」と叱責される。
 こう言ってはなんだが、午後5時に起きる立派な人間も、普通の人間も、きっとたくさんいる。
 夜勤の人などなら午後5時に起きなくてはならないかもしれない。
 つまり午後5時に起きることと、人間の立派/ダメ加減は相関性がない。
 起きる時間よりも、睡眠時間をきちんと確保していることこそが自己管理の基本であるから、そこから判断すべきだと諭す。
 弟子は納得がいかなかったようで、
「では猫氏、何時に寝たのですか。何してその時間まで起きていたのですか」と問うので猫氏の応えて曰く、
「午前4時頃、ゲームに飽きてきたから猫と遊んでいるうちにうとうとしてきたので眠った」と。

 弟子の激昂して曰く「それダメ人間を通り越してクズじゃないですか! 大丈夫じゃないですよ! ちゃんと人間らしく暮らしてください!」と。
 あにはからんや。

「吾輩は猫であるぞ」と猫氏の応えて曰く。
 弟子の嘆息が電話機の向こうに長く響くのであった。

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 夕刻、買い物をしてから帰宅し、アラビアータソースを作る。
 ロングパスタなんてガキの食べ物は口に合わない(わけではないが、ほとんど買わないのだよ)ので、ペンネをはじめショートパスタが貯まりがちである。
 全粒粉ペンネが特に好きである。
(白米といい、精製された炭水化物が合わないのだろう)

 ソースを作りながら、冷蔵庫内を片付けて(散らかっていた)、食器を洗い(昨日は食事らしい食事はしなかったので、一昨日くらいの洗い残しである)、ゲームをし、ワークアウトをし、ソースが仕上がる。

 ニンニクと玉ねぎと、トマトと唐辛子とコショウとオイルでできた、シンプルなソースである。
 トマトソースにしなかったのは、アラビアータしか食べないだろうと予測がつくからだ。
 クリームやトマトクリームは外食で食べるものだと思っている(だいたい「クリーム的」なものでしかない)が、外食のときは塩味かトマトソースである。店の味が分かりやすいから。
 家でクリームは、ちょっと重い。
 小洒落て、皿の中央にしゅっと、数口ぶんのそれを作れればカッコも付くが、ガールに頼まれでもしないとコースは作らない。
 大皿でシェアして食べればよいのだ。
 かようにがさつな男である、私は。

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 日記風しばらく書く気にもならなかったのは、人疲れと、猫疲れである。
 預かっている親猫が、網戸を破壊し(破いただけではなく、外した)、障子だったものを過去形にし、家出し、妹が連れ戻した翌日に網戸を再び破壊し、なんとか連れ戻したら家の中で、嘔吐をするわ糞尿を畳でするわで疲れたのである。

 人間疲れは、基本的に正義アレルギィか自己顕示欲アレルギィか独善アレルギィである。
 僕は自分が正義や自己顕示欲や独善を誰かに振りかざしたときも、もれなくアレルギィを起こして数日、引きこもる。
 誰かから押し付けられたそれによっても、ときどきアレルギィは起こる。
 もっとも、単なる開示(強制ではない)場合は、それはその人の価値観であるから尊重できる。
 僕は嫌いな蜘蛛を好きになれるほど、柔軟で、寛大で、ノータリンである。
 他人の価値観に侵食されたりなど、本来はしないのだ。

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 経済というイキモノについて、つらつらと考えている。
 毎日、アタマが空いているときに、数分は考える。
 あのイキモノは、虚と実がある。
 ネット上の青猫と、IRLの猫氏の違いくらい、虚と実がある。
 玉と石も混交している。
 そしておそらく、寿命がある。

 復讐して息の根を止めたいなら生きているうちに、であるし、とりあえず滅びるのを待ってもいいだろう。

 永続すると思わせる手法は、ネットゲームにも似ている。
 ステータスはインフレを免れないし、胴元がいるなら緩やかにでもインフレさせないとサービスが成り立たない。
 ユーザに盲信をさせてきた綻びは、もう私のようなアンボンタンにも見てとれる。

 サービス終了後に、別のゲームにみんなが熱中してくれればよいが。

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 僕はこれまで、腹筋や大胸筋を鍛えることをしてこなかった。
 なにかこう、これ見よがしに鍛えている人たちを見て、その自己顕示欲にアレルギィを起こすからである。
 僕はナルシストではあるけれど、他人に誇示する趣味の悪さは持ちたくない。
 肉体なんて、みんな持っているのだ。
 自分のそれを愛でればいいではないか。
 だから、他人にそれを誇示する必要を僕は感じないし、他人に誇示したとすれば己のその行為を醜く感じる。

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 ちなみに日記は自己顕示欲の現れの一つである。
 世に棲む猫どもは、吾を崇め奉れと、内心ちょっと思っている。

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 ドロップハンドルの自転車に乗るうちに、腹筋や、腕の筋肉や、大胸筋の意味に気がついた。
 上体を保持する上で、背筋より有能で、脚の力を伝達する上で、なくてはならなかったのだ。

 それに、長らく上体前面の筋肉なんて鍛えなかったため、外観が貧相にも思えるようになった。
 何もかもを年齢のせいにするのは嫌いだが、年相応を自覚しないのはもっと嫌いである。

 若いうちは、その瑞々しい肌を隠すように(誇示するのは独善的ではしたないからだ)、老いてはその衰えた体躯を隠すものだろう(誇示するに足るものでもそうなら、貧相であるならなおさらに)。

 もっともそんなことを言いつつ、温泉などにゆくと、僕は身体を隠すことなく歩き回ってしまう。
 大丈夫、誰も僕の体など眺めたりはしない。
 ちょっとときどき猫っぽかったりするだけだ。

 そのようなわけで、腹筋やら大胸筋やらも、貧相を抜け出して、自転車で走りやすい程度には鍛えるつもりである。
(誰にも見せないので口から出まかせかもしれないが)

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 そういえば、今日は初自撮りをした。
(過去の分も含めて自分の写真を持っていないし、撮る気になることもないので特別なことである)


 ヒトの着ぐるみを着て、庭仕事をしている格好である。
 弟子に「ダメ人間」と罵られたとき、
「ちゃんと庭仕事をしているのだ」と証明するためのものである。

 どう考えても、この炎天下に現れた不審者ではあるが。

 ちなみに飽きたら消す。