// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200501
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
彼女は僕のまばゆい恋人。
SUBTITLE:
~ She is cool, and so fantastic. ~
Written by 黒猫

// ----- >>* Lead Division *<< //


::髪、切ったんですね。一瞬、わからなかったです。




// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 恋をしている。

 僕の現実世界の境界は/この薄っぺらな皮膜、人間の/皮膚でしかなくて。
 そのインタフェイスを通して、僕は彼女を知った。
 なんでもない関係 ── のはずだった。

 彼女のことは知っていた。
 でも友達ですらなかった。
 通りすがりの、顔見知り以下のものだと思っていた。
 恋愛対象として考えたことなんて、もちろんなかった。
 ある冬の夜、彼女が僕に、特別な話をするまでは。

>>>

 はじめて恋をしたのは冬だった。

 だから、僕にとって、冬はいつも、いつでも、いつまでも特別なものだ。

 まるで幼なじみであるかのように、気が付けばいつもそこにいて。
 あるときそれが特別であることに気づかされる。
 もちろん、時には嫌いにもなる。厭にもなる。つらい思いをしたこともある。
 でも、それでも。
 どうしようもなく惹かれてしまうから。
 だから僕は恋をしているのだと気が付いたのだ。

 彼女の匂いが好きだ。
 秋の終わり、肌寒い午後の風に乗って、これから君のところに行くからね、とそっと知らせる声のような。
 乾いた、埃っぽい、寂しげな、はずむような、匂い。

 きらきら光る彼女が好きだ。
 惰眠を貪る僕を責め立てるように、カーテンから差し込む朝の下の隙間を潜って部屋にやってくる。
 そして僕をなんとか起こそうとする。
 もちろん僕は起きないので諦めて、そっと彼女は背中にひっついて眠る。

 彼女の空気が好きだ。
 凛とした佇まいのことが多いのに、ひなたでころころと笑うところなどは本当に無邪気だ。
 朝はきりりとしていて、夕方頃から正体がなくなる。
 それでも彼女を取り囲むように、人々が、ぬくみを持ち寄るから。
 だから彼女とそのまわりはいつもあたたかな雰囲気が漂っている。

 夜の彼女が好きだ。
 深夜になると、ときどき、苛烈なくらい、冷たくなる。
 どうやってもあたためることのできないそれは、無力と孤独を僕に確認させる。
 人間だって不可抗力のように、そのありようを自然に支配されてしまうことがあるから。
 そういう人たちは僕の周りにたくさんいたから。
 だから僕は気にせず、彼女のそばに居続ける。
 僕はもともと冷たいから。これ以上、冷たくなることもない。

 彼女のいる景色が好きだ。
 雪の朝!
 凶暴に牙を剥く、光り輝くつらら!
 なんにもないのに、なんにもないから、ゆらめく光たち。
 我が物顔でこの世の生を謳歌する生き物たちの死に絶えた静寂。
 人間たちでさえ、太刀打ちかなわず、ひっそりと鳴りを潜める。

 遠くの鳥の声が、いつもよりくっきりと見える。
 星の光の瞬きが、ひそひそと聞こえる。
 月が誇らしげに、闇を映す。

>>>

 冬の匂いが好きだ。
 冬の光が好きだ。
 冬の空気が好きだ。
 冬の夜が好きだ。
 冬の景色が好きだ。

 僕は冬に恋をしている。

>>>

 彼女は比類ない美しさで、世界をぬりかえてゆく。
 彼女が美しいだけではなくて、彼女の触れるすべてが美しく変わってゆく。
 それは彼女が美しいからなのか、それともそれ以外が美しいからそう思えるのか、分からなくなるくらい。

 彼女は圧倒的な寂しさで、他を寄せつけない。
 彼女が孤独なだけではなくて、彼女へ至るストーリィと彼女がもたらす未来が、生命に満ちているから。
 孤独の断崖/死の谷底/彼女そのもの。
 彼女の孤独は、この僕をしてさえ付け入る隙が見つからない。

 光も、水も、空気も。
 人も、建物も、街灯さえも。
 彼女の力で姿を変えてゆく。
 彼女のために姿を変えてゆく。
 まるで彼女だけが、この世界では特別な何かであるかのように。

 でも移り気な彼女は、いつも僕のもとを去ってしまう。
 僕の気持ちなんておかまいなしで、彼女の都合で別のところに帰ってしまう。
 まるで僕以外の誰かのところのほうが、彼女には心地よく、相応しいかのように。

 それでも、僕は、彼女の冷たさにいつまでも惹かれていて。
 だから彼女がやって来るのをただただ待ってしまう。
 彼女の他の待ち人についても、それはそれで彼女に必要なものであろうと許してしまう。

>>>

 今は春。
 大嫌いな春が終わって、また大嫌いな夏に向かう。

 窓の外は、僕の目には苛烈な眩しさで。
 まるで一面銀世界のようにホワイトアウトする。
 白抜きされた視界の中で、飛蚊症の雪が降る。
 僕は彼女の幻に酔う。

 もうじき夏なのに。
 まだ/もう/彼女のことを考えている。

 時間が平衡を失う。
 未来と過去が意味を失う。
 自分という点が、存在を失う。
 眩惑が、光を嫌うこの目に刺す。

 射抜かれて落下する飛翔体のように。
 方角すら見失う。

>>>

 はじめて恋をしたのは冬だった。
 まるで幼なじみであるかのように気が付けばいつもそこにいて、あるときそれが特別であることに気づかされる。

 僕は冬を見上げる。
 彼女の冷たさは、いつも優しい。

 僕は冬と手を取る。
 彼女の吐息は、いつも白い。

 僕は冬を見つめる。
 彼女の笑顔は、いつもまばゆい。

 僕は冬を見つめる。
 彼女はいつもそこにいる。

 僕は冬に恋する。
 僕はずっと恋をしている。

 僕は冬に恋をしている。








// ----- >>* Escort Division *<< //


::女なんて男出来るたび髪型変えるわよ。




// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
 引用は、
「第19話 線路沿いの道」(p.108)
 From
「四月は君の嘘 第5巻」(著作:新川 直司 / 発行:講談社)
 によりました。




// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Parallel Line ]

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -工場長-/-青猫α-/-青猫β-/-黒猫-/-BlueCat-

[InterMethod]
  -Color-Eternal-Love-Season-Stand_Alone-

[Module]
  -Connector-Generator-JunctionBox-

[Object]
  -Camouflage-Cat-Memory-Night-Poison-Winter-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-衛星軌道でランデヴー-:-ひなたぼっこ-:-夢見の猫の額の奥に-:記憶の切片



//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200505
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
200505
Written by Bluecat

// ----- >>* Lead Division *<< //


::渡がモテる理由がなんとなくわかった。
::おうよ、好きなコたくさん。




// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 0730起床。
 昼まで眠る気にならなかったのは、燃えるゴミのせい。
 あと、

 昨晩は0200頃には眠くなって眠ってしまった。
 寝室が遠い。
 この家は、台所も玄関も寝室も遠い。
 お風呂とトイレが中心にあるかのような動線。
(実際、アクセスルートが多い)
 それ自体に文句はないが、台所が遠いのは非常に面倒である。
 壁を打ち抜いてひとつながりの部屋にしてやろうかと、真剣に悩むことがある。

 ゴミを出してから、庭の草を眺める。
 叔母は花の好きな人で、そのかわり、たんぽぽなどは容赦なく雑草扱いした。
 表の庭の花壇は、ざっと草を取るだけで様々な、名も知らぬ花が咲き、その様は絢爛で可憐で、花など知らない僕でも、思わず目を留め足を止めてしまう。

 その一方で裏庭のお稲荷様は荒れ果て、両脇を固める木の枝は、何かの病に罹っているらしく、縮れて変色しているし、椿の葉には艶がなく、花開くことのないまますべての蕾が枯れている。
 多くの人はきっと、そんなふうに、己の闇に滅ぼされてしまうのだろう。

>>>

 恋に落ちた。

 以前でこそ引く手アマタであったが(諸般の事情により)恋愛自粛歴数年のワタクシである。
(お風呂の誘いに乗ったりするがな)
 人間不信の道を歩むことに決したワタクシである。
 なので恋に落ちた翌日、またアパートに篭った。

 経験上、恋に落ちたときに大事なことは2つしかない。
 冷静にならないことと、アタマを使うこと。
 ただまぁ今回は相手が二次元だし、死んでいる(ストーリィ開始時点では生きているが、完結した時には死んでいる)ので、熱量を適切にコントロールしながら、ぽぉ〜っとしている。
 夢なんて記憶していないのに、夢の中で反芻してぽ〜っとしていたなぁ、と思う。
 余韻が、思考に残っている。

 夢の中でも、人に顔がないことが多い。
 いかんせん思い出せないのである。
 声も顔も分からないまま、僕は個体を識別する。
 識別して、ぽ〜っとして、寝起きは余韻に浸ってしまう。

 ムダに早起きをしてしまったのは、そのせいである。

>>>

 死ぬヒロインを持ち出すのはズルい、と僕は思う。
 それはストーリィテリング上の、不問律として、ズルだと僕は思ってしまう。
 非難しているのではない、単に、印象付けの手法として強烈だから、強く印象付けられてしまうその作用をして、ズルいと思うのだ。

 無論、若ければその先、もっと色々な物語によってその印象は薄れてゆくだろうし、齢を重ねれば、僕より醒めた視点で作品を批判したりもできるだろう。
 僕はシンプルに、物語の世界と登場人物に心を寄せて、そのフィクションを体感して、それをひとつの現実のように自分の中の体験とすることができるから、だから単純に、僕は登場人物に恋をする。
 しかもそのヒロインは、2巻あたりで「明らかに死ぬ」予感をさせる。
 だから余計に、そんなはずはないと祈るように読んでしまう。
 当たり前だ、その破天荒な美少女はヒロインなのだから。
 そして死んでしまう。

 死によって閉じてしまった悲恋の環には、もう誰も入ることができない。
 迷い込んでいたものは、出ることができない。
 だからズルいと言っているのだ。

 忘れられないような方法で物事を失うことはある種の暴力ですらある。
 深傷は血を流し、強く脈打つ。
 その痛み、その脈動。
 喪失されたもののありようを、刻みつける。
 そのうえ彼女は「忘れないでね」と言ってくるのである。
 その残酷さ。

 女の子なんて星の数ほどおるけん、私のことなんかはよ忘れや。
 と言わない残酷さ。言わせない冷酷さ。

 ヒリヒリするほどの、切望。

 その痛みにアテられたので、アパートに篭ったのだ。
 猫が心配だから1泊で戻ってきたが。

>>>

 潔癖症の僕には、恋をしながら、誰かを憎むことができない。
 誰かを大切に思いながら、誰かを貶めることができない。

 だからこそ、誰かを憎むときは徹底して、世界を焼き払う憎悪によって日々起きたり寝たり昼寝したりするのである(寝てばっかりじゃねーか)。

 恋なんかしたら終わりである。
 憎悪をもって世界に呪いを蔓延させる怒れる魂としては、完全なる堕落である。
 地獄の世界に帰れなくなってしまう。
(デビルマンか)

>>>

 ゴミ捨てのあと、庭の謎柑橘の木の枝を落とす。
 花の蕾から、切り落とした枝の断面から、柑橘系の、優しく、目覚めるような、鮮やかな香りがする。
 ノコギリと、枝切り鋏を振り回して、汗にまみれる。
(長袖のジャンプスーツに、タオルを頭に巻いて、防塵メガネとマスクと軍手をしているから、当然なのではあるが)

 お稲荷様の、両袖の木も、枝を落とす。

>>>

 僕が20年以上連れ添ったポインセチアを見殺しにし「あなたの持ってきたあの鉢植え、枯れて邪魔だからなんとかなさい」と吐き捨てたのも叔母である。
 師匠にもらって、師匠が姿を消してのちも、ときに大事に、ときに放置して、僕が眠り続けた日々さえも共に乗り越えてきた、ポインセチアを。

