200607

 晴れ。
 僕にとって、合法的なブースタがある。
 カフェインである。

 14歳の頃から過剰摂取をしていたためか、一般の人からすると「まったく眠れない」レベルがちょうどいい。
 そうでもないと眠ってしまう。

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 姉の家から猫を引き取る。

 今回の入院が最後でもう会えないかもしれない、という経験を、子供の頃から、父上で何度も経験したためだろうか、それとも2人を分かつ死が、死そのものが僕の恋人だからだろうか。
 誰かの死の予感や、死の可能性について、僕は何を感じることもできなくなってしまった。
 あるいは死が、本当にその人に訪れたときも。

 生きているその人を、僕はどれだけ知っていたのか。
 生きていたその人と、僕の関係は僕の中に残って。
 生きていないその人との関係は、新しくそこに産まれたばかりだ。

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 家に着いて6匹の猫に囲まれ、ぐったりしていると、妹からメール。
 母上(20年ほど前から長女の家で暮らしている)が、肺がんであるらしい。
 ステージ4であるらしい。
 年齢的に、進行は遅いだろうけれど、片足が不自由になって、いくつか転移の可能性もあるようだ。

 母上とは、出生から約5年ほど、共に暮らした。
 両親の離婚後も、ある時期からは自由に行き来することがあったが、僕は両親から躾も教育も、さほど受けなかった野蛮人である。
 親元にいたい気持ちより、早く自立することを僕自身が望んでいたから、なんというか、親戚に顔を合わせるような、そんな親子関係だった。

 今年も誰かが、鬼籍に入るのだろうか。
 何ともいえない気持ちで、下半期に差し掛かろうとしている。

 僕についていえば、社会から隔絶されていてちょうどいいくらい独りには慣れているし、死にも慣れている。

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 そういえば昨晩、ホトトギスの鳴き声を久しぶりに聞いた。
 この町にもいるのかと驚く。きっと裏の、田んぼの中の森だろう。

 大人になってからの僕の子守唄であり、あれを聞いているととても安心する。

 すべての人の眠りが、微笑みに値するものでありますように。