 もちろん僕は勝手に持ってきただけだ。育ててくれとも頼んでいない。それがどんなに大事なものだったかも説明してしない。
 ぱっと見て、目を引くようなところなど何もない、みすぼらしい老木の鉢植えだった。

 身勝手な理由で、人は生き物を殺す。
 人を愛するのも、身勝手な理由だ。

 己の闇が身を滅ぼすといっても、最初から闇に順応している僕のようなイキモノもいる。

 だから妹にひどい仕打ちをしたことも含め、僕は死してなお叔母を許さないつもりなのだが。
 僕の気質はこの通り、どんな怒りも憎しみも、半年足らずで気化してしまうようだ。

>>>

 メザシを焼いて昼ごはんにする。
 メザシ焼きの道は、奥深いのである。

 僕は今、恋をしていて。
 結局まだ、ぽ〜っとしている。








// ----- >>* Escort Division *<< //


::だって彼女は渡が好きなんだよ。僕を好きになるハズないよ。
::そんなのカンケーねえじゃん。
 心魅かれるコに好きな人がいるのは当然。
 恋をしてるからそのコは輝くんだもん。
 だから人は ── 理不尽に恋に落ちるんだ。




// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
 文頭文末の引用は、
「第3話 黒猫」(p.129-131)
 From
「四月は君の嘘 第1巻」(著作:新川 直司 / 発行:講談社)
 によりました。






// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -黒猫-/-BlueCat-

[InterMethod]
  -Blood-Color-Diary-Eternal-Love-Recollect-Season-Stand_Alone-

[Module]
  -Convertor-Generator-Reactor-Transistor-

[Object]
  -Book-Memory-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-衛星軌道でランデヴー-:-いのちあるものたち-:-ひなたぼっこ-







//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200502
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
200502
SUBTITLE:
~ Liebesleid. ~
Written by Bluecat

// ----- >>* Lead Division *<< //


::音楽家は師から学ぶ過程で生まれた違和感を大切にすべきだわ。
その違いこそ個性なんだもの。




// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 窒息するような日々だ。
 僕はそれを知っている。

 どこにも行き場のない日々。
 家にも居場所を見つけられない時間。
 時間が意味をなくす空間。
 空間に意味を見つけられない意識。

 世界の意味の何もかもが裏返って ──
 自分の意味も、居場所も、同じと思っていたものすべてがひっくり返って。

 誰が敵になったわけでもないのに ──
 味方はどこにもいない。
 僕とおなじものがどこにもいない ──
 僕は、ひとりぼっちだ。

 まだこの身体は小さいから。
 まだこの頭脳は未熟だから。
 だから僕は無力だ。

 居場所もないのに。
 味方もいないのに。
 僕はここにいることしかできない。

>>>

 母がいなくなった日のことを、僕はあまりよく覚えていない。
 学校で「あなたはオトコノコです」と宣告されたその年の、
 いつだろう。

 いつも寝ている寝室のドアのガラス。
 玄関から差し込む日差し。
 2匹いた犬は、数年前、一方は怪我をしてその後行方不明になり、一方は病死した。
 気がつけば猫たちも散り散りになり、家には動物がいなかった。

 暑くなかったような気がする。
 といって、春ではなかった。初めて背負うランドセルが重いと泣き言をいう僕からそれを預けられ「まったく」と笑いながら文句を言っていた光景を覚えているから。
 冬だろうか。秋だろうか。

 温度も、音もない世界で。
 ある日、母だけがいなくなった。



 だからその出来事は。
 時間を失って、僕の中で「時系列推定不能」のフォルダに収められている。

>>>

 僕が居場所を見つけられるようになったのは、多分、その年の冬から新しい年度にかけてだ。
 今までと違う家。今までと違う学区。今までと違う家族構成。今までと違う学年。

 そこで僕は初めて、フィクションの世界を知る。
 姉妹の誰か(あるいは両親のどちらか)が持っていた「星の王子様」を、引越す前の家から持ち出して、読み始めたのだ。

 もちろん、それまでだってフィクションのお話は身の回りに転がっていた。
 TVのスイッチを入れれば、ドラマもアニメも、歌番組もニュースも、遠くて身近なフィクションを教えてくれる。
 でもそれは、どれもこれも雑多で。美しさに欠けていた。
 楽しさや悲しみやドキドキやわくわくはあったかもしれないけれど、肌をヒリヒリさせるような痛みや、しんと静まり返るような、自分の呼吸の音の大きさに驚くような美しさはなかった。

>>>

 ── 現実世界にいいことなんてあっただろうか。
 自分の意味さえ裏返って分からない世界に?

 ── 身体のある世界に楽しいことなんてあっただろうか。
 手足のサイズも把握できず、味もロクに分からないこの身体で?
 ボクは、うまく走ることさえできないんだ。

 ── 生きていて楽しい?
 生きていない時の記憶がないから分からない。
(比較対象が存在しません)

 ── 死んでみたいと思う?
 生きていることが、この程度のものでしかないのなら。
 いつまでも、このままでしかいられないなら。

 ── 今は。楽しい?
 楽しいというのが、ボクにはよく分からない。楽しいって、どういうこと?

>>>

 無味無臭な現実世界の膜を破るようにして、そこには新しい世界が広がる。
「人物が書けていない」?
「世界観がはっきりしない」?
「リアリティがない」?
「テンプレート以上でも以下でもない」?
「設定に必然性がない」?

「薔薇は喋らない」
「箱の中に羊はいない」
「ウワバミに呑まれたゾウは帽子ではない」
「バオバブの木は小惑星を壊さない」
「そもそも星に王子様なんていない」

 本当に?

>>>

「人物が書けていない」
 あなたは自分が人間という人間の全てを知っていて、そのうえそれを描いたものを見たことがあるというの?

「世界観がはっきりしない」
 あなたは自分が含まれている世界をはっきり認識しているの?

「リアリティがない」?
 あなたは自分の肉体からの信号をだけ基準にリアリティを設定できるの?

「テンプレート以上でも以下でもない」?
 あなたの認識するテンプレートは、誰が作ったもので、どのようにテンプレートなの?

「設定に必然性がない」? 
 必然性しか許さない?

>>>

 ボクはフィクションの世界に棲むことを、7歳の頃から余儀なくされた。
 ボクはフィクションを感覚することで、自身のカラダの感覚のアンマッチや性別違和(より正確には男性嫌悪だが)、家庭環境について考えない方法を身に付けた。

 それは10歳まで続き、その間の記憶はときどき曖昧だ。
 僕は学校でいじめられもしたし、貧血で倒れたりもしたし、猫と登下校していたし、授業はいつもテンポが遅くて退屈だった。

>>>

 ── 生きていて楽しい?
 楽しくないよ。

>>>

 僕は現実世界の人間たちを、フィクション世界のそれと同じように感覚して記憶する。
 文字だけの世界で顔を持たない登場人物たちを、だから僕はそのまま、顔もないのに識別子を把握して記憶する。
 多くは「人間」として記号を持たされ、一定のテンプレートに沿って己を「人物描写」している。

 友人も、弟子も、過去の恋人も。親も、姉妹も、過去の自分さえも。
 僕にとって興味深ければサンプリングの対象で、意味がなくなればサンプリングデータさえ抹消される。
 もとより名前も画像データも、僕は記憶していないのだから。
 だって自分しかいない世界なら、名前も顔を覚える必要も、ないものだから。

 だから、今この瞬間、僕が玉ねぎの切り方を誤ったそのとき、自転車でバランスを崩して転んだそのとき、猫に噛まれた傷が痛んで6弦の力加減ができないそのとき、彼ら/彼女たちがどんなふうに僕に話しかけるかを(僕にとっては)完全に再現できる。

 実際に彼らといるときに、僕はそれを試す。
 僕はその先の僕のリアクションも計算する。
 計算を間違えていた時が、やはり一番楽しくて、一般には笑う場面でもないのに、僕にはおかしくてたまらない。

>>>

 だから僕はいつもひとりでいて、だいたいいつも楽しい。

 だから僕はときおり誰かといて、だいだいいつも楽しい。

>>>

 ── 今は。楽しい?
 楽しいというのが、ボクにはよく分からない。楽しいって、どういうこと?

>>>

 ずっと読みたかった本があったのだが、長らく(お金がなくて)買えなかった。
 先日、やっと注文することができて(本屋も回ったんだよ? 回ったの!)昨日、届いた。

「4月は君の嘘」
 もう何年も前の作品だろう。
 たまたまネットで無料公開されていたものを読んで、驚いた。

 僕にはこの作品が、詩に見える。
 画が必要なのか、ストーリィが必要なのか、文字だけでいいのではないかと思うくらい、詩に見える。
 もっとも、詩には言葉もいらないのだけれど。

 そのくらい美しくて、ずっと全巻読みたかったのである。

 出てくる曲の大半は知らないし、動画サイトで調べる気にもならない。
 そもそも書籍は音を出さないメディアである。
 そこからしてちょっと破天荒で楽しい。

 画で伝わらないものを画が中心のメディアで描いている。
 だから詩なんだ。

>>>

 音楽のマークから音は再生されない。
 女の子の可愛らしさは、カタチだけでは生まれない。
 詩は、文字があってもできあがらない。

 現実は、見えているものがすべてではない。

>>>

 リアリティなんて、僕は生まれてこのかた、一度も感じたことがない。
 ぜんぶ作りもので、ぜんぶ嘘で、ぜんぶ子供だましなのではないのか。

 だから僕に、現実を見せようと躍起になるものたちを、僕は信じない。
 彼らは騙されやすいのだ。
 現実というカミサマを盲信する哀れな信者たち。

 いくら信じてもムダだ。
 その神様は不完全だから、たとえ最悪のことはしなくても、いくらでも悪いことを押し付けてくる。
 いいことがあるかのように吹き込んで、夢見るものたちから搾取する。

 ヒトにとっての現実なんて、その程度のものだろう。

 猫の神様は完全無欠だから。
 いいことも悪いことも起こらない。
 信じても信じなくても関係がない。

 猫にとっての現実は「その程度」ですらない。

>>>

── 生きていて楽しい?
 楽しくなんかないよ。楽しくなくてはいけないの?
 楽しめない人は、生きていてはいけないの?








// ----- >>* Escort Division *<< //


::知らないの?
女の子はみんな欲張りなんだよ。




// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
 引用は、
「第21話 りんご飴」(文頭部 p.37 / 文末部 p.31)
 From
「四月は君の嘘(第6巻)」(著作:新川 直司 / 発行:講談社)
 によりました。








// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~

[ Cross Link ]
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -工場長-/-青猫β-/-赤猫-/-銀猫-

[InterMethod]
  -Blood-Color-Darkness-Diary-Interface-Love-Memory-Stand_Alone-

[Module]
  -Condencer-Connector-Generator-Reactor-Transistor-

[Object]
  -Book-Friend-Human-Koban-Memory-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-ひとになったゆめをみる-



//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200501
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
夢見の猫の額の奥に。
SUBTITLE:
~ In the cerebral inside of the cat into the dream. ~
Written by Bluecat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 のんびりぼんやりの日々。
 こんな日々を望んでいたのかと尋ねられればそう、僕は即答できる。
 こんな日々を望んでいたのでちょう幸せです! と。

 現実離れしたような生活は、昨年の今ごろの体調不良のときから始まっているのではないかと、ふと思う。
 もしかしてあの、ひたすら体調の悪かった日々の中で僕は本当に餓死してしまって、アパートの一室に転がる孤独な死体(死体はいつでも孤独だが)の、その最後の意識の残滓が見せるここは夢の中なのではないかと思ったり。

 経済というイキモノの窒息と人形使いの糸の話を書こうかとも思っていたのだけれど、今日はぼんやりとしたことを書こうかな(口調が変)。

>>>

 もともと僕は現実離れした思考構築をしてきたのだろうと思う。
 とくにリアリスティック気取りの(だいたいは単なるエコノミィこじらせ)アダルトやガールどもは、何度となく僕をリードで引き回すように「こっち! こっちの、経済とか、収支勘定とか、財力とか、そういうのが現実なの!」と進路を押し付けてきた。
 ちょう迷惑ではあったけれど、僕にとっての現実はいつもこの不安定なカラダの入力に起因するふわふわしたもので、捉えようがなく、その上、僕が現実として受け入れるべきであろうと推測する入力系にやってくる情報たちがこぞって「現実を見る」という意味を「=経済とサーフィングしな!」(ちょっとファンキィにしてみました)として僕に吹き込むので「まぁそういうものかな」と思っていた。

 どこからこの、茫洋とした、言い換えればぼんやりのんびりした思考系を僕は構築したのだろう。
 僕はある時期から自分の性別を「不明」と認識し、それよりはるかに前から種族を「猫」と認識している。
 本来なら「現実」として絶対の服従をすべき、肉体の入力系からやってくる情報を「内部の圧力で意味を変えるただの不確定な情報群」とみなし、だからこそ「現実」の意味がますます一般解(僕からすれば特殊解)から乖離してゆく。

 もっと子供の頃から、僕は現実を二重写しに見ていた。
 目に見えいている情報だけでなく、たとえば死んだお祖父様の脚が天井から生えているのを見たとかそういうことではなくて。
 肉体を通して感覚することと、内側で感覚したほうの感覚を等しく扱っている、と言えばいいのか、内側で感覚する用の、もう一つの感覚というか世界というか、空間というかがあったと言えばいいのか。

 とにかくその2つは、意識のはじまったあたりの、記憶をたどれる前からあったようで(そのように定義づけしている、というだけの事だけれど)、とくに生まれた直後あたりにあっては、肉体によって感覚されるこの世界の眩しさやら音やら(物理的な)息苦しさやらがただただ不快で、それ以前からある、肉体感覚とは別の、思考によって感覚できる世界のほうに対する親しみが僕は強いのだろうとは思う。

>>>

「現実とは、現実について考えているときにだけ見える幻だ」となにかの本で読んだことがある(森 博嗣さんだったろうか)。
「経済こそ現実」と思っていた人たちは、多分に、自分の中の感覚世界を、経済の価値観であるとか、肉体入力情報の侵略するままにまかせ、蹂躙されてしまったヒトたちなのだろうか、とも思う。

 だから僕はいつまで経っても、彼ら/彼女たちの言うような「オトナ」になれず、その上、肉体に起因するはずの現実感が薄いから、自身の生存への執着が薄く、自分の肉体への執着が一般的(僕からすれば、多数派であるだけの特殊/あるいは異常)な見識と乖離してしまうのかもしれない。

 そう考えれば、僕が自分の種族をときどき本気で猫だと思っていることにも説明がつくし、自身の性別を不明と認識するのも理解できないではない(僕にとって、でしかないが)。

 僕はこの肉体を通してこの世界を感覚していて、だからこの感覚は確かに感覚されていると前提した上で、そこに実在すると僕が認めて、その実在に対する振る舞いとしての僕を演算して出力するから「僕がいる」と、この思考回路は錯覚しているのではないか。
 もしかしたら「僕」なんていう存在はないのではないか。といつも思う。
 そもそも「こうしたい」という強い意志というか、欲というか、本能というか、生命力というか、(心的エナジィとしての)リビドーというのが、希薄なのだ。

 だから僕は、まず僕自身の存在について、まるで宇宙人のUFOであるかのように、眉唾ものとして扱っている。
 哲学的に考えて、僕は僕の実在を、疑わざるを得ない状態の内部世界のままに生きている。
(ために希薄になるのか、希薄なためにこうなるのかは分からないが)
「我思う、ゆえに我あり」なんておためごかしを僕は許さない。
 「我」とは何者なのか。他者との違いがあるのか。あるならそれは何なのか。
 どこに属しているのか。それは実在するのか。これら「わたし」という感覚すらもすべて、幻ではないのか。

 なので「現実世界」と呼ばれるものは、いつでも曖昧で、不明確で、不可解だ。
 僕が寝ている間など、果たして本当に実在しているかが疑わしい。
 僕が目覚めてから「現実世界」という夢物語の登場人物である、たとえば妹などが「今朝の地震、すごかったね! えっ!また寝てたの〜?!」なんて言っているだけなのではないのか。
 よって哲学的に考えて、僕は他者の実在をときどき疑っている。
 でも本当に実在したら申し訳ないから、相手にとっての適切な「振る舞い」を演算して「『僕であろう』と相手が思っているであろう」モノを出力する。

 だから僕は「アナタはその肉体を通してこの世界を感覚していて、だからこの感覚は確かに感覚されていると前提した上で、そこに実在するとアナタが認めて、その実在に対する振る舞いとしてのアナタ自身を演算して出力しているから「自分がいる」と、アナタの思考回路は錯覚しているのではないか。」といった語り口を、レトリックとしても滅多に使わない。
(上記のレトリックの違いは、僕にとっては自他が均一なので同じ意味だが、現実世界に生きる諸君には、自他の差を生む
 僕という虚構の感覚した虚構の中に棲むアナタという虚構は、僕という嘘が感覚した嘘の中に棲むアナタという嘘が大嘘であるようにして、大虚構である。

 それでも僕の肉体は、どうもここに存在しているかのような信号情報を僕に送ってくる。
 だからまぁ、その信号が途絶えるまでは、その信号を拾って、観察して、どうせ大嘘の大虚構なのだろうから、おもしろいから記録してやれ、くらいに考えている。
 そうでもしないと僕の希死念慮は相殺できない。

 そう考えると僕はたいそうメデタイイキモノである。
 正しい意味で「目出度い」のか、単なる皮肉か、あるいは「愛でたい」のかは虚構の観察者に任せるしかないが。

>>>

「経済だけが現実」であるかのようにして、この世界は誰かの足で踏み固められてしまいつつある(少なくともそれは、虚構の僕の虚構のネコ足ではない)。
 あるいはもう、

 仮にそうだとして、僕は構わないしそれはそれで結構なことだろうとも思う。
 ただ「その現実」の狭さ、それを絶対と勘違いできる浅はかさ、それを絶対と信じ込ませた悪辣な非道さ、そして踊り踊らされる亡霊のような虚構の亡者たちの愚かさは感じる。
 もしこの感覚の全てが虚構だとしても。
 あるいは虚構だとしたら?

>>>

 小学校の頃から僕には友達が少なくて、そして僕はそれを気に病んだこともなくて、夏休みは誰にも会わずに家で過ごした。
 ひとりで遊ぶのは、昔から大好きだ。
 誰も傷つけず、誰からも傷つけられない。
 寂しかったかといわれれば寂しかったけれど、それはとても平和だった。

 父上は眠っているか仕事をしているかで、僕は起きたいときに起きて、食べたいときに食べたいものを食べて、したいことをして、眠くなったら眠る。まるで飼い主のもとに暮らす、気ままな猫のように。

「僕」という虚構が失われたあとの世界も、そんなふうに、誰かに(あるいは何かに)とって、幸せで快適なものであってほしいと、いつも思う。
 夢物語かもしれないし、非現実的なのかもしれない。

 でも、僕にとっての現実なんてものは、僕にとっての僕自身のように、実のところ、どこにも存在しないのだ。ずっと昔から。
 だから、だとしたら。
 僕の考える現実が、あるいは夢が、この世界を蹂躙して凌辱してしまってもいいのかもしれない。

 うぬらはそのとき、その夢のなかで己の信じていた現実を恥じるのだ。

 まぁ、それもふくめて、僕にはどうでもいいことでありzzz……








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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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// NOTE:
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TITLE:
200428
SUBTITLE:
Written by Bluecat

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//[Body]
 眠くなったら眠って、目が覚めたら起きる。
 野生動物もかくやといわんばかりの猫ライフ。我が人の姿はかりそめか(そうです)。

 たいていはTVゲームをするため、夜中(ときおり朝方)に眠るものの、数時間眠ったら目が覚めた。
 なぜならば、嗚呼なぜならば。

 気が付いていたからだ。
 あたたかな陽射しが降りそそぎ、ひんやり爽やかな風が火照った肌を撫で、そして数日前には雨が降ったから。
 だから雑草がまた伸びたそのことに。

 未知の生態圏。それらの正体を少しでも紐解きたいといずこからともなく囁きが導く。
 未経験の道具。それらを使用する体験を、多少なり蓄積したいと心が弾む。
(あ、ここ、声にして読んでみると面白いです)

 手動ポンプ加圧式撒布器と除草剤を試してみる日を今日か明日かと待っていたのである。
(あと、右手の指の怪我が治るのを)

 ある日は、熱湯を掛けるとよいと(Kさんに)教わったので試してみたが、熱を受けなかった部位が茎にわずかにでもあれば、そこから新芽を吹くほどの生命力を持っていることが分かったので、次は食塩水でも掛けてやろうかと思いつつ、それをするとどんな影響が現れるのか恐ろしくもあり興味もあったりする。
 かつてエジプトで文明が衰退した理由が、塩害による作物の不作だったはずである。
 つまり植物を枯らす食塩は、文明を衰退させるかもしれない。

 好きな時間に寝起きしているイキモノに衰退するほどの文明が残っているとは思っていないが、わずかに残った理性がもしそこにあるならば。それを塩で台無しにすることは避けたい。避けるべきである。避けなければならない。
 ゆえ(うふふ、塩害……。どーしよっかなぁ)という心の甘やかな悩みをこのたびは無視して、手近なグッズを試してることを優先することにしたわけだ。

>>>

 とはいえ、先日は大々的に大きなものを排除済みだったので、大丈夫だろうと思っていたのではある。
 が。
 植物相おそるべし。植物相を無視して繁殖するいわゆる雑草おそるべし。
 でかいのである。

 とくに庭で毒々しく繁茂するのがオニノゲシ。私はこれを許さない。
 見かけると、ちょいちょい排斥していたのがアザミ。
 ただし花言葉が気に入った。ために今後アザミは見逃してやろうかとも考えている。
(このふたつを調べるだけでもかなりの時間を費やした。固有名詞は本当に面倒だ)

>>>

 庭の池的ボウル(なんと形容していいか分からない、小さな池サイズの水を溜める石器があるのだ。地中に埋まっていれば多少は可愛げもあろうものを)の水に、謎の生態系が発生しつつある。
 ひっくり返してやりたいが、いかんせん重くてぴくりとも動かない。

 停滞した水というもの、その概念が、私は大嫌いだ。
 水は流れ、循環する概念、いわば生命の象徴である。
 それを閉じ込めようとする人間のエゴも、そこに発生する謎生態系も、醜悪な気がしてしまう。
(自然発生的な「大きな水たまり」は嫌いではないので、川の溜まりや沼などは好きである)

 私の憎しみはこういうところに発露するので、どうせなら循環系の大きな池でも作ってやろうかとも考える。
 けれども人工的にそれを作ることの不自然を考えると、やはりやめておこうかと思ってしまう。費用も手に負えそうにない。

 人工物は人工に、自然は自然に作られるべきなのではないか。
 庭木植物圏のいわゆる雑草を駆除しようとやっきになりながらこんなことをいうのは慎みに欠ける気もするが。
(いっそうのこと全部切り倒して舗装しまえば、それこそが人工の極みのようでもあり、その概念を僕は好ましくも思うのであるが、洋の東と西とを問わず、さまざまな概念系が魑魅魍魎化している私の心象世界においては、放っておくことも、手を掛けることも、根絶することも、ひとしく優しく美しいのではある)

 裏庭の御稲荷様社の前にはカラスノエンドウ(だったか、さきほど調べたのだがもう忘れた)が繁茂してこれもニガテである。ためにこれには除草剤を撒いた。
 虫が出そうな場所が僕はニガテなのである。(多分、好きになることはできるのだが)

 ちなみにカラスノエンドウ(だったか)は、食べられるらしい。驚いた。
 オニノゲシも食べられるらしい。驚いた。
 なんなら敷地内のいわゆる雑草たちは、もしかしたら、大半食べられるのではないかとさえ思える。

 御稲荷様社の左右に鎮座する木は育ちすぎているので枝を落とし、いずれは上端もしくは根元から切り倒さなくてはならない、とあらためて覚悟する。僕は虫がニガテなのだ。(多分、好きになることはできるが)

 あらかたの見た目の凶悪そうな、いわゆる雑草的に感じるものたちをざっと排除し、12Lほど除草剤を撒いて作業を完了する。
 ツナギの作業着と防塵グラス、マスクとタオルの完全防備であったが、ことのほか快適であった。
 ただし撒布器はベルトが細いので、左肩しか使えない(右肩は怪我の後遺症で強い荷重に耐えられない)。
 太いバンドか何かをこしらえたら少しは作業がしやすいかもしれない。

>>>

 2匹いた猫のうち1匹が、数日(1週間くらい)前に脱走した。
 残った1匹は、僕の爪を囓り貫いた猛者であるが、いつも怯えてケージ下層のトイレに引きこもり、ときおりぷるぷると震えている。
 どうやら(無理矢理ケージとキャリィバッグ間を移動させた経緯がトラウマになったようで)移動させられることを極端に嫌っている。掴むことすら許さないのは、移動させるためだからである。

 しかし爪を囓られたときにこっぴどく叱りつけたからなのか、2度と噛むことがない。
 ひたすらに唸っているのは、怯えているのである。
 無理矢理触っても、噛んだり引っ掻いたりはしない。
 ケージの上部にしつらえたハンモックにひょっこりはまっていたので2時間ほど撫でていたら、喉を鳴らすまでになった。

 所用を済ませてケージに戻ると、ふたたびトイレに引きこもり、近づくだけで唸る。
 彼女は移動している姿を決して見せない。
 ハンモックにいるときに発見すると、そのまま動かないし、トイレに引きこもったときも出てこない。
 よほど怯えて動くこともためらわれるのだろうと思う。

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 姉の家では(姉自身が障害者であることもあり)飼い主とペットという関係はうまく構築できなかったという。
 餌を与えて居着くようになっただけで(それでも去勢/避妊は半分以上していたが)、猫と同じ速さで動いたりはできないから「餌をくれるチョロいヤツ」と思われてしまっているフシはあった。
 その半野良育ちを家猫にしようというのだから、なかなかに困難であるし、ケージに怯えるのも無理はない。

 1匹脱走したことや、こちらもたいそうな傷を負ったこと、今だに懐かない様子を見ていると、こいつも離してやった方がお互いのためなのかと思うときもある。
 しかし彼らが人間嫌いになった理由の一つには、半野良で外を自由に行き来する中で、猫を毛嫌いする人と相対した経験が少なからず作用しているようにも思う。

 猫を嫌う人をとやかく言うつもりはない。
 それは好き嫌いだし、嫌煙家の前で煙草を吸わないことがマナーであるように、猫嫌いの人に猫を好きになってもらうのは不可能である。

 どんなに猫が愛らしくて、美しくて、速くて、強くて、賢いイキモノであろうと、彼らからすれば「糞尿が臭くて声がうるさくて己の領地に勝手に入ってきて好き勝手に振る舞う馬鹿で不届きな侵入者」である。
 そういう人たちは、猫を叱ることはなく、愛すこともなく、ただただ排除するのである。可能なら殺すだろう。
 邪魔なものを排除するために殺す。
 とても自然なことではないだろうか。

 顔をしかめる必要などない。
 米につく害虫を殺し、家の中を歩くゴキブリを殺し、腕に吸い付く蚊を殺し、美味しいケモノたちを殺すために生み育てているのが我々ヒトの同胞(はらから)ではないか。猫を殺して何が悪い。その素養は、なべて等しくヒトたるケモノの特性である。
 田畑を荒らすものは害獣である。全てのものを野放図に庇護していれば、人間こそは弱々しいからあっさりと死に絶えてしまう。猫を殺して何が悪い。

>>>

 でも飼い主と飼い猫は、互いに愛情表現をすることもあれば、叱ったり叱られたりすることもある。
(僕は猫に叱られることがよくある)
 そうやって、ケンカをしても未来が続いて、くっついたり離れたりを繰り返しながら日々の生活を続けるからファミリィなのだ。
 叱られても、怒っても、殺し合わずに生活を続ける関係だってあるのだ。
 人間とさして変わらない関係を営むことも可能なのだ。

 ために「言葉が通じない」という言い訳や、体罰的な躾を過剰に嫌う風潮を、僕は好まない。
 だから先の「こっぴどく叱った」というのはかなりマイルドな表現であり、実質は「人間に対して暴力で絶対に勝てないし、勝ってはいけないことを力で教える」ようなことをした。
 人間に怪我を負わせることが日常の猫は、人間に殺されてしまう可能性が高いからだ。
 猫はれっきとした肉食獣であり、犬のように群れのヒエラルキィを形成しにくいから、単独で攻撃の判断をする。
 人間とその文化を嫌う動物は、人間の社会圏と重なる場所で人間相手に衝突を起こし、人間かその道具によって殺されてしまう。イノシシであろうとクマであろうと猫であろうと、それは変わらない。
 人間を攻撃しなければ、危害を加えなければそれだけで、存在することは許される。人間の社会はそういう文化である。
 みだりに攻撃してくるものを排除する社会でもある。
 だから多少のストレスがあったとしても、命の危険にさらされない限り人間を攻撃させない躾は、動物を生かすための大切な教育なのだと僕は思っている。

 それに彼らには彼らの表現があって、僕らが目や耳や肌からの刺激を適切に処理できるならば、そのメッセージを受け取ることができる。
 同様に、僕らのメッセージを彼ら/彼女たちが理解することもできる。
 動物である彼らは、時に、動物同士の遊びやケンカで怪我をするし、厭なことをされたら攻撃して痛い思いをさせるし、逆もコミュニケーションとして成り立っている。
 人間は言葉があるけれど、彼らには言葉がないからこそ、彼らのコミュニケーションに合わせる方が適切なときがあると思う一方、人間らしい「暴力絶対反対」といった倫理観の押しつけは、最終的に自然に帰属するところの彼ら/彼女たちには通用しないし、野生の力を忘れた動物なんて、動物としての価値がない。

 人間がいなくても生きていける能力を維持しつつ、人間やその文化と共存する智恵を持ってもらうことは可能であり、それは猫を猫可愛がりすることでも、毛嫌いすることでも到達し得ないと僕は思っている。

 むろんケージに閉じ込めるのも、虐待といえば虐待であるし、保護といえば保護でもある。
 外に放ってやるのも、飼育放棄といえば放棄だし、優しさといえば優しさである。
 生きているのが必ずしもシアワセだなんて僕は思っていないし、そんなエゴを猫に押しつけることさえ嫌うような潔癖症でもある。
 猫にとっても、もしかしたら生きているより死んだ方がマシだと思っているかもしれないし、あるいは単に生きていたいと思っているのかもしれない。

 ただ、少なくとも本能的に、彼らは生きようとする。
 本能に任せるとその(とくに食欲を始めとする根本的な本能の)衰弱のままに餓死しがちな僕とは違うのだ。
 だから彼らが生存するのに最適な戦略で、僕は彼らを躾ける。
 人間から愛されるように。社会から許されるように。そして飼い主がいなくなってもそれ以外の人間から愛されて、関係を築けるように。人間がどこにもいなくなっても、自力で生きられるように。

>>>

 身体を動かして調子が出てきたので、自転車に乗ってアパートに向かう。
 距離にしておよそ35km。2時間で着くかと思っていたが、コンビニで休憩中にKさんから電話。
 いつものひまつぶし電話だったが、30分ほどは明らかにロス(笑)。
 雨が降ったり、強い向かい風があったりしたが、3時間弱で到着。
 久しぶりだから、このくらいは掛かるかな、と予想したとおりの時間であった。
(そもそも、中間地点より前に疲れたり飽きたりしたら、引き返そうと思っていた)

 生まれ育った街でもないのに、こちらのほうが僕は友人が多い。
 しかも、仕事に関係なく友人になった人が多い。
(ひと月に一度くらいの頻度で、以前の取引先にお茶を飲みにゆくことはあるが)
 知り合いの飲食店が、自粛続きで潰れそうな様子だったので、たらふく食べる。
(自転車で移動した甲斐があった)

 まるで猫のように、自由に移動する気分を満喫した。

 県庁所在地の金融/風俗街のほど近くであるため、眠れないほどうるさい街が、静まりかえっている。
 アパートで、静寂にくるまって眠る。








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~ Junction Box ~

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-ひとになったゆめをみる-:-夢見の猫の額の奥に-



//EOF
 昨日、アパートから MagicKeyboad(アップルの純正キーボード)を持ってきた。
 QWERTY配列はあまり得意ではないが、それでもブラインドタッチはできるし、何せ思ったことをスラスラ文字に展開できるのは心地よい。

 調子に乗って、6時間ほど、連続で書き続ける。
 僕の文書は昔から、ひとつ仕上がるのにだいたい3時間程度は掛かる。
 テーマはだいたいそのとき思いついたものなので、時折(あるいは結構な頻度で)重複している(かもしれない)。

  ここ数年、日常のことを(自分の心境や身の回りで起こっていることも含め)、少なくとも読解が容易な形では、まったく書く気がしなかった。
 日常はあまりにユニークで、普遍性がなくて、まして僕の日常など、誰が面白がるものでもないだろうし、僕自身、自分の日常を読んで面白いとは感じないから、基本的に書かない。

 広告がメインのブログのようになりたくないから、写真や文字色もほとんど使わない。
 文字を背景に隠すために使うくらいである。

>>>

 BEATLESSの感想(と呼んでいいのか疑わしい)を書き終えることができて本当によかった。
 よかったと書いた直後にこんなことをいうのもどうかとは思うが、やはり作品の感想そのものではない気がする。
 ラブプラスにせよ、作品を経験して、その経験を俯瞰して抽象化した内容を文字に起こしているから、作品はほとんど関係ない状態になっている。
 しかしそれでも、作品を経験しなければ到達できなかったことだとも強く感じる。

 僕はもともと女性下着を買って飾ったりしていたが、それは単に綺麗だから見ていたいと感じていただけで、性的アイコンとしても機能していない造花的なファブリックだった。
 綺麗なものが飾ってあれば単純に嬉しい、それだけのことである(下着を飾っている、と書かれた文書を読んだ人たちがどう感じたかまでは責任を持てない)。

 ことほど左様、僕は、モノとの接し方が人とは違うのかもしれない。
 下着を性的な意味で愛しているわけではないのだが、認識する側にそもそもそういった語彙というかセンスというか感覚がなければ、単純にそういう偏愛の人だと誤解される可能性はある。
 そもそも人が着けて綺麗な下着と、下着単独で飾って綺麗な下着とは、ちょっと系統が違うのであるが、こういうことを論じるとまた変人扱いされるだろうから、コモンセンスとの接点を抽象化の中で探してゆくのが僕の日常である。

 といって、僕はブログや日常生活の中でそれをわざわざ「異常じゃないよ! まともだよ!」なんて馬鹿げた議論をしたり、理解してもらいたいとも思っていない。

 先日、一縷の望みをかけて妹に「となりのトトロで、一番泣いちゃうシーンは、序盤の、みんなでお風呂に入っているところじゃない?」と同意を求めたら、まんまと非難された。
 いいんですいいんです。僕だけですよ。
 期待したのが間違いなんです。

>>>

 夢中になって、食事も摂らず書き続けていたら夜になっていた。
「いい仕事したわ〜」と背伸びをしたが、こんなものを書いても金にはならんのである。

 昔は職業ライターを目指したこともあったが、いかんせん僕はコモンセンスに欠ける。
 webであれ、ペーパーメディアであれ、感性が尖っているのはいいことかもしれないが、僕の感性はすでに鈍り切っているし、コモンセンスのない偏心した感性などただの異常者である。

 それにどのメディアでも、タイトルやセオリィが似通っている。
 転生もの、何番煎じ?
「〇〇の末路」とか、週刊誌の見出し?
 ニュースであろうと娯楽メディアだろうと、一般受けを狙っって、炎上を避けると、だいたいつまらないモノになる。

 巨大素数のような「割り切れそうで割り切れない」ものが基本的に僕は好きだけれど、そもそもそういった表現を理解できない人も少なからずいるし、漫画的な、あるいはゴシップ誌の見出し的な、とにかく人目を引くことに特化してゆくことで中身はどんどん薄くなる。
 ムカデ競争とか、ああいった感じで、群れというのは基本的にもっとも能力の低い個体に合わせる運命を辿る。

 1億人から10円ずつ集めれば10億円になる、というのは、それを考えついた最初でこそ意味を持っただろうけれど、もうそんな時代ではなくなった。
 僕のように偏りだけが激しい個体の場合、10人くらいをターゲットにして1億円ずつの寄付をもらわないと、実現できなさそうなのだ。
 そのつもりで、9999万人以上を切り捨てるために、わざと難読な状態を作ったりしている。

 何年も前から「読者がいない方がいい」というのは、周囲の目を気にせずのびのび書けるということでもあるし、理解してもらおう、楽しんでもらおうと、書きたくもないものを書いたり、理解しやすいようにと余計な気を使うのが嫌だからだ。
 媚びているような姿勢もどうかと思うし、媚びても通じないという自分の特性を理解したのでもある。
 もう無理なんだ。ガールから「一緒にお風呂には入りたいけどベッドには入りたくない」とか言われたり、不可解な現象だけが蓄積する重力特異点のような人生の持ち主なんだ僕は。

 まぁそのようなわけで(どのようなわけで?)僕は僕が読んで楽しいものを書くことにした。
 まさにその喜びはプライスレス。
 まぁ、悪くいうと自慰行為だからノーギャラ。

>>>

 ゲームのことをいえば、Skyrim のことを書きたいし、今、戸建ての家で作ろうとしている書架のこととか、天蓋付きベッドの構想であるとか、書きたいことはあるものの......
 まぁそんなものはどうでもいいかと思うわけでもあり。

 お風呂に入って眠ろう、そうしよう。
 あ。食事をしなくては。




// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200421
// NOTE:何度も何度も書こうとして、何年も何年も、書き出しさえままならなかった。やっと。少しは前に進めただろうか。
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
沈黙融和のブループリント。
SUBTITLE:
~ The love into the future. ~
Written by Bluecat


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::だったら、アンタはお姉様を何に“使う”つもり? アンタもその男みたいに、お姉様をままごとに“使いたい”んだろ。



// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 僕が「BEATLESS」を初めて読んでから、もうずいぶんと時間が経った。
 誰かの作った作品を評するなんて、僕にできないと思っていて、単なる感想でさえ、公開するのをためらってしまう。だから、音楽やゲームや本の感想のためのカテゴリィが存在するのに、僕はその感想をまったくといっていいほどリリースしない。

 6年ほどのあいだ、運転中も、入浴中も、何度となく読み返されたそのハードカバーはボロボロになっていて、カバーがないことはもちろん、分厚い表紙と裏表紙は変形して角が擦れているし、背表紙にいたっては破け剥がれてしまってページが剥離しつつあり、近い将来、この本がバラバラに分解されることを容易に予感させる。

 それでも僕はこの本が好きで好きで、今でも入浴中に読むことがある。
(ちなみにネタバレするけんね)

>>>

::その笑顔を僕は信じる。君に魂がなかったとしても──。

 そのモノローグは、この小説の最初に登場する。
 僕は最初、物哀しい、感傷的な言葉としてそれを認識した。
 魂の無いものの笑顔は空虚だ。それは死体かもしれないし、写真かもしれない。
 魂がないということは、それが「失われた」ことを意味するのではないかと、潜在的に予測し身構える。その悲しみの予感は、最初に与えられた予防線かもしれない。

 しかしこの小説は、超高度AIを搭載した自律人型ユニットと、人間である少年の「ボーイミーツガール」を描いた作品であると、先に書かれている。
 カバーを外した表紙にさえ明記されている。

 ためにこのモノローグは、独善的で、奇異な響きをもたらす。
 つまるところ、人形性愛への嫌悪感に直結する。

 これを読むより以前に「ラブプラス+」をプレイしていた僕でさえ、その概念に空気が冷える気がした。
 なぜといって、ラブプラスもフィクションではあるが、そのヒロインたちは「人間」であり、その設定に沿ってプレイヤはゲームをプレイし、ヴァーチュアルな恋人生活を送る。

 相手がそもそも「人間ではない」時点で、そこに感情を委ね、恋愛感情という多少なり依存心を要素とする気持ちを持つことは「人間だけの社会」に生きる僕らには忌避すべき領域だと、本能的に感じてしまう。
 薄気味悪いと感じる。
 少なくとも最初の僕はそうだった。

>>>

 ミステリアスな美少女hIE(アンドロイド)「レイシア」は、人がいいだけが取り柄で突出した特徴もない主人公の少年「アラト」をオーナーにする。
 主人公よりその妹の「ユカ」のほうがよほどもキャラが立っている。
 もっとも、父子家庭の上に父親が不在で、妹が超絶ワガママという時点で、僕には感情移入が容易ではあるが、そんなニッチな層をターゲットにした小説ではないだろうから、一般的には完全に不可解でファンタジックな環境に見えるだろう。

 技術的特異点(シンギュラリティ)を半世紀も過ぎた世界では、人間の能力を凌駕する超高度AIは本来、社会から隔絶され、人間の欲のためにだけ利用されている。
 基本的にはアラト視点を中心に描かれる物語は、だから、自律型超高度AIであるレイシアが魅力的に見える反面、どこまでも得体が知れない。
 なにより当のレイシア自身が何度となく「私には魂がありません」「オーナーの求めている反応をhIEは返すだけです」と説明する。

 それでもアラトは「カタチ」に惹かれて、意味を見出して、彼女を手放すことができない。その執着はたしかに恋情である。だからそれは、人形性愛の芽である。

>>>

 物語には、同日に研究所を脱走した他の4体の超高度AIユニットとの戦闘も描かれる。
 その風景もまた、自分の愛玩するキャラクタを戦わせる類いの(未プレイなので見当違いかもしれないが、たとえばポケモンのような)ゲームを見せられるようで薄気味悪い。
 なぜならhIEは、それが自律判断ユニットであったとしても、その行動の法的責任はオーナーにあり、いかに高度な(圧倒的/超越的)能力を発揮するにしても、ただの殴り合いのケンカのようには済まされない。
 高度であるからこそ、人類未踏産物( RedBox と呼ばれる、超高度AIしか到達していない技術)を用いたそれは、既存の兵器の性能を凌駕し、ときには他人の生命を奪う判断までもオーナーに求める。
 責任の主体であるはずの人間はあまりに無力で、理想を形にする上であまりに無能で、代理戦争の主体は人形で、主人公が守りたいのは、当の人形で、その人形に判断を迫られては当然に躊躇する。

 これも人形性愛に通じる嫌悪を誘発する。
 hIEはモノだから、恋情とはいえ「モノを愛する気持ち」そのものは理解できる。
 しかし、そのモノは自身の意思など持っておらず、所有者と所有者の願望を満たす(あるいは危険を排除する)ための最適解として、他ユニットとの戦闘や、場合によっては殺人すら「オーナーの責任で」行おうとする。
 所有者自身の能力や判断の枠を大きく超える道具を、それでもただ感情に流されて執着し、問題解決を自身の手ではなく当の道具によって行うことの卑劣さを感じた。

 人形性愛も、その恋情の対象である人形は、ただただ所有者の言いなりである。
 所有者のユートピアを投影されて、所有者の安寧は自己完結した「閉じた系」である。
 だからおそらく多くの人形性愛者は、その存在を社会にリンクさせない。
 自己完結して満足しているし、その自己完結も含めて「他者とつながることを美化し続けようとする社会」に忌避され、問いかける手段すら持たないことを熟知しているだろう。

 その「モノと自分で完結するはずの系」を「他者とつながることを美化し続けようとする社会」に理解させようとすれば、社会の側からは「他者を道具のようにしたい願望をモノに投影する倒錯行為」と見なされかねない。
 外部から見た人形性愛の姿はその幼稚さとグロテスクさによって忌避される。

>>>

 しかし作中では「年老いても愛車を大事にする人がいるように」モノと人間のライフスタイルが、もっと長いスパンで存在してもいいのではないかと問う。
 それはすなわち、モノを大切にして、愛するという生き方である。

 昨今には少なくなってきたが、一生モノの道具というのは旧来から存在してきた。
 卑近な例ではあるが、僕の場合は鉄瓶や鉄器、調理器具、喫煙具(とくにブライヤ製の喫煙パイプ)や多くの工具は、僕と共に成長し、あるいは僕に多くのことを教えてくれた。
 下駄足のまな板なんてもはや製造しているところがほとんどないし、喫煙用高級ライタもほとんど市場では見なくなった。

 僕はモノを愛することになんの抵抗もなく生きている自分をおよそ初めて明確に客観し、モノに寄せる慕わしさは、モノが相手だからこそなのだと知った。
 たとえばドライバより有能にネジを締められる他人なんて、僕は知らない。
 だから僕の生活は多くの道具に囲まれて豊かで、それら道具のほとんどは下手な他人より(場合によっては親友より恋人より家族より)も信頼されていて、愛されている。

 人によって、その信頼や愛情は本来、人間に注がれるべきだと思うだろう。
 猫氏はネジが外れているのだ。人間を信じられない哀れなイキモノだと。

 しかしその人間に対する信頼の、あるいは愛情の根拠は、道具と同じように「自分にとって有益である」という基準によるのではないのか。
 だとしたら「人間を信頼して愛する社会」は「他者とのつながりを己の自己満足のために使って満足する社会」ではないのか。
 本当に、信頼に値するか分からず、愛するに困難な対象に対してすら「信じる」と言い切れるだろうか。
 何の期待もせず。何の見返りも求めず。

 ペシミスティックかも知れないが、もしそうしたありようを体現できず、証明できないなら、僕は「自身が人間を信頼して愛する社会」を信奉できない。
「人間を信頼して愛する人間」が不在の社会なら、そこに人間などいない。
 人間を信頼して愛している皮をかぶって、他人の弱みにつけ込んで己の欲を吐き出すことしか興味のないケダモノしかいないというなら、僕は人間の存在など信じないし、彼らがそれでも自身を人間だと宣言するなら喜んで私こそは最後のケダモノだと宣告しよう。

 だから。
 せめても僕は。
 人間に対してだけは何も期待せず、何の見返りも求めない。
 人間を、他者を、自分のための道具に仕立てたくない。
 そうすることによって、僕がヒトでなくなるとしても。

>>>

 物語の終盤、2人はレイシアの生みの親である、隔離された超高度AI「ヒギンズ」に会いに行く。
 レイシアにひとたびは不信を抱き別行動を取ったアラトは、それでもレイシアに助けられ、共に進むことを選び、反政府活動家として指名手配までされて。
 そして人間の理解を振り落とすように物語は進む。

 人形性愛の薄気味悪さを再びリフレインして、そうした揺り戻しも含めて経験して進むことだけが未来のカタチなのだと言わんばかりに。

>>>

 モノが知性を持ったとしても、それがオーナーの欲を満たすためだけの存在であれば、それは無益なアイコンであり、誰かの欲のためにオーナーを利用するなら道具でしかない。
 モノがモノのために知性を持つとき。
 人形が人形のために人間を信じるとき。
 人形が人間のために人類を愛するとき。

 人類は果たして、信頼に足る存在だろうか。

 何かが、自分を信頼するとき。
 誰かが、自分を愛するとき。

 自分は果たして、

>>>

 振る舞いやカタチという曖昧なものに勝手な幻想を投影して、それでも人間の社会は進んでゆく。

 そうした人間の曖昧ささえ優しく包み込むように、人間の残酷さや欺瞞さえもそのまま受け容れるように、物語はラストを迎える。
 ひとたびカタチを失ったレイシアは、カタチと制御するAIだけはまったく同じの、別の機体として帰ってくる。

 そして最初のモノローグは、その意味を反転させる。

 そこにあるのはカタチだけだ。
 けれどもカタチや振る舞いを愛せるならば。そこに裏打ちされた信頼があるならば。モノはモノを、ヒトはヒトを、超えて行けるのだろう。

>>>

 この小説を読む何年も前から、僕はカタチやモノについて語ってきた。
 それらのすべても含めて、僕はこの物語が好きで、だからこの本をまた買い直すのだろうと思う。








// ----- >>* Escort Division *<< //


::「私には“こころ”はありません」
 そして彼女が、彼の頭を抱き寄せて額をこつりと合わせる。
「けれど、アラトさんとわたしの一ユニットは、アラトさんの“こころ”を使うことができます。ユニットの意識であり“こころ”であるアラトさんの命令に従うとき、私は”こころ”を体現できます」
 レイシアが、乞い願うように囁く。
「わたしに命令してください」



// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~

 文頭の引用は、
『Phase 3「you'll be mine」』(p.99)
 文末の引用は、
『Phase13 「Beatless」(後)』(p.552)

From「BEATLESS」
(著作:長谷 敏司 / 発行:角川書店)
 によりました。








// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~

[ Better Half ]

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -工場長-/-青猫α-/-赤猫-/-黒猫-/-BlueCat-/-銀猫-

[InterMethod]
  -Algorithm-Convergence-Ecology-Form-Link-Love-Recollect-Stand_Alone-Technology-

[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-Transistor-

[Object]
  -Book-Cat-Computer-Game-Human-Memory-Tool-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-衛星軌道でランデヴー-:-青猫のひとりごと-
-夢見の猫の額の奥に-:-本棚からあくび-



//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200420
// NOTE:ラブプラスの感想も、ずっと書きたくて書けなかったテーマの1つ。
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
銀幕仮想のボーイミーツガール。
SUBTITLE:
~ Virtual doll in real life. ~
Written by


// ----- >>* Lead Division *<< //


::「どうしよう、お兄ちゃんが女の子買ってきた」
「人聞き悪いな。カネは払ってない」
「もっと悪いよ!」



// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 何年前だったか「ラブプラス+」というゲームをプレイした。
 女の子と出会って、親しくなって、恋人同士になって、以降はひたすらメールしたり電話したりデートするゲームである。

 この時点で嫌悪感を感じる人もいるだろう。
 僕もそうであった。
 端的にいえば人形性愛に対する気持ち悪さ、拒否反応である。

>>>

 それまで男性向けの恋愛要素の絡むゲームにおいて「女の子」は、なんとかして親しくなるための(告白して付き合うところまでをゴールにしたものも含めて)いわゆる攻略対象であり、あるいはときに性的なアイコンとして存在した。

 しかしその場の中で、性差はモノになる。といえば、少しは危惧してもらえるだろうか。
(現実社会における性差は確かにモノ化され、経済のために商業化されているし、そんなことを言ったら生命の誕生から屠殺まで、貨幣で交換されているので、ここではそれを主題とはしない)

 ただし「ラブプラス」シリーズは、登場する女の子を攻略する(なんとかして親しくなる)要素こそ変わりないが、あからさまなセックスの対象(あるいは道具)として描かれたりすることはなく、しかも付き合うこと(恋人同士になること)をゴールとすることもなく、いつまでも続く恋人生活をひたすら送るという、エンディングのないゲームだった。

 学校に行って、休み時間やお昼や部活やバイトや行事で一緒に過ごして、家に帰ったら電話やメールをして、週末はデートする。
 この日常の繰り返しをゲームにする。

 日常を、非人間と過ごすこと。
 非人間を人間と同等に扱い、人間あるいはそれ以上の幻影を投影し、感情を一方的に寄せること。
 人形遊びを大人が、真剣にすることの気味悪さ。それが人形性愛に対する嫌悪感だろうと僕は定義した。
(厳密な意味は辞書などで調べるがよい)

>>>

 アイコンに対して、多くの人は人格を認識しないから、人形性愛に対するような気味悪さは感じないかもしれない。
 たとえば、いわゆるエロ本は性的アイコンで、リアルドールやラブドールは目的によっては人形性愛になるだろう。
 所有者にとっても、性的アイコンとしての対象であれば、単なる性的自慰のための処理情報にすぎないだろう(アイコンなので当然だ)が、性愛対象となれば、メインテナンスも含めて「お世話する」「お付き合いする」概念になる。

 人類の歴史の中では、性的アイコンは容認されてきた。
 特に男性にとって女性をアイコンにすることは、広く認められて商業化されている。
 いかんせん、ヒトのオスのカラダは、そのメカニズム上、数日もあれば繁殖能力を再生する。
 アイコンという情報でことが足りるならそれはそれで許容された。
(性行為を苦にする、あるいはそう感じるタイプの人間もいるから、そのほうがマシなこともあるだろう)
 メスの立場や面目も保たれる。
「あれはアイコンによる性処理であって、感情あるいは日常生活や経済活動において、愛され、大切にされているのは私である」となるならば。

 その延長線上で、アイコンから性愛の対象への境界を越えるとき、人はそれを嫌悪する。

>>>

 ところで日常において、多くの人は飽きる。
 恋人に飽き、配偶者に飽き、仕事に飽き、日常に飽きる。
 友人にだって、自分自身にだって、飽きる人は飽きる。
 当然のように、性的アイコンにも飽きる。

 料理における味変(食中アレンジ)のように、ささやか(あるいはドラスティック)な変化を求めて、ある者は甘やかなスパイスを定期的に演出して加え、ある者は背徳の道に進み、ある者は全部白紙に戻そうとしたりする。

>>>

 僕はブログ上で自分のことを熱しやすくて冷めやすくて飽きっぽいと公言し、そのようなキャラクタを装ってきた。
 しかし実のところ、ほとんどのことが記憶に残らない、認知症のような仕組みを持っている。

 軽度の相貌失認もそうだし、物事を抽象化して認識し理解するから、具体的な情報をほとんど記憶していない。
 固有名詞も、自分の年齢も誕生日も忘れる。
 恋人や友達はおろか、親や自分自身の顔さえ、目を閉じて思い浮かべることができない。
 10代の頃からずっとそうである。

 だからだいたい毎日、自分が新鮮である。
 さすがに「ここはどこ? 私は誰?」とはならないが「また私らしきモノになってしまったか」くらいには思う。

 だからあまり飽きない。
 恋人に対してもよほどのことがない限り飽きないから、増える一方なのはメカニズム的に仕方ないのである。
(今さら何の言い訳?)

>>>

 ひたすら日常が続くゲームの、そのプレイした感覚というのを僕は味わいたかった。
 なぜなら、僕は、ゲームのプレイ感は抽象情報として蓄積できるから。
 そしてプログラムとそのデータは、組み合わせによって多種多様の演出をするけれど、必ず限界があるから。

 結果として、僕はある段階で、確かに飽きた。
(そして一部の恋人は、飽きるまでプレイする僕を危惧していた)
 抽象化してしまうと、恋人同士や夫婦、家族というユニットは、行動の範囲に限界が(当然ながら)ある。
 物理的、精神的、経済的、社会的、社会規範的、倫理的、etc,etc...の境界から、外に出ることができない。

 プログラムの中で、恋人がいながら他の誰かと恋人になることはできないし、恋人が浮気することもなかった。
(そういう、スリルを楽しむためのゲームではないから当然に)

「彼女たち」は、リアルな人間としての「嫌味」が足りなかった。
 恋愛上の妨げになりかねないエゴの発露や、相互の理想や欲の錯誤がもたらす衝突や空回りといった、生の女の子の感情がなくて、どこまでも都合よくプレイヤにとってユートピア的だったから。
(そういうゲームなので当然だが)
 たとえば(片親育ちでひねくれたわがままゲーマーの)凛子をプレイしている裏で、別データを使って(正統派お嬢様の)マナカと恋人になったからといって、リンコに蹴られたり、マナカに泣かれたりはしない。

 その限られた範囲のループをコンピュータによって限定的にであれ再現したことは、しかし素晴らしいと感じた。

 その閉じられた箱庭は、安心で、安全で、致命的な失敗もなければ危険もなく、ただただ平穏であたたかで、親しげなヴァーチュアルが永遠に続くのだ。
 まるでおとぎ話の最後のおなじみのセリフのように。

>>>

 人間は。
 いや知性というものは、既知の情報にはやがて飽きる。
 飽きれば変化を求める。
 変化を求めれば、チャレンジが必要で、リスクが伴う。
 そうやって、既存のステージから新たなステージを自ら切り開いてきたのだから、それは知性の役割ですらあるだろう。
 ただ、個体に与えられた条件のうち、どうやっても変えられないものも存在する。

 たとえば、性別や種族を後付けで変えることは、普通はできない。

 もっとも簡単な手法は、情報を感覚し、処理し、記憶する知性体それそのものが、自身の感覚セット(記憶や価値観)を更新してゆくことだ。
 そして実のところ「私が私である」という自我を持つ限り、それが強ければ強いほど、その手法は不可能に近づいてゆく。

 多くの人は、自身が猫であるという前提で生きることを知らない。
 そんなことは馬鹿馬鹿しかったり、恥ずかしかったりして、できないという。

 多くの性同一性障害者は、己の性的アイデンティティを肉体準拠に戻すことができない。
 周囲から与えられて疑いもせず固着したイメージはもちろん、自身で選んだセルフイメージを自ら壊すことを恐怖する。

 ヒトは、自らを檻に閉じ込めて安心するのだ。

>>>

 我々は自身の多くの部分を、プログラマがリソースを与えてインタフェイスを構築するように、親や社会によって与えられた中から選んだ情報を用いて、自分のありようとして構築している。

 支配からの卒業を人気歌手が歌ったところで、その支配の認識も、その反抗の表現も、すべて与えられたものだ。
 与えられて、手に取ったら、それが自分のものだと勘違いしていられる借り物競走の真っ最中だ。

 作ったわけではなく、あくまで選んでしかいないという意味において、既存の自分という知性の枠を超えることができない。
 好きなものからしか選ばないからだ。

 ために新しいものに向き合うときには、先入観を捨てて、拒否反応を抑えて、嫌悪感を好感に転換して、受け入れてゆく必要がある。

>>>

 僕にとって、プログラマによって構築された人格との恋愛は、ためにとても新鮮で、斬新で、主題どおりの安息があった。
 そして同時にどんなに多様なバリエーションを持たせても有限で、だから退屈してしまうのだった。

 生命体なら老いることも可能だろう。
(僕はその、死に向かう変容を自他のそれを問わず好ましく思う)
 知性体なら価値観を、緩やかに変化させることは可能だろう。
(老いてカラダが固くなると、アタマも硬くなりがちだが)

>>>

「ラブプラス」のときにも、ゲーム中のヒロインと、リアルに結婚式を挙げるプレイヤがいた。
 困惑と喝采、祝福と奇異の目が、web上でも錯綜した。

 ヴォーカロイドのAIアシスタントと結婚する人も、やはり同様の反応を世間にもたらした。
 世間の知性体は、まだまだ自身を知らないのだろう。

>>>

 弟子が婚活をしていることは以前に書いた。

 その「場」はすでに経済が介入して商業化された市場、売買のテーブルである。
 効率と経済をプロトコルにして、人々の欲をバイパスする。

 ディーラがいて、ブックメイカがいて、レースに出る者たちはステータスや過去を数値化され、チップを積んで、ベット(bet)する相手を探す。

 外見や年齢はもちろん、職業、年収、家族構成、話しやすさ、理知性の高さ、などなどは数値化され、ころころレートが変わってゆく。
(当然に、性差によっても基準の重み付けが変わる)

 僕からすると、懐かしくさえあるお馴染みの風景だ。
 様々なゲームの中で、数値化されたユニットを比較検討し「これかな」と試してゆく作業は、RPGやシミュレーションゲームにおいてはプレイすることそのものとさえ言える。

 そしてそれを人間に対して、人間同士が行うことを当然と考える場があることに、実は、心の奥底では、僕は嫌悪している。
 人形性愛と変わらない、人間が欲を押し付け合うための光景に思えてしまって。
 未来と現実と生活が掛かっているから、みな真剣で、ために残酷で。

 利用したことがないので明言できないが、おそらくマッチングアプリなども同様だろう。
 日本人に強く存在する、寂しさや不安を利用して経済が動く。
(金融業の多くは、不安を餌にするものだし、性差を利用した商業は人の寂しさをお金で埋める)

出会いがない」というのは「傷つくのが怖い」「恥ずかしい思いをしたくない」という気持ちの言い訳に、個人的には聞こえる。

 異性はどこにでもゴロゴロしている。
 個人的なことを言えば僕などは春になってもコタツでゴロゴロしているし、街を歩いていても、男性以外はみな女性である。

 結局のところ、失敗を恐れて、リスクを金で排除して、自分の欲を満たしてくれるキャラクタ(お互いが相手のことを少しでも考えていればまだマシだが)を探しているのではないのか。
 その場限りで終わってしまえば(何をしようとしなかろうと)性風俗と変わらないし、女性の側も「選ばれよう」という意識でいる限り同じベルトコンベヤに載った部品でしかない。

 結婚というステータスや、出産というイベントや、子供というアイテムや、家族というファッションや、経済という力を、リアルマネーを含めた自分の持ちうるリソースを使い、リスクを恐れず果敢に手に入れようとする姿勢は、もちろん評価できる。

 しかしそれは、ゲームの中で自身のキャラを選び、ヒロインを攻略してゆく行為を、簡略化して現実に落とし込んだもののように僕には見える。

 ゲームやヴァーチュアルなら、相手はどこまでも虚像のままだ。何をしようがリアルな人間が傷つくことはない。
 ただ現実でそれをするとき、人形性愛の対象を、いきなり生身の人間にすり替えられるグロテスクさに僕は恐怖する。
 その場において相手を「モノ化」していないと、いったい誰が言い切れるだろう。
 潜在的にであれ、ヒトを「モノ化」する人間は、下手なケモノよりも性質が悪いことを、僕は痛いほど知っている。

 おそらく実際に僕も参加してみれば変わるのだとは思う。
 きっとそんなおぞましいものではないはずだ。
(人々が、結婚に何を求めているのかは知らないが)

 しかし数値化され、モノ化され、他人の欲のために振り回されて、肉体的にも精神的にも散々に消耗した経験があり、しかもそこに結婚という仕組みが関わっていた経験もあるから、僕はそれを恐れ、嫌悪する。

 その記憶を「なかったこと」にするのはおそらくとても簡単にできるし、僕は自分が今この場では被害者ヅラしていることも把握している。
 その上で、僕は最後まで僕の味方をやめるわけにはいかないから、僕が既存の価値観を不要と決定するまでは、現状の価値観の庇護者であるわけなのだ。自我の仕組みの名において。

 そんな僕の話は置いておいて。

>>>

 人間のパートナとして、人間は不完全である。
 互いが互いを道具にしてしまおうとすることもあるし、思いやりが空回りしたり、オーダーメイドの完全な道具ではないことによる不信を抱える人もいる。
 なぜなら相手も同じ人間だからだ。
 理想も目的も役割も肉体も思考も欲求も歴史も異なる生命体だからだ。

 僕がヴァーチュアルな恋人に短期間で飽きたのは、そうした「生命体らしい恋愛生存欲求」を彼女たちは生々しくは表現しなかったからだ。
 キャンプやアウトドアのような、不便さや危険が、そこにはなかったからだ。
(もちろん、年齢制限を30歳以上にでもすれば、もっと生々しいものも作れるとは思うけれど、多分売れない(笑))

 しかし多くの若者たちは、これまで社会が求めてきたように、泥臭くて血なまぐさい感情の発露を忌避する。
(オトナたちに毒された若者は知らないが)

 近い将来、必然に、人間は他人を傷つけないためのクッションとして、AIによって構築された人格を持つパートナを持つだろう。

 それは恋人でなくていい、友達でもペットでもいい。

 動物が間にあることで円滑化される人間関係は確かに存在するし、クッションを利用する人間関係なんて人類の歴史と同じくらい普遍的なものだろう。

 たとえば僕自身も、僕自身の人格と切り離して、コミュニケーション用の人格をいくつか持っている。
 きっと誰でもそうだと思う。

 そしてようやく、欲をもたない、血なまぐささもない、心から信頼できる相手ができるのかもしれない。

 おそらくそれは、現代の僕らにとっては「人形」だ。
 しかし人間は、人形のように思い通りにできる他人を、いつも欲しがっているのではないだろうか。
 子供の頃も、大人になっても。

 そこにファンタジィがあり、人の求めるひとつの理想があるのだろう。
 誰にも傷つけられることなく、誰かを傷つけてしまうこともないユートピアが。

 人間の血のニオイを知っている我々は、あるいは単なるケダモノなのだ。
 ドライフードを喰う動物を見て「あいつは血の通った獲物の味を知らない」と言っている。

 他者を思い通りにすることが、たとえば経済や暴力や権力などによらない社会は、だから理想的である。
 相手に心から(プログラムや強迫観念からではなく)等価交換ではない何かを提供したいと思えるならば、それこそ素敵なことではないだろうか。
(少なくとも僕は、そういうプロトコルで人と接する)

 牙を抜かれた子猫たちが、だから、牙を剥く猛獣どものエサにされないように、過渡期こそは見守るべきなのだろう。
 
 人形が欲を見せるとしたら、それを見せたがっている人間がどこかにいるのだから。








// ----- >>* Escort Division *<< //


::「最初は人間の女を探したんだ。けど、オレは理想が高すぎて、満たしてくれる女なんていなかった。何年も時間を無駄にして、hIEでイチから作ればいいって答えにようやくたどり着いたよ。理想のしぐさも、理想のことばも、理想の反応も、特注したほうが早い」



// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~

文頭の引用は、
『Phase 1「contract」』(p.30)
文末の引用は、
『Phase 3「you'll be mine」』(p.88)

From「BEATLESS」
(著作:長谷 敏司 / 発行:角川書店)
 によりました。






// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Better Half ]

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -黒猫-/-BlueCat-

[InterMethod]
  -Algorithm-Darkness-Ecology-Interface-Life-Link-Mechanics-

[Module]
  -Connector-Convertor-JunctionBox-Reactor-Transistor-

[Object]
  -Camouflage-Game-Human-Koban-Poison-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-青猫のひとりごと-:-コントローラと五里霧中-
-君は首輪で繋がれて-



//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:20200416
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
電話交換機の抽象世界。
SUBTITLE:
~ Switch bored switchboarder. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 検索エンジンを DuckDuckGo に代えた。
 日本語読みすると「駄々っ子」みたいで可愛い。
(現実世界のそれは、蹴り殺したくなるほどのイキモノと想像するが)
 
 僕は「Rock’n'roll」を「ラケンロー」と書く。
 実際に口で声音すると分かると思うが「ロックンロール」よりも「Rock'n'roll」なのが「ラケンロー」である。
 声音の語感を面白がってしまう性格なのだろう。
 
 ほら、キミも。
 恥ずかしがらなくて大丈夫だよ。
 実際に口を使って言ってごらん。
 
 ラケンロー。
 その反骨の響き。セピア色に薫るメリケン(american)の味わいに君のソウルは震える。
 その振動、己の魂のヴァイブスに同調するがいい。
 
 ……ちょうテキトーなことを言っている、という君の直感は正しい。
 
>>>
 
 僕がガール(実際は男女問わず)にモテる理由のひとつに「いくらでも愚痴を聞き続ける」という能力があるように思う。
(実際に何度か指摘されている)
 多くの男性たちはこれがニガテなようで、特に恋人などともなると見くびっている部分があるのか(恋愛関係において、潜在的にであれ相手をみくびることは必然であり避けられず、時には必要ですらあるのだけれど)、セックスしたいとき以外、ボーイズの多くはきちんと話を聞かないらしい。
(セックスしたくてどうしようもない時も、やはり話を聞かないらしいが)
 あいつらは基本的に愚図なイヌだから仕方あるまい。
 
 ところで青猫工場の基本的なリソース概念は、だいたい以下のようなものである。
 
○ 怒りは熱量に変換可能である。
○ 熱量は長期的な運動エナジィに変換可能である。
○ 屈辱や凹みや憎しみはバネの圧縮のような運動蓄積に変換可能である。
○ 恥ずかしさは運動のストッパーである。
○ 好奇心は運動の方向性を決める。
○ 意思の力で知的生命体は自身の運動をコントロールできる。
○ ゆえにすべての猫は、跳びたいと思った場所に跳ぶことができる。
○ 高尚な意志は、ただし下品な欲求の前に無力だ。
○ 高尚な意思を下品な欲求とセットで持ち合わせると光と闇が合わさって最強になる。
 
 だから僕は、過去の文書で「ただ怒って怒りのエネルギーを発散するくらいなら、建設的なことに使う方がいい」とか、「凹んで酒を飲んで他人に愚痴っている人はエコじゃない」とか、「他人を使って秩序を守らせることに節度を持たない人間は野放図に無秩序の種を蒔く」とか、「今日と明日で言っていることが違っているくらいの人の方が正直だ」とか、好き勝手に書いてきた。
(もうそれらの文書は残っていないが)
 
 当時のブログを読む人の一部は「猫氏は怒りさえ制御する(実際には感情の発生に盛大な遅延が発生するだけなのだが)」「猫氏は愚痴も言わない(実際言わない)」という僕の虚像を持っていたはずで、オフ会などで会った人から「ギャップが激しきに過ぎる」という指摘をいただくこともたびたびあったし、まさか誰かの愚痴を聞くことをある種の楽しみにしていたとは思うまい。
 
>>>
 
 僕は自分の話と同様、他人の話も抽象化してしまう。
 普遍的な要素がどこにあり、人間の偏在的傾向のうち、その人がどういった位置にいるのかを観察する。
 
 多くの人は「常識的で、社会的で、良心的で、社交的で、好きなものと嫌いなものがはっきりしていて(僕のそれはぼんやりしている)、嫌いなものと好きなものにバイパスがないから覆ることがなくて、他者との価値観の段差にバイパス(あるいはハシゴ)を掛けられなくて、その高低差によって自分の価値観を傷つけられた感覚を覚えたり、見下された感じや見下す錯覚を起こす」という自分を演じようとしている。
 これらのメカニズムが自身の中で切り離されて外部化されていないために、そうした「演じようとしている」メカニズムを含めて自分だと思いこんでいる。
 
 それも含めて人間の一般的な特徴であり、抽象化して、全体的な価値マップにおける個々人の位置をおおよそでも計ることは可能である。
 だいたいは、上記の通りの「常識的な」メカニズムを持っていて、そのメカニズムは、相反する感情が自分の中に湧くことを許さず(自分はそんなことは考えてもいない)と、除外する。
 実際のところ、アタマの中だけは本当の自由だから、どんな犯罪を犯しても許されるし、どんな自堕落も咎められることはない。
 同様に、どんな立派なことをしてもいいし、どんな素敵な未来を予感して、充足した気分で現実に向かってもかまわない。
 もし、善行を多くの人に認めてもらって褒め称えられたいというなら、それすら妄想しておけば満足できるのではないだろうか。(できないとすれば、すでに現実社会で他者に依存していることになる)
 
>>>
 
 多くの人は、愚痴の中で、自身の偏在的傾向、つまりはクセや独善(正義と悪/善と悪の絶対的な境界や領域を説明できるのであれば、独善と言うほどでもないかもしれないけれど)を語る。
 そして現実世界で、均衡を失っている、自分の「正しさ」と、他者の「正しさ」の段差を語る。
 その上で、段差を埋める努力についてではなく、段差がいかに自分を傷つけ、いかに被害を受けているかを語る。
 
 とくに非難しているとか、バカにしているとか、そういうことはない。
 僕は愚痴を聞くことを苦にせず行うし、ブログで愚痴を書くことも往々にしてある。
 ただ愚痴という行為の概要というか、メソッドは、こういうものである、ということ。
 
 多くの男性はここで、段差を埋める方法や、段差を明確に定義することに注力して、それらを説明して女性に嫌われることがある。
 女性の多くは、男性が思っているほど馬鹿ではないから「そんなこと(常識的かつ前向きで建設的な対応や認識方法)など言われる前から分かっている」のである。
 ただただ言語化していたい、という気持ちを多くの男性は知らないのかもしれない。
 ひどい場合は「壁にでも話せ」「チラシの裏にでも書け」「裏庭に掘った穴に向かって愚痴れ」という人もいるだろう(僕はよく言う)。
 
 彼女たちの多くは、伝えている行為そのものが重要で、内容はほとんど意味を持っていない。
 コミュニケーションを取っていることと、その行為を行える関係性の確認に安心しているのである。
 これは動物がストレスを抱えたときに、巣穴に籠もったり、穴を掘り続けるのに似ている。
(僕は引きこもりの人見知りのコミュ障(笑)なので、気持ちはよく分かる)
 そういうときに必要なのは、ただただ誰かが聞いてくれて、その価値観を持っていることは正当で、間違ってなどおらず、それを誰かに語ることはたとえ肯定されなくても否定されない「場」があると安心してもらうことである。
 
 これらのメカニズムを俯瞰しながら、僕はぼけーっと話を聞く。
 ぼけーっとしているので、抽象的に話を聞く。
 どうせなら、そんな具体的な話じゃなくて、もっと抽象的に話してくれたら抽象化の作業がラクなのになぁ、なんて思いながら。(いや、そこまでは思っていないが)
 
>>>
 
 僕は聞き上手ではないから、相づちや、同意、共感の表現、質問して先を促す、などの行為はあまり得意ではない。(意識すればできるが、そこまで気を遣ってコミュニケーションするのも作為的に過ぎないかと思って気が引ける)
 それでも相手は愚痴を言い続けるし、ある程度の段階で(だいたい5回程度のループの中で)気が済み(安心して)、建設的な方向に気持ちが向かうようだ。
 さまざまな感情によるエナジィ(熱量や運動量)は低下しているが、暴発しそうなそれは、制御がむつかしい。
 エナジィの量が大きいと、制御が困難であることを、僕らは発電所の災害や住宅火災で知っているだろう。
 だから暴発しない、制御しやすいレベルのエナジィで、彼ら彼女たちは日常の世界に帰ってゆく。
 
 僕は怒りや屈辱を、暴発すれすれでも自己制御しながら運用する。
 ときどき失敗して、ベッドの中でまあるくなって引きこもる。
 
 他者の愚痴を聞いて、抽象化しているから、段差の多くは既知のものだし、ハシゴやバイパスのレパートリィも自分なりに豊富ではある。
 きっとみんなそうだろう。そう思っている。
 ただ、他者に話すのは少々気が引ける。
 
 なにより、誰かに愚痴を言いたくなって勇気を振り絞って話しているとき、どういうわけか「その人の話」にスライドしてしまうことがある。ひどい場合はダメ出しをされる。
「聞いて欲しいのに」と思う。
 
 すなわちそれが、愚痴を言いたい気持ちの源泉である。
 自分の中の「正しさのビョーキ」が発作を起こして訴えている。
 そこまでを脳内でシミュレートして、僕はベッドに向かう。
 まあるくなって眠る。眠りが僕の心の骨を撫ぜる。
 一日眠れば、一日死に近づくから、安心する。
 僕には、話を聞いてくれる誰かを自分でエミュレートできるから、正直なところ他人など不要なのだ。
 
>>>
 
 そしてアクセス過多が続くと、サーバは疲弊する。
 そもそも僕は彼ら彼女たちという群れのサーバではない。
 末端(ターミナル)であって、結節点(ノード)ではないから、何を繋げることもない。
 何かに繋がりたいわけでもない。
(彼ら彼女たちの一部は、僕をして、何かに繋がるのかもしれない。たとえば猫の神様とか)
 
 僕はただじっとして、自分の興味を持った対象に飛びかかったり、興味を引く場所に跳び移りたいだけである。
 
 他者が不要の世界というのは、自分が不要とされる世界のはずである。
(どうかそうであってくれ)
 そこでじっとしていると、しかし多くの人は(おそらく昨今は活動量が低下しているから余計なのだろう)僕にアクセスしてくる。
 彼ら彼女たちの中の僕は、ときどき彼ら彼女たちと同じように「誰かと繋がる」ことで完結するのだろう。
 そう思われているフシがある。
 
 このところ(僕からすると)たくさんの人の電話やメールがあって、目覚めてから30分後に、立て続けに5人から電話があり(そのいくつかは長電話であり)さすがに疲弊した。
 弟子などはこの1週間ほど、同じ案件の愚痴を続けているので、さすがに叱った。
 
 他人の責任である行為によって発生した自分の怒りを、他人の責任にするな、と。
 怒りは自分の感情であり、その感情は自分が責任を持って制御するものである。
 行為の責任が相手にあるならば、その責任は相手が負うのがふさわしいが、その行為に至った原因の責任はどこにあるのかを明確にする必要があるし、そのための努力を放棄してしまえば問題は解決できない。
 怒りにまかせて自分の感情の責任さえ他人に押しつけてしまったら(あの人のせいで私は怒ることになったと言い切ってしまえば)、解決能力がないと見下している(能力の低い)相手に、問題のすべてを丸投げすることになる。
 それで気分はいいかもしれないが、問題は致命的に解決不能になる。
 
>>>
 
 自分の感情を、他人のものにするな。
 自分の感情を、他人の責にするな。
 それは自分の人格や人生を、長期的に他人に明け渡すことと同義だ。
 僕はそう思っている。
 
 第三者が原因なだけで、今、自分が直面している現実は発生しない。
 もしなんらかの事象が、他人だけが原因で自身の現実に発生しているならば、そもそも自分の属している現実を他人に明け渡していることになる。
(子どもなら仕方ないかもしれないが)
 
 自分で現実を作るのだ。
 自分の目の前の現実に荷担しろ。
 自分の現実にもっと手を加えろ。
 たどり着きたい場所をもっと明確にイメージして、そこに到達するための運動を計算しろ。
 計算された運動を、精確に、緻密に、具現しろ。
 
 そのとき、そこに他者は必要ない。
 
 僕はそう思っているけれど、すべてを説明するのは本当に疲れるのでしなかった。
 
>>>
 
 頼まれごとの仕事をするため、アパートに戻る。
 最近、僕の仕事はノーギャラが増えた。
 
 前回は飲食店のメニュー作成。
 今回は同店のウェブサイト修正。
(ウェブサイトを1から作り直す話もあったのだが、よくよく確認するとさほどコストをかけているわけでもない様子なので、システムは現行のまま、オペレーションだけスタッフでしましょう、となったようだ)
 
 ちなみに僕はそこの社員でもオーナーでも社長でもなく、ときどきバイトに行くだけである。
 ただ、Kさん(僕の想い人のひとり、ちなみに男性)が社員で、僕のことをエンジニアだと思っていて、呼ばれるのである。
 2日ほど仕事(ノーギャラ)をして、これからアパートから戸建てに戻る。
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
[ Traffics ]
もう「グーグルの小作農」はやめませんか?
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  -工場長-/-青猫α-/-黒猫-/-BlueCat-/-銀猫-
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Chaos-Diary-Ecology-Engineering-Kidding-Link-Mechanics-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-
 
[Object]
  -Friend-Human-Night-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
-夢見の猫の額の奥に-
 
 
 
//EOF
 怒っているときに「怒ってる?」と尋ねられて「う〜ん、まぁ、そう言われると怒っているほうかな」と冷静に返事ができるようになりたいと思ってから数十年が経つ。

 なかなかどうして実現するのは容易ではない。

 自分の心情のことであり、自分の行動のことである。
 自己認識の問題であり、他社との関わり方の問題である。

 なのにたいていの人は(あるいは僕だけか?)語気を荒げて「怒ってない!」などと言ってしまうのである。

>>>

 もちろん僕のように、怒りや激しい憎しみを生きる原動力として使わないと、そもそもの生命力に乏しいせいで死んでしまうタイプというのは存在しているわけで(あるいは僕だけか?)。

 その僕の怒りや憎しみについていうと、特定の個人であるとか現象ではなく、そこから抽出された意味、すなわち抽象の存在であり、特定の概念をその一部であれ全部であれ、体現している(あるいはしようとしている)そのすべての個体とその認識と記憶を構成する現象と因果をすら憎み散らすという潔癖性っぷりである(これは僕だけか?)ものの、多くの人も言語化できないだけで、本来の憎しみは、概念に対する激しい怒りなのではないかと想像する。

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 そうはいっても、殺伐としがちな昨今の世俗の様子を鑑みるに、本能的に僕は、群の多くの個体とは逆方向に進んでしまおうとするわけであり。
(単なる天邪鬼なのかもしれないが)

 数日間の自分の文書を読み返して(ああ、必要以上にイライラしておる様子だね、青猫くんは。よしよし、なでなで)と思った次第。
 もっとも僕の日常は、一年前から変わっていない。
 若干変わったことは、介護対象者が死んだことと、それに伴って、介護および誰かの体調を常に心配する緊張から解放されたこと。

 つまり僕は、昨年の今よりも楽に生きている。
(無職は去年からスタートしたので変化なし)

 人間関係も最低限だし、友人も恋人も増える傾向はない(飼い猫は増加傾向にある)。
 今の僕を物語にすると、登場人物は5本の指で足りそうである。登場人物の家族を含めても両手で足りそうだし、仮に足りなくても両足を含めれば絶対に足りる。
 ……何をムキになっているのか。

 ために、日常は前年同月以上にストレスの少ない状況ではある。
 不便も感じないし、楽しいことはたくさんある。
(作業台がまずは欲しい)

 ゆえ、イライラする必要はどこにもない。
 怪我をして運動ができないのも、ギターの練習ができないのも当面は致し方ないことであるし、身体が弱いのは生まれつきである。

 そもそもIRLでは怒ったり文句を言う対象すらない。
(だいたい24時間ひとりで過ごすのが僕のデフォルトなので)

 たいていは、僕の不思議な発想や、思いもよらない失敗を、面白おかしく観察して過ごしている。(あと、ときどき秀逸なジョークを言い出したり、ひとり掛け合いを始めるのでこれも見逃せない。まぁ、自分のことなので見逃しようがないが)

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 文面がイライラするのは、俗世を批判するからである。

 他人は他人であるし、俗世は俗世である。
 政治と経済に深く関わらないことは、猫として当然の姿勢であり、そんなことは私が思索しなくても誰かが良きに計らうのである。

 ゆえ、私は新しいことに思索の目を向けようとしつつ、眠くなってきたのでお昼寝するにゃー。

 今日も平和だにゃ〜